第十一話 騒乱 上 南州 アルニム・ルートガー
捕らわれたシュペトレーゼに卑劣な罠が仕掛けられる。
そしてマリアと小虎の奪還なるか。
第十一話 騒乱 上 南州 アルニム・ルートガー
西州に近い海辺の町アルニム。切り立つ岩山が海水から伸びている。黒い岩肌を波が洗う。砕けて散った飛沫は宙を舞い、陽光にきらめいて再び海へ落ちる。
高台には白い建物だけがある。四角い施設だ。そこから送電線が伸び、岩に屹立する鉄塔の行列に渡されていた。近隣には民家はない。
突然、爆発音が響いた。灰色の煙がたなびく。サイレンが鳴り響いた。炎は上がらず、施設は静かなままだ。
しばらくしてニュース速報が全国に流された。ラジオが繰り返す。
…アルニム火力発電所で爆破テロが発生、南州警察は犯人として北州出身の住所不定、職業不詳のシュペトレーゼ・シュルツなる人物を逮捕した…
太陽が眩しい。南州ゲルシュニアウプ市に属する町の一つ、アルニムだ。簡易裁判所では、午後の仕事が始まる。普段はいない装甲車や野営用のテントが前庭に密集している。ヒューゴ・ヒンメルが連れて来た小隊の臨時駐屯地だ。アルニムには軍用基地が無いので、一時的に借用している。
ヒューゴ・ヒンメルは食事を終えて一階の執務室に戻ったところだった。天井まで高さのある本棚を背にして大きな木の机の前に座る。トビアス・ミレンが紅茶を注いだ。お菓子だらけのテーブルに置く。深さの三分の一ほどはイチゴのジャムだ。部屋中に甘さが満ちる。トビアスの胃液は逆流しそうだった。一つ息を吸い込む。
「統括閣下、クロイツベルクから緊急の連絡です」
と、届いたばかりの紙を差し出す。
「ん~?」
カップをかき混ぜる。糖分の匂いが立ち上る。思わずトビアスは口を押えた。胃袋から空気が上がり、美しくない音が響く。
「失礼しました」
「う~ん。みんな、すぐにげっぷをするんだよな。何故だろうね?」
ヒューゴは紙片を放り出した。肘をつき、カップをのぞく。スプーンから垂れる半透明の物体を愛おしそうに眺めてぺろりと舐めた。
「うん、やっぱり南州のイチゴは美味しいね。そろそろ早摘みの旬だ」
本来の管轄であるケッセンにはしばらく戻っていない。捕虜を移動させるのは危険が伴うからだ。彼らを取り戻そうとする動きがあるかもしれない。ヒューゴの一行はずっとゲルシュニアウプに留まっていた。ここ簡易裁判所を拠点として間借り中だ。
「そうでありますか。それで緊急のご用事の対応はよろしいのでありますか?」
「緊急じゃない。全っ然」
さっきの紙で飛行機を折った。上手く飛ばず、一回転して床に墜落だ。あわててトビアスが拾った。
「廃棄でよろしいのでありますか?」
文字を追う目が丸くなる。レオポルト・ヒンメルが北州グレンツェで拘束されたとの報だった。
「と、統括閣下! 大変であります! 兄上様が…捕虜…!」
「読んだよ。それがどうしたのかな?」
ピンクのマカロンを摘まむ。うっとりと眺めてから口に運んだ。
「まんまとこっちの尾行をまいてくれたものだよ」
南州ゲルシュニアウプの医療刑務所からピドーと共に解放し、しばらくは泳がせるつもりだった。だがわずか数日で姿を見失ったのだ。
「手引きする者がいたようだ。まさかスパイではないだろうが、兄は将軍家の長男だ。軍の足手まといになるなら犠牲になろうという覚悟ぐらいはあるだろう。まだ何も北から要求は出ていないし。出たとしたって、兄は一介の民間人、ただの町医者に過ぎない。まあ身分だけはしっかりしているから、命の危険も当面はない。何も心配要らないじゃないか。むしろちょろちょろ動かなくて助かるくらいだよ」
「き、切り捨てるでありますか…」
ヒューゴはじろりと部下を眺める。トビアスはあわてて敬礼した。顔が真っ赤だ。
「も、申し訳ありませんです。出過ぎた発言を撤回いたします!」
「まあいい。わざわざ敵地へ乗り込んでいった間抜けは兄自身だ。アウゲンからの追加情報を待つさ」
ドアがノックされた。
「失礼します」
フランツだ。
「フランツ、マカロン食べる?」
「…いえ…」
目をぱちぱちさせる。あまりに濃い甘さは目にも来るようだ。
「発電所の件は無事終了です。ラジオ局に情報を流しました」
「ご苦労」
「ご来賓も到着されました」
「本当かい? 早いな。それほどお待ちかねという事か」
フランツは淡々と報告を続ける。
「次の件も準備が整っております」
ヒューゴは眉を寄せた。
「分かった」
ジャム入り紅茶を一気に飲み干す。さらにクッキーを口に押し込んで立ち上がった。腰につけた鍵の束が鳴る。
「フランツ、一緒に来い」
ヒューゴが本棚を横に押した。ごろり、と動く。腰ほどの高さの扉が現れた。
「誰も部屋に入れるなよ」
トビアスに命じると、隠し扉の奥へ入った。コンクリートの打ちっぱなしの壁だ。狭く細い階段が地下へ続く。裸電球が黄色い光を投げていた。細い廊下も薄暗い。空気が冷え切っていた。軍靴の足音が響く。左右に二つずつ、鉄格子のはまった留置部屋があった。重い南京錠が下がっている。内部には簡素なベッドが一つ。壁に作り付けの棚。奥には腰まで隠れるだけの壁。洗面台と便器が据えてある。
囚人はベッドに座っている。眠っているかのように頭を垂れていたが、足音に顔を上げた。顔色は青白い。無精ひげがすっかりこけた頬と顎を覆う。青い瞳はどこかうつろだった。棚に乗る皿にはクッキーが山盛りだったが、手を付けていないようだった。
