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冥界の太陽たち 冥界から四人の王子が復活する時、災いの蟲が来て世界は崩壊する。そしてゲームは始まっていた!  作者: あべ舞野


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冥界の太陽たち 第六話  上 南州ケッセン 復活の後始末

『東の赤』降臨の後始末

冥界の太陽たち 第六話

     海辺の神殿  ~南州(ズューデン)ケッセン



 ケッセンの朝はようやく動き始めたばかりだ。朝日で白く輝いていた。まだルーカの爆発が起きる前だ。

 ピドーと小虎は中央駅から離れたホテルにいる。閉め切ったカーテンの隙間から細い光の筋が床に落ちた。うずくまる小虎のフードを白く照らす。小虎はわずかに顔を上げた。目が細くなった。しゃがんだままもぞもぞと移動する。日差しが少し暑かったようだ。カーテンを直すよりも自分が移動する方を選んだようだ。

 カーテンを開ければまばゆい光が注ぐだろう。三階だから風通しも良いはずだ。だがずっと閉めきったままだ。小虎の存在を隠す為だ。もっとも彼はいつでもうずくまっている。

 ツインの部屋だ。ベッドが二つ並ぶ。窓際にエキストラベッドが置いてあった。小虎はその下に潜り込んだ。

「誰か窓を叩いていないか?」 

 ベッドの一つに横たわっていたピドーが体を起こした。髪が伸びている。ソフィアで負った頭の傷はすっかり隠れていた。しかし頬には幾つかの切り傷が赤く残り、袖をまくった腕には包帯がぐるぐる巻きだ。

 アディート郊外の爆発。その後は大急ぎで車に飛び乗った。だからケッセンには体一つでやって来た。着替えもない。ズボンは洗濯のしようがないほど血と泥にまみれ、シャツは裂けてしまった。一揃い買うしかない。ジーノチカは黙って必要以上の紙幣を渡してくれた。ありがたいものの、立場の差を感じる。結局は子供なのだ。ジーノチカは多少...かなり変人ではあるものの、常識も財布の中身もきちんとした大人だった。それがちょっといまいましい感じもする。

「ホントに参るよな、色々と」

 小虎からは返事が無い。

「う~ん、ここ三階なのにな...」

 小虎の頭越しにカーテンを開ける。その指もミイラのように包帯だらけだ。ガラスの破片で切れた傷だ。

 ランドマークであるケッセン駅の時計塔は建物に隠れて見えない。ここはケッセンのはずれだ。北州(ノルデン)との境界に作られた検問所に近い。

 ふう、とピドーは息を吐いた。ガラスの向こうに男の顔がある。肌は青黒い。さかさまだ。髪が逆立っている。虚ろな眼つきで室内を覗く。顔の半分はつぶれていた。ピドーの体が赤いもやに包まれる。そして。

 窓の外でオレンジの光が揺らめいた。一瞬で消える。同時に男もいなくなった。

「...ピドー......」

 小虎が這いだした。細いながらも強い調子の声だ。座ったまま、じろりとピドーを睨む。彼もまた包帯だらけだった。額には絆創膏からはみ出した傷が走っている。しかし、ぼさぼさだった髪はきちんと後ろで束ねられていた。

 彼の服は、なぜかジーノチカのセレクトだ。

『僕が自ら選んだ衣装である。厚意だ、有難く思わずともよい。だが思うだろう。それを否定しないぞ! さあ礼をするのを許す』

 とか言っていたようだ。

 それは淡いピンクとブルーのグラデーションが春らしいデザインだ。サイズが合っていない。小虎にはワンピースである。袖口からわき腹まで見えてしまう。中の黒いTシャツは、さすがに体にぴったりだった。だがせっかくの新品も既にほこりだらけだ。床にいるのが落ち着くのだろうが、殆ど人間モップである。掃除係をさぞや喜ばせるだろう。

「いや、だって。お前はいいよ、死んでいる人は視(み)えないんだろう? ほら例えば」

 ピドーは部屋の一角を示した。古い形のマントルピースだ。時計と造花が飾られている。彼にとっての問題は、それをひっきりなしに撫でている女性が居る事だ。

「この部屋に泊っているのは男三人だろう? だから亡霊だって分かるし、さほど何とゆーか、崩れてないっていうか」

 首から胸にかけてドレスが真赤だ。しかし顔も体も生きている人間と違いは全くない。ただし死んだ状態のままである。ピドーはたびたび驚く。そしてつい顔を見て、爆発させてしまう。

「だからまだいいんだけど、さっきみたいにいきなり出られると」

 彼女が顔を上げた。目が合ってしまう。視線だけは生きている人間とは全く違うのだ。落ちくぼんだほら穴がピドーをとらえる。途端に彼女も火花となって消えた。

「......」

 小虎は無言だ。殆ど動かない表情の中にも、少し呆れた様子を見せる。ピドーは目が合う死霊を全て爆破してしまっているのだ。被害が出ないのは、小虎が素早く自分の力をぶつけて破壊力を相殺しているおかげだ。力の発動はプラスマイナスゼロとなり、ルーカに居所を判明させにくくしている。だがこれだけ爆発を繰り返せば、いずれは居所がばれるだろう。まだ遠い位置にいるが、どんどん近づくのを感じる。

 そしてくぐもった爆発音は、何度も部屋の外に聞こえているはずだ。廊下の端に監視役の軍人がいる。音が響く度に覗きに顔を出す。何度も身体検査をされたが、もちろん危険物はない。一晩経ったら顔を出さなくなった。暇を持て余して暴れているとでも思われているようだ。

「ご、ごめん。でも」

 彼女は同じ場所に現れた。また時計を撫でる。

「見ない」

 小虎に忠告されるそばから赤い光が湧いた。彼女だけでももう十回以上は爆破している。

「分かってるよ! ...でもどうしていなくならないんだろう?」

 霊はいわばエネルギーの塊でもある。ピドーは彼らを発火点として爆発を起こす。

「何だかさー...。自分の中にぽっかり穴が開いたっていうか、通路みたいなのがどっかに向って開いててさ」

 黒い洞窟を通り、爆発のエネルギーが沸き起こる。それをコントロールできない。

「穴?」

「うん」

 小虎は少し考えた。

「座る」

 ベッドの向こうから指を指す。示すのは自分の前の床だ。

「目、つぶる」

 彼の指示に従いながらもピドーはぶつぶつ言った。

「...全く、この偉そうな態度! ジーノチカはよく分かってるよ...お前って、もしかして三十年くらい生きてるんじゃないか?」

「黙る。見ろ」

 言葉はたどたどしくて短い。しかもつっかえる。だが彼はかよわくて弱々しい子供ではなかった。きちんと向き合えば落ち着きがある。一人で何年もの間逃亡していただけの強さを持っているのだろう。

