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冥界の太陽たち 冥界から四人の王子が復活する時、災いの蟲が来て世界は崩壊する。そしてゲームは始まっていた!  作者: あべ舞野


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第十一話 騒乱 中 南州アルニム・ルートガー

騒乱の中、小虎は亡き祖父の声を聴く。

そしてまた一歩、真の冥界の力に近づくか?

第十一話 中 南(ズューデン)州アルニム・ルートガー


 バローとふてくされたルーカを近くのホテルへ送ったのは午後すぐだった。

ヒューゴは簡易裁判所に缶詰め状態のまま、既に夜半だ。執務室に戻り、山となった書類と格闘する。ひと段落後、それらを押しやってカップを手にする。紅茶はすっかり冷めていた。

 ここまで業務が長引いたのはグリュースゴットからの連絡のせいだ。医療刑務所が襲撃されてマリア・エフェレットが奪取されたとの報が入ったのだ。小虎は既に彼女と離してあった。

(彼女は人質としての価値はあんまりないからなぁ…。別にいいか。分けて勾留しておいて良かったよ)

 仕事は終わった。大きく伸びをして廊下に出た。

 突然サイレンが鳴り響いた。トビアスが駆けて来る。息を切らして敬礼をした。

「統括閣下、至急お部屋にお戻り下さい」

 声にかぶさって館内放送が流れる。

「緊急事態発生、緊急事態発生。総員、各自の部署に戻れ。繰り返す…」

 風が強く吹いた。赤く染まった窓を揺らす。すぐに爆発音、続いて建物が揺れる。

「まさか『東の赤』か」

「ここに殿下がいらっしゃるのは極秘情報のはずでございます。ま、まさかスパイであります…か…?」

 トビアスの目が丸くなっている。

「いや、すぐに分かりそうなものだ。ラジオで逮捕したって流しただろう? テロの現場に一番近い留置場はここだ。匿名にするべきだったな。それにルーカがいる。冥界の太陽同士は引き合うのさ」

 状況など関係ない。ルーカは冥界の太陽の力を使いたい時に使う。他の太陽に居場所が特定される事などどうでもいいのだ。彼女とやり合う為に来た可能性もある。

 爆発は正面玄関だ。事務服の職員が走っている。裏口や地下へ避難だ。裁判所は司法の施設だ。シュペトレーゼの滞在で多少は警備が厚くはなっているものの、さほど武器の装備は無い。ヒューゴが連れて来た小隊だけだ。

「トビアス、ルーカはまだホテルだな? 電話しろ。叩き起こせ」

 窓の外を白い光が横切った。同時に強い風が窓を揺らす。

「もう来たようだな。あいつなら喜んで『東の赤』の相手をするだろう。どちらも手に負える相手じゃない。任せておけ」

「はい」

 トビアスがドアを開けた。

 ばらばらと足音が近づく。兵士達だ。ヒューゴはトビアスの頭越しに命令を飛ばす。

「フランツ! 『東の赤』の相手はルーカに任せろ。お前たちは『荷物』を守れ。ルーカにも見せるなよ」

「はっ」

 銃を持った一団は再び走り始めた。

 正面では門が吹き飛んだ。爆発がひっきりなしにさく裂する。建物全体が揺れた。足元を地響きが通り過ぎる。振動が来た。ヒューゴはよろめき、壁にすがる。

(相変わらずすごいな)

 トビアスの顔は歪み、青い。廊下に出ようとしたところで、足を取られて膝をつく。床に砕けた皿とお菓子が散らばる。本も棚から飛び出していた。まるで地震だ。

「統括閣下! こ、これは…」

「あーあ、僕のお菓子が台無しだ。急げ」

「は、はい」

 なおもよろめきながらトビアスは駆けて行った。

 天井の四隅が鳴る。電球が弾けた。ガラスの破片が降る。二人は腕で顔を覆った。コンセントから次々と火花が散る。

 赤い光が部屋に満ちた。おそらく外部からは建物全体が光るドームに包まれて見えた事だろう。窓のガラスが震える。

 粉塵が舞い上がる。土煙が赤い光に染まる。そこに人影が浮かんだ。

「小虎! どこだ!」

 ピドーだ。堂々と玄関から訪問である。彼の周囲に爆風が吹き荒れた。風が押し返される。瞼の裏で白い光がスパークした。

 『西の白』が迎え撃つ。赤と白の光がぶつかり合って砕けた。

 黒衣の姿が玄関に現れた。片手を挙げてゆうゆうと挨拶をする。

「ようこそ。派手にやろうじゃないの」

「ここにいやがったか。上等だ! 小虎はどこだ!」

「知るか」

 風と風がぶつかった。渦を巻く。木々が揺れた。枝が折れて葉とともに舞い上がる。小石さえ飛んだ。ピドーの頬をかすめる。

一方、他の四人も裁判所の近くにいた。道路を挟んだ植え込みで辺りを伺いながら待つ。田舎町でもう町は暗い。通行人はおろか、車も通らないのが幸いだ。湿気を含んだ夜風が吹き抜ける。

 正面の門が崩れてなくなった。同時に角を曲がった所の壁も吹き飛ぶ。

 植え込みの陰から黒髪が現れた。ルプレヒトだ。風の勢いにまた引っ込む。そばの壁が崩れた。

 作戦通りだ。まずはピドーが乗り込み、警備とルーカを引き付ける。その間に他の面々が裁判所内に侵入する。キースリングが協力するのは目的が一緒だからだ。小虎を奪還できればハンス・ヨアヒムの居場所が特定でき、後の対応がとりやすくなる。ヨランデは脱出経路を確保する為に外部で待機だ。

「よし。入り口を作ってくれたな」

 今にも走り出しそうなルプレヒトをキースリングが制した。そしてマリアに尋ねる。

「小虎君はいるんだな?」

「はい」

 マリアは頷いた。小虎の光だ。間違いない。すっかりくすんだ色で弱弱しい。

(迎えに来たからね…!)

「では先導してくれ。我々が援護する」

 三人は姿勢を低くしたまま道路を渡った。爆音が轟く玄関を避けて側面へ行く。ピドーが開けた大穴が口を開く。がれきを踏んで敷地内に入った。木々と藪に体を隠す。そこには監視カメラの類はなかった。ルプレヒトがマリアに銃を渡す。

「持っていて下さい。使えますね?」

「え…でも。あなたは?」

「心配ご無用。私には予備があります」

 マリアの手を包むようにして渡す。銃身は冷え切って重い。久々の感触だ。かちり、と安全装置をはずした。彼女は兵士とはいえ新兵だ。戦場は初めてで、しかも白兵戦となる可能性もある。

 度重なる爆発にも関わらず、まだ電気系統は使えるようだ。あかあかと伝統の灯る廊下を軍服の一団が走っていく。玄関方面ではない。むしろ奥へ向かう。

 キースリングが呟いた。

「怪しいな」

 マリアは頷いた。

「あっちです。彼らが向かっている方向」

「よし。行くぞ」

 人がいないのを確認する。キースリングがガラスを台尻で叩き割った。割れ目から手を差し込み、鍵を開ける。先に入って周囲を確認する。銃を構えたまま、三人に合図した。

「入れ」

 爆音が耳をつんざく。合間にキースリングの声がする。

「まずは小虎君を奪還だ。マリアさん、誘導してくれ」

「…はい」

 銃を構えながら、彼らは廊下の移動を始めた。マリアは上階を指した。上のようだ。

 その合間にも赤と白のせめぎ合いは止む事がない。玄関に面した建物はもはや原型をとどめていなかった。巻き起こるつむじ風の中、ルーカの甲高い笑い声が響く。

「もっとやれ! 僕の遊び友達! 派手に殺し合おう」

 グリュースゴット以来、冥界の太陽同士が合いまみえた。ルーカにとっては同じ闇の仲間なのだ。対等の力を持ち、互角に渡り合える相手。彼女は嬉々と冥界の力を放つ。

 轟々と空気が震え、振動は続く。

 小虎が『部屋』に入ったのを感じる。

(意識が戻ったのか?)