「ご機嫌はいかがですか、ハンス・ヨアヒム殿下」
シュペトレーゼは黙って首を振った。耳の下まで伸びた髪が揺れる。顔の傷はまだ治りきっていない。
「差し入れはお気に召さなかったようですね」
「いえ…」
彼はちらっと皿を見て少しだけ微笑んだ。
「お気持ちはありがたいのですが…。可能なら本など時間をつぶせる品をお願いしたい気分です」
「検討しましょう」
「それで僕はいつまでここに居ればいいのですか?」
「残念ですが殿下、私には明確な返事はできかねます。上層部の意向がありまして」
ヒューゴは後ろで腕を組んだ。青白い顔を見下ろす視線は、どこか面白がっているようでもあった。
「今日こそぜひご教示願いたいのです。殿下、ルーカ殿の正体をご存じですか? 王家の紋章が押された文書を携帯しています」
シュペトレーゼは俯いた。
「ご覧になった事がおありでしょうか? 王太子として公表されている写真は、殿下ではありませんね? あれは誰ですか? 兄は知っているのかどうか、教えてくれませんでしたよ」
浜辺でまくれ上がったルーカのベール。栗色の髪と瞳。一瞬だが見て取れた。
「あの写真は幼いルーカ殿ですね? そもそも彼と呼べばいいのか? それとも彼女? 『あの人』からの直接の意向を受けて行動しているという事は、ただ者ではない」
返事はない。ヒューゴの声に少し苛立ちが混ざった。
「だとしたらどうしてヒンメル家の私が知らない? 『あの人』の意図は? どうして何も僕に教えない?」
言葉のシャワーを受ける金髪は重く垂れ、もうすぐ膝に届きそうなほどだ。うなだれたまま話すが、まるで独り言のようだった。
「…僕は今まで自分を囚人だと思っていた…でもここに来て分かりました。本当に囚人になってみて…初めて…僕は自由だったのだと…」
「その通りです。今の殿下は檻の中です。間違いない。また伺います。それまでにはお気が変わられますように。私の質問にお答えいただけないのは残念です」
ヒューゴは首を振った。鍵の束から一つを選ぶ。檻を開けた。
「お立ち下さい。どうぞ、こちらへ」
シュペトレーゼはのろのろと立ち上がった。もう一度促されて外に出る。
フランツが敬礼する。シュペトレーゼの背後に回った。
「失礼いたします」
謝りながら腕を取り、背中で手錠をかける。手首にひんやりした金属が触れ、重くなった。
「グリュースゴットでお怪我はありませんでしたか?」
囚人からの心配そうな問いに、フランツは少しだけ顔を歪めた。笑ったようでもあるが、眉をしかめる。
「ご心配には及びません」
シュペトレーゼを前にして二人は部屋を出た。階段を上がる。
「マリアさんと小虎君はどうしたのですか?」
「お答えできません」
部屋に戻った。戸口にいたトビアスが振り返る。
「お疲れ様でございますです」
「本棚を戻しておけ」
部屋にヒューゴとトビアスが残った。ここからはフランツだけがシュペトレーゼに付きそう。廊下は長い。けれども誰ともすれ違わなかった。沈黙に耐えきれなかったのはシュペトレーゼだった。
「ここはどこですか?」
すぐには答えがなかった。シュペトレーゼが振り返ると、フランツは眉を寄せて足元を睨んでいた。目が合うと、ぐっと唇を噛む。それから口を開いた。
「ゲルシュニアウプ郊外のアルニムです。ご存じですか? 火力発電所があります。南州と西州の南部の電気の一部を賄っています。入り口は東西の二つ。東口のゲートがメインの入り口です。警備員が常駐いておりまして、身分証明書を提示しないと入場できません。西は勝手口というか通用門で、普段は施錠されています。まあ簡単な鍵なので、こじ開けようと思えばすぐに可能でしょうね。さほど警備は厳重ではないし」
抑揚がない。台本を棒読みしている感じの口調だ。
「はあ…」
地名に聞き覚えは無い。西州を離れてから十年だ。もともと宮殿暮らしで世間には疎かった。また足音が響くばかりだ。
「僕はどうなるのでしょう?」
「自分には分かりません。発電所について何かご質問は?」
特に興味のある分野ではない。だが相手の発言にはなるべく応えようとするのが彼の優しい性質でもある。
「はあ…たくさんの人が働いているのでしょうね?」
「はい。百名強でしょうか。交代制なのでこれくらいの人数は必要らしいです」
ホールに出た。ドーム状の天井は吹き抜けだ。丸い窓から光が差し込んでいる。警備員なのか、兵士とは違う制服の男が立っていた。二人の足音に振り返る。はっとした顔で目礼をした。シュペトレーゼは会釈を返した。
彼の前を過ぎた。大きなドアの前についた。兵士が左右に一人ずつ控えている。無表情で敬礼した。
重いドアを開く。正面は一段高くなっていた。壁にはグリンクラフト連邦の旗と南州の旗が掲示されている。黒いケーブをまとった男が一人。左右に長い机。観客席のように椅子が並ぶ。ヒューゴ・ヒンメルが座っていた。
「ここは…」
シュペトレーゼの呟きにフランツがしっ、と返す。丸い手すりの付いた場所に彼を立たせた。自分は壁際に下がる。そこにいた軍人に耳打ちする。彼は軽く頷きながらメモを取る。そしてその場を離れた。檀上の人物に紙片を差し出す。
ケーブの男が槌を3回鳴らした。
「開廷を宣言する。アルニム簡易裁判所において審理を始める。裁判官は私ミコライオが努める。人員の都合により検察官も兼務とする」
シュペトレーゼはぽかんとした。裁判にかけられるらしいのは分かったが、居るのは裁判官だけだ。