「はあ? 目をつぶって何が見えるんだよ?」

「穴、光」

「へいへい」

 目を閉じ、自分の中の黒い穴を見つめる。頭の中のスクリーンに、すっかりおなじみになった冥界へのほら穴があった。

「後ろ、見る」

「へ?」

「...光...」

 小虎は考え込む。乏しい語彙で何とか表現しようとしているようだ。

「穴へ...穴から...下がる。光と、離れる」

「ああ~? なんか...まるで心の中にもう一つ『部屋』があるみたいだな」

「うん。それ。出る」

 やはり長い文章を組み立てるのは苦手のようだ。ピドーの方からどういう意味なのか確認しながら話を進める。そんな話し方にもだんだん慣れてきた。

 言われた通り、心の中の穴に意識を集中する。

「下がるんだな...下がる...。『部屋』から出ろって事かよ。う、うん...あっ!」

 赤い光から離れた。そこで初めて光を浴びていたのだと分かった。まさに『部屋』を移動した感じだ。ほら穴は少し離れた場所でぼうっと光を放っている。

 瞼を上げると世界がまた変わっていた。ピドーは歓声を上げる。視界の全てを覆っていた赤い光がなくなった。光景はいつも通りだ。

「おお! やったぁ!」

「見えない?」

「ううん。視えるんだけど」

 暖炉の前を見た。しかし爆破は起きなかった。

「ちゃんと亡霊に見えるようになった! 目が合わない、爆発しないぞ」

 亡霊は焦点がぶれている。調整の狂ったテレビのように風景との境界がはっきりしていない。また一部だけが伸びたり、歪んだりしている。さらに目が合ってもいきなり点火スイッチが入らない。亡霊が見えてしまうのは仕方がないようだ。光景が通常の色彩に戻っただけでもありがたい。

「ありがとな」

 振り返ると、小虎は既にベッドの下に戻っていた。

 ピドーは立ち上がり、ズボンの尻をはたいた。小虎のいるベッドに座り、壁に寄りかかる。

「お前はこういうやり方、誰に聞いたんだ?」

 返事はない。いつもだ。彼はなかなか口を開かない。

「...お前は死霊が視えないだな」

 同じ言葉をまたピドーは呟いた。自然とため息が漏れた。

(お前の傍に、いつも亡霊がいるよ)

 『東の赤』のせいで、常に小虎に寄り添っている死霊が見えるようになった。黒焦げの体だ。顔とおぼしき部分に穿たれた穴はただ黒いだけ。頭に毛はない。顔の皮膚も体と同じく焼け落ちてしまって炭と化し、むき出しの歯さえ煤けていた。男女どころか年齢さえも分からなかった。すさまじい最期を迎えたはずだ。

 それにも関わらず恐怖を感じない。あちらからすっと顔を背けていた。ピドーを認識しているようだ。だから起爆剤にはならなかった。

(他の亡霊とは違うんだよな。言った方がいいのかな...)

 細い声がする。

「話? できる?」

 突然話しかけられて、ピドーははっと身を起こした。ベッドの下をのぞきこむ。炭化した傍の亡霊も、今はおぼろげな姿に見える。

「今? お前と? いいよ。あ~、亡霊と話できるかって?」

「うん」

「できないよ。色々と聞いてみたい時もあるけどな。そうだ、そろそろ名前くらい教えろよ」

 また会話は途切れた。時計の音が響く。

「あー! 体が腐る!」

 ピドーはベッドから飛び下りた。ぶんぶんと両腕を回す。血が下がってジンジンしびれる。傷が開きそうな勢いだ。

「ジーノチカは病院だよな。昼には戻るかな?」

 二人とも大きな怪我ではなかったのですぐ退院だった。まだ療養中という事でホテルに滞在しているが、これからの予定は立っていない。いつ、どんな形で拘束されるかは不明だ。

「何とかしないと! ...マリアを置いて行くのは気が引けるんだけどな...」

 ピドーはまた狭い隙間をのぞく。

「人が死ぬのって、今一つ実感が無かったんだ。でもマリアのあんな姿を見ちゃうと...」

 がっくり首を落とす。幼かった彼は、母の死を覚えてはいない。命を落とした場所で埋葬されたと聞いている。

 また、首だけになったレイナーは、充分に畏怖を感じさせる。けれども幻影でもあった。現実として眼前に現れてはいない。現実の遺体もだ。ピドーの入院中に犠牲者の葬儀は終わっていた。彼は捜索さえできなかった。

 マリアの倒れ伏した姿は、まさに人の死を実感させるものだった。真赤に染まった白目から、左右に違う方向を睨んだ瞳がのぞく。指は虚空を掴もうと折れ曲がっていた。生前によく動く部位ほど、動きを失った時に違う表情を見せる。

「前にシュペートが言ってたんだ。知っている人が死ぬのは嫌だって」

 誰でも同じ、とピドーは答えた。けれども本当には理解していなかったのだ。

 内戦は落ち着いている。けれども争いが終わらない限り、誰かの大切な存在が失われてしまう。死とは、突然やって来る凶暴で醜いものだった。

「何が太陽の復活だよ!」

 ピドーは拳を掌に叩きつけた。

「誰かを犠牲にしてまで得る力ってなんだよ! 俺は...力さえ手にすれば内戦は終わると思っていた」

 劣勢に立たされている北州(ノルデン)軍だ。望んで得た力ではなくとも、戦力となると思った。次に更なる生贄を生み出すまいと、南州(ズューデン)の神殿を破壊しようと考えた。しかし姉の傷ついた姿がピドーに現実を見せた。身近な死がどういうものかを、肉親を失う恐怖を。

