第32話 公爵令嬢は発熱を疑う
クラリッサは公爵邸に帰ると、ふらふらと自室まで戻り、ふらふらとベッドへと倒れこんだ。
「え? お嬢さま?」
マリアが心配そうに声を掛けつつ、ぐいっとクラリッサを回転させて仰向けにする。
額にマリアの手が当てられた。
冷たくて気持ちがいい。
「平熱ですね」
「……そんなはずないわ。わたくしの感覚ではかなりの高熱ですわ」
「大丈夫です。平熱です。お嬢さまはお子様体温なので温かいのです」
「なんだか嬉しくないわ」
クラリッサは離れていくマリアの手を掴んで、もう一度額に当てさせようとした。
「クラリッサ様、冷たい布を用意しました。こちらの方がよろしいでしょう?」
一緒に部屋に戻らなかったヴィヴィアンが、水差しと水の入ったボウルをワゴンに乗せて運んできた。
ヴィヴィアンはマリアと場所を交替し、水で濡らし絞った布をクラリッサの額に当てた。
「ああ……生き返りますわ」
「……お嬢さま、どうなさったのですか?」
「アリステア様と恋人繋ぎをした程度です」
「おお! ついに。おめでとうございます」
「……ヴィヴィアン、程度ってなに? アリスさんの手は大きくて、指もわたくしと太さが違いますのよ。知っていて? その手が、指が……」
「良かったですね。お嬢さま」
マリアは自分のことのように喜んでくれるけれど、クラリッサは本当に一日中ドキドキしていたのだ。
慣れなくてはと気を張るあまり、神経が研ぎ澄まされていたと思う。
クラリッサの指の間に、アリスさんの指がぎゅっと絡んでいて。
熱を帯びたせいなのか、湿っていく自分の手が気になってしょうがなかった。
(あああああ!! もう!!)
恋人繋ぎだけでもいっぱいいっぱいだったのに、そこへ家具選びが加わって大変なことになった。
最初はお互いの部屋の机や椅子、ソファなどを選び、そして、寝室。
(ふ、ふたりで寝るベッド)
おもわずクラリッサは手に力を入れてしまって、まるで気合が入っているかのようになって恥ずかしくて堪らなかった。
おかげで、店内に並んだベッドに目を向けられず、床ばかり見ていた。
対してアリスさんは、とても淡々と店員さんとやり取りをしていた。
『ウォールナットの素材で、部屋の雰囲気に合うもの』という条件をきちんと伝えていた。
(なんで今日に限って、恋人繋ぎですの!!)
アリスさんを恨んでしまう。
だが、睨みたくてもアリスさんを直視する勇気はなかった。
――スプリングはこのくらいで宜しいでしょうか?
店員さんが訊いてきても、分かるはずもない。
――実際に確かめられますか?
どうやって? とクラリッサは動揺する。
アリスさんは静かに言った。
――ロビン、転がれ
――後で文句言わないでくださいよ?
――言わないから、転がれ
その時だけは、ベッドを見ることができた。
ロビンさんはゴロゴロと寝転がり。
――充分だと思います。
(……充分?)
――分かった。君はこれでいいか?
アリスさんがクラリッサを見た。
クラリッサは無言で頷くしかできなかった。
「情けないですわ!!」
がばりとクラリッサは起き上がる。
自分の家の家具を決めるのに、考えることもできないなんて。
「……クラリッサ様、アリステア様も似たようなものでしたし、お気になさらなくても」
「何を言ってますの? アリスさんはちゃんとしていましたわ」
「……ベッドについて確認したのは、ロビンです」
「指示を出したのはアリスさんでしたわ」
「ん? ……ということは、クラリッサ様がヴィヴィアンさんに指示して、ロビンさんと二人転がせば良かったってことですか?」
マリアが口を挟む。
「やめてください。どうしてロビンと寝転がらなくてはいけないのです?」
「あああ!! 恋人繋ぎ程度で動揺して、わたくし、わたくし……」
「クラリッサ様、落ち着いてください」
「ヴィヴィアンさんが、程度なんて言うから」
「……マリアさん、クラリッサ様を落ち着かせるのを手伝ってください」
「無理ですよ。こういう時は、思う存分暴れさせるんです。そのうち落ち着きますから」
「マリア! わたくしを何だと思ってますの?」
「……珍獣?」
「マリア?」
「嘘です。ペンフォード様の可愛い婚約者です」
(そういうところが、ズルいのよね、マリアは)
クラリッサは少しだけ冷静になれた。
* * *
「問題あったのか?」
公爵邸に迎えに来たペンフォード家の馬車に乗り込む前に、アリステアはロビンに確認した。
ほぼ放心状態の彼女が気になったのだ。
「いえ、問題というよりは、唐突過ぎて、ついて行けなかっただけでしょう?」
「やめた方が良かったのか?」
「……そうすると今度はアリステア様が振り回されることになりますので、お好みの方を、としか」
「……難しすぎるだろ」
「幸せな悩みですよ?」
にっこりとロビンに微笑まれて、アリステアは黙った。
(しかし……疲れた)
ずっと指を絡めているのは緊張するし、手汗は出るし。
しかも寝室のベッド選び。
彼女は下を向いていたのだが、髪の隙間から耳や首筋が赤く染まっているのが見えてしまった。
(はぁ……)
意識されていると思うと余計に堪らない。
平常心を保つのにどれだけの気力が必要だったか。
それでも、自分がそこで同じように何も言わなければ、それこそ何も進まない。そんな情けないことなどできるはずもなく。
「ロビン」
「なんですか?」
「今日は助かった」
「……今日も、ですよね?」
「……そうだな。次も頼む」
「次、何があるんですか?」
「分からないけど、先に言っておく」
「何があるか分からないなら、引き受けることはできませんね」
アリステアの従者は、安請け合いはしないらしい。
「では、またその時に頼むとする」
それだけ言うと、アリステアは馬車に乗った。