「何の罪状で…」
と言いかけたが、槌と音とともに制止される。
「静粛に! 被告の弁護人は? 用意しているか?」
「え、いいえ…」
「よろしい。弁護人の必要を被告は認めていないと記録」
しかし記録係さえいない。ミコライオもメモさえ取るそぶりもなかった。
きょろきょろしても、いるのはさきほどメモを取った軍人とフランツとヒューゴだけだ。ヒューゴは腕組みをしている。シュペトレーゼと目が合うと、笑顔で軽く頭を下げた。
「あの…これは一体…」
「発言は許されていない。人定質問。被告はシュペトレーゼ・シュルツ。出身は北州ラドクリフ、住所不定、職業不詳で間違いないか?」
「違います。僕は歴史学者で住所は」
「シュペトレーゼ・シュルツに間違いないのか?」
何と返事したらいいのか。迷ったものの、結局はあいまいに頷いた。ここは南州だし、罪状もはっきりしない。
「シュペトレーゼ・シュルツ。アルニム発電所について知っていることを述べなさい」
フランツが目を逸らした。何を意味するのか分からないまま、さきほどの話を繰り返す。
「はい。南州と西州に電力を供給する火力発電所です」
「構造は?」
「詳しくは知りません。出入口が二つあるそうです」
「二つ? どこに?」
「東と西…だったと…」
「警備が手薄なのはどちらだ?」
「よく知りません」
「本当に?」
畳みかけられる。シュペトレーゼはさっきの会話を懸命に思い出した。
「西…かと」
「よろしい」
ミコライオは渡された紙片に目を落とす。
「なお新たな証言が追加された。被告は西南軍兵士において発電所の情報を得ようと接触し、発電所の従業員数を確認とのこと。警備の隙をつこうとする企みだといえる。被告人は発電所の構造及び警備状況について知識がある。これは犯人が知っている情報と言える。爆発物は西口に仕掛けられていた。罪状を自白したものとする」
思わず身を乗り出した。手錠が鳴る。
「ちょっと待って下さい。罪状? 数日前にここに連れられて来て以来、外出さえ許されていません。僕が一体何をしたと」
抗議はまたも槌で遮られる。
「静粛に! 罪状はアルニム発電所爆破により西呼び南州の電力減弱を図り、政府転覆を狙ったテロ行為である。きわめて重大な結果をもたらす悪質な犯行だ。先日のゲルシュニアウプ軍施設の破壊行為にも加担した罪状も加えて、被告シュペトレーゼ・シュルツに判決を申し渡す」
一呼吸置いてから彼は言った。
「死刑」
「え?」
思わず口がぽかんと開いた。意味が理解できない。何かの冗談なのか。碌な審議もないままに下された判決は、あまりにも重い。そもそも身に覚えがないのだ。
「これは…どういう…」
振り返ってもフランツと視線が合わない。彼はずっとそっぽを向いたままだった。
「静粛に。執行の日程については後日の連絡とする。これにて閉廷」
ミコライオが立ち上がる。ケーブを翻して壇を下りた。シュペトレーゼの前を通り過ぎる。
「待って下さい!」
被告席から出ようとした。すかさずフランツが駆け寄る。肩を抑えつけられた。
「お静かに」
「で、でも」
その間にミコライオは出て行ってしまった。
ヒューゴは座ったままだ。にやにやしている。
「フランツ、殿下をお連れしろ」
「はっ」
シュペトレーゼは言葉が出なかった。茫然とヒューゴを見つめるだけだ。フランツが体ごと引っ張る。ようやくヒューゴは笑顔をひっこめた。
「せっかくの差し入れなんですから、少しは召し上がってください」
「なぜ…どうして…」
「なぜ? 特産のクッキーだからですよ」
敢えてずらした答えをする。
「どうして…」
力なく呟く。死刑判決の実感は全くなかった。霧の中へ放り込まれたような感覚だけだ。フランツに引きずられて法廷を後にした。
二人の間に会話はもう無かった。フランツは敢えて発電所の情報を教えたのだ。法廷で言わせる為だ。鈍感なシュペトレーゼにもそれは分かった。
元の部屋へ移された。鉄格子がはまっている場所だ。窓は高い位置で小さい。せいぜい顔ほどの大きさだ。やはり格子付きだった。椅子もないので届きはしない。ベッドには褪せたオレンジの毛布が一枚。畳んである。その傍にぼんやりと座った。ラドクリフを出てからの事を思い返す。やはりジェールでの単独行動が失敗だった。悔やんでも悔やみきれない。
(やはり僕は王太子として扱われないのか…)
死刑、と何度も頭を巡る。悪い夢のようだ。両手をこすり合わせた。指先が冷えている。手錠は既に外されていたが、まだ冷たく重い感触が残っているようだ。フランツを恨む気持ちは毛頭なかった。彼の歪んだ眉や口元に戸惑いと苦渋を感じたからだ。
(彼は命令に従っただけなのだろうな)
複数の足音が聞こえる。のろのろと顔を上げた。
「ご面会です」
ヒューゴが立っている。傍らにトビアスがいた。
二人が無言で一歩下がると、背後から人影が現れる。濃紺は西州軍の色だ。最高位を示す徽章の他に、襟に光る紋章。月桂樹の葉が二輪の百合を囲む。
「お久しぶりです、ハンス・ヨアヒム殿下」
西からの来賓だ。バロー伯爵がそこに立っていた。後ろ手を組み、シュペトレーゼを見下ろす。
「…バロー…」
シュペトレーゼは息を飲んだ。思わぬ再会に立ち上がる。コックのシュルツの息子としてクロイツベルクを脱出して以来だ。十年の時を越え、二人は向かい合った。
しばらく無言が続く。バローが少し顔を歪めた。