「小虎、ありがとうな。お前が一緒にいてくれて良かった」

 邪気のない笑顔だ。しかし視線はからまない。小虎はさらに奥へ引っ込んでしまった。

「おーい照れるな。本当に感謝しているんだ、俺は。もちろんマリアも」

 どん、と拳でベッドを叩く。下からうう、と唸り声が聞こえたようだった。

 ピドーは目を伏せた。痛みと共に記憶はまだ鮮明だ。浮かんでは消え、心にも疼痛が走る。



 爆発のあった日。アディート郊外。ホテルを衝撃波が襲う。建物全体が赤いドームに包まれて大きく揺れた。最上階の角が崩れる。

 そこへ火花が走った。飛び散った破片が宙に舞う。光に反射して煌めきながら降り注いだ。

 最初の衝撃が大きかったわりには、爆風は静かだ。小虎が爆風を喰いとめたからだ。建物は一角が崩れただけで済んだ。

 しかし小さな爆発が何度か起きた。ホテル前の電話ボックスにがれきが襲い掛かる。ガラスは吹き飛び、落ちた屋根にマリア・エフェレットが埋もれる。歪んだ支柱が腹部を貫いた。

 すぐに瓦礫がどけられたが、彼女の呼吸は止まっていた。

 医師であるジーノチカ・L・ヒンメルが死亡を確認した。

 茫然と座りこむピドーの周囲に、破裂して消滅したはずの亡霊が再び群れ集う。爆発は何度か続いた。最初ほどの規模ではない。しかし逃げまどう人々を尻目にホテルの一部が崩壊した。

 この時、ピドーには死霊と人間の区別がついていなかった。『東の赤』が復活したことで『部屋』に入ってしまったのだ。死者はしっかりした輪郭で見えた。

 ジーノチカがそっとマリアの瞼を下ろす。曲がった足を揃え、両手を胸で組ませる。真っ赤に染まったラッキーコインを指で拭ってやり、チェーンをまっすぐに伸ばした。それからハンカチを顔にかけた。

 ピドーの肩に細い指がのしかかった。小虎だ。ピドーの頭と肩に手を置き、もたれかかっている。ぽた、と落ちかかってきたのは額から落ちた汗だった。フードがずれている。髪も顔もむき出しだ。夕方の光を浴びて赤く輝く。ティーガ族がいても誰も気に止めていない。それほど現場は混乱していた。

 彼は呻いた。

「...まだ」

 顔が紅潮している。激しく肩が上下していた。

 ジーノチカが首を振った。

「気持ちは分かるが医学的に」

「ない。掴んだ。戻せる」

「どういう意味なのだ?」

 小虎は首を振った。上手く説明できない。彼にしては珍しく露骨に眉を寄せた。苛ついた表情だ。

「魂...持ってる...まだ」

 ジーノチカは唇を噛む。もう一度しゃがみこんだ。またマリアの生命兆候を確認している。

 肩と頭にのしかかられたピドーは、重さよりも不安と恐怖で動けない。

「...どういう事だよ...」

 指が肩に食い込む。小虎の体重はあまりに軽かった。身長は五歳のカイより高いのに、ずっと頼りなげだ。それが痛々しい。

 辺りを見渡す。血を滴らせて走り回っている人々が生きているのか、死んでいるのか。叫びや悲鳴が続いている。ガスの臭いも漂い、小さな爆発や崩壊の音は止んでいない。亡霊が弾けた。幾つも火花が飛び散る。

 小虎が呻いた。

「...ピドー...やめろ...」

「...俺は何も...あ」

 見知らぬ男がマリアの傍にしゃがんでいる。額がくっつきそうなほど近づいて顔を覗きこんでいた。髪が顔半分を隠している。右肩から腰のあたりまで体がない。

「おい! 何をすんだ」

 声をかけたピドーは息を呑んだ。髪からのぞいた顔は半分しかなかった。

(こいつ...。い、生きているはずがない...)

 男の唇が動く。声にはならない。ピドーと視線が絡む。脳裏にある洞窟から赤い光が沸き起こる。

 爆発。

 男が弾けていなくなった。

「...やめろ...止める、むり」

 小虎は苦しげだ。

「何? 何だよ? どういう事なんだ!」

「ピドー『東の赤』」

「...俺のせいなのか?」

「そう」

 赤い幻影が蘇る。冥界の太陽が確かにピドーの内部に侵入した。ついに東の赤が復活したのだ。冥界の力を手に入れた。だが使い方が分からない。なぜ爆発が続くのか。

「えっ、やっぱり。俺、死人が視えるらしい...。目が合うと爆発するんだ...」

「するな」

「どうすりゃいいんだよ!」

「やめろ」

「だからどうすりゃいいんだって!」

 具体的な指示は何もない。不毛な言い合いにピドーもイライラする。

「お前、爪が痛いんだよ! どけ!」

「マリア重い。持ってる」

「え...持つ?...」

 姉は目の前で横たわっている。

「じゃあコレは誰だよ? 本物のマリアはどこにいるんだ?」

「それ、体。魂こっち」

「はあ?」

「マリアは? いる?」

 頭上の声が震える。相当イライラしているようだ。

 ピドーははっとした。小虎の腕が乗っているが、強引に首を回した。辺りを見渡す。また小爆発が起きる。ち、と頭の上で舌打ちが聞こえた。無視だ。マリアは横たわっているだけだ。

(そうか...マリアは死んでいない! だから俺には視えないんだ!)

 ピドーはまた首を曲げた。息の荒い小虎を見上げる。

「お前は生きている人の魂なら掴めるって言ったよな? マリアはお前が持っているんだな? だから、息をしてなくてもまだ死んでいないって言うんだな?」

「そう」

「何で今、戻さないんだよ?」

「むり。けが。また出る」

「出て行って、お前が掴めなかったらどうなる?」

「飛ぶ。死ぬ」

「お前が掴んでいるから、生きていられるってわけか」

 つまりは損傷が酷すぎて、肉体が魂を宿していられないのだ。ピドーはようやく理解した。

「よし!」

 跳ねあがった。あおりをくらって小虎が倒れた。

 ジーノチカに叫ぶ。医者として、もう次の怪我人の手当てをしていた。

「車を出してくれ! マリアを病院に連れてってくれ!」

「ダメだ。生きている人が先だ!」

「マリアは死んでいない! こいつは」 

 と、ひっくり返った小虎を引き起こした。あわててフードを直している。

「神官の家の子だ! ジーノチカだって信じているんだろう? マリアの魂を掴んでいるんだと。だから怪我を治せば息を吹き返す」

「だが...」

 ジーノチカが口ごもっている。始めて会って以来の無口さかもしれない。改めて鼻と口へ手を持って行く。首を振ったのは、やはり呼吸が全く感じられないからだ。

「いいか、傷から血が流れないのは、もう心臓が血を送れなくなって」

 小虎が顔だけ上げた。突き刺すような眼つきが医者の顔を睨みあげる。

「早く」

「...助かると言うのか?」

「うん」

 ピドーは小虎を離した。ジーノチカを姉の前から押しのける。

「あんたは医者だ。手当すれば助かるって言うのを放置するのか? 車を出せ! 出さないなら俺が行く」

 ピドーはやにわにマリアに手をかけた。体はまだ温かい。肌がやや灰色がかってきたがピンク色を保っている。ただひどく重い。力の全く抜けた肢体をおんぶしようとするが、血に濡れた肌が滑り、なかなか背中に回らない。

