テキーラ・ボンバー
赤い翅の妖精が作るカクテル(妖精の粉入り)は大人気! ――寿命の違う人間たちを愛し、見送り続ける妖精の、明るく切ない現代ファンタジー。
ここはバー・サンティアゴ。神戸北野の異人館にある、テキーラ専門店だ。私、三浦誠はそこの店長であり、バーテンダーでもあった。ここは観光名所なので、海外からも客が立ち寄ってくれた。
しかし、開店時から一緒に勤めてきた料理人がニンニクを腐らせて(めったにないことだ)、すっかり落ち込んでしまった。復帰したかと思えば、「メキシコで修行してくる」と豪語して店を辞めてしまった。
もとイギリス外交官の邸宅だったバーは広くて暗い。料理人との交流を目的にしていた客も減り、テキーラ専門店は火が消えたようだった。当時は陽気に見えたピンクや黄色に塗られたドクロの形をしたボトルでさえ、もはや不気味でしかない。ビクトリア朝時代そのままの豪華な部屋で、ぼんやりとグラスを拭くのも寂しかった。そこで新しく人を雇うことにした。
募集をかけると、すぐに電話がかかってきた。女性だ。かたことの日本語なので、本場メキシコの人なのかもしれない、よしよし。さっそく面接の日にちを決めた。ところが当日、扉を開けると変としか言いようのない相手が立っていた。
そして以降、何か月も対応に困ることになってしまった。
その相手とは、驚いたことに妖精だった。本人いわく、恐ろしいほど長い年月を生きてきたらしい。なんとまあ、約四千歳だとか。
なぜ私がその相手を妖精と呼ぶのかというと、背中にトンボのような翅をはやしていたためだった。その子のでっかい赤色の翅がぱたぱたすると、赤い粉がきらきら落ちた。だから、はっきり言って飲食店に向いていなかった。対面した瞬間からお断りだった。
「まただめ? 履歴書もほら、日本語で書いてきた。テキーラしってる、メキシコ。おれ、昔行った。うまい、うまい。雇ってくれえー」
生意気を言う妖精は、ソファから浮かび上がって両手を合わせた。癖のある金髪がふわふわしていた。あまりにあざといので、私はよけいに腹が立ってガツンと言ってやった。
「だめだ、だめだ。衛生管理はしっかりしないと。分かるか? 衛生管理」
妖精はきょとんとした。とても四千歳には見えない、まだ十代後半の少女のようだった。
「おれ、きたない?」
挙動があどけないので胸がちくちくと痛んだ。しかし雇ってはいけない。
「きたなくなんかない。ただ、お客さんが君の粉を気にするだろう」
そのとき、カランと入店の音がした。客だ。
時計を見ると、開店時間ちょうどだった。
「あれ? マスターいない?」
妖精がぴょこんと天井近くのステンドグラスまで跳ねた。翅をぱたぱたさせながら(大量に粉を振りまきながら)喜色満面でバーカウンターに入っていった。
「あっこら、入るな。まだ雇っていないぞ」
私はあわてて机や椅子を拭いた。なんだ? この粉は。取れないぞ。
「いらっしゃいませ〜!」
四千年の経験で手慣れているのか、彼女(と呼ぶべきなのか?)は客に椅子をすすめてメニューを手渡した。一体どこの誰が採用したんだ、でかい翅がジャマなのに。この、拭いても取れにくい粉が目に入らない輩がいたのか。
「おれ、アネモーニ。オリジナルカクテルつくれる! 店長ー! つくるよ、テキーラ、テキーラ♪」
アネモーニは本当に酒の扱いが分かるのか? バーの薄暗い雰囲気に似合わない、ラーメン屋のような大きな声で呼びかけてきた。
「おいおい、絶対ムリだろ。勝手なことをするな」
客は常連の若い女性だった。興味津々というふうに頬杖をついて、私を見上げた。
「店長、面白い子が来たんだ。最近のハロウィングッズも本格的になったもんだねぇ。部屋中きらきら光って幻想的じゃない。ねえ、きみ。オリジナルカクテル、いただこうかな」
弾ける笑顔でアネモーニは答えた。
「うん! まかせて! 店長、店長。おれの最初のお客さんだよー」
常連客はこの赤い粉が気にならないのか?