「ご立派に成長なされましたな。こんな形でお会いするとは残念です」
「僕は」
それだけ言って力なく首を振った。鉄格子に手をかける。続く言葉が出ない。
「なぜあちらへ付いたのですか?」
バローの口調は冷たい。
「マクシミリアン陛下の失踪後、あなたこそが後継として立つべきだったのです。国を支えるべきご身分なのです。それを裏切って王宮から逃亡された。なぜなのです? ティーガのテロに怯えるほどの小心者とは思いたくないのですが。ただの避難であればいくらでも方法はありましょうに」
うなだれてまた首を振る。どう説明したらいいのか。何を言っても命が惜しいための脱出と言われても仕方がない。幼い従弟の死、『西の白』の復活、相次ぐテロ…。当時の彼には重すぎる出来事だった。シェレンスに言われるままに行動していた。混乱する宮廷を捨てたのは事実だ。
バローの声が冷たく響いた。
「明日の夜明けと同時に刑は執行予定です。シュペトレーゼ・シュルツは死ぬのです」
足から力が抜けた。膝に鈍い痛みが走る。床に崩れ落ちていた。シュペトレーゼはバローを見上げる。檻を掴む指が白い。格子にすがり、ようやく体を起こしていた。
バローは背を向けた。
のろのろと指を離した。その場に座りこむ。視界には灰色の床と自分の足しか入らない。今の自分が持っているのは、確かにこれだけだ。心だけではなく、体にも重い物がのしかかってきたようだ。丸まった背中に太陽が温かい。
シュペトレーゼは顔を上げた。高く、狭い窓を見上げる。格子もガラスも輝いていた。わずかな隙間なのに陽光が部屋に満ちるようだった。
「バロー。教えて下さい」
伯爵が振り返った。留置所の前に戻る。
「何かございますか」
「発電所のテロは本当にあったのですか?」
質問の意味を測り兼ねたのか、バローが無言になった。廊下の電燈が肩を照らす。
「無かったのならいいのです。停電や、怪我をした人がいなかったのなら」
少しさみしそうな、それでも穏やかな笑顔だった。
バローは俯いて息を吐く。
「…相変わらずですな…。お変わりない…」
それからまた顔を上げた。少しだけ声が柔らかくなる。
「明日お伝えしようと思っていたのですが、今申し上げる事にしました。よろしいですか、シュペトレーゼ・シュルツという人物は間違いなく明日に居なくなります。ですが」
傍らにいたヒューゴに手を振る。人払いだ。彼が廊下の向こうに消えてから口を開いた。
「お立ち下さい」
素直に立ち上がった青年と向かい合う。バローは眩しげに彼を見上げた。春の青空と同じ色の瞳だ。濁りはみじんもない。
「ルイーズ・カーラを正式に王太子とするのですか?」
「あれの存在をご存じでしたか」
「はい、ハンナに聞きました。幼い頃には、姉と湖畔で遊んだこともあります。僕らは双子だったのですね。少し前、僕は『青の墓場』に行きました。古い風習を確認しました。バロー、あなたはあの地方出身でしたか? 僕の姉を遺跡に押し込めたのはあなたですね?」
キルヒェガルテンから南寄りの地方には、双子を不吉とする因習がかつてはあった。『青の墓場』は、まさにその風習の名残だった。
「少し違います。私は先に生まれた女児を排するように命じました。もちろん取り上げた医師や乳母には口止めをしました」
つまり命を奪えという事だ。
「名前を付けたうえに勝手に育てていたのはハンナ・ティッシュバン及び数名の古参です。ハンナは口を割りませんでしたが、目星はついておりますよ。例えばあなたの北における名前だけの父親とか」
ハンナを始めとする数人がルイーズ・カーラの命を救った。西の遺跡に隠し、こっそりと養育していたのだ。王への敬意や嬰児への憐憫はもとより、ハンナはアーノルドの乳母でもあった。息子のような王の子供を殺すなどとできなかったのだろう。しかし外に出られては困る。それで内装は豪華な地下牢が造られたのだ。
「せめてどこか遠くへやるなりしてくれたら良かったのに、遺跡になど匿って…。困ったものです。娘婿の母で無かったら…」
言葉を切る。義理とはいえ縁者だったからハンナは追放だけで済んだのだ。シェフのシュルツも早々に北へ移動したので無事だった。だが他の者は誰で、どうなったのか。シュペトレーゼは暗澹たる気持ちになった。
「ルイーズ・カーラは王の娘であり、僕の姉ですよ?」
「だからといって生かしておくとは。リョードフ親子の来訪で、初めて生きていると知りました」
赤ん坊の泣き声、夜半に湖畔で遊ぶ影、一人分の食事。ハイケを始め、使用人が見聞きしていた幽霊の正体は彼女だ。匿われているのを知らない使用人の方が多い。遺跡に足を運ぶギデオンとアナスタシアを止めるはずもない。そしてハンナは、彼らにルイーズ・カーラの存在を隠しきれなかった。
「もしも男児であったのなら、問題なくハンス・ヨアヒムになっていただけたのに残念です。更に困った事には、今やあなたと彼女を入れ替えるのは困難でしょう」
彼女は行動の自由を得てしまった。黒衣の王太子として宮中にいる。その姿を何人もが目撃している。いまさらシュペトレーゼを本物として連れ帰っても明らかに体格が違う。しかもルーカの幼い写真とは明らかに別人だ。彼女の写真を公開した期間が長すぎたのだ。ディーター夫妻に期待していた男児は生まれなかった。
「そこで、あなたにはクロイツベルクにお戻りいただきます。王宮に」
「え?」
