第7話 公爵令嬢は思い出される
顔合わせを終えた夜。
アリステアは自室で深くため息をつく。
(……可愛すぎる)
友人としての距離を保っていた時だって充分可愛かったというのに、婚約者になった彼女はひどすぎる。
アリステアの前髪をぐしゃぐしゃにし、震える手でペンを握り、少しでも早く結婚式を挙げたがり、アリステアがアジサイの時期を提案すれば「大好き」と満面の笑顔を向けてくる。
さらに、庭園ではアリステアをエスコートして、追いかけて来てくれないと頬を膨らませ、挙句、アリステアの目尻に触れ、飛びついて抱きついてくる。
(……俺はもつのか?)
彼女のやわらかな指で触れられて、理性を保つ自信なんてどこにもない。
あの時のアリステアは、東屋の近くに待機しているであろう侍女の姿を必死に探した。そうやって意識を別のところに置かないと、可愛い彼女へと不用意に触れてしまいそうだった。
そんなアリステアの気持ちなど気づきもせず、彼女はその後もずっとにこにこと話していた。
(六月……長い)
彼女も待ちきれないと言ってくれたが、たぶん、アリステアの方が待ちきれない。
早く六月になってほしい。
何も気にせず彼女に触れられる季節になってほしい。
アリステアは切に願った。
* * *
「お嬢さま、大丈夫ですか? 眠れます?」
マリアが珍しく気遣ってくれる。
どうやら傍目から見ても、クラリッサは相当興奮しているらしい。
もちろん自覚はしている。
(だって、だって!! アリスさんの目を見てしまいましたわ)
勢いあまって、その目尻にも触れてしまったし、なんなら抱きついた。
(わたくしったら、なんてはしたないことを)
初めて見るアリスさんの黒い瞳の美しさに魅了され、つい手を伸ばしていた。
(どうせなら、抱き留めてほしかったですわ)
アリスさんは決してクラリッサに触れることはなかった。
とてもアリスさんらしいのだが、婚約者になったのだから、少しぐらい触れ合いたい。
(わがままなのかしら……)
出会ったばかりの頃にアリスさんに言われた『わがまま』という言葉を思い出す。
嫌われたくはない。でも、触れたい。
(わがままではない範囲とは?)
クラリッサはベッドに入る前に、マリアを振り返った。
「ねぇ、マリア」
「はい」
「婚約者として、わがままではない触れ合いってなにかしら?」
「……」
マリアの視線が斜め上を向いた。なぜ嘘をつこうとするのか。
正直なマリアの嘘をつくときの視線の動きだ。
「嘘はダメですのよ」
「う……お嬢さま、私が思うままに答えたら、イーディスさんに殺されてしまいます」
「……イーディスは、そんなことしないと思うけど」
「お嬢さまにはしませんけど、私にはしますので。その質問は私ではなくイーディスさんか、あ、奥様に」
マリアが名案だという顔をした。
クラリッサは、なるほどと思った。
お母様は人生の経験者。いつだって的確な助言をくれる。
「そうですわね。今から!!」
「ダメです。今日はもうお休みになってください!!」
ベッドへと押し戻される。
「え? なんで? どうして? すぐに知りたいわ」
「とにかくダメなんです。奥様は旦那様と仲良くされているのでお邪魔してはダメなんです!!」
「え~……お父様はちょっとわがままじゃないかしら? この間もそうだったじゃないの」
「……お嬢さまのせいなんですけどね」
「え? なに?」
「いえ、なんでもありません。とにかく寝てください」
「うう……分かったわ。明日一番にでもお母様に訊くわ」
「……明日一番だと、まだ旦那様に占領されている時間です」
「もう!!」
クラリッサはムッとしながらも、ベッドへと入る。
「ほら、ペンフォード様のことでも考えてください」
「ダメですわ! それだと、眠れなくなってしまいますわ」
「……では、数学のことでも思い出したら如何です?」
「よく眠れそうだわ」
そうしてクラリッサは、マリアの提案通り数学のことを考えようとしたのだが。
(……ダメだわ。アリスさんの文字を思い出しちゃう)
数学のノートに書かれたアリスさんの文字を思い出してしまった。
(綺麗な文字なの。でも今日はちょっと震えていたわ)
クラリッサと同じように緊張していたのだと分かる。
(ダメだわ!! 全然眠れない!!)