私は仕方がないので、今回だけだと許可を出した。
「ただし、見ているだけだ。まだこの国の法律にのっとって検査もしていないし、雇用契約も結んでいないからね。それで、なんの銘柄が必要なんだ?」
アネモーニはちょっとがっかりした風にうなだれてから、元気よく言った。
「クミン! カレーに使うあれ、クミンいる! メキシコで教わった。ドンフリオ、甘い茶色! テキーラの蜜も入れる」
なるほど、メキシコで教わったならレシピは本物だろう。
「ほおーよく知ってるな。でも、それだけじゃオリジナルカクテルとは言えないぞ。ほかには何を入れる?」
アネモーニは酒瓶が整然とそろえてある棚を見回して言った。
「ペガサスの羽、彗星の涙、惑わす花。もってる?」
私はゲームのアイテムのような名称にたまげた。
「そんな意味わからんもん酒に入れるのか!? 代用は?」
くすくすと女性が笑っていた。常連で良かった。
「猫のあくびの息でもいーぜ」
堪えきれなかったようで、アハハハと女性がのけぞって笑い出した。
もういい、と私は前半の意味のわかる材料だけをグラスに注いだ。テキーラの芳醇な香りが、クミンの効果でさらにこうばしく感じられた。これに猫の吐息を入れたらどうなるんだ。
アネモーニが嬉しそうに翅をぱたぱたさせて、私の手元を見ていた。
「どうぞ」
女性はいたずらっぽく尋ねた。
「このカクテルの名前は何?」
答えようとする私をさえぎってアネモーニが身を乗り出した。
「アネモーニ四千年のぼうけんスペシャル!」
なんじゃそりゃ、子供か。
女性はまたアハハハと笑い、カクテルに口をつけた。アネモーニの粉がグラスに入ってしまっていたことにその時気付いた。女性は驚いたように目をしばたたいて、感嘆の声を漏らした。
「うわぁ、なにこれ。普通のテキーラじゃない。不思議な味……。美味しいよすっごく! 店長、いつものドンフリオじゃないね!」
アネモーニははちきれそうな笑顔で私を振り返った。じつに得意げだ。
これは単に熟成度の高いテキーラへ、蜜とクミンを加えただけで、カクテルと呼べる代物ではなかった。それなのに、この反応はどうしたことだろう。私もひとつ作って飲んでみた。普通のカレーっぽいドンフリオだった。
「なあ、なあ、おれバーテンダー向いてる!」
どうやらアネモーニの粉が味の決めてだったらしい。
それから私は一世一代の賭けとして、妖精を雇うことを決めた。店がつぶれたなら、それはもうその時だ。
彼女は話上手で、四千年間の体験談が人気を集めた。世の中には記録されていない歴史が多いものだ。妖精の存在だって、この目で見るまで信じられなかった。彼女は店の雰囲気をすっかり陽気に変えてしまった。
アネモーニは住み込みというのか、家がないので店で寝起きすることになった。店へ向かって坂道を上っていると、五十メートルも先なのに、アネモーニが手を振って出迎えてくれた。窓から飛び立って、「おれのつくったカクテル、味見してくれぇ~」と腕をひっぱった。定休日でも、中華街で食事中の私めがけて飛んで来た。カラスが居場所を教えてくれるそうだ。
アネモーニは徐々にカクテル作りが上手になっていった。しかし「ボンバー!」と叫んでシェイクするので、酒をダメにしてしまうことがよくあった。妖精の粉で味はなんとかなるが……。
それにしてもアネモーニは派手好きだった。ある時など、炭酸でシュワシュワに噴出したテキーラを浴びて、彼女はすっかり酔っぱらった。そして変な踊りを踊った。手刀を上下左右、あっちこっちへ繰り出すというものだった。どうやら自分で作った踊りらしい。
「アミーゴ! 店長踊れ! アミーゴ!」
私はアネモーニに手を引かれて店内を回った。笑い声の絶えない日々が続いた。
半年経って、マルガリータを綺麗に作れるようになった彼女に、長らく疑問だったことを聞いてみた。