「死刑に処せられるのはあくまでシュペトレーゼ・シュルツです。あなたは何者でもなくなるのです」
頬を引き締める。
「全ては王家、そして連邦存続の為なのです」
マクシミリアンに子供はいない。王位の継承者は先代の弟ディーターかハンス・ヨアヒムだ。バローとしては、姪の夫であるディーターを推した。実際、彼が王位に付いている。しかし世論が割れる可能性もあった。それを避ける目的で、ハンス・ヨアヒムを使った。本来は十五歳で資格を得るが、先代の崩御により前倒しの十二歳で王太子とした。本人がいないのでお披露目ができない。そこでルイーズ・カーラの写真を使った。
テレジアが二男を授かれば王太子に据えれば良い。それまでの時間稼ぎだ。だが生まれたのは女子。それからディーターとテレジアの関係は険悪になってしまった。保安の為にと近影を公表しないでいたものの、男装したルイーズ・カーラの写真は既に西南州に広まってしまった。今さら男子のハンス・ヨアヒムの写真を出せない。明らかに別人だ。
「僕は名前を失うのでしょう? 何をさせようというのですか?」
「まずはテレジア陛下にお会い下さい。閨でお待ちです。本人も了解しております」
咄嗟には分からなかったが、シュペトレーゼはすぐに意味を理解した。義理の叔母との間に子を成して欲しいのだと。
「ば、馬鹿な。叔父上はご存じなのですか?」
「まだお話はしておりません。しかし血を継ぐ為です。ディーター陛下にとっては亡き兄上のお孫さまになります。ご理解いただけましょう」
目の前のバローがぐらりと揺れたようだった。また体から力が抜けていく。シュペトレーゼは漸くこらえた。冷たい檻に指をかける。二人を隔てる鉄格子だけが今は彼の体を支える。
「そんな事は許されません!」
「次代を作るのは王家に生まれたあなた様の義務です。もっともテレジア陛下も良い年ですからな。残念ながら授からない場合もありましょう。そちらの対策も考えてあります」
ハンス・ヨアヒムとなったルイーズ・カーラを結婚させる。もちろん相手は女性だ。そこで夜の相手をシュペトレーゼが務める。
「口の堅い女性を選ばなくてはなりませんな。目星はつけてあります。男児さえ生まれればルイーズ・カーラもその女もお役目終了です」
シュペトレーゼはふらふらと後に下がった。ベッドにぶつかる。そのまま腰を落とした。
「そんな…。それでは…ルイーズ・カーラは何の為に生まれたのですか…」
「やはり不吉な星の下に生まれたとしか言えないのでしょう。ロッホネス湖に沈むべきでした…テレジア陛下の姉のように」
「そんな…あなたは…人殺しだ…!」
うつろな瞳でバローを見つめる。冷徹さにすぐに目を逸らす。窓の光は斜めに傾いた。もはやシュペトレーゼには注がず、天井付近が血を思わせる赤に染まっている。バローは出身地の因習に従って姪の一人を手にかけたのだ。本来の『青の墓場』にある抜け道は、クロイツベルクにはない。
「最善を選んだまで。死した者がいるからこそ、彼らを礎として生き残った我らは責任を持って命を継ぐべきなのです」
「自分の血筋を王家に入れたいだけなのではないですか!」
「もちろんです」
バローは薄く笑った。
「生まれつき青い血をお持ちのあなたには自覚が薄いのかもしれませんな。代々続く家柄に自分も連なる。この栄光、素晴らしさが。例えばシェレンスは北の貧乏領主の出です。しかしなぜ影響力があるか? 公爵という高い爵位のおかげです。対して私は?」
南州は気候に恵まれている。海もあり、豊かな土地だ。内陸部のキルヒェガルテン近辺は貧しかったものの、水道を引く事で経済問題は解決した。そして潤沢な資金で王宮に勢力を広げた。
「しかし所詮は伯爵なのです」
高くもなく、低くもない位階だ。
「どんなに発言力があろうとも、中堅の貴族に過ぎないのだと陰口をたたかれるのです。しかし王の叔父となったら? 私の一族は名実ともに栄光を手に入れるのです。そのためには何でもいたしましょう」
「分かりません…。人の命よりも重いものが、そんな虚栄心などと…」
「何とでも。そうそう、もう一つお伝えしておきましょう」
バローの頬は少し紅潮していた。
「もしあなたがこの状況を全て受け入れるというのなら、和平を考えます」
はじかれたように顔を上げたシュペトレーゼに強く頷いてみせる。
「もともと同じ国なのです。北州にもできるだけ建設的な条件を出しましょう。あなたがこちらへ戻られたのなら、もはや争う理由などないのですから。良くお考えください」
シュペトレーゼは呻いた。足元から離れた陽光を見下ろす。そこだけは金色に輝く。彼はぐっと顔を上げた。
「伯爵。あなたが地縁と血縁をとても大事にするとは知っています。しかし他の者も同じだ、家族は愛しい。そして…そして…父上や叔父上…王家にとっては国土の全体が等しく大事…貴重な宝なのです! グリンクラフト人であれティーガの民であれ関係ありません」
公式の場に出なかっただけだ。王家の長男としての教育は受けていたのだ。そこに民の幸福や国を治める心得など帝王教育もあった。また彼の優しい心根はただ一人の欲望の為には動かされない。
「私が戻るのであれば、騒乱を終わらせる為です。あなたの血族を繋ぐ為ではない!」
対するバローは無表情だった。くるりと背を向ける。軍靴を響かせ、足早に廊下を去った。
もはやかける言葉は思いつかず、気力も無い。シュペトレーゼはぼんやりと床を眺めた。指先だけでなく、体中が冷え切っていた。
