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エンマの絶望

出発してから二日目。

途中でトラブルはあったものの、オクスタシアの導きもあって工程はスムーズに進み、ついに試練の間へと続く扉まで辿り着くことができた。


「ふぅ……。とりあえず着きましたわね」


神輿の中から現れたエリーゼが、まるで自分も歩いてきたかのような口振りで言う。


「それで、どうする? もう行っちゃう?」


「そうだな……」


このまま試練の間に入るのも悪くはないが、ハルに疲れが見えていたため、ここで一泊することにした。決まった瞬間、執事たちが手際よくテントを広げ始め、瞬く間に全員分が完成した。よく見ると、エリーゼのテントだけは格別に大きく豪華な仕様だ。

その様子を眺めながら、私とハルは感心していた。


「す、すごいねエンマ……」


「だな。神輿を担ぎながら歩いていたのに、この動きだもんな」


「あらあら。お料理の方も準備させましたから」


エリーゼが自慢げに告げると、今度は執事たちが火起こしを始め、どこからともなく鍋などの調理器具が取り出された。


「すごい……っていうか、もはや怖いよ」


ハルが若干引いている。

その後すぐに、全員で火を囲んで食事を摂ることになった。オクスタシアだけは食欲がないと言ってテントに引き籠もっている。

……一緒に食べないのは、やっぱりエリーゼのせいだろうか。


「そういえば、ハル……だったわね」


「は、はい。何ですか?」


突然エリーゼに話しかけられ、ハルは驚いて居住まいを正した。


「あなた、私の眷属にならない?」


「ぶふぅっ!」


前触れもない誘いに、私とハルは同時に吹き出してしまった。


「な、なんで僕なんですか?」


「うーん、特に理由はないのよね。ただ、なんだかビビッときたの。それで、どうかしら?」


「いや、でも……」


「私の眷属になれば、毎日三食とふかふかのベッドがあるわよ。やることは私の身の回りのお世話や、お屋敷の手入れくらい。どう? 悪くないでしょう?」


エリーゼの瞳がじっとハルを見つめる。ハルは口を「あうあう」とさせ、かなり困惑しているようだ。


「あら、まだ足りないの? なら、そうね……。少し恥ずかしいのだけれど、一緒におふ——」


「ちょっと待てえ! ハルは……『私の』だぞ! なんだったら、もう契約も済ませてあるからな!」


「あー、契約しちゃってるのね。早く言ってよ。それじゃあ、私は引くしかないみたいだね」


とりあえず呆気なく引いてくれて助かった。


「はい、この話は終わり! 終わり終わり!」


私は出された食事を高速で平らげ、ハルを連れてテントへと逃げ込んだ。



そして翌日。

私たちは扉の前に立ち、出発の準備を整えていた。エリーゼの見送りはここまでだ。


「それでは、私はここまでね。ハル」


「ええと……何でしょう?」


「気が変わったらいつでも言いなさい」


すぐさま二人の間に割って入り、話を遮る。


「あの話はおしまいでしょ! はい、さっさと試練の間に行こう!」


「はいはい、じゃあ行ってらっしゃい。無事を願っているわ」


見送るエリーゼに軽く手を振り、私たちは扉のノブに手をかけた。

触れた、その瞬間だった。


——ビキビキッ!


嫌な音が辺りに響き渡る。前を見ると、何もない空間にひび割れが走っていた。今まで試練の間へ移る時に、このような現象が起きたことはない。明らかな異常事態だ。

すぐに扉から手を離したが、もう手遅れだった。


空間のひびは一気に広がり、巨大な穴となった。次の瞬間、とてつもない力で穴の中へと引きずり込まれる。私やオクスタシア、全員が反応する間もなく、その闇へと吸い込まれていった。