「君はどうしてバーテンダーになろうと思ったんだい? それもテキーラなんてマニアックな酒、専門の店で」
アネモーニは屈託なく笑って答えた。
「メキシコ、日本、どっちも好き。みんないた。懐かしい。テキーラ、おれの結婚した人間作ってくれた。だから作ってあげるひとになりたかった」
「結婚!? 君は結婚していたのか」
私の驚きに対して、アネモーニは友達を紹介する風に答えた。
「結婚はいいな! 八十年、ずっと仲良しだった。寂しくなかった! メキシコ中旅行した! 楽しい思い出いっぱいくれた!」
聞き逃しそうなニュアンスだったが、笑顔の側に年月の重みがあった。一体どのくらいの出会いと別れを繰り返してきたのだろう。
彼女はしんみりとした私に気が付いて、じっと目をのぞきこんだ。
「おれ、今な、店長いるから寂しくないよ。お客さんも毎日たのしい」
そのなぐさめるような声音を聞いて、私はしっかりせねばと背筋をただした。
「私はもう定年が近いんだ。お客もみんな、君より先に死ぬぞ。その時はどうするんだ」
アネモーニはちょっと考えてから答えた。
「お店! ここずっとやる! いなくなると悲しいけど、全部なくならない。大事にする」
私はその言葉にほっとして、マタドールのカクテルと、トマトをはさんだトーストをごちそうした。アネモーニがうまそうにほおばるのを見ていると、気分が和やかになった。
ある年、メキシコでテキーラの勉強会があることを知った。連休をとり、アネモーニを誘おうと思った。きっと喜んでくれるだろう。入り口の扉を開けた矢先だった。私は胸に激痛が走って、意識を失ってしまった。
「店長、店長~」
気が付くと病院のベッドの上で、アネモーニが手を握っていた。声も出ないし息も苦しい。彼女の泣き腫らした顔をただ見つめることしかできなかった。
「おれ、おとなりさんとしゃべってた。ごめんなさい」
私はいたたまれない思いにかられた。君のせいではないとなんとか首を振った。すると、アネモーニはぷうーっと頬をふくらませて怒った。
「ばか~、もっと叱れ~。トマトのトースト、かえったら作ってやる!」
病室でしょんぼり座っていた彼女は浮かび上がって、腕をふりまわした。しかし最後には抱き着いて、わんわん泣いた。
それから私は酒を飲めず、夜の仕事も無理になった。年貢の納め時だった。
月日が経って、アネモーニは私の骨を半分だけメキシコへ持って行った。死者の日に歌って踊って、テキーラで乾杯して、アネモーニはずっと楽しげだった。そして私の骨をテキーラ村に埋めてしまった。
まったく掟破りの勝手なことばかりするやつだ。しかし二人でメキシコへ来れたのは嬉しいことだ。
店はどうなったのかというと、建物が文化遺産だったので、市へ返すことになった。追い出されたというのに、アネモーニはのんきにまだ異人館街をふらふらしているようだ。そして死者の日のたびに、テキーラを墓へぶっかけに来る。
「アネモーニ四千年のぼうけんスペシャルをくらえ!」とちょっと怒りながら。時々トマト入りトーストも飛んでくる。うまいかどうかはもう分からない。彼女はいつもこらえきれずに笑う。そして「またな~」と手を振って飛び去って行く。
このカクテルは、猫のあくびが入っているのか? それとも妖精が本当にいるように、まぼろしのアイテムが調合されているのか?
きっとアネモーニにとって、人間との出会いは楽しいばかりではなかっただろう。笑顔の裏にひそむ悲しみがあったに違いない。
人間について、死もひっくるめて愛してやまない妖精か……。
四千年に比べれば、私との時間はほんの一瞬だったろう。その一瞬を大事にした彼女のことを、もっと分かってやればよかったのかもしれない。
次回はちょっとSFです。妖精の正体にせまります。
どうぞよろしくお願いいたします!