義理の叔母、あるいは姉の『妻』と男児をもうける。本当にそんな真似ができるのか。どう考えても、自分を納得させられる理屈は出てこない。
(ルプレヒト…。まだ僕を探してくれているだろうか…)
かすかな希望。しかしよしんば北へ戻ったとしても、内戦が長引くばかりだ。長い戦いのせいで国中が疲弊している。特に北州は深刻だ。住んでいたからこそ知っている。バローの言う通りシュペトレーゼに選べる道は他に無かった。
バローは上階に上がった。ヒューゴの執務室を抜けて廊下に出る。出入口近くの曲がった角にルーカが居た。腕を組み、壁に寄り掛かっている。ふんわりしたケーブと手袋は細い線を隠す為だ。室内でも決してベールを脱がない。口元は少し歪んでいた。
バローは歩みを止めない。通り過ぎる時だけじろりと黒い帽子を睨んだ。
「私の後をつけて来たのか?」
「ふざけるなよ。だましただろう。遅摘み酒を城に運んだって? いないじゃないか」
立ち去る背中にルーカが怒鳴った。
「誰のおかげであいつらが戻ったと思ってんだ? どこにいるのか教えろよ」
奪取した王太子をクロイツベルク城に送った、と聞かされていたのだ。すぐに戻ったものの、そんな話はどこにもない。バローの行き先を聞いて南州にとんぼ帰りだ。同じく『北の黒』の所在も隠されてしまった。
振り返ったバローは眉をひそめた。
「誰をお探しでしょうか、王太子殿下。あなたのご活躍は『あの人』もお喜びでございましょう」
どん。ルーカの拳が壁を叩いた。
「勘違いしてない? 僕は『あの人』なんかどうだっていいんだよ」
黒衣を翻す。バローを追い越した。
「発電所だってどれだけ被害があったんだ? 火も出ていない。つまんないなあ」
「遊びではないのです」
「遊びだよ。僕には全部が」
ルーカの口角がぐいっと上がった。
「見つけたらどうしてやろうか? 遅摘み酒…。生きてさえいればいいって言われてるんだ。ここか? どうして、わざわざ城から出た?」
「南下しているテロの現場の視察です。ここも被害の報道があったではありませんか。遅摘み酒の移動は極秘ルートです。軍が担っております。今頃は西州の中央部あたりでしょうか」
「ふざけやがって」
黒いベールが音を立てるほど翻った。白い光と同時に突風が吹き抜ける。ルーカは足早に去った。赤い西の空には夜の黒が混ざり始めていた。シュペトレーゼが地下牢に収容されたのは、ルーカから守る為でもあった。
グリュースゴット近郊の医療刑務所も夜を迎えた。マリアは収監中だ。部屋はいつも清潔に整えられ、栄養バランスの整った食事が供される。しかし重い鎖が自由を制限する。外の状況を知りたくても監視人は無駄口の一つも叩かない。
マリアは立ち上がった。じゃら、と重い音が鳴る。寝るためだけの部屋だ。歩き回るには充分な長さだった。花柄のカーテンを少しだけ開く。愛想のない鉄格子の向こうはもう暗闇だ。すりガラスが視界を隠す。空っぽのベッドを見て、ため息をついた。
(今日も何事もなく終わりか…)
どんどん。ドアがノックされた。
「はいはい」
マリアは足をひきずって部屋の中央まで戻る。テーブルの上の食器をトレイに乗せた。ドアの下部に細長い扉がある。そこへ乱暴にトレイを押しやった。
「味が濃すぎるんですけど! いつも喉がカラカラになるの。血圧が上がっちゃうわ」
向こうに居るはずの誰かに声をかけた。
がちゃん。小さな扉が閉まった。
「ちゃんと料理人に伝えなさいよ! 明日の朝には分かるんだから!」
返事はない。
マリアは腕を組む。いらいらと小刻みにつま先を動かした。カメラを睨んだ。二十四時間の監視体制だ。
ふと頭の隅に痺れが走った。赤くてとげとげして、すごくイライラさせられるような何かが近づいて来る。
(来たかしら?)
髪をかき上げ、またレンズを見上げる。風が窓を叩いた。ガラスが鳴る。胸のコインをぎゅっと握った。
(どうせ見られてるなら、堂々と見せてやろうじゃないの!)
クロゼットから洋服を取り出し、ベッドに置いた。スリッパから靴に履きかえる。上着を羽織ってバッグを傍らに引き寄せた。肩まで伸びた髪を一つに束ねた。
床が大きく揺れた。
「何よ」
足をとられてよろめく。ドアに耳をつけた。くぐもった叫び声が聞こえた。カーテンを開ける。赤い光が走った。
「やっぱりピドーね」
胸が高鳴る。ドアに駆け寄った。両方の拳で叩く。
「さっさと開けて! 開けなさいよ!」
建物が盛大にぐらぐらした。ベッドが床を走る。壁に固定された鎖に膝をついた。天井からぱらぱらと小さな破片が降る。
何度か赤いドームが出現しては消えた。その度に激しい炎が吹き抜けては揺れが襲う。壁が崩れた。
「こ、こ、この…」
クッションが落ちている。頭にかぶって体を丸めた。突風が室内に吹き込んだ。天井が吹っ飛び、頭上で星が瞬く。
やがて静かになった。
がれきにピドーが立っている。マリアを見ると、にっこり笑って片手を上げた。
「おう。迎えに来たぞ」
マリアは茫然と弟を見た。ぱらぱらと体からがれきが散る。満面の笑みを浮かべる弟とはずいぶん久しぶりに再会したような気分だ。粉塵で真っ白な全身を払う。頭を振り、顔をこすって跳ね起きる。服をはたき、鞄を引っ張り出しながら怒鳴った。
「ちょっと! ここまでやる? 愚弟! 屋根が無いじゃない! こら! 何を笑ってんのよ」
「久々の再会なのに少しは喜べよ」
「やり過ぎ!」
