第3話 公爵令嬢は平常心を探す
仕事を終え、家に帰るとすぐに父に呼び出された。
「返事だ」
執務椅子に座る父のところまで行き、書面を受け取る。
書面にはアリステアの申し入れを受けると書かれていた。
つまり、承諾されたことになる。
「……良かった」
思わず声に出してしまう。
父を見るが、いつものように無表情で何を考えているかというか、聞こえていたのかさえ分からない。
「顔合わせについては、今週末を打診されているが」
「は?」
さすがに早くて驚く。
慌てて書面に目を落とすと、確かにそう書かれていた。
「お前がそれで良ければ、『是』で返事をする」
「特に問題ありません」
「……服はあるのか?」
「……後で確認します。最悪無ければ、兄上に借ります」
「公爵家だ。みっともない格好で行くわけにはいかない」
「はい」
「早く返事をしたい気持ちは分かるが、きちんと確認してからにしろ」
「……分かりました」
アリステアは、すぐにでも部屋を出たくなる。
自室のクローゼットに何が入っているのか。きちんと把握しておけばよかった。
いざという時の正装はあるはずだが、改めて言われると自信がなくなる。
「行ってよし」
「……すみません。失礼いたします」
アリステアは父に一礼すると、素早く踵を返した。
* * *
両家の顔合わせの日が、今週末に決まった。
クラリッサは図書館に来ていた。
目的は、授業の資料集めである。
(……アリスさんを一目見たいのですけど)
ただ以前とは違って、心臓への負担が大きい。
アリスさんの姿を見ない方が、平穏な気もしなくもない。
そう思って、いつもの『アリスさん探しの一周』はやめた。
(平常心。平常心)
クラリッサは帝国語の詩集を探す。
一週間で読み終えるのにちょうど良さそうな厚さのもの。
(あ!!)
書架を移動していると、遠目にアリスさんの姿が見えてしまった。
(ううう……どうしましょう)
少し丸めた背中すら、クラリッサの気持ちを高ぶらせる。
(ダンスしてた時には、ちゃんとまっすぐになってましたもの)
猫背の姿勢すらわざとなのだと、クラリッサは薄々感じている。
(だって……素敵でしたの)
完璧なリードだった。
クラリッサにとっては誰よりも完璧で、とても踊りやすくて楽しくて、くすぐったくて。
(ど、どうしましょう~!! こんな状態で、顔合わせの時に、ちゃんとお話できるかしら)
今まで普通にできていたことが、できないかもしれない。
クラリッサは唐突に焦り始めた。
落ち着こうと息を整えていると、イーディスが背中をさすってくれる。
「イーディス……」
情けなく彼女の名前を呼べば、やわらかに微笑まれた。
「大丈夫です。正常な反応です」
「ほ、ほんとうに!?」
「ええ。好きな相手には異常な状態になることが正常ですから」
「……え?」
「異常が正常です」
「……そ、そうですの?」
「ええ。ですから安心して、異常な状態になってください。そのために私がついています」
「……知らなかったわ」
イーディスの言葉にクラリッサは落ち着きを取り戻す。
(異常が正常。異常が正常)
初めて知る感情は、クラリッサにとって学びでもあった。
(アリスさんも異常なのかしら?)
とてもそうは思えない。
今はもう見えない背中を、クラリッサは探してしまった。
* * *
「今日、来てたよ。君の婚約者」
ウィンスロー先輩が、いつものように食堂のデザートと共に地下の休憩室に現れた。
まだ婚約者ではない、とか色々言いたいことはあるが、アリステアは気になっていたことを聞く。
「顔合わせの時って、前髪はあげるべきですか?」
「……そうだと思うけど。でも君の場合、それが個性みたいなものだし。嫌なら……うーん……」
「別に嫌な訳じゃないんですけど」
「え? そうなの?」
「正確に言えば、その他大勢に見られるのが嫌なだけです」
アリステアがそう言うと、ウィンスロー先輩は遠慮もなにもなく、アリステアの前髪を持ち上げた。
「え? 想像とは違う顔が現れた」
ウィンスロー先輩は目を丸くした。
「なにそれ? どういうこと? 僕は痣とか、なんなら大きなニキビがあって隠したいのかと思ってたのに。そんな綺麗な顔だったの? 意味分かんないんだけど」
「この顔で歩くと注目を集めたり、騒ぎが起きたり、いろいろ面倒なんです」
「あ~……まぁ、君だとそうかぁ」
ウィンスロー先輩の手が、髪から離れた。
アリステアは前髪をいつものぼさぼさスタイルへと戻す。
「それならなおさら、礼儀として前髪は整えた方がいいよ」
「……そうですよね」
「別に嫌じゃないでしょう?」
「そうなんですが……」
「なに?」
「……いえ、なんでもありません」
そう返しながら、アリステアは思う。
彼女はアリステアの前髪をずっと守り続けていたのだ。
(でも……婚約の許可を貰わないといけないし)
彼女の笑顔が浮かぶ。
アリステアに向けられるまっすぐなそれが、たまらなくほしいのだ。
髪型については、あとで兄に相談することにした。