 赤と白と黒の光のドームがまっすぐ地上に立ち上がった。ゆらめき、からみあい、ねじれて一本になる。そして回転しながら噴水のようにまた地上に降り注いだ。半円の中は嵐だ。かつてないほどの激しさで裁判所をなぶる。

(…やり過ぎだろ!)

 まぎれもなく冥界の力が自分の体を通過しているのを感じるのだが、もはや制御できなかった。ピドーはもう一度『部屋』を見渡す。いつものスポットライトのような光はない。冥界の暗いトンネルだけだ。足元にあるはずの闇は目の前だ。視界の全てを塞ぐほどだった。

(何だコレ?)

 ピドーは戸惑い、ルーカは笑う。



 小虎は簡易裁判所の二階にいた。留置場の一つだ。鉄格子のはまった窓にはさらに鉄の板が打ち付けられている。小虎を収容する為の措置だ。明るい海を描いた絵画を架けて、冷たさを軽減してある。床一面には色鮮やかなカーペット。誰かの家のリビングを訪れたような温かさだ。小虎を『大事に飼う』と宣言した通り、部屋は牢獄とは感じさせない内装だった。檻の格子さえチェックのカーテンで隠してある。

誰かの呼び声を感じた。手足どころか瞼を上げるのも億劫だ。自分の呼吸の音さえわずらわしい。小虎は壊れた人形のように横になっている。時間の経過をあまり感じなかった。どれだけこんな状態になっているのか考えるのも嫌だ。ただ棒の状態でいるのがいっそ落ち着く。右足とベッドが鎖で繋がれている。それさえどうでもいい。

 何かが光っている。赤と白。冥界の太陽たちだ。

 足音、怒号、銃声も聞こえる。

「『荷物』を出すな!」

 人間らしい活動を放棄している自分を示すのだとは分からなかった。水中の音のようだ。くぐもっている。

 誰かが呼ぶ。もっともっと遠い。

 耳慣れた名前だ。間違いなく自分に向かって呼びかけているのに、どうしてなのか聞き取れない。眠りの浅い時や目覚める寸前、いつも呼びかけを感じる。その度にじれったいような怒りに似た焦りが沸き起こる。

(誰? 何て言ってる?)

 自分は何者なのか。全てを思い出せば聞き取れるのだろうか。

 呼ぶ声は止まない。

 また銃声が聞こえたようだ。

 未だ意識は夢の中だ。いつもの光景が広がる。銃口が狙っている…。

 緑? 濃い色の軍服だ。いつもの夢。首をかすめる銃弾、体を抱きしめる家族。消えていく数多の光。そして誰かの首が飛んだ。

 白い手が髪を撫でた。むき出しになった肩に毛布を掛け直してくれる。まだ夢の中なのか現実か。

(えーと…海の傍でルーカが来て…)

 もうグリュースゴットではないのにも気が付いていなかった。

 幻影は白い長上着を羽織っている。ティーガの服だ。しかし顔はマリアだった。ちょっと眉をひそめている。不安が瞳に浮かんでいた。

(大丈夫。ずっと一人でやって来たんだから。今度もきっと大丈夫)

 安心させてあげたい。しかし言葉にはならない。出なかった悲鳴が喉に詰まっている感じだ。

 また場面が変わった。

 爆風が迫る。

 やはりグリュースゴット? 

 違う。空が灰色を帯びた青。北国の色。ランデスヴァルトだ。

 神殿の床に線刻がある。小虎はそこに立つ。傍らに老人が立っていた。銀髪は殆ど真っ白になり、顔の皺は深い。瞳も宝石の輝きを失い、灰色に近かった。しかし背筋はまっすぐだ。

 顔がはっきり見て取れた。胸が高鳴る。

(お爺様だ! …お爺様だ)

 祖父の名前も思い出せない。見上げて尋ねているのは幼い自分でもあり、現在でもあるようだ。言葉がすらすらと口をついて出る。

「どうして僕たちは上に行ってはいけないのですか?」

「私たちは『忌むべきもの』だからだ」

「それは何でしょう?」

「意味などない。破滅を別の名前で呼び、神官に負わせているだけだ。…しかし、やむを得ない。『花の戦い』の前にグリンクラフト人将校に儀式を説明すべきではなかった。彼は自死を選んでしまったのだ。国を守る為の尊い精神ではあったが、彼が現世の太陽となるはずだった。止められなかったのは我ら神官の責でもある」

 小虎を見下ろして話している。髪が輝いた。しかし明るい空を背景にして顔は真っ黒に変化した。不意に恐怖が襲ってくる。夢にしては祖父の声は明確すぎる。まさに今、耳元で聞こえるようだ。

(お爺様は…死んだはず…)

 気が付いた途端に光景がゆがむ。無理やり一角を引き延ばしたようだ。祖父の体もねじれた。声が遠くなる。

「恐れるな。聞きなさい。我々の運命であり矜持だ。我々の神話なのだ。また勝手にさせてはならない。現世太陽を探しなさい。…を持っている…『災いの蟲』どもは……」

「え?」

 恐れと戸惑いが強まるにつれて視界が狭くなる。

「……証書は…残って……」

 過去の夢ではない。祖父は今の小虎に話をしている。だが、もう言葉がよく聞き取れない。

(お爺様…そこにいらっしゃるんですね)

 目を見返すと、そこは暗い洞だ。みるみる広がる。闇に覆われた祖父の顔はいびつに歪む。冥界のトンネルが開いている。

 夢なのか現実なのか。過去なのか今なのか。時間も空間もさらに混沌として、小虎の周囲で嵐のように吹き荒れる。

 肩に指が食い込む。黒焦げの顔が迫る。むき出しの歯が動いた。

(うわぁ)

 どこかで声がする。誰かの悲鳴。水の中で届く音のようだ。

(わぁわぁわぁ)

 高くなったり低くなったり、止む事はない。

 冥界のトンネルが目の前にあった。黒い闇が沸騰している。かつて見たい事がないほどのざわめきだ。ふちで赤と白の球が輝く。それらは細く光る筋となって現世へ触手を伸ばす。

 突然、瞼の裏で赤と白い光が弾けた。何度も激しくまるで破裂しているようだ。

 不意に記憶がフラッシュバックする。

 故郷のランデスヴァルト。北の辺境地、ティーガ族の最後の居住地だった。

 住んでいた所は周囲が灰色の石の壁に囲まれていた。見上げる空はいつもくすんだ水色で四角く切り取られたようだった。深く地に掘り下げられた広場を中心に住居が広がっていたからだ。家族の生活の場は地下だった。