「そっかぁ?」
そもそも病院なのだ。マリアの為の警備は最小限でしかなかったようだ。職員は早々に逃げたらしい。もはやピドーにはむかう者はいなかった。医療刑務所は廃墟と化した。マリア以外の入所者は、おろおろとしているばかりだ。
「おーい! そこか」
声がする。粉塵の向こうから人影が現れた。ルプレヒト・ヴィプリンガーだ。黒い服は舞い散る埃で灰色だ。髪をはらうとぱらぱらと欠片が落ちる。
「君は…君は私やマリア嬢ごとつぶす気か!」
マリアは息を飲んだ。
「なぜここに? 無事だったんですね?」
「置き去りにして申し訳ありません。お迎えにあがりました。軍からこちらへピドー君が行くと情報を得て参りました」
ルプレヒトが屈んだ。マリアの体に降り積もった欠片を軽くはたく。
「大丈夫ですから」
その手をとどめて、マリアは弟に向き直った。
「助けに来たの? それとも潰しに来たの? 本当に七面鳥並みに大騒ぎね」
「え~と…天井とか、割れた物はなるべく外に飛ばしたつもりなんだけど…」
「つもりじゃダメでしょ!」
久しぶりに鼻っ柱の強いマリアだ。憎まれ口がむしろ嬉しい。ピドーは鼻をこすった。
「まあ元気そうで良かった。小虎は?」
「いないわ。さっさと移送されちゃった」
「…なに? マリアに看病させるんじゃなかったのか?」
ピドーはしゃがんだ。マリアの脚にクッションを当ててから鎖を弾き飛ばす。紅蓮の火に一瞬ひやっとしたが、熱は一瞬で消えた。やっと足が自由になった。
「は~軽い。私は犬じゃないっての」
マリアは足踏みをした。
「早く離れましょうよ。警察や消防が来るわ。話は後」
見物人が集まって来た。
サイレンが遠くで鳴っている。まもなく到着するだろう。
「くっそー、こん畜生! 早すぎ」
ピドーは近くの壁を殴った。いないと言われても、小虎の姿を探しているようだ。
マリアはもう敷地の外に出ていた。片手に抱えたバッグをピドーが持った。
「大丈夫よ」
「急ぐんだろうが。持たせておけよ」
一刻も早くこの場を離れなければならない。
「持たせてあげるわ」
マリアが言ったら決まりだ。
「よし!」
三人は身を屈めた。がれきを乗り越えて町へ出た。
「どこへ?」
「えーと、この辺」
大きな通りへ出た。サイレンが大きくなり、どんどん近づく。そんな中、まるで二人を待っていたかのようにトラックが滑るように停まった。運転席の窓が下がる。キースリングが顔を出した。
「あれ? 三人?」
「ああ。話は後で」
「分かった。急げ」
ルプレヒトは前の座席に飛び乗った。エフェレットきょうだいはトラックの後ろへ回る。保冷車と表示があった。早くハンドルを回した。バッグを投げ込む。
「ちょっと! ていねいに扱ってよ!」
「急ぐんだよ。さっさと乗れ」
「覚えてなさいよ!」
まだ腹の傷が痛むのか。颯爽とはいかず、少しもたつきながら荷台へ転がった。ピドーも同時に手をかけてさっと乗る。マリアの腕を引いてドアを閉めた。中は真っ暗になった。すぐに発車する。
「おっと」
ピドーはよろめいた。そのまま腰を下ろす。段ボールが幾つか積まれている。中身は空でフェイク用だ。もちろん冷却機能はオフだ。
「おかえり、マリア」
「…ただいま」
車体が跳ねる。ピドーの声が低くなった。
「大丈夫か?」
「何が? 全然へいきよ。とにかくやり過ぎでしょう。暗くなかったらそばに行って首根っこ掴んでるからね!」
「俺は猫じゃねえ!」
ひときわ大きくトラックが跳ねてから停車した。運転席との仕切りが開く。そちらから淡い光が漏れた。
外からドアが開く。懐中電灯がくるくる回った。二人は目を細める。見えた景色は黒い山並みだ。郊外まで来たらしい。ピドーが立ち上った。
ヨランデがさっと飛び乗った。細めにドアを開いたままだ。マリアを見るなり両手を胸の前で組んで飛び上がった。
「きゃー! お姉さんね! そっくり!」
音量は抑えているがテンションの高さは変わらない。私服だ。フリルのついたチェックのシャツに同系色のロングスカート。ガーリーな甘さのデザインだ。さすがに色は茶色が基本で地味な色合いだ。マリアはきょとんとしてから、ピドーを見た。
「なにコレ?」
「あ~…北州軍の少尉さんで」
「ヨランデ・シュタインよ。よろしくぅ」
敬礼されてマリアも返す。
「は、はあ…」
「話は聞いているわ。大変だったわね。傷は平気? トラックが揺れたでしょう? 酔わなかった?」
「大丈夫です」
「あまりここにもいられないのよね。ちゃっちゃと行きましょ。小虎君は?」
マリアは口をぐっと結んだ。よく知らない相手に情報を漏らすつもりは無さそうだ。あわててピドーが説明する。
「協力者なんだ。俺とジーノチカでランデスヴァルトへ行ったんだよ。そこで北州軍に掴まって」
「はぁ? いきなりそんな展開なの? 北州? どうして!」
「後で話すから! とにかくシュタイン少尉はちゃんと士官学校を出ているそうだから!」
「だから何よ? 意味分かんないけど!」
「急ぐんだってば。小虎はどうしたよ!」
静かに荷台の扉が開いた。キースリングが眉をひそめる。彼も軍服ではない。濃いグレイのシャツにジーンズという軽装だ。彼も荷台に上がった。薄くドアを開いたままだ。懐中電灯を床に置く。
「声が大きい。久しぶりで嬉しいのは分かるが、じゃれ合いはヒマな時に頼む」
きょうだいはきまり悪そうに口をつぐんだ。
もろに不審な目を向けるマリアに敬礼をする。
