第5話 公爵令嬢は顔合わせをする
エドマンドお兄様とヒューイお兄様は、応接間でソフィア様のお相手をすることになった。
なにやら抵抗していたのだが、お母様から睨まれ、ソフィア様から『ご迷惑はかけられませんわ。わたくし一人でも大丈夫です』と健気に言われ、お兄様二人は紳士としての役割を思い出したらしい。
「ありがとうございます」
そう笑顔を浮かべるソフィア様は、とても可愛らしい。
本日のソフィア様の装いは、淡い蜂蜜色のドレス。
先ほどのご挨拶も、とても上手で、クラリッサは先生として鼻が高かった。
(ふふ……次の授業の時に、完璧でしたわってお伝えしなくては)
生徒の優秀さが嬉しくて堪らない。
にこにこと手を振るソフィア様に、クラリッサも手を振り返す。
そして、お父様とお母様の後に続いて二階のサロンへと向かう。
本当は後ろを振り返って、アリスさんの姿をもう一度よく見たかったのだけれど、大人しく我慢した。
(……アリスさんの挨拶も完璧でしたし、礼装姿も……カッコ良かったですわ)
顔合わせはこれからだというのに、クラリッサの心臓は先ほどからドキドキしっぱなしである。
(落ち着いて……落ち着いて……)
サロンのドアの前で待機していたイーディスが、そっとクラリッサの手を取ると、いつの間に用意していたのか、湿らせた布でクラリッサの手を拭く。
(あ……)
本当はお礼を言わなくてはいけないと分かっているのに、アリスさんのオイルがとれてしまったことに、クラリッサはがっかりする。
ちらりとイーディスを恨みがましく見てしまった。
* * *
アリステアたちは、公爵家のサロンへと足を踏み入れた。
筆頭公爵家らしいサロンの豪華さよりも、待ち構えるように座る公爵閣下と夫人、その間でにこにこと笑っている彼女が可愛くて目を奪われそうになる。
アリステアは平常心をなんとか保ち、父、母の後にソファへと座った。
「では、早速、こちらが婚約書です」
先ほどから公爵夫人だけが話している。
公爵閣下は渋い顔をしたままだ。
「お母様、書きます!!」
彼女がテーブルの上に用意されたペンに素早く手を伸ばし、握った。
「早い!! まだ早い」
公爵閣下がようやく口を開いた。
「お母様、ここでいいのですよね?」
彼女は完全に公爵閣下の言葉を無視し、公爵夫人もにこやかに微笑む。
「アリステアさん、クラリッサが待ちきれないようなので先に書かせていいかしら?」
「……はい」
ところが、ペンを持つ彼女の手が、婚約書の上で止まったままになる。
よく見れば手が震えていた。
「……震えが止まりません」
泣きそうな目で見られても、アリステアは彼女の代わりに署名することはできない。それでもなんとかしてあげたいとは思う。
「俺が先に書こうか?」
「え?」
「その間に落ち着くかもしれないし」
彼女はコクリと頷き、持っていたペンを置いた。
そして、アリステアの方に婚約書とペンを向けた。
正直アリステアの手も震えている。
それでも、必死な彼女の気持ちに応えたくて、震えた手のままペンを握り、いつもより不格好な署名をする。
「……アリスさんの手も震えてましたわ」
「そうだな」
「わたくしも、頑張りますわ!!」
震える手首を押さえるその左手には、アリステアが贈ったアジサイのハンカチ。
ひとつひとつが可愛すぎて、堪らない。
婚約書に並ぶ二人の名前に、アリステアの胸は熱くなっていく。
「書けましたわ!!」
得意げな彼女に微笑み返した。
* * *
ペンフォード伯爵夫人は、先ほどからほぼ空気と化していた。
夫にいたっては、完全に空気だ。おそらく本人はそれを全く気にしていないだろう。
そして、公爵閣下はずっと「早い」「却下だ」を繰り返しているのだが、無視され続けている。
顔合わせの席に着くなり、すぐに婚約書に署名をするアリステアとクラリッサ様。
ふたりがいるところを見るのは、二回目だが、なんというか、こんなに甘かったのだろうか?
アリステアが『月の夜』にクラリッサ様をエスコートしているのを見た時は、度肝を抜かれた。しかも、そのまま二人で踊り続けたのだから、伯爵夫人はその場で意識を失いそうになった。
だが、衝撃はそれだけですまなかった。
夜会が終わり、家へと帰る馬車の中で、アリステアは夫に『ブランデルウッド公爵令嬢に婚約を申し入れたい』と言い出したのだ。
早すぎる展開に物申しても、『公爵令嬢と何度も踊っていて、そのままにする方がおかしい』と言われれば、その通りで反論の余地はどこにもなかった。
そうして、婚約の申し入れをした翌日には返事が届き、あっという間に顔合わせ。……いや、署名すら終わってしまった。
伯爵夫人の隣に座るアリステアは、表情こそ分かりづらいが明らかに浮かれている。向かいのクラリッサ様は、隠しきれない……というか、隠す気などさらさらないだろう、嬉しそうにアリステアだけを見ている。自分と夫は背景でしかない。
「では、結婚式はいつにしましょうか?」
唯一、公爵夫人だけが空気でも背景でもない。
「はい!すぐ」
「却下!!」
「無理ですよ。クラリッサ。準備というものがあります」
「……それでしたら、今が九月だから……三か月後だと」
「さすがに冬の時期は避けた方がいいと思う」
アリステアが口を挟むと、むむむとクラリッサ様が唸る。
二人それぞれの様子は、見慣れた姿だった。
「では、春ですわ!!」
「却下」
「……クラリッサ、兄のことを忘れてはいけません」
「ああ。そうでしたわ、ヒューイお兄様が四月に結婚式でしたわ。それなら一か月早めて、三月がいいです」
「却下!!」
「……クラリッサ」
呆れたような公爵夫人の返しに、自分たちも会話に参加すべきかと悩み、隣の夫へと視線を向けるが、夫は何も言わない。表情一つ動かさない。一応、目は開いている。呼吸もしている。
「六月はどうでしょうか?」
「却下!!」
幸い、息子はきちんと意見を言えている。
「……六月?」
クラリッサ様が首を傾げた。
アリステアが頷き。
「アジサイが咲いている時期だ」
クラリッサ様は、これ以上ないほどに顔を綻ばせた。
「素敵ですわ!! アリスさん、大好きです!!」
公爵夫人も満足げに微笑み、話は決まった。
こうして、アリステアとクラリッサ様の婚約は正式に結ばれ、結婚式は六月と決まった。
夫も婚約書に伯爵家当主として署名をし、公爵閣下も公爵夫人に耳元で何かを囁かれた後、大人しく署名をした。