 広場は神殿でもあった。床に至るまでティーガの神や神話の場面が一面に彫られている。誰か大人に説明を受けた。

 …もう勉強を始める時期だよ…

 居住区域は洞窟だった。神殿の壁からつながっている。黒い土がむき出しだがあちこち木組みで補強してある。壁には色鮮やかなタペストリー。おかげで殺風景さを感じる事もなく温かい。地上への階段はあっても上るのは禁止だ。

 いつもの場所、いつもの朝だった。あの日まで。

 朝食が終わって部屋へ戻ったところだった。

 ティーガ族の伝統的な衣装は白くて長い上着だ。裾に華やかな色の刺繍がある。たくさんの人が神殿に押し寄せるのが脳裏のスクリーンに映る。

「×××!」

 誰かが自分の名前を呼んでいる。おそらくは母だ。傍らに兵士がいる。銃がこちらをねらっていた。手を引かれて洞窟の中を移動する。

 周囲は人だらけだ。みんな急いでいる。広場に出た。床には大きな円と太陽の神が彫られていて、普段は絶対に踏んではいけないとされている。それなのにその日は人でいっぱいだ。神殿の中には彼の親族しか住んでいない。けれども一般の服装の人々で溢れている。さらにぞくぞくと階段を下って来る。

 何が起きているのか。恐怖より好奇心が勝った。

 繋がれていた手を振り払おうとしたがだめだった。むしろ母の背中に押しやられる。その陰からのぞいた。すると、見慣れない人々が壁の上に立って見下ろしている。みんな濃い色の制服を着ていた。家族を部屋から追い出した兵士も階段を上がった。髪や目の色の色が茶色や黒だ。彼にとっては初めて見る人々だ。きょとんと辺りを見渡した。 

 神殿の雰囲気が緊張に満ちている。制服姿の者たちが一列に並んで銃を構えた。太陽が逆光になって顔はみな黒い。銃身が光った。

「やめて!」

 あちこちから悲鳴が上がった。

 銃口から煙が上がった…次の瞬間に数人が倒れていた。小虎もだ。左の肩に焼けつくような痛みを感じて撃たれたのだと分かる。

「×××!」

 どよめく人々が倒れ続ける。悲鳴、銃声、自身に覆いかぶさるのは母…いや姉か。

「×××、×××…」

 聞き取れない、思い出せない。どんどん声が小さくなる。

 爆竹が耳元で弾けたようだ。ぐらりと揺れた体がかぶさる。そこへまだ別の者が重なった。顔は塗りつぶされたように真っ黒だ。確かに家族なのに分からない。重い。息が苦しかった。

 銃撃が続く。石の壁に弾が跳ね返った。小石が飛ぶような音もする。一体何人が倒れていくのか。

視界が暗くなった。気絶していたようだ。

 兵隊たちはいない。四角い空はもう暗かった。星がいつものように瞬く。誰かの体の下からなんとか這い出した。立てない。座ったままで茫然と周囲を見渡した。ぐんにゃりと手足を投げ出す人々が重なり合うように倒れたままだ。裂けた服、黒く固まるのは血か。動く者はいない。血と脂と死の臭いだけだ。やはり全ての顔は黒く霞んだままだ。

 肩がひどく痛む。長袖の服は背中の真ん中のあたりまで赤く染まっていた。生地が裂けている。触れると、めくれた皮膚に触った。右手は血まみれになった。怖くて傷口を見られない。誰かを呼びたいのに声は出なかった。

…行きなさい…

 誰かが言ったようだ。導かれるようにそちらに這った。神殿の中だ。惨劇の広場が見える。

 両手を床についた。ぐったりとそこに伏せる。動けなかった。痛みと、まるで心が空っぽになった感覚のせいだ。何が起きたのか。頭には何もない。

 小虎は動けない。床の模様に触れる。せめてのよりどころのように血まみれの指でしっかりと掴んだ。頭の中に響く声もひどく遠い。意味を理解しようとさえできなかった。

『…の月…祈りを…』

 声がする。男だか女だか分からない。甲高くもあり低くもある。相反する要素が矛盾なく存在する不思議な調子だった。

『確かに整った!』

 死者の山も神殿も消えた。周囲は真っ暗だ。だが輝いている。

 背後から両肩に手がかかっていた。目だけで伺うと黒焦げの指だ。ゆっくり視線で辿る。服は殆ど燃え尽き、皮膚に張り付いていた。そしてその先は…。

『虎がいる、司祭がいる、契約の書がある、お前の絶望と血もある! 我はお前に復活しよう!』

 黒い光が渦を巻いた。黒いドームの中にいた。巨大な首を見たようだ。記憶がはっきりしない。真っ黒ながらも輝く球体がまっすぐに押し寄せて体を包む。自分の体が違う物質に置き換わるような不快な感覚に頭を抱えて身を丸めた。

 黒い空間は溶けた。元の神殿だ。

 空が明るくなるまで呆然と横たわるしかなかった。

そしてまた新たな兵隊たちがやって来た。彼らは階段を下りて来た。何だか甲高い声と、どこか厳しい調子の男の声。ルーカのそばに立つのは黒い軍服の男だ。髪も目も黒い。二人とも口調が激しい。

…誰が一番偉いのさ、ヴィプリンガー!…

 すぐにガソリンの臭いが満ちた。焦げ臭い。人々の髪が焦げて肉が溶ける。そう、遺体を焼いたのは彼だった。だがそれは…

笑いを含んだ声がした。

『生きているよ。このチビが太陽だね。絶望だ、『北の黒』だ』

 まだ幼いルーカだ。そしてヴィプリンガーの手。

 またここで彼の記憶は途切れる。

 次に目覚めたのは地下の檻の中だった。囚われたのだ。どれほどの時間がここで経過したのか。自分に『北の黒』が復活したとは自覚が無かった。力の使い方も分からない。誰かがほぼ毎日のように声をかけてくれた。そして力が発現した時こそ脱出の日だった。

それからは逃げ続ける日々だ。

 見つかれば連れ戻されるかもしれない。一か所に留まるのはせいぜい数日だ。移動するなら夜が明けるまでに動く。これは鉄則である。車や列車の荷物の隙間に潜り込める。月がなくても星明かりで充分だ。

 どこへ行くというあてもない。一晩のねぐらとその日の食べ物さえあればいい。また西(ヴェステン)州へ連れて行かれるよりもよほど良かった。グリンクラフト人と自分は違う。それは分かっていた。言葉はもちろん、髪と瞳の色がまるで違う。銀の髪と瞳を持つ者はいない。

 これらが脳裏で一気にさく裂した。忘れていた今朝の悪夢を何かのきっかけで思い出したような感じだった。幻影はすさまじい勢いで頭を駆け巡る。止めようがない。炎、悲鳴、銃撃、嵐、冥界のトンネル。全てが雪崩となって降り注ぐ。押し込めていた事柄、目を背けていた全てが。失われた記憶が一気に沸き起こる。頭の中で弾けた。皮膚の下を虫が這いまわるような気持ちの悪さ。

 耐えきれない衝動が喉を駆けあがった。

「うわあああぁぁ」

 遠い悲鳴が不意に近づく。叫んでいるのは自分だ。

 小虎は体を丸め、耳を塞ぎ、目を閉じて喚いた。北事変の虐殺、そしてグリュースゴットでの戦闘。記憶に押し込めようとしていた惨劇。

喉で止まった声が噴き出したのだ。

「わあわあわあわあぁぁぁ!」

 声がだんだん細くなり、ついには静かになった。しばらく丸くなったままだった。全身が小刻みに震え、白いシャツが汗で肌に張り付いていた。

 ゆっくりと指を開き、また握った。足を伸ばす。酷く重くて関節がきしむ。シーツのひんやりした感触がむしろ心地よい。ズボンも白の綿だった。まるでティーガの服のような。

 なぜここにいるのかすぐには分からなかった。頭を起こそうとしてやめた。ふらふらする。仰向けになって息を吐いた。

(あ、あの二人だ)