「……どこだ、ここは」


気がつくと、私は地面にうつ伏せになっていた。どうやらしばらく気絶していたらしい。

体を起こし、状況を確認する。横を見るとハルやエリーゼ、オクスタシア、そして執事たち。同行していた者たちは一通り揃っているようだった。全員、まだ意識を失っている。


それよりも驚いたのは、周囲の景色だった。

見渡す限り、真っ白だ。壁も地面も、すべてが刺すように白く、気を抜くと感覚がおかしくなりそうだった。

とりあえず皆を起こそう。簡単に肩を揺さぶると、全員すぐに目を覚ました。


「ここは……どこですか? 確か、私たちは……」


「分からない。気がついたらここにいた」


「……少し調べてみましょう。心当たりはあります」


オクスタシアが地面に触れたり周囲を歩いたりしながら、調査を始めた。彼の能力は空間に関係している。何か気づくことがあるはずだ。


「エリーゼ様、大丈夫ですか!」


執事たちがエリーゼの周りに駆け寄り、大騒ぎしている。特に怪我をしている様子はなく、単に彼らが心配性なだけだろう。

すると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、ハルが立っていた。


「それで、エンマ。どうするの?」


ハルの顔は、表面上こそ冷静を装っていたが、隠しきれない不安が漏れ出しているように見えた。


「まあ……なんとかなるでしょ。怪我をしたわけでもないんだし、今はゆっくり待とうよ」


「そう……だよね」


むっ、まだ不安そうな顔をしている。早く安心させないと。どうすればいい……。


「えっと、そうだ! オクスタシアの昔の写真、見たくないか?」


「え、オクスタシアさんの!?」


ハルの目が期待に大きく開かれた。よし、食いついた。


「ふふふ。昔のオクスタシアはな、実はロン毛だったんだぞ」


私はポケットから一枚の写真を取り出す。


「うっわ、顔がいい……」


写真を見たハルの第一声はそれだった。


「だろ? あいつ、“顔は“いいからな」


写真の中には、どこか嫌そうな表情をしたオクスタシアが写っていた。見た目は髪が長い以外は今と変わらないが、薄目で見ると女性のようにも見える。


「なんで今はロン毛をやめたのか、ちゃんと理由があるんだよ」


「え、聞きたい!」


「それはな——」


言いかけた直後、後ろから頭にチョップを食らった。かなりの強さで思わず涙目になる。

そこには案の定、オクスタシアが立っていた。


「人の写真を許可なく見せるんじゃありませんよ。全く、こんな写真どこで手に入れて……」

写真をすぐにオクスタシアに取り上げられてしまった。


「別にいいじゃん、減るもんじゃないし……あ、痛い痛い! 叩くのやめて!」


写真はオクスタシアの手でビリビリに引き裂かれ、処分されてしまった。……まあ、他にもたくさんあるからいいけれど。

写真はエミばあさんの家で見つけたものだ。どれも面白く、懐かしいものばかりだった。

……そういえば、私の写真はなかったな。

昔のことは覚えていない。当時の私には、何か事情があったのかもしれない。その疑問を胸の奥にしまい、私たちは話を続けた。


その後も昔話などで時間を潰した。その後、十時間ほどが経過しようとしていた。しかし景色に全く変化はなく依然として、空間は真っ白なままだ。


「ふぅ、さすがに暇だな。ハル、今度はそっちが面白い話をして」


「えぇ、無茶振りしないでよ……。少しストレッチでもしようかな。エンマも一緒に」


「しょうがないな……」


私とハルは立ち上がり、背伸びを始めた。


「ん? そういえば、オクスタシアさんはまだ戻ってこないの?」


「ああ……。少し調べてくるって言ってから、帰ってこないな」


数時間前、オクスタシアはこの空間の広さを調べに行くと言って離れていった。さすがに少し心配になってきた。大丈夫か、あいつ。


「いますよ」


すぐ隣にオクスタシアが立っていた。


「うわああああ、びっくりした!!」


私が驚くより先に、ハルが思い切り叫び声を上げた。


「オクスタシア、次からは気をつけてくれよ。……それで、何か分かったのか?」


「ええ、おおよその見当はつきました。結論から言うと、時間を置けば私たちは出られます」


「どういうことだ?」


「難しい話を抜きにすれば、第三層と試練の間での『時間の進む速度』が異なっていることが原因です。その時間差の帳尻を合わせるために、今この空間が生まれているわけです」


