ハルは再始動する。
——どこだ、ここは……。
気が付くと、目の前には透明で、どこかきらきらとした空間が広がっていた。
僕はただ、そこをぷかぷかと浮遊している。
体を動かそうにも、誰かを呼ぼうにも、そもそも自分の体が一切言うことを聞かない。
(そうだ、思い出した。確か僕は……)
突然現れた得体の知れないヤツに、ヴァルも、デュポンも、そして僕も殺されたんだ。
それならここは「あの世」なのかと一瞬思ったが、よくよく考えれば僕たちがいた場所も死後の世界だったはずだ。
―――なんだろう、頭がうまく回らない。
だんだんと、なにもかもがどうでもいいような気持ちになってきた。心地よい虚脱感に、次第に瞼が落ちてくる。
「おい……寝たら本当に死ぬぞ」
どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
視線の先に立っていたのは、アンバー・レコリフだった。
『なんで、ここに……?』
そう聞こうとしたが、やはり口が動かせない。
「ん? あぁ、そうか。喋れないんだったな」
アンバーは僕の状況を見透かしたように頷いた。
「まず、君がどうなったかについて率直に述べると、君の体はズタズタで、肉体が死んで魂だけの状態になっている。一緒にいたヴァルもデュポンもね」
……そうか。口も体も全く動かないのは、肉体そのものがないからなのか。
アンバーは落ち着き払った様子で、淡々と次を喋り出す。
「この空間はやる気というか、生きる気力を奪うような作用があってね。さっきみたいに寝ようとしたら、君は間違いなく『虚無』になって完全に消えることになる」
「ここから出る方法は、自身の体が再生し、肉体に魂を紐付けられたら意識は戻るよ」
虚無の成りかけ。それが、今の僕の状態。
一気に不安が膨れ上がり、様々な可能性が頭の中を駆け巡る。体はいつ再生するのか。エンマたちは大丈夫なのか。ヴァルたちは虚無に呑み込まれていないのか。
考えればきりがない。けれど、今の僕には指一本動かす自由さえなかった。
「心配することはない。意識を保ってさえいれば、君はすぐに元に戻れるはずだ。こういう時にしか私は君の前に現れることはできないんだから、今のうちに君の疑問でも解消していこう」
聞きたいことは山ほどある。現在のエンマたちの状況、それに、僕たちの前に現れたあの「彼女」。
しかし、言葉を発せない以上、質問することすらできない。
「あ、ごめんよ。喋られないんだよね。……そうだね、君が今一番聞きたいのは、エンマたちがどうなっているか、じゃないか?」
図星だった。第3層に来てから、ずっとそのことを考え続けていた。
「エンマたちご一行は、未だあの白い空間にいるよ。ただ、君がここで一か月過ごしている中、向こうは未だ十秒経っているかいないか、というレベルだね」
たった、数秒。
その言葉に大きく驚いた。信じられなかった。
「この調子なら、着くのは四か月後くらいかな……」
四か月。待てない時間ではない。いつかエンマに再び会えるという希望が見えたことで、少しだけ安心できた。
「エンマに関する話はこれくらいだ。次に会う時、ハルにとっては数か月ぶりの再会になるけど、エンマにとってはほんの数分ぶりになってしまうな」
「……それで。問題は、彼女のことだよね」
彼女。僕らを一瞬にして壊滅させた、あの存在。
アンバーは苦々しげに、深く顔をしかめていた。
「彼女がまさかここに来るとは想定外だった。あいつはこれから、あの第3層を一通り破壊していくことになるだろうな」
それよりも、僕にはどうしても気になることがあった。彼女の正体。一体、何者なのか。
「あぁ、喋らなくてもわかるよ。君が言いたいのは、彼女の正体でしょ。というか、君もうっすら気づいているんじゃないのか」
僕の中にも、疑念はあった。でも、どう考えても信じたくなかった。
アンバーが重い口調で、ゆっくりと真実を告げる。
「……彼女はエンマだ。正確には、昔のだけどね。」
沈黙が生まれる。アンバーも暗い顔をしている。
「彼女の過去について話すのは決まりで禁止されているから、話せない。だから、言える情報だけ君に伝えるよ」
「まず、彼女には意思がない。そこにあるのは虐殺だけだ。だから、もしかしたら話が通じるとかは思うな」
虐殺……。あの死んだような目を見れば、対話など不可能であることくらい分かっていた。
「そして、彼女を倒すことは絶対に不可能ということだ。誰であれね」
かなり強いヴァルでも一瞬で手も足も出せずに敗北した。あの感じだとオクスタシアさんでもきっと勝てない…
「とはいえ、じゃあどうするのかというと……『天使エデン』を探しなさい」
天使エデン。エリーゼさんの執事が話していた名だ。地獄なのになぜ天使なのか。その矛盾ゆえに、強く印象に残っていた。
「これに関しては、ここで説明するよりもヴァルに説明してもらうといい」
―――いや、でも、ヴァルはバラバラにされたはずじゃ……。
しかし、僕の疑問が答えられることはなかった。
そして突如アンバーの体が、霧のように薄くなっていく。
「あぁ、案外早かったな。もう少し時間がかかると思ったんだが」
徐々に体が消えていくにもかかわらず、アンバーは一切の動揺を見せなかった。
「とりあえずはお別れみたいだね。いいかい、とにかくエデンを探せ。それじゃあ」
アンバーが完全に消え、混乱していると、急に視界が激しく点滅し始めた。それと同時に、どこからか声が聞こえてくる。アンバーではない、この切迫した声は……。
「「お……おい…き………起きろ!!」」
そこで意識が覚醒した。
目を開けると、すぐ目の前にヴァルの顔があった。
「よかったぁ……」
安堵からか、ヴァルの体から力が抜け、その場にへなへなと座り込んだ。
「あれ、なんで……?」
ゆっくりと上体を起こしていく。
……喋れている。それに、動けている。それよりも……。
さっきの戦いで、ヴァルは右半身を吹き飛ばされ、体の原型を留めていなかったはずだ。
それにもかかわらず、目の前のヴァルには大きな傷跡一つ見当たらない。
……これは現実? それとも、さっきのは夢だったのか?
今、何が起こっているのか全く理解できなかった。
「これは、現実だぞ」
ヴァルの声に、僕はハッとして周囲を見渡した。
「……あ! デュポンは!?」
「そこ」
ヴァルが指を差した先。そこには、バラバラになったはずのデュポンが、五体満足で横たわっていた。
ますます理解が追いつかない。
「とりあえず、まだ体をあまり動かすなよ。聞きたいことは一つ一つ、ちゃんと答えてやるから」
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