 マリアとピドーが近い。他にも知っているような魂もあったが、誰かを考えるが面倒だ。

 蘇った記憶がまだぐるぐるとまわっている。惨劇の臭いまで鼻につくようだ。胃がむかついた。耐えきれない。身を乗り出して床に吐いた。ひとしきりむせて、また天井を見上げる。自分の荒い呼吸が耳について鬱陶しい。肩の傷が痺れる。

 爆音が響いた。ベッドが小刻みに揺れる。どこかで固い物がぶつかり合ったようだ。何度か重い音が続く。カーテンが大きく揺れた。額縁が落ちた。鉄板の隙間越しに赤と白の光が絡み合っては解けた。

(ルーカもいるんだ)

 爆発と風がさく裂してガラスが振動する。二人の争いは激しさを増すばかりだ。

 二人に影響を受けているのか、自分の心の中に開いたトンネルが黒く波打っていた。

(あれ…?)

 トンネルは冥界との通路だ。大きさがいつもより広がっている。というよりも近づいているようだ。どろどろとした塊がうねり、ぶつぶつと泡立つ。一つ一つの粒が見えた。まるでこちら側へ一気に飛び出しそうな勢いだ。

(何だろう?)

 『部屋』に入ってみた。

 どん。

 建物全体が飛び上がるように揺れた。ベッドは大きく床を滑る。小虎の体は小さく浮き上がり、床に落ちた。鎖に引っ張られる。吹き飛ばして外した。

 通路が一気に広がった。赤、白、黒の光を帯びた壁がトンネルの淵から立ち上がる。三人の魂は帯とトンネルの接合部にあった。視界の全ては、何かがのた打ち回る昏さに満ちている。小虎はひどくちっぽけで、同時にとても大きな存在だった。肉体は感じられない。存在そのものが穴に囚われ、通路を構成する一部に変化していた。ピドーとルーカが居るのを感じる。同じ場所に魂を磔にされているような感覚だった。絶望、怨嗟、足掻きを糧にして闇が現世を襲う。

 同じ場所で同じ役目を担う。だからこそ冥界の太陽が復活した者同士は引き合うのだ。闇はさらに大きくうねる。冥界の力はルーカとピドーを通じて現世へあふれ出している。今までとは比べようがないほどの大きさだった。

(ここまで大きいのは初めてだ。三人いるからか?)

 地上では嵐が吹き荒れていた。空は灰色に厚く雲が垂れる。つむじ風が沸き起こる。数本の風の柱が上がった。木の葉や枝が宙を舞う。雨も落ち始めた。地面が揺れる。地震だ。雷が鳴る。

 小虎はトンネルから一歩下がった。通路はまた二つに減る。だが一度あふれ出た冥界の闇が留まる事を知らない。

 ガシャン。

 窓が割れた。天井から細かい砂が降る。壁に亀裂が走った。

 めまいをこらえて膝で立つ。ベッドに手をかけて体を支えた。窓の鉄板が歪に歪んだ。ガラスの破片が室内に降り注ぐ。足に刺さったが、あまり痛みを感じなかった。

 はっとドアを見つめる。マリアが近い。ひっきりなしに揺れる床を這った。鍵が吹き飛んだ。風が舞い込む。ほこりで空気が白っぽい。廊下の窓も割れている。降り続ける光で眩しい。小虎は目を細めた。

 マリアが悲鳴のように叫んだ。

「小虎! 起きたのね!」

 檻を抜けた。駆け寄ってそばにしゃがんだ。髪を撫でて背中をあやすように軽く叩いた。

「良かった、良かった…! 一緒に帰りましょう」

 彼女の背後にいるうち、黒髪の男は小虎にも見覚えがあった。彼も小虎のそばに来た。白い布地を染めている血に眉をひそめる。ガラスを抜き、ネクタイで止血した。小虎は体を固くしたが、マリアがそばにいる。手当からは逃げられないだろう。

もう一人の男は初対面だ。油断なく周囲を伺う。

 キースリングが鋭い声で叫ぶ。

「来たぞ!」

 廊下の角から兵士が駆けて来た。隠れる場所は柱のわずかな影と立ち込める土煙だけだ。キースリングが発砲した。兵士たちが角に下がった。ルプレヒトに声をかける。

「部屋の窓から出られるか?」

「見てみます」

 彼が部屋に入った。窓の鉄板を見て息を飲んだ。外れかけているが、出入口はドアだけだ。

 マリアが後に続こうとした。途端に上ずった声が制止する。

「動くな!」

外からだ。廊下に面した窓から銃口がマリアと小虎を狙っている。フランツだった。額に一筋の血が流れていた。

「銃を捨てろ!」

小虎は茫然と銃口を見つめる。

 悪夢の記憶そのままだ。無抵抗に撃たれた十年前とは違う。対抗できる力がある。しかしすぐには反応できない。心の深い傷が行動を阻む。電撃を放てばいい。頭では分かっているのに動けない。

 銃撃、硝煙、声もなく倒れる人々。肩から全身に広がる灼熱の痛み。あっというまに消えて行く愛しい光たち。

(違う…違う。嫌だ!)

 冥界の太陽が暴れるせいか、海岸の神殿での惨劇を追体験した為だろうか。過去が蘇った。忘れたかったのかもしれない。だが記憶は戻った。

 ジーノチカがかつて言った。

『生き残った君には義務がある。義務!』

 ピドー達が迎えに来てくれた。生きている限り、人間同士の交流は続いていく。それらが積み上がって自分になっていく。それならばかつての経験も切り捨てようもなく自らの一部だ。思い出したからには直視して、引き受けなければならないだろう。

 否応もなく連れて行かれた地下の牢獄。湿気とカビの臭い。ルーカの嘲りの声。それらから逃げ出したのは、隣の囚われ人のおかげだ。だがいつもいつも流されているだけ。人同士の会話もなく、社会の隙間でただ息をするだけ。

 それでも過去が目の前に突きつけられた。未来はいつでも見えない背中に隠れたままだ。振り返っても、さらに背後に回る。それなら進むしかない。

 銃を構える男を見た。一瞬、彼の方がたじろいだ。

 息を吸い込む。心の中に、いつも冥界へと至るトンネルがある。『部屋』だ。もう十年もの付き合いだ。どう使えばいいのか嫌というほど心得ている。

 電撃がフランツの手元でさく裂した。銃がはじけ飛ぶ。フランツはくるりと一周して倒れた。

 ルプレヒトが飛び出す。

「大丈夫ですか? 申し訳ない、油断しました」

「ええ」

 だがマリアの手足にも小さなひっかき傷がたくさんできてしまった。ガラスの破片のせいだ。だが彼女は笑顔だ。

「さすが小虎ね。さあ行きましょう!」

 突然キースリングが飛び上がった。小さな叫びと同時に銃を放り出す。彼らだけではなかった。建物中に悲鳴が響く。

 壁に火花が飛び散り、床を小さな閃光が走る。建物全体が通電していた。小虎の力だ。下手に動くと感電する。守衛の兵士の絶え間ない悲鳴が響く。為す術もない。銃を構える余裕もない。電気の通っていない場所は殆ど無かった。じっと身動きせずに耐えるだけだ。マリアとルプレヒトの足元だけは何ともない。