「マリア、掴まれよ! こん畜生、絶対連れて行く!」

 返事をするはずもない姉に呼びかける。ピドーの袖は裂けていた。何度目かの爆発のせいらしい。服の汚れはきょうだいのどちらの血なのか、もう分からない。またマリアは弟の背から滑り落ちた。壊れた人形のように地に崩れる。

「マリア! 起きろ! 愚弟って呼べよ!」

 ピドーが両手で肩を揺する。

 ジーノチカが後ろからピドーの頭を軽く叩いた。またマリアのバイタルチェックをする。わずかに眉が寄った。小さく首を傾げる。迷っているようだが、やがて大きくうなずいた。

「確かに妙だ。ピドー、分かった。了解だ。小虎を信じよう」

 マリアを抱き上げる。ホテルから持ち出されたシーツでしっかりと包む。

 ジーノチカの車はホテルの前だ。爆風でフロントガラスがクモの巣状にひびが入っている。土埃をかぶって真っ白だ。しかしエンジンはかかる。後部座席にマリアを座らせシートベルトで固定した。

 小虎が手足をもぞもぞと動かした。背中を丸めている。何とか立ち上がろうとしたようだ。しかし膝をついたままだ。脂汗を滴らせている。

「ほらよ!」

 ピドーに抱えられた。

「しっかりしろ! 頼りにしてるぞ」

 放り込まれるように彼女の隣に押し込まれる。小虎の服も血で染まっていた。額を拭うと、顔に赤い筋が流れた。出血している。何度目かの爆発でがれきにぶつかったようだ。小虎は目を閉じる。肩で息をしていた。瀕死の生き霊を掴むのは相当厳しい状態らしい。ピドーがそのまた隣に飛び乗った。改めて前を見てぎょっとする。

「ジーノチカ、これ...マジで行く?」

 フロントガラスからの視界が殆どない。ヒビとほこりと立ちはだかる亡霊のせいだ。

 車の外からジーノチカが叫んだ。

「当然だ。行けと言ったのは君だ、ピドー! そして僕は行くと決めたのだ。大丈夫! 僕を誰だと思っているのだ! 行くと言ったら行く!」 

 運転席に体を滑り込ませた。ドアを開けたままだ。片手で抑えて、片手でハンドルを握る。体を傾け、首を外に出して運転するつもりのようだ。

「ジーノチカ、危な...」

「僕は危険な香りが似合う男なのだ。行くぞ!」

 マフラーが唸った。

「この辺りに大きな病院はないそうだ。この怪我だ。ケッセンに行った方がいい」

「頼む!」

 一度大きく跳ねてから発進した。ホテルの周辺にはサイレンが鳴り響く。ジーノチカの車とすれ違う車両には消防車や救急車もあった。

 煤で汚れた窓から視線を感じる。動いているにも関わらず、ガラスを叩く手があった。小さな手だ。それがどんどん増えていく。音は聞こえない。見るまいとしても、車体の全てを無数の掌が叩く。いつの間にか助手席に誰かが座っていた。長い髪だ。ピドーはうろたえた。

「...ジーノチカ...」

「何だ! 僕は今、とても忙しい!」

 ドアを半開きにして、半ば乗り出すように運転している。対向車からひと際クラクションが高く鳴った。車体が大きく蛇行する。助手席の人数が増えた。ピドーから見るとハンドルを握っている腕は五、六本あった。それぞれが勝手に動く。まっすぐに走れるはずがない。ジーノチカは気が付いていないようだ。

「おい! 人が...」

 前の座席に乗り出す。助手席にいた数人が一斉に振り返った。幼い者から老人までいる。彼らは一様に虚ろな瞳だった。一気に『部屋』に引きずり込まれる。

(や、やば...)

 完全に目が合ってしまった。

 ドン。

 車内に閃光が走る。爆風がフロントガラスを吹き飛ばした。車両が道を外れる。電信柱に前部をぶつけて止まった。クラクションが長く尾を引く。

「何だ何だ! 大丈夫か? 僕の愛車にも爆発物か?」

 ジーノチカが振り返る。頬に赤い筋が走っているものの、大きな怪我はなさそうだ。あまりスピードは出ていなかったのが幸いしたらしい。シートベルトのおかげもあって彼は無事だった。爆風が外に向ったおかげで、多少ガラスを浴びた程度で済んだ。頭を振ると、ガラスの破片がきらめきながら飛び散った。

 乗り出していたピドーの肩にもベルトがあった。後部座席に叩きつけられた。首と腰に鈍い痛みが走った。車内はガラスまみれだ。すぐに両手は血に染まる。

 小虎がもがく。ピドーとマリアに挟まれたらしい。彼の髪が赤茶けている。滴る血で顔の半分は真っ赤だ。肩に刺さっているガラスを自分で抜いて投げ捨てた。袖がみるみる赤く染まる。何とかマリアの下から這いだし、車外へ出た。この間もしっかりと唇を結び、うめき声一つ立てない。

 ジーノチカはフロントのカラスを肘で割った。ヒビだらけだ。砕けて落ちた。

「よし、ドアが取れた! 視界も良くなったではないか」

 あらためてキーを捻る。しかしエンジンはかからない。彼は素早く車を降りると、マリアのベルトを外した。

「ピドー、手伝えるか? ケッセンはすぐそこだ。歩くぞ」

「うん」

 よたよたしながらも車は頑張ってくれたのだ。町明かりは近い。振り返ると、やけに明るい処がある。そこだけ夜明けのようだ。おそらくはホテルが燃えている。ピドーは目をこすった。血が流れ込んでしまった。風景がかすんでいる。

