第36話 公爵令嬢は思わぬ話を聞かされる
アーサー殿下とベアトリスさんが週末に森のお屋敷にいらっしゃるという話は、お母様にも連絡があったらしい。
クラリッサは前日にお母様からお叱りを受けた。
――アーサーとベアトリス嬢をお出迎えする準備はできているの?
そんなこと全然考えていなかった。
にこやかに微笑んでいるお母様の目から無言の圧力を感じ、背中に冷や汗が流れた。
――貴女がアリステアさんからきちんと報告を受けたことも知っています。それでいながら、貴女は準備について、わたくしにも、ヴィヴィアンやマリアにも相談していませんね?
頷くのが怖くても、頷くしかなかった。
その後、お母様からこってりと絞られ、お母様が色々手配して下さったことを聞かされた。
――いいですか。これから、貴女はこういうことに気を配らなくてはいけないのです。今までのように能天気にしていては、ダメなのです。
「はぁ……」
自分の至らなさに、ついため息を零してしまった。
今、クラリッサ達は玄関ホールでアーサー殿下たちが来るのを待っている。
隣に立つアリスさんが、クラリッサのため息に気づかないわけはない。
しまったと思って、口を押さえても遅い。
「どうした?」
「……あの、わたくし今日の準備のことをすっかり忘れていて」
呆れられるのを承知で素直に伝えると、アリスさんの首が傾いた。
「殿下をお出迎えする準備は、お母様が全て指示してくださったのです」
「あ……ああ」
なるほど、とアリスさんの呟きが聞こえた。
その『なるほど』がまるでクラリッサの至らなさに納得しているようで、余計に辛い。
「そうか。俺も気付かなかった。すまなかった。君に伝えればいいとしか考えていなかった」
「え?」
「何が必要かとか、準備について確認してほしいとか、言うべきだったな」
「……でも、そういうものなのでは?」
貴族の夫人は、家のことをやる。
つまり、旦那様に予定を伝えられたら、その予定に添って計画をする、それが夫人の仕事なのだと、クラリッサは思っている。……思っていても、できなそうなのだが。
「他の家はどうか知らないが、俺の父はあまり喋らないから、母がその都度、細かく訊いている。ということは、双方で意思の確認をするべきだろう?」
「でも、伯爵夫人はきちんと質問されるんですよね?」
「そうだけど。君が何も訊かなかったから『良し』、も違うような気がする。ましてお願いするんだから、君だけのせいではないだろう?」
「……アリスさんは優しすぎですわ」
冷たそうに見えて優しい。
厳しいのに優しい。
クラリッサの大好きなアリスさんの優しさが身に沁みて、痛い。
「わたくし! 負けませんわ」
「……今、君、誰と勝負し始めたの?」
「もちろん、アリスさんですわ!」
分からないという呟きは聞こえてきたけど、アリスさんの口の端が緩やかに上がっていて、反省しなくてはいけないのに、クラリッサは嬉しくなる。
「アリスさん!!」
抱きついちゃおうかと、意気込もうとしたその時。
「君たち、僕たちが目の前にいることにそろそろ気づいてよ?」
アーサー殿下とベアトリスさんが、玄関ホールに立っていた。
* * *
「で、今回君たちに話があったのはね」
使用人棟で申し訳ないとアリステアは思ったが、他にきちんと整っている場所はなく、殿下とベアトリス嬢を使用人棟の食堂へと案内した。
ヴィヴィアンと、それからマリアという侍女の二人が、紅茶とお菓子をテーブルの上に並べていく。
見覚えのある焼き菓子とケーキだ。
おそらく公爵家ご用達のサロン、シルバートーンのお菓子だろう。
質素な部屋に、殿下たちは特に何も言わなかった。
ベアトリス嬢は珍しく、あちこちへと視線を巡らしている。
「例の孤児院の件なんだけど」
殿下は優雅に紅茶のカップを口元へと運ぶ。
あー美味しいと言った後に、言葉を続けた。
「表向きの処罰などは難しいから、裏から手を回して院長には孤児院を手放させた」
「え?」
「まぁ?」
殿下の隣では、ベアトリス嬢が頷いている。
彼女も当然、その話を聞いていたのだろう。
「そうすると、あの孤児院はどうなるのですか?」
孤児院は見に行ったことはない。
知っているのは三人の少年だけ。
だが、彼らの行き場がなくなるのは困る。
「そこでだ」
にっこりと殿下が笑った。
とても嫌な笑みである。
「君たちに孤児院を引き継いでもらいたいんだ」
「……」
「まぁ! 素敵ですわね」
彼女は何も気にしていないようだが、そんな簡単な話なのだろうか?
「で、それにあたって、アリステアに爵位を与えようかなぁ~と僕は画策してみたんだけど、父がねぇ~」
「可愛いクラリッサ嬢を奪った男に、爵位など与えたくないと陛下は仰せでした」
ベアトリス嬢が初めて口を挟んだ。
今度は隣で殿下が頷いている。
意外と息が合っているようだ。
「え? どうしてですの? わたくしはアリスさんに奪われたわけではありませんわ。わたくしはわたくしの意思でアリスさんといますのよ? 叔父様、どうかしているのでは?」
ぶっ、とベアトリス嬢から息が漏れた。
必死に口元を押さえているが、体が揺れていて笑っていると丸わかりである。
表情が動かないと思っていたが、そうでもないらしい。
「クラリッサ。実にその通りだと僕も思うんだけど、君の父君も同意見でね」
「……お父様、しばらくお話したくありませんわ」
アリステアの隣でぷぅっと頬を膨らませるのは可愛いが、実際にそんなことをされては公爵閣下がどういう報復に出るのか分からないのでやめてほしい。
「そこで、ベアトリスからの提案が」
殿下がベアトリス嬢を見る。
とても得意げで、そして見惚れるような眼差し。
それに気づいていないのか、ベアトリス嬢の視線はアリステアの、隣へとまっすぐに注がれている。
「クラリッサ様が爵位を持たれたら、如何でしょうか?」
淡々とした声で告げられたのは、あまりにも重い一言だった。