 マリアがキースリングを指した。

「あの人は味方。電撃をはずしてあげて」

 すぐに彼の呪縛も解けた。手をさすりながらもすばやく銃を拾う。

「すごいもんだ」

 頬から血の気が引いていた。

 どこかで何かが鳴った。ひときわ甲高い。嫌な臭いが立ち込める。ガスだ。どこかで管が割れたらしい。

 ルプレヒトが呟いた。

「まずい…」

 どん。

 漏出した気体が引火した。建物が吹き飛んだ。がれきが人々に降りかかる。何度か黒いドームが出現しては消えた。

 風がやんだ。嵐が終わった。黒い空が廃墟と化した裁判所を見下ろす。

 その場に伏せていたルプレヒトは体を起こした。髪も服も真っ白だ。だがかぶったのは小さな破片と粉塵だけのようだ。倒れている他の者も同様だ。目覚めているのは彼と小虎だけだった。

 小虎がルプレヒトを見つめている。

「小虎君、とにかく脱出だが…その前に教えてくれ。シュペトレーゼの居場所を知っているか?」

 目が合いそうになるとさっと顔を背けた。何とか腕を上げた。中央付近を示す。

「え? ここにいるのか⁈」

 小虎は横たわったままだ。体を起こすが、すぐに元の姿勢になってしまう。

「どこか痛いか?」

 首を振って囁いた。

「掴んだ」

「えっ? ああそうか。魂を…」

 兵士は魂を抜かれ、横たわっているだから誰も反撃に出て来ないのだ。一人ひとりに重さはさほどなくても、百人の単位で魂を繋ぎとめている。小虎にとっては初めての体験だ。

「全員か?」

「…重い…」

 爆発が止んだと言う事は、ルーカやピドーも魂を抜いたのだろう。

 また指を指す。

 爆発を収めて彼を連れ出す為に、ルプレヒト以外の魂を掴んでくれたのだ。

「分かった。ありがとう。恩に着るよ。急がなくてはならないな。どっちだ?」

 今度は右だ。

「途中に誰かいるか?」

 小虎は頷き、それから首を振った。ルプレヒトは軽くため息をついた。どちらなのか分からない。

「声を出しても構わない。というより言葉で伝えてくれないか。一緒に来てくれ」

 立ち上がろうとするが無理のようだ。むりやり腕を掴んで引き起こした。体の前で横抱きにする。体中が硬直しているのを感じる。

「すまないが急ぐんだ。教えてくれ」

 また指をさす。その方向に移動した。がれきの合間に兵士が倒れている。シュペトレーゼに行きつくまでに誰かはいる。しかし障害にはならない。小虎はそう言いたかったようだ。確かに『誰かいる』。聞き方が悪かったのだ。ようやくルプレヒトは思い当たった。

「何人くらいまで掴める?」

 やはり返事はない。首をわずかに傾げている。どれだけ保持できるのか自分でも分からないらしい。だがルプレヒトにはそのささやかなジェスチャーの意味をくみ取れなかった。是か非で答える質問でなければ、小虎には答えるのが難しいのだ。

(マリア嬢とピドーはよく会話できるな…)

 倒れているのは兵士と事務員が混ざっている。彼らをまたいで進むと、地下へ至る階段があった。

「ここか?」

 小虎はもがいた。ルプレヒトの腕から滑るように降りた。そして背中を向けてしまった。大きながれきに伏せる。

「…ここなんだな?」

 小虎にとっては、終点だからもう案内する必要がない。それだけだ。

 戸惑ったルプレヒトだが、仕方なく階段を降りた。銃を構える。暗い。電気系統はとっくに破壊されている。手さぐりで進む。鉄格子が触れた。

 留置場だ。廊下にも人が倒れている。踏んでから気が付いた。

「うっ…」

 彼の呻き声に、ごそりと人影が動いた。檻の向こうだ。

「まさか…ルプレヒト? ルプレヒトだね!」

 がちゃり、と格子が鳴った。

「シュペトレーゼ! お迎えにあがりました」

 急いで駆け寄る。真っ暗闇の中、檻越しの再会だ。シュペトレーゼの声は震えている。

「僕を…まさか僕を探してここまで…」

「もちろんです。さあ行きましょう」

「どうしてここが分かったんだい?」

「小虎君が教えてくれました」

「目が覚めたんだね…良かった…」

 ルプレヒトはさきほど踏んだ人物のそばに屈んだ。服を探る。目論見通りだ。彼は鍵の束を腰にぶら下げていた。手さぐりで鍵を回す。しかし扉を開ける前に、中からシュペトレーゼがまた錠をおろす。しかもヴィプリンガーの手から鍵をひったくった。

「何をなさるんですか!」

 格子を叩く。

「僕は行けないんだ…」

 シュペトレーゼは首を振る。鍵を部屋の隅に投げた。鉄格子から手を離す。数歩下がって頭を垂れた。

「ルプレヒト、君にずっと言いたかった事がある」

「私もです。しかし後にしてください。鍵を!」

「聞いてほしい、ルプレヒト。僕は…君に謝らなくてはならない。ジェールで…君たちを撒いて逃げた。間違っていたんだ。許してほしい」

 深々と頭を下げるのが気配で分かった。ルプレヒトはまた檻を叩く。

「謝罪など必要はありません。早く鍵を下さい!」

「君はとても良くやってくれたよ、ありがとう」

 シュペトレーゼは微笑んだ。

「迎えに来てくれてとても嬉しいよ。でも援軍が来たら危険だ。もう行ってくれ」

「だから、今のうちに出て来て下さい。早く!」

「君とは行けない。西へ…クロイツベルクへ戻る…。そうしたら北と和平ができる」

「そんなに簡単にいくとは思えません。どうか一緒に…シュペトレーゼ!」

「…偽物の名前だ…」

「あなたはシュペトレーゼ・シュルツです!」

 シュペトレーゼは拳を握った。指が白くなるほど力をこめた。北(ノルデン)州で触れ合った人々の顔が浮かぶ。仮の父となってくれたシュルツ、大学の友人、研究所の人々。同僚でもあり護衛でもあるベルクマンやエイミール、賑やかなエフェレット家の人々…。何とか笑顔を作った。声を振り絞る。

「内戦を終わらせたいんだよ。僕が北(ノルデン)州に居ることが戦いの大義名分になるのなら西(ヴェステン)州へ戻る」

「北(ノルデン)州を潰すおつもりですか」

「違う! これ以上被害を出したくない!」

 声が震えた。泣き笑いの表情になる。

「…戻る。そして北と和平の協議をしたいんだ。僕は正式な王太子なんだよ?」

「ではなぜ檻の中に閉じ込められておいでか!」

 シュペトレーゼは一瞬だけ息を飲んだ。

「……僕にできる事は帰る事だけなんだよ…」

 その判断が正しいのか判断できない。

「ルプレヒト、皆に会ったら伝えてほしい。シュルツさんや研究支所の人たち…。僕を支えてくれた全員に…。守ってくれていたのに、気が付かなくて申し訳なかったと。お願いだ、援軍が来る前に離れて。シェレンスに和平を進めてもらってほしい。君には本当に感謝している、ルプレヒト。君と旅ができて、とても楽しかった」