 マリアをジーノチカの背に移す。肌の色は更に灰色を含んだ青に変化しつつあった。けれども手足はだらりと垂れる。通常なら死後二十分ほどで死斑が出始める。血液が体内を流れず、低い場所に集まって動かなくなるからだ。それが肌を通して青黒くなるのだ。マリアの肌は色を失っているだけだ。

「うむ。なるほど」

 ジーノチカは頷いた。

「そろそろ一時間になるかもしれんが、死斑もまだだし硬直が始まらない。確かに普通ではない。二人とも行くぞ。小虎、大丈夫か?」

 しかし、小虎は車を降りたきりだ。うずくまり、激しく背中を上下させている。

「歩けないのか。ピドー、目に血が入ったな。こすらない!」

「う、うん」

「歩けるか? 小虎を運んでやれるか?」

「大丈夫。わかってるよ! えーと...。ほら、小虎! 掴まれ」

 亡霊と生きている人間の区別がつかない。うじゃうじゃ蠢く人影から、うずくまっている小虎を探す。目に血が流れ込んだのが幸いしていた。死霊と視線が合わない為に爆破が収まっていたのだ。突然ピドーの背中にずしっと重みがかかる。肩から見えるのは細長い指だ。大人のサイズだ。しかもぼやけている。小虎ではない。

「誰だ、てめえ! どさくさに紛れて乗ってんじゃねえ!」

 亡霊の重さにつぶれそうになった。ピドーは背中を伸ばす。重量が去って行った。

「小虎! いい加減に諦めておぶされ! 背中を選んでる場合じゃないぞ」

「うう」

 何を躊躇していたのか、ピドーに分かるはずもない。けれども自力で歩けないのは事実だ。とうとう小虎は自分からピドーの肩に手をかけ、体を預けた。一瞬ピドーはよろめいた。彼も怪我をしているのだ。力のかかった腕から血が滴る。前を行くジーノチカの足元も少しこころもとない。大人でも力の抜けた体を運ぶのはかなり大変だ。しかも彼は筋骨隆々のタイプではない。

「姉貴にダイエットさせなくちゃ、だな...」

 道路には緊急車両が行ったり来たり。北州(ノルデン)の爆発ではある。しかし南州(ズューデン)からも支援の車が出ているようだ。それでも町の境界は内戦中なのだと周囲に知らせるようになっていた。町を分断して、鉄条網の柵が張られている。延々と左右に伸びて、暗い町外れまで続いているようだ。門の横に兵士が立っている。

「御苦労!」

「ちょっと待て! 何だ、その髪は!」

 彼らの前を堂々と過ぎようとしたが、当然止められる。ジーノチカは若い兵士をじろじろ眺めた。

「こら! この状況を何と心得ておるのか。すぐそこのホテルで爆発があったのだ! 怪我人が多数出ているのを知らないのか!」

「もちろん知っている。でも南北は内戦中だというのを知らないのか?」

「知らんわ。お前は誰だ? 名を名乗れ」

「やれやれ」

 彼は肩をすくめた。

「フランツ・マイヤー。南州(ズューデン)軍の少尉だ。分かったらそっちも名乗れ。身分証は?」

 ピドーはこそこそとジーノチカの背後に回った。体一つで出て来たのだ。マリアにしろ、小虎は尚更だ。身分を証明するものなど何もない。そもそも北州(ノルデン)の住人だ。ジーノチカはズボンの尻ポケットから紙片を引っ張り出した。

「ほら! 免許証だ。僕は西州(ヴェステン)在住の医者なのだ。怪我人を搬送中だ。目がついているのに見て分からんか。分からんから聞いているのだな。聞いて分かるなら教えてやってもいいぞ! 内戦中だろうが何だろうが、僕が僕の住んでいる方へ戻るのに、無理やり引きとめられる理由などあるのか? あるなら言うが良い」

 指が血だらけだ。ジーノチカが出した免許証も赤く染まっていた。フランツは眉をひそめて覗きこむ。

「ん? ヒンメル?」

 本物の免許証を示したようだ。写真もごていねいに白髪だ。フランツはまた唸った。

「髪は...染めているな? ヒンメルさん」

「そうだ。染めている。僕はヒンメルだ。ジーノチカ・L・ヒンメルは僕だ。君ではない! 僕は医者だ。優れた占い師でもあるが、人の心身を救うという点では明らかに医者だ。君も診て欲しいなら見てやってもいい。しかし後だ、後!」

「ヒンメルねえ...」

 フランツは首を捻った。ぐったりしたマリアを見る。

 さらにジーノチカの後ろに隠れるように立っているピドーと小虎を眺めた。夜目にもはっきりわかるほど二人は血まみれだ。半分ほどは赤く染まってしまったが小虎の髪は銀に煌めく。フランツは息を呑んだ。

「そいつ、まさかティーガ族...?」

 ジーノチカを押しのける。小虎の髪を掴み、顔を上げさせた。様々な色をちりばめたホワイトオパールの瞳が一瞬だけ覗く。すぐにだるそうに瞼を下ろした。フランツはジーノチカに言った。

「あんたは通っていいだろう。でもこの子は置いて行ってもらう」

「ふざけんな」

 ピドーが数歩下がった。逃げようとしたよりも、よろめいた感じだ。懸命に足を踏ん張る。

「怪我をしているんだ。まず手当させろよ」

「するとも。ただこちらに任せて欲しいだけだ」

「ダメだって! 一緒じゃなくちゃダメなんだよ!」

 ピドーは首を振って叫んだ。

「こいつは...こいつは俺の弟なんだ」

「え? だって、君はティーガ族じゃないだろう」

「違うよ、それがどうした? でも同じ物を喰って、寝て、起きて、喋って、一緒に暮らしてるんだ。それが家族じゃないのか? 民族なんて関係あるか」

 顎でマリアを示す。

「あっちが姉ちゃんだ。怪我をして死にかけている。こいつも怪我してる。どっちも俺のきょうだいなんだ。手当すれば助かるんだ。俺は家族を失いたくない、もう誰もだ!」

「お前の親は?」

「母ちゃんは死んだ、殺されたんだ! きょうだいまで俺から奪おうってのか? 冗談じゃない。こいつら、絶対に一緒に連れて行くからな!」

 ピドーの服は滴るほど血が滲み、白目は真赤だった。やたらに目をぱちぱちさせている。相変わらず視界がかすんでいた。ただの充血ではないのはフランツにも分かる。既に死体にしか見えないマリア、息も絶え絶えの小虎。三人とも出血がひどい。処置は早急に必要だった。