「なるほど。じゃあ、その帳尻さえ合えばここを出られ——!」


そこで、私は見てしまった。オクスタシアもすぐにそれに気づく。


「なーんだ、じゃあそこまで心配する必要もないんじゃ……。ん、どうしたのエンマ? オクスタシアも。急に黙っちゃって」


ハルはまだ、その存在に気づいていなかった。私たちの視線は、ハルの背後に注がれていた。


「おいハル……動くな。その場にいろ。絶対に振り返るなよ」


ハルの背後には、拳ほどの大きさの「黒い球」が浮かんでいた。


「ハル君、ゆっくりエンマの方へ近づいてください」


オクスタシアの顔つきから、極めてまずい状況だということが察せられた。


「……わかったよ」


あと三十センチ。あと十センチ。

ハルの手が私に触れようとしたその瞬間、背後の黒い球が高速で回転し、足元に激しい揺れが起きた。バランスを崩したハルが、黒い球の方へと倒れ込む。


咄嗟に腕を伸ばしたが、あと数センチ届かない。

ハルの体は、小さな球の中へと、瞬く間もなく吸い込まれていった。


「ハルーーー!!!」


私も穴に飛び込もうとしたが、オクスタシアに服を掴まれ、制止された。


「放せ! オクスタシア!」


「落ち着け、馬鹿! 考えなしに突っ込むな!!」


黒い球はどんどん巨大化していく。周囲に黒い稲妻のようなものが走り、周囲のものを引き寄せ始めた。


「エリーゼさん! こっちに!」


すぐさまエリーゼたちを呼び寄せ、オクスタシアがバリアを展開する。だが、黒い球の引力はさらに増していく。バリアにひびが入り始めた。


「っ、ちい!」


オクスタシアが舌打ちを漏らす。彼の頬を縫っていた糸がぷつんと切れ、口が裂け始める。必死にバリアを維持し、拮抗した状態が数十秒続いた後、今度は空間そのものが裂け始めた。


「エンマ、エリーゼ! ここから出るぞ!」


空間が裂けた瞬間、景色が変わり始める。

完全に視界が開けた時、私たちは自分たちが空中に浮いていることに気づいた。オクスタシアのバリアに包まれていたおかげで、私たちはゆっくりと地上へ着陸することができた。


地面に足を着くと同時に、バリアが解かれる。

オクスタシアは疲弊していたが、怪我はない。エリーゼも執事たちも全員無事だ。

だが、そこにハルの姿だけはなかった。


「オクスタシア……ハルがどこへ行ったか、分かるか?」


「……ええ、おおよその見当はついています。……怒らないのですか?」


「怒らない。むしろ、すまない……。冷静になれば、あそこで突っ込むのが得策じゃないことくらい、私にだって分かったはずだ。……それでハルは、どこへ行った」


怒る気がないのは本心だった。私があそこでハルの手を掴めていれば、こんなことにはならなかった。全部私責任だ。

オクスタシアは言いづらそうに、重い口を開いた。


「……過去に行きました」


「過去?」

予想外の言葉に声が上ずる。


「はい。文字通り、過去に飛ばされてしまったのです」


何を言っているのか、すぐには理解できなかった。混乱する私に、オクスタシアが説明を続ける。


「正確な時間は分かりませんが、ハル君は数ヶ月、あるいは数年前のこの試練の間にに飛んでしまった。…わかりやすく言えばハル君はもうこの試練の間に着いていて……私たちは、その数年後にここに到着した、ということになります」


オクスタシアの言葉を理解するにつれ、頭の中が真っ白になり、不安が広がっていく。


「っ! じゃあ、ハルは……!」


オクスタシアは歯を食いしばりながら答えた。


「ええ。残念ですが、生きているか死んでいるかは分かりません。ですが、ハル君がこの第三層の試練の間で、たった一人で生き残っている可能性は……」

オクスタシアが下に視線をずらす。

沈黙が流れる。目の前には、絶望しかなかった。


「探しに行くわよ。まだ諦めるには早いんじゃない?」


沈黙を破ったのは、エリーゼだった。


「…ここで落ち込んでいたって始まらないわよ。ちゃんと自分の目で確かめるまではどうなってるかなんてわからないでしょ。絶望するのは、その後にしなさい」


エリーゼの言葉に、私とオクスタシアは再び前を向いた。すぐにハルが生きていると信じて、歩き出す。


——数日後。

私たちはその事実を、思いもよらない形で知ることになる。


そして私は、本当の絶望を味わうことになるのだった。


なんか大変なことになってますね。次回からは過去に行ってしまったハルの視点で物語が進行していきます。というか、たぶん当分はハル視点ですかね。

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