「しかし…!」

「内戦が終わるんだよ!」

 小虎が激しくせきこんでいる。嘔吐したようだ。シュペトレーゼは上を伺った。

「あれは?」

「小虎君です」

「彼も来てくれたんだね。…具合が悪そうだよ。見てあげて」

 不気味な地響きがした。地下室の壁全体が揺れる。

「建物がもちません。出て下さい。お願いです。ここに居る人たちを巻き添えにはできません!」

 シュペトレーゼは唇を噛んだ。クロイツベルクで待っている己の運命を考える。男児が生まれるまでは生きていられるだろう。その後は? 命を繋ぐというのはそういう事なのだろうか? そもそも応じるつもりさえない。

「行ってくれ。ここで埋もれるのなら、それも運命だよ。僕は受け入れる。せめて君と小虎くんは逃げてくれ。ルプレヒト、君は僕の大切な友人だ」

 ルプレヒトには見えないが、静かな笑顔だ。天井からはひっきりなしに砂のような粒が落ちる。兵士たちは横たわったままだ。サイレンが響き始めた。まもなく消防や警察機構が到着するだろう。援軍が来たら厄介だ。

「くっ…」

 言葉のないまま踵を返した。既に裁判所は形を失った。小虎はぐったりと伏せたままだった。少しだけ顔を上げる。

「小虎君、すまんが」

 牢を…と言いかけてやめた。壁が悲鳴を上げていた。下手に格子を吹き飛ばせば崩れてしまうかもしれない。

「キースリング少佐やピドーを戻してくれ」

 彼の瞳が左右に動いた。俯くように頷く。

「戻ったのか?」

 反応はない。ため息をつく。シュペトレーゼをもちろん連れ帰りたい。軍務だけではなかった。お互いの気持ちを思いやれるようになった今、二人は大切な友人同士だ。

 だが今は同僚たちがいる。敵地をここまで同行してくれた。彼らを西(ヴェステン)州軍の手に渡すわけにはいかない。小虎も同じだ。

「…行くぞ」

 また抱き上げる。静かな地下室を見下ろした。どこまでも続く闇のようだった。

 キースリングとマリアも目覚めていた。二人を探していたようだ。行き会うとほっとした顔を見せる。

さらにがれきを踏んでピドーがやって来た。彼らを見ると、にっこり笑って片手を上げた。

「おう。小虎を奪取か。やったな!」

 マリアは茫然と弟を見た。彼がこの騒ぎの一端だ。建物を破壊し尽す強大な力を操るのだ。

(何て力なの? これはどこから来て、反動とか無いのかしら?)

 頭を振り、顔をこすった。

 彼らは敷地の外へ移動を始めた。体を低くして警戒する。サイレンはますます大きくなる。

 ラッキーコインが胸元で揺れる。この力を含めて弟なのだ。マリアはきっと顔を上げた。怒鳴りつける。

「ちょっと! ここまでやる? この愚弟! 程度を考えなさい!」

 ピドーの服は少し白くなっているだけだ。

「えーと…。建物ぶっ壊したのは俺じゃないと思うけど…。気が付いたら、もうこんな感じ? ルーカだろう?」

「人のせいにしないの! あんたも参加してたじゃない」

「ばれたか」

「舐めてんの? 赤い光が見えるわよ! あんたの目印でしょうが! 本当に七面鳥がぴったりよ、愚弟!」

 久しぶりに鼻っ柱の強いマリアだ。憎まれ口がむしろ嬉しい。ピドーまた笑った。

「みんな無事だろ? 良かった! 小虎も」

 と、抱かれたままの小虎を見た。

「目ぇ開いてるじゃないか。しかもお姫様抱っこ! 何で俺まで掴むんだよ」

 銀の瞳がピドーをとらえる。

「…うるさい…」

 ピドーを起こしていたら、どんな騒ぎになるか。

「お前まで言うか! あー、でも本当に良かった! やった! まだ寝ていたら叩き起こそうと思ってたんだ」

 腕を叩く。ひどく細くなっているのに気が付いた。小虎はわずかに顔をしかめた。

「怪我させちまった。悪い」

 痛いはずなのに首を振る。

「掴んだ」

「ルーカもか。起きていたら黙ってないよな。絶対」

「…重い…」

 ガス爆発の勢いを削いでくれたのは小虎だ。崩壊したがれきを外に向かって飛ばした。

「屋根が落ちて来ないようにしてくれたのもお前だろう? 悪い」

 ピドーはまた鼻をこすった。見事に天井だけが吹き飛んでいる。短い時間の間に、小虎が色々とやってくれた。もし建物全体が中の人に落ちたら重大な事故になっていただろう。

 見物人が集まって来た。遠巻きに眺めている。

 小虎の額には汗がびっしり浮いている。手足を動かすのもままならないようだ。ルプレヒトと交代でピドーが小虎を背負った。

「お前、また軽くなったな…」

 背中が温かい。小虎がぐったりと体を預けている。かすかな唸りも感じる。百人近い兵士と冥界の太陽を捕まえているのだ。

 彼らは急いで敷地の外に出た。舞い上がった土煙で付近の視界は霞んでいる。車のライトが動き回る人々の影を映し出す。

「小虎、目を閉じてろ」

 頭から自分の上着をかけた。頭頂の銀髪とパジャマを隠す。既に警官が来ている。人や車の交通整理だ。サイレンも鳴っている。警笛を吹いていた警官が声をかける。すかさずキースリングはマリアの腕を取った。すっと離れる。

「どうして離れるんですか?」

「しっ」

 キースリングは唇に指を当てる。

「大人数で歩いたら目立つ。あちらにはピドー君がいる。いざとなればかき回してくれる」

「…もうたくさんだわ…」

 またあの爆発と嵐は願い下げだ。視界が悪いのを幸い、マリアたちはそそくさと物陰に隠れた。

 警官がほこりまみれのピドーに声をかけている。

「どうしました? 怪我ですか?」

 ルプレヒトが答える。

「ええ、この子が」

 と小虎を示す。

「爆発を見物に来たところを巻き込まれました。すぐに病院へ連れて行きます」

 小虎は大人しく目を閉じていた。手足はぐったりと垂れて息が荒い。いかにも具合が悪そうだった。

「救急車を回します」

「いえ、近くの知り合いに頼みます」

「分かりました。お気をつけて。お子さん、心配ですね」

 ピドーが噴き出した。ルプレヒトの背後に回り、あわてて咳払いでごまかす。

「…ありがとうございます」

 一行は急いでその場を離れた。

「お前な! あの場面で笑うか!」

「おかしいだろうが。あんたが子持ちに見えるとはなあ。しかも俺も? 二人の子持ち?」

「黙ってろ!」

 すぐにキースリングが近づく。

「こっちだ」

 待ち合わせ場所はすぐだ。裏通りに幌を付けたトラックが待っている。ヨランデが運転席から顔を出した。

「よくご無事で! すごい揺れだったわね」

「すぐ出るぞ。ルートガーへ向かう」

 エフェレットきょうだいと小虎を荷台へ乗せた。キースリングとルプレヒトは運転席だ。すぐに発車した。小虎が呻くように呟いた。

「…離した…」

 ふう、とため息をつく。額の汗をぬぐった。

「ルーカも?」

「まだ」

「マリアとどっちが重い? マリアだろう」

 姉に蹴られた。

 小虎は大真面目に否定した。

「違う…感じ」 

 マリアの場合は、今にも離れて行きそうなのを繋ぎとめるのが大変だった。飛び去ろうとする力が強い。ずっと全力で綱引きをしているようだった。集中力が少しでも途切れたら離れそうだった。