「しかし...手配書が...」

 西南軍からティーガ族探索の指示書が出ている。しかし逮捕命令ではない。あくまで出頭を求める内容だ。兵士が駆けて来た。紙をひらひらさせている。

「統括から連絡が来ました!」

 目を通したフランツは唇を噛んだ。

「うーん...。知らないぞ、俺は...」

 一度は手にした紙を、丸めるようにして戻す。

「行け。怪我人は無条件で通すようにと命令だ」

 小虎が囁いた。

「もう...そろそろ...ダメ...」

 再び歩き始めた一行に、フランツが声をかけた。

「病院の当てはあるのか? 乗れ」

 彼は親指を立てた。

 道端に軍用車が停まっている。幌がかかっていない。座席がオープンのタイプだ。彼は素早く周囲の兵に指示を出していた。

「怪我人を通してもいいが、氏名と住所、それから収容先の病院を控えておけよ」

 ピドーはためらっている。

「まさかこのまま、どこかの収容所へ直行じゃ...」

「あのな! まずは手当しなくちゃならないだろう。約束するよ。拘束するにしてもまず治療だ」

 この申し出は親切だけではない。このまま通して消息不明になるよりも、軍の監視下に置きたいためだ。フランツは半ば強引に小虎を抱きとり、後部座席に乗せた。ピドーがあわてて隣に飛び乗る。ジーノチカがマリアをピドーの膝に乗せた。

「うわわ」

 床に落ちそうになるのを、あわてて抱きとめる。

「やっぱりダイエットだな」

 反応が無いのを幸い、べんべんと頬を叩いた。

 小虎が頭を抱えていた。マリアの体に額をくっつけたまま動かない。全身に脂汗が浮いている。

「...早く」

「分かったよ、チビさん」

 フランツが運転席に飛び乗った。

「聖セルファースが一番近いし、設備が整っているな。一人ついて来い」

 じゃあ、と残る兵士に敬礼をする。エンジンが回った。

 病院は十分ほどだった。アディートからの怪我人はまだ搬送されていない。軍施設ではなく、フランツはちゃんと普通の病院へ連れて来てくれたのだ。ただし、ピドー達の氏名を控えるのは忘れていなかった。監視の軍人も残した。

 マリアは早々にストレッチャーで運ばれた。ジーノチカが付いて行った。ロビーで待つピドーに彼の怒鳴り声がかすかに聞こえる。

 ...死んだように見えるだけだ、手当てを...

 ロビーのソファに、崩れるように腰を下ろした。目が痛い。片手でぎゅっと抑えた。看護婦が来て何かを言っているが、殆ど耳に入らなかった。ジーノチカが何と言おうと、マリアが呼吸も心拍もないのは事実だ。魂を体に返せるまでに手当をしてもらえるのだろうか。

「...が良いのね」

 笑いを含む声がした。女性だ。はっと顔を上げると、看護師が覗きこんでいる。茶色くて丸い瞳だ。手に脱脂綿やタオルを抱えている。彼女は微笑みながらまた言った。

「仲良しなのね」

「え?」

 そこで初めてピドーは気がついた。床にうずくまった小虎の手を握りしめていたのだ。やはり不安だったのか。無意識だった。まだ身震いが止まらない。いつもは硬く細い小虎の指が温かい。二人の体温が手の平で溶け合い、お互いに温めあっていた。

「目を洗いましょうね」

 看護婦はピドーの顎に手を添えた。白くて冷たく指だった。軽く上を向かせて目の縁にガーグルベースをあてがった。まずは洗うための生理食塩水を注ぐ。

「つめてっ」

「良い子ねー、我慢してねー」

 両目に塗れたガーゼを乗せられた。そしていきなり腕の傷に消毒液が吹きつけられる。

「いてっ、痛い!」

 掴んだままの小虎の手が揺れる。

「はいはい、我慢我慢! ガラスが刺さっているのね。まずは抜かないと。はい、そっちのボクも。こっちへ来てね」

 小虎は半ば椅子の下へ潜り込んでいた。唇は色が無い。

「...だめ...」

 呟くなり、彼の腕から力が抜けた。ピドーの指から手がすり抜け、床に落ちた。細かい血しぶきが白い床に散った。ゆっくりと全身がだらりと伸び、頭が床に触れた。小虎は目を閉じた。荒い息が少しだけ開いた口から洩れている。

「小虎...おい、どうした? 小虎!」

 ガーゼを上げて覗く。床に見覚えのあるサンダルが視えた。嫌な感じがした。視線を上げる。

 マリアだ。背中を向けて立っている。

「姉ちゃん?」

 今まで見えなかったのに、ぼんやりした風景に姉がいた。怪我をした時のままだ。腹に大きなシミがある。死者は死んだ時の姿で現れる。

(俺に視える...って事は...まさか...)

 ピドーは手を伸ばした。後ろ姿は幻影だ。指が空を切る。

「マリア! 行くなよ!」

 彼女には聞こえていないようだ。体の境界線が滲む。ふわりと浮いた。

「待て! 置いて行くなよ! 百歳まで生きるんだろう?」

 横たわっている小虎の傍から、黒い塊が身を起こす。目が合った。爆発はしなかったが、不意に消えた。

 すると空しく伸ばしたピドーの腕が色を変えた。皮膚がみるみる黒ずんでいく。服は霧となって消えた。肩から下はまるで炭だ。恐怖よりも戸惑いが沸く。自分の体に別の人間の体が覆いかぶさり、浸食していく。体を動かしているのが黒焦げの人物なのか、自分なのか、それさえもピドーには分からない。指は思うように動かなかった。全部が親指になってしまったようだ。ぎくしゃくと曲がりながら、マリアの肩を確かに掴んだ。

(マリア! 逝くな! 戻れ! 戻れよ! 姉ちゃん!)