「自分はペーター・キースリング。北州軍少佐だ。君の事は聞き及んでいる。色々と経緯があってピドー君の護衛をしている。作戦の目的は小虎君の奪還だ。君たちを利用する形にはなっているが、決して不利益ではないと思うが?」
下からの光で全員の顔は深い陰影に彩られた。
「…分かりました」
「あー待って待って。座ってていいのよ。無理しない!」
マリアは立ち上がろうとした。だがヨランデがそっと肩を押さえる。
「…小虎はコネ少将によって連行されました」
ピドーを見る視線がどこか泣き笑いのようだ。
「嘘をついたのよ。あなた達が出てすぐに連れて行っちゃった。あいつジーノチカと一緒よ。全然、人の話を聞かない」
キースリングとヨランデが目配せした。ジーノチカの尋問に音を上げたのは彼だ。ピドーは眉をひそめた。
「で、どこに連れて行かれた? 姉貴、分かるんだろう?」
マリアは首を振った。
「だめ。近くじゃないと見えないし、だいたいアッチ…ってくらいしか…。グリュースゴットでは、ちょっとでも気配のある方へお父さんが運んでくれたのよ」
「う~ん…。でも姉貴はできるかも」
地図を床に広げた。
「小虎は地図っていう目印があったら、ピンポイントで見つけられるんだ。同じ力ならできる。やってみろよ」
「簡単に言わないでよ」
それでもマリアは地図を覗いた。首から下がったペンダントが揺れる。祈るように強く握った。ヨランデが目を見開く。
「あ…。もしかして、それでダウジングできないかしら? 私のお祖母ちゃんが得意だったの。むかしティーガ族に教わったって言ってたわ」
ピドーが目を丸くする。
「ティーガ族と知り合い?」
「あら? あら? グレンツェ辺りじゃティーガ族って珍しくなかったのよ? 帰還命令まではふつーに交流があったわ。とてもうまくやっていたのよ、今だって戻れるなら喜んで受け入れる。そういう関係性の土地なのよ?」
寒冷地域ならではの助け合う間柄でもあったのだ。ヨランデの表情は陰った。だがすぐに大きく目がきょろんと動く。
「ねえマリアちゃん。挑戦しちゃってみる? まずは外して、指にぶら下げて」
マリアの唇がへの字に固まった。顔はそっぽを向いたまま、目だけ動かしてヨランデをじっと見つめる。いきなり『ちゃん』呼ばわりされて警戒しているのだ。まるで露店で野菜を値踏みするような視線だ。だがヨランデは動じない。むしろまるで陽だまりのような笑顔を浮かべて何度も頷く。
「あら~ニャンコちゃんがシャーって言ってるみたい! かわいい~。さあ、見て」
懐中電灯の一つで地図を照らす。彼女にかかればマリアも子猫ちゃんだ。
マリアはやおらネックレスをはずした。指からチェーンをぶら下げる。コインが小さな円を描く。
「いきましょう。質問をするわね。マリアちゃん、あなたはピドーのお姉さんね?」
「そうですけど」
動物扱いされた。返事はまだ少し警戒の残る声だ。コインは右に回っている。
「そうね、そうね。分かっているわよ。それであなたは結婚しているのね?」
「していません」
今度は左。
ヨランデは大きく頷いた。
「分かっちゃったわ。マリアちゃん、あなたの場合は『はい』が右周り。『いいえ』なら左周り」
「ええ?」
「ここは家の中です」
ヨランデの言葉にコインは左に動いた。
「ほら! やっぱりマリアちゃん、才能があるわ。これがダウジングのやり方の一つよ。知らない? 自分の無意識が目的の物を見つけると勝手に動くの」
棒や振り子などが使われる。もとは地下の鉱脈や水脈を探す為の方法だ。
「さあ探しちゃってみて。小虎くんはどこかしら? コインが右に回るまでやってごらんなさいな」
地図の上をラッキーコインが揺れる。幾つかの地点で左に回った。
「…こっち…だと思うんだけど…」
さらに西へ動く。
コインが右に揺れた。場所は海辺の町アルニムだった。
「ここだわ」
「間違いないんだな?」
キースリングの問いにマリアは大きく頷いた。
「ええ。小虎の光がある…と思います」
少し寂しそうに続けた。
「元は金色を含んだような銀色なんです。今はすっかりくすんだ灰色…」
ピドーは拳を手の平に打ち付けた。
「よし! 迎えに行ってやろうぜ。そしたら次はシュペートだ」
キースリングが地図を見ている。
「アルニムか…。遠くないな。せいぜい一時間といったところだ。さっそく乗り込むか。今日の事件で警備がちょっと厳しいかもしれないが」
マリアが尋ねる。
「何があったの?」
ピドーが答えた。
「そのアルニムでテロだよ。発電所だったか。犯人として逮捕されたのがシュペトレーゼ・シュルツだとさ」
「はあ?」
マリアの目が鋭くなった。
「そんなの、あの人ができるはずがないわね」
「その辺なら、夕方になってからルーカも光った。いるかもしれない。相手は俺がする」
キースリングとヨランデが頷く。トラックはまもなく出発した。
ツヅク! 次回第十一話 騒乱 中 南州アルニム・ルートガー
ルーカとピドーのリターンマッチ。だが『部屋』の様相が…。冥界の力の真実が垣間見える。
お読みいただきありがとうございます。
お家騒動と内乱の状況が少しずつ進みつつ…
もともと内戦を終わらせたかったピドーだから、
これでいい…のか?
グレンツェは、ランデスヴァルトの出入り口です。
商取引もあっただろうし、さまざまな交流もあったでしょう。
ヨランデの曇った表情。友人を喪ったのかもしれません。。