 ルーカとピドーは、冥界の太陽の力がある。単純に重い。百人ほどなら苦もなく掴めるが、二人だけでも千人以上を一気に抱え込んだほどだった。体全体に重みがのしかかっていた。

 荷台の二人の周囲は真っ暗だ。何を積んであったのか油くさい。ピドーは口を開いた。

「気になるんだ。俺さ、どうも『部屋』から出られなくなったみたいなんだ。しかも力が制御できない。暴走ってやつ? 勝手に黒い物が俺をとっかかりにして現世に飛び出していくような。お前は出て行ったな? どうやった?」

 小虎も通路にはりつけられたようだった。しかしあっさりと離脱した。それでルーカとピドーの暴走を抑えられたのだ。

「…ふつう」

「…そうか…。それって神官の力かもしれないな」

 車体が跳ねた。

「途中から訳わかんなくなった。冥界から上がって来る力が強すぎて、どうにもできないんだ。通路から動けなくなっちまった。そうだ、ちょっと聞けよ」

 ランデスヴァルトでの話を簡単に小虎とマリアに伝える。ティーガ族の生き残りがいた事。冥界の太陽は通路を完成するために必要な事。グレンツェのでき事は言えなかった。

「三つであれだろ? 四つ揃ったらどれだけなんだ?」

 その直撃を受けてティーガ族は壊滅的な被害を受けた。後に『花の戦い』と呼ばれたのはおそらくこれだ。

「それで現世太陽が必要になるわけか。でも探せって言ってもなあ…。誰で、何をしてもらえばいいんだろう?」

 答えは見つからない。ピドーはにっこり笑った。

「あそこから現世に戻してくれたのはお前だろう?」

「うん…ううん」

 小虎は魂を掴んだだけだ。だが、それで自然とトンネルの淵から離れたのだ。

「ありがとうな」

 今も小虎に寄り添う黒い影。しかし良く見ようと今は思えない。『部屋』に入るのにためらいがあった。

(あそこから出られなくなったらどうなる? あの闇に落ちるのか?)

 たった四人の生贄で冥界と現世の通路を開けるはずもない。たくさんの人の命が代償となるかもしれない。『花の戦い』のように。

 疲労が限界を超えたようだ。マリアは目を閉じていた。ただ車に身を任せる。小虎の顔には色がなかった。魂を解放した後も横になったままだ。何度かの小休止を挟んだだけでトラックはひたすら北東を目指す。深夜は警備も手薄だ。キースリングはときおり無線を使った。どうやら警備情報を確認してからルートを決めているようだ。

 ゲルシュニアウプとケッセンの中間あたりの町へ入った。その頃にはもう夜だった。駅前のロータリーを囲むように石積みの建物が並ぶ。内戦の影響を受けていないようだ。古い建物が残っている。まだ電気は普及していないようだ。街灯もガス灯だ。ほの暗い街角から中世の騎士でも飛び出してきそうだ。放射線状に石畳の道が伸び、きちんと区画分けされている。

 とある場所で停車した。小さな洋品店の横で駐車場に停める。ヨランデがここから別行動らしい。彼女はにっこり笑って手を振り、暗がりに消えた。

 曇ったガラスのショウウィンドウに、ほこりをかぶった布と挟みが陳列されている。飾りのないドアにはクローズの札だ。

 夜の街角に人影はない。キースリングが鍵を回した。

 マリアが尋ねた。

「知り合いのお宅ですか?」

「話は中で」

「ええ…」

 道中で大まかな話をピドーがマリアに伝えた。しかし、ロッタの件については言えなかった。

 さらに気になるのは小虎の反応だった。もともとあまり感情を顔に出さないのだが、オリガとリギーについても殆ど関心がないかのようだ。一族が生き残っていたのに。

「もう閉店だが仕方ない。入れてやろう」

「何を言ってんだキースリング少佐。ここがルートガー?」

「そうだ」

 キースリングが電気を点けた。温かい光が満ちる。

 全員で立っていると圧迫感があるほどの狭さだ。作り付けの棚には布の束が並ぶ。他の壁には一面に洋服がかかる。ドア枠にまでハンガーがぶら下がっているほどだ。足踏みミシンが二台、黒い光を放つ。中央には木の作業台。これが一番大きい。木の床は白茶けた色だ。掃除されているが、隅には鮮やかな色の糸が寄り集まる。傘のついた電球が黄色く照らしていた。

 キースリングが初めて息をついた。シャツのボタンをゆるめる。やっと笑顔を浮かべた。

「無事に着いて良かった。ずいぶんと派手にやったもんだな。ケッセンも君か?」

 とピドーを見る。小虎を椅子に下ろしていた彼は口を尖らせた。

「違うよ! あれはルーカだし今日のは小虎だ。…俺も参加したけど少しだけだぞ」

「その話も詳しく聞きたいものだ」

 マリアに軽く礼をした。

「改めて初めまして。ご協力に感謝する」

 マリアは少しだけ微笑んだ。

「お役に立てて光栄です」

 どすどす、と階上で音がした。すかさず小虎は作業台の下にもぐった。狭い階段を転がるように巨体が下りてくる。ジャック・D・エフェレットだ。

「マリアベル! ピシェッツリーフ! 無事だったか!」

 目がうるうるしている。子供たちを両手で抱きしめた。

「すまない…。置いて行ってしまった…。もう二度とあんな真似はするものか」

 ジーノチカの策略のせいだ。ジャックにはどうにもできなかっただろう。それでもひどく心配だったようだ。二人の顔をしみじみ見つめて、また抱きしめる。

「怪我をして…! 痛くないか? 平気か? でも良かった…! 帰って来たな。小虎はどうした?」

 腕の中で身動きが取れない。ピドーは無言で床を示した。

 ジャックはちょっと屈む。作業台の下へ腕を突っ込むと、猫の子を掴むように小虎を引っ張り出す。

「無事か? 無事なんだな!」

 相変わらず体は緊張して固い。しかし諦めたようだ。じっとしている。白い上下のパジャマのままだ。ジャックは自分の上着で彼を包む。そのまま小脇に抱えた。すっぽりと片腕の中だ。

「親父、可愛がってるなあ。そいつ猫か」

「まあまあ、いいじゃないか。上に行こう。ここはほこりっぽい。小虎の手当てと着替えが必要だ。軽く何か食べるか?」

「あるの? 喰う!」

 小虎は首を振った。

「…ルーカ…離した」

 とたんにピドーの脳裏にも白い光がスパークした。起きるなり、何かやらかしたようだ。

(あいつは本当にヤバいな。抑制できないのに大はしゃぎだった)

 二階は小さなリビングルームだ。飾り暖炉とソファがある。その先にはこぢんまりとした台所だ。ダイニングルームを兼ねている。食器棚とテーブルがある。四角い木製で刺繍が施された綿のカバーがかかっている。ジャックが用意したのは野菜がたっぷりのスープだった。ピドーには慣れ親しんだ懐かしい味だ。