 白い光が弾けた。『西の白』とは違う黄金を含む輝きの色だった。きょとんとした看護婦もどうでもいい。ピドーは姉を助けたい一心だった。

 廊下を走る足音。連続した叫び。走り回る看護婦達。機材の触れ合う音。

 マリアの幻影は消えていた。誰かが怒鳴っている。

「...患者が蘇生しました! 輸血の準備を!」

 ソファの座面がやたらに近い。頬にレザーの感触があり、初めて自分が倒れたのだと理解した。横になった風景にジーノチカが駆けて来る。

「ピドー! 小虎! マリアが息を吹き返したぞ! 待っていろ、手術が始まったからな! 僕も参加する。大人しく待っているがよい! きっと無事に戻してやる。僕がジーノチカ・L・ヒンメルであるかぎり」

「...おう。任せる」

 ピドーは笑った。小虎の背中を軽く叩く。ひどく体が重い。それから意識が遠のいた。

 次に気がついた時にはホテルのベッドだった。小虎と共に寝かされていた。入院するほどの怪我とはみなされなかったらしい。病院はまもなく怪我人で立て込んでいたようだ。ジーノチカが戻ったのは深夜だった。

 監視は付いたものの小虎の拘束は無かった。フランツは約束を守ってくれたのだ。

 ピドーの視界も戻った。そのせいで爆発三昧なのだった。ルーカに居場所を教え続けているようなものだ。小虎によると遠くにいるらしい。それがせめてもの救いだった。しかしこちらに向かっている。ピドーは焦る気持ちをどうにもできなかった。



 そしてホテルで三日目だ。医者であるジーノチカは朝から出かける。昼には一度戻るものの、夜はいつも遅い。ちゃんと働いているようだ。現金もなく、マリアの回復待ちのピドーは動けない。

「それにしてもジーノチカはやっぱり医者だったんだな」

 またカーテンを少し持ち上げる。

「ん?」

 ピドーは首をかしげた。背筋を何かが這い上るような嫌な感じだ。脳裏に白い光が不意に浮いた。マリアを掴んだ光とは違う。もっとひんやりした、冷たい感じだ。小虎がベッドの下から言った。

「ルーカ」

 冥界の太陽の力を使ったらしい。ただどこにいるのかまでは分からなかった。ピドーはまだ使い方に不慣れだ。

「あ、もう一人の太陽? 『西の白』か。会ってみたいな」

「キルヒェガルテン、いた」

「えー! 全然知らなかった」

「殺した。森の人」

「えっ! 『青の墓』の管理人だろ? なんでだよ?」

「知らない」

 糸杉のはずれで嵐を起こしたせいだ。管理人は突然のざわめきを確認に来ただけだった。愛想のなさはルーカに対しても同様だった。ルーカにしても、彼に対してそんなに腹を立てただけではない。ただ面白がって風を起こしただけだ...人間を吹き飛ばす程度に。

「ルーカってそういう...簡単に人を殺すような奴なのか?」

「うん」

「う...そ。おい小虎」

 ピドーはベッドに腹ばいになった。下の隙間をのぞく。すかさず小虎が方向転換をして視線を避ける。

「お前とルーカってどういう関係なんだ?」

 かなりの間が空いた。辛抱強く待ったものの、返事はとうとうなかった。

「話したくないんだな。しょーがねえ」

 ピドーは体を起こした。ぴょんと立ち上がる。腕を大きく伸ばして体を回す。

「なあ、ちょっと出かけてみないか?」

「嫌(や)だ」

 今度は間髪入れずに拒否だ。

「アウゲンいる。駅、近く。ルーカ、来た」

 太陽同士の力がほぼ同等なら、ルーカはすぐに挑んではこないだろう。二対一は不利だ。

「そこに行かなけりゃいいじゃないか。病院も行きたいしさ」

 父に連絡はついたものの、南州(ズューデン)には来られない。時間的にも、元軍人であるという点でも難しいだろう。

「買い物もな~。お前に帽子も必要だよ」

 ジーノチカがホテルに持って来てくれたのはピンクのチューリップハットだった。目元まですっぽり隠れるし、結い上げたら髪も隠せる。だが色といい形といい、逆に目立ちそうだ。彼の独特なセンスは、他人に着せる洋服にも表れている。

「とにかく病院へ行くよ。マリアの様子を見て来る」

 手術は成功したものの、意識はなかなか戻らない。本来なら死んでいた重症だ。

「魂を掴むと、命が助かるんだな?」

「違う。抜けるだけ」

 くぐもっていた小虎の声が、不意にはっきりと耳元で聞こえた。え、と振り返った瞬間、体の自由がなくなった。頭から引っ張られている感じだ。肉体という殻を着ていたのだと感覚が告げる。脱いでから、重い服を着ていたのだと改めて分かる解放感にも似ている。

 視線が宙に浮いた。ベッドを挟んでいるのに、明確に小虎の背中が見える。それなのに見つめられているのも感じた。きらきらと様々な光を内包した銀色の瞳だ。

 床に自身が転がっているのが見えた。不意に糸を切られた操り人形のようだ。

(これが掴まれたって事かよ)

 感覚だけの存在だ。だから声を出せず、指先一つ自由にならない。動かせる体が無いのだから。肉体を動かす感覚は記憶として体にしみついている。そのずれに恐怖を覚えた。

 ぐらり、と浮遊感が再び襲う。落ちて行く。

「うわ」

 声が出た。どすん、と落ちたのは自分の体の中だ。衝撃で四肢が軽く痙攣した。落下の勢いで着ぐるみに肉体がすっぽり収まったようだ。すぐに魂と肉体は溶け合い、違和感はなくなる。だが乗り物酔いのような軽い吐き気が残った。

「気持ち悪ぃ!」

 ピドーはまた叫び、飛び起きた。膝を屈伸して、腕を横に大きく振る。首を回して頭を軽く叩いた。

「俺の魂もさぞかし重いだろう」

「軽い」

「えぇ? 言ってくれるな、こん畜生! 何が違うんだよ」

「元気」

「はぁ?」

 通常なら、魂を抜いて捕まえるのには何の苦もないらしい。マリアの時に苦しんでいたのは、死にかけていたからだ。

 掴んでいられる限り、魂はどこにも行けない。つまりは死ねないのだ。しかし体から離れようとする力が強い。瀕死の体に戻せば、すぐにまた離れてしまうだろう。さらに強く死の世界へ引かれてしまう。その力と引っ張り合いだ。小虎は生きている人間しか見えないのだ。死へ向かう魂を見失ったら、もう掴めない。だから懸命にマリアを保持しようとしていた。それを『重い』と表現していたようだ。

 ここまで聞き出すのにかなりの時間がかかった。何度も会話のキャッチボールを繰り返す。何とか『魂を掴む』という意味が分かった。

「それでさ...病院でお前からマリアが離れただろう? その後、真っ黒な腕が出て来たんだけど...。あれ、何だ?」

「知らない」

「お前が知らないんじゃどうしようもないな」

 ピドーは指をこすった。末端の神経には、少し痺れているような感覚がまだ残る。

「マリアもこれを味わったわけか。風景はずっと見えているし、聞こえているんだな?」

 返答がなくてもYESらしい。わずかに漂う小虎の気配で、何となく意思が掴めるようになってきた。

「...ダイエットしろって二回も言っちまった...。正気に戻ったら殴られる! 一緒に病院に来いよ!」

 小虎は頑としてベッドの下から出て来なかった。

 ピドーは一人で部屋を出た。一つのフロアに四部屋しかない。客は彼らだけだ。軍の思惑だろうか。監視役は階段の近くで待機していた。彼に行き先を告げる。無線でさっそくどこかへ報告だ。それを背中に階段を降りた。尾行が付くかもしれない。

 晴れ上がった空は明るい。大きく伸びをした。死霊はぼやけたおかげで、少しは気が楽になった。だが重い気持ちが残ったままだ。

 レイナーの死で手に入れた力だ。それがマリアを危うく死なせるところだった。さらにジーノチカや小虎にも怪我を負わせてしまった。ホテルに居合わせた人々も無事ではないだろう。

 爆発の源は常に見えている死霊だ。

(そりゃー確かに冥界の力だよな...)

 セルファース病院はすぐそばだった。町のはずれなのだが、大きな建物が並んでいる。北州(ノルデン)州都のラドクリフも大きな都市ではあるものの、規模が違う。ケッセン駅のシンボルである尖塔は見えなかった。

 白い建物は目映く光っている。ピドーは目を細めた。前庭の花壇には黄色や紫の花が咲いている。パンジーの季節だ。そこにしゃがんでいる少女はじっと動かない。全体的に焦点と色がぼやけている。亡霊だ。

 ピドーはため息をついて彼女の後ろを通り過ぎた。ロビーは少し混雑している。病人よりも怪我人の方が多そうだ。ラジオはアディートの爆発事件の続報と、東州(オステン)の橋の封鎖を告げている。北州(ノルデン)の孤立を意味し、シュペトレーゼ一行の行動範囲を狭める。しかしそんな事情を知らないピドーは、このニュースをさして気にしていなかった。

 受付に寄ったが、ジーノチカは来ていなかった。

 入院の病棟は別の棟だった。入館者台帳に記入して出入口を過ぎると、広い給湯室がある。入院患者の為のお湯を用意できる場所だ。そこからポットを抱えたハンナ・ティッシュバンが出て来た。相変わらず羊のような穏やかな笑みだ。

「あら、ピドー。こんにちは」

「あっ、ハンナさん! 来てくれてありがとう。キルヒェガルテンに帰らなくていいの?」

 ジーノチカが連絡をしてくれたそうだ。避難していたハンナがケッセンに急きょ来てくれたのだ。マリアの身の周りの世話をしてくれている。

「ええ、殺人事件があったりして怖いでしょ? しばらく帰るつもりはないの。ちょうど良かったわ。ケッセンには孫のおうちがあるのよ」

「ジーノチカの弟だっけ」

「そうよ」

 ポットをハンナから受け取った。二人で廊下を進む。

「マリアは?」

「今朝、一度だけ目を開いたわよ。またすぐ眠ってしまったわ。鎮痛剤がよく効いているようなの」

「話は?」

「まだよ。ジャックも心配でしょうね」

 とんとん、とドアを叩く。もちろん返事はない。ハンナが開けた。風が吹き抜ける。ベッドは一つだ。開いたままの窓辺でカーテンが揺れた。マリアは目を閉じている。顔も、毛布の上に投げ出された腕も包帯やばんそうこうだらけだ。点滴の機械が静かに音を立てている。彼女に繋がれている機械はそれだけだ。柵が彼女を取り囲んでいる。

 ピドーはポットをサイドボードに置くと、柵を下げた。ベッドに腰を下ろす。姉の顔を覗きこみ、そっと頬を撫でた。少し赤みがあり、温かい。

「心配させやがって、こら。元気そうじゃないか」

「そうね」

 ハンナがほほ笑んだ。

「お医者様が驚いているの。怪我の割には回復がとても速いのですって。殆ど奇跡よ」

「うん」

 ピドーは俯いたままで鼻をこすった。

「本当にありがとう」

 姉を助けてくれたのは小虎だけではない。ジーノチカがいなかったら病院に行けなかっただろうし、手当もしてもらえたかどうか。そしてハンナが看病してくれる。自分達きょうだいが色々な人に助けられているのだと身にしみて分かった。

「いいのよ。ジャックとは連絡が取れたのね?」

「う~ん、話はまだ。伝言を頼んだだけ」

 ソフィアの中央地区には被害が無かった。だから師団本部へは電話がつながったが、ジャックは掴まらなかった。一応病院の所在地と電話番号は伝えたものの、父の立場では南州(ズューデン)へ入るのは難しいだろう。

 はずみを付けて飛び降りた。ベッドと一緒に姉も揺れる。

「そろそろ行くよ」

「あら、もう?」

「うん」

 姉を見下ろす。寝顔はいつも通りなのに、胸の上下が激しい。こころなしか細くなった頬と腕を見ると心にとげが刺さるようだった。傍に居てやりたい。と同時に、傷ついた姉を見るのが辛い。

「帽子を買わなくちゃならないんだ。また来るからさ」

 何とか笑顔を浮かべる。背中を向けて片手を上げた。

   ツヅク! 次回 6話 下 かつて隆盛を極めたゲームとの出会い


お読みいただきありがとうございます。


ピドー達に話が戻りました。

ジーノチカは相変わらずです。が、今回はちょっと大人しい?

ちゃんと役割を果たしているからでしょうね


やっと新パソコン導入です! 設定に一日かかってしまった、しかも手伝ってもらって…


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