「ああ美味い!」

 ジャックがほっとしように微笑んだ。

 小虎は食事を拒んだ。

 ジャックがさらに上階に連れて行く。しばらくして戻った。だぶだぶのパジャマだ。サイズが無かったようだ。

 そしてソファに下ろされた。ジャックの上着がちょうどよい上掛けだ。背中を向けて横たわる。

「小虎、食えるか?」

 ピドーが何度か声をかけたものの、身じろぎもしなかった。

「ここって何?」

 ピドーの問いにキースリングが答える。

「軍のツテで借りた。北の協力者だ。少しの間だけ貸してもらっている」

 そして手を止めた。食器どうしが触れて音を立てる。

「次は殿下か…。今回は空振りだったが」

 ルプレヒトが首を振った。

「いいえ。いらっしゃいました。お話しもできたのですが、お戻りにならないそうです」

「話ができたのか? 自分たちは何だか…変だな。意識を失っていたみたいで…」

「体から意識が離れていたはずです。小虎君は魂と肉体を分離できるのです。少佐もご覧になったのではないですか? 小虎君の瞳とご自分の掴まっている場所が」

 食卓が静かになった。

 キースリングの拳がテーブルを打つ。

「ではなぜそんな事をした? こちらに殿下が居てこそ、互角の対話ができるのに…! なぜ! 小虎君、なぜ我々にも教えなかった!」

 ピドーが肘をついて体を乗り出した。

「おい! 小虎は戻ったばっかりだぜ? 初対面の奴だらけだし、誰を起こして誰を抜いて…なんて分かるはずがないだろう! てめえの都合通りに動くか!」

 こういうピドーは、さらなる騒ぎを封じる為に魂を抜かれていたのだが。

「そんな事は言っていない」

 ルプレヒトが割って入る。

「君が怒るな。連れ帰る事ができなかったのは私の未熟さゆえだ」

 そう言うと、腕を組んだ。じっと宙をにらむ。

「お前こそ怒るなよ」

「いや。怒っていない。考えているだけだ」

 小虎に頼めば鉄格子を破壊できただろうか。そして無理にでも連れ出すべきだったのか。せめてピドーが目覚めていたら状況が変わっていたかもしれない。だが小虎は体調が良くない。それなのに充分に協力してくれた。そこまで求めるのは酷だ。責めるつもりはない。それより善後策をどうすればいいか。過去よりもこれからだ。

 ピドーはテーブルに頬杖をついた。

「でも怒ってるだろ?」

「こういう顔だ」

「そうかぁ? そういう顔ばっかりしているからシュペートが気を使うんだろう? あいつ、いっつもおどおどしてたじゃないか。どっちが偉いんだか分からない」

 ジャックが苦笑いした。

「おいおい、そこまで言うなよ」

「本当だって。ああ…前にシュペートが言ってたな。『僕は囚人ではなかった、守られていたのに離れるべきじゃなかった』って」

 ルプレヒトは顔を上げた。少し唇が開く。すぐに言葉は出なかった。テーブルに肘をつき、額を乗せる。

「…そうか…」

 シュペトレーゼは分かってくれていた。自分たちは看守ではなく護衛なのだと。それにもかかわらず、ジェールでは彼は黙って逃げた。

 また顔を上げた時、唇は歪んでいた。おそらく笑顔なのだろうが、眉は寄っているしどこか辛そうでもある。

「…やはり私の責任だな。殿下はどうしても南(ズューデン)州へ行きたがっておられたのに、ちゃんと理解していなかった。強くは言えなかったのだろう…信頼関係をきちんと築けなかったからだ」

 友人だと言ってくれた時には、もう一緒には行けなかった。また気難しい顔になった。顎に手を当てている。

「それがダメなんだって」

 ピドーに突っ込まれたが、じろりと睨み返す。

「お前に振りまく愛想など持ち合わせが無い」

「その位のほうがあんたらしくていいや」

 小虎が少し咳き込んだ。肩が激しく上下した。まだ何も口にしていない。

「どうした?」

 返事はなく咳をするだけだ。

 マリアが駆け寄った。隣にしゃがんだ。背中をさする。

「大丈夫? 気分が悪いの?」

 小さく首を振る。体をよじって逃れようとする。マリアは片手で小虎の肩を軽く叩いた。

「あのね! 今までさんざん看病してたのよ。いまさら逃がさないからね!」

 ジャックに尋ねる。

「ベッドはあるの?」

「ああ。三階に二つ」

 一同を見渡す。

「そうだな…小虎とマリアで一つずつかな。男どもはここで雑魚寝。あ、大丈夫。毛布と寝袋はあるぞ」

 もともと狭い建物だ。男性陣に異論はない。

 ジャックが卓上の皿を重ね始めた。

「少佐、明日の夜明けには出なくちゃならないんだろう? 少しは休める。さてどうするか…。今度こそソフィアに帰れよ! マリアも小虎も。やる事はたくさんあるんだ」

 ピドーが首を振る。

「じゃあ親父こそさっさと帰れば? 俺はランデスヴァルトへ行く。ジーノチカを連れて来なくちゃ。あ、あとサッシャにも会いたいな」

 マリアと小虎以外は後片付けだ。その間にランデスヴァルトで何があったのか。ピドーはジャックとルプレヒトにも簡単に伝えた。

 ジャックが肩をすくめた。

「とにかく北(ノルデン)州に戻るんだな? 軍人さん達もかい?」

「私は遅摘み酒を持ち返るのが至上命令です。できれば小虎君の協力を得たいのですが」

 ルプレヒトにとって小虎はエフェレット家の一員らしい。ジャックに向かって頼んだ。

 小虎がはっと顔を上げた。体ごとひねってルプレヒトをしげしげと眺める。

「君は人の所在を特定できる能力がある。それなら…」

 小虎の表情は動かない。あどけない顔なのに、濃い倦怠がにじみ出ている。確かに見かけの年齢よりもずっと年上のようだった。

「利用する形になるのは許して欲しい。しかし君の能力が必要だ。私の責任において軍上層部へ君の存在を通報しない。私はエフェレットきょうだいを保護しただけだ。少佐、構いませんね」

「ああ。私の仕事はピドー君の護衛だ」

 ティーガ族がいるのは問題としない。シュペトレーゼを連れ帰る方が重要なのだ。

 マリアが口を挟んだ。

「待ってよ。大の大人が揃っておかしいでしょ。本人の目の前で意向も聞かずに何を決めるの! そもそも見て分かるでしょう? 具合が悪いのよ。早く休ませてあげて」

 正論だ。これには誰も何も言えない。

「じゃあ、お泊りの用意だな」

 と、ジャックが階段をあがりかけた。

 小さい声ながら、きっぱりと小虎が言った。

「放して」

 思わず手を引いた。マリアはきょとんとしている。

 小虎は体の向きを変えた。床に滑り落ちる。息を吐いてソファによりかかった。頬が少し赤らんでいた。

「前…。会った…ヴィプリンガー」

 一同に緊張が走る。


  ツヅク! 次回第十一話 下 騒乱 南(ズューデン)州アルニム・ルートガー

       北事変の真実とは? ところでマリア、小虎にナニを飲ませた⁈

お読みいただきありがとうございます。


*少~し今回の内容に触れています。先に後書きをお読みの方はご注意下さい*


付き添いは要らない、と言ったピドーですが、結局は軍人さんたちと同行でした。


小虎は 意識とともに記憶が少しだけ戻りました。

辛い所だけを思い出しちゃったのですね…。


そしてお互いの本音を伝えあったルプレヒトとシュペトレーゼ。

やっと心が通じた時が別れの時でした。。。


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