黄泉平坂
「…人間?」
白い光に満ち溢れた中で、白装束の人物に声を掛けられて、早佐は驚いた。
「あ、…人間」
早佐も、思わず、そう言ってしまった。
早佐は、自身が、十二単の様な衣装と緋袴を着ているのに気付いた。
白装束の、豪く長髪だが、男性らしき人物と早佐は、向かい合って、胡坐を掻いて座っている。
だが、距離感が掴めない。
近くに座っているのか、離れて座っているのか、全く分からないのだが、『人間』だという事だけは分かる。
此処は、と、思わず呟いた早佐に、白装束の人物は、山津縁坂、と言った。
「山の神の司る、黄泉平坂の崖の縁。此の世と、あの世の分岐点らしい。…とは言え、此処で人間は初めて見たな。…申し遅れた。儂は瀬原重蔵」
「え?…どうも。瀬原早佐と申します…」
「え?…子孫…の訳は無いな?」
「ええ、…養女ですので、恐らくは…」
「いや、悪い事を聞いた。儂も拾い子で…子も居らなんだから」
「ああ、はぁ…」
気不味い間が有った。
全く会話が盛り上がらない。
だが、思わず早佐は、御綺麗な方、と口にしてしまった。
本当に、人形の様な顔をしているのだ。
多少釣り目気味ではあるが、其れが、凛々しい眉と通った鼻筋、そして、伸ばし過ぎてしまって少し縮れている箇所の有る長い黒髪と、見事に調和しており、何処から見ても、左右対称に測って描いたかの様な整い方をしているのである。
相手は、ああ、と言った。
「そういう役割なのでな…。幾らでも見てくれて構わない」
「…役割、と申しますと」
「見目好い、丈夫そうな赤子を選んで拾ってくるとか聞いた。だから拾ってもらえたのだ。そうでなければ野垂れ死にしていただろう。見目好い事が演出に繋がり、怪しい、祈祷師の話も、聞いてもらい易い。此の姿だから生かされたのであり、役割が有ったのだ。見目好い事は、生存する為の前提条件であったので、其れが当たり前なのだ。だから、幾らでも眺めてくれて構わない。そういうものなのだ。何だか、其の辺に咲いている花、くらいに思ってくれればいい」
―如何して、自分の容貌を称える言葉を、こんなに、卑下した感じで口に出来るのかしら…。
「…自然の事象と捉えた方がいい程の『美』と遭遇するとは思いませんでしたが。…仰りたい事は分かりました。成程、花の咲く木の様な御方です」
「実も生らぬ様な木であったが…」
―暗い人ね…。
明るい義兄の声を聞き慣れているせいか、相手の陰気さが、早佐には引っ掛かった。
―私も、陽気な方ではないけれど…。此の…充足感を感じていない様子、とても…暗いわ。
相手の美しい姿から、死にたい、充足感が無い、という、何処か自分を認められない声が聞こえてくる気がする程に、相手が背負っている空気自体が、既に陰鬱なのだ。
陰気な、早佐と同姓の男は、おや、と言った。
「…人間ではあるが。其の方、『生まれ直し』であったか。『分けっ子』したのだな。失敗しておるが…」
「『生まれ直し』?」
「発動条件は知らぬが。恐らく、縁の有る魂が思い合えば、共に青い場所で母胎回帰し、生まれ直して、寿命を分け合えるのだ。相手の病をも癒せる、奇跡の御業だが…。失敗しておるな。もう一人居たからであろう。其方に殆ど吸われたな。だが、長命な子が生まれるであろう、良かったな」
「…何の御話でしょうか」
「…いや、羨ましくてな。…儂には、斯様な、運命の相手は居らなんだ故…」
―暗いわ…。
早佐が返答に困っていると、あらあら、という、世にも優しい声が聞こえた。
「運命の相手など居ませんよ。誰にも、そんな存在は居りませんから。別に、貴男にだけ居ないのではないのだから、望んでも手に入らないからといって、落ち込まないでください、と、申し上げておりますのに」
しかし、其の声を受けた相手は、余計落ち込んだ顔をした。
「やはり居ないのか…」
居ません、と優しく言った声は、ゆっくりと、あらぁ?と言った。
―あら。…何処かで見た様な。
早佐と目が合った、優しい声の主は、透き通るように美しい姿で、柔らかに顔を綻ばせて、あらまぁ、と、おっとり言った。
「こんな所に押し込められて。まぁ、溶岩の御嬢さんに、とても気に入られたのですね。何の御構いも出来ませんけれど、御寛ぎくださいまし」
「…押し込められた?」
ええ、と言って、貴石の様に輝く、美しい、白い衣の女性は微笑んだ。
相手は、そうして、ニコニコして黙っている。
「…その、押し込められた、と申しますと。…此の、山津縁坂に、でしょうか」
「ええ」
相手は、嫣然として頷き、黙っている。
「…何故でしょうか」
「溶岩の御嬢さんに、とても気に入られたからでしょうねぇ」
「…如何したら出られるか、御存知でしょうか」
「出たいのですか?」
「…いえ、不快な場所ではないのですが。…入る心算も無かった上に、よく分からない場所でもあり。出来るなら、自分の意志で入りたかったし、『押し込められた』と聞くと、不穏で…。溶岩の御嬢さんというのにも、心当たりが無く…」
あらぁ、と、優しい声は言った。
「出られませんよ?」
「え?」
「押し込められましたから…」
「ああ、はぁ…」
「御暇なら、観光でもされます?」
儂には何故観光を勧めなんだ、と、重蔵が呟くと、まぁ、と、愛らしい声で、女性は言った。
「此方は上がる寸前ですが、貴男は普通の人間として、転生準備に入っていますので、魂が分割され易くなっておりますの。ウロチョロするのは、あまり推奨出来ません。更に分け御霊になりたいのであれば別ですが…」
「ウロチョロ…」
「三十年くらいで、可愛い女の子に生まれ変わりますから、ゆっくり、現世の事を忘れてくださいね。三十年くらい御眠りになりますか?」
「…三十年?…女児と申されたか?」
「はい。願いは聞き届けられました。良かったですね」
笑顔の相手に、重蔵は、絶望した表情を向けた。
「儂は…『縞と、ずっと一緒に居たい』と願ったような…」
「ええ、縞さんと、可愛い双子の女の子として生まれますからね。良かったですね。ずーっと一緒に居られますよ」
「夫婦になりたかったのだが?」
「え?」
「…女児に生まれる上に、双子となると。…縞と、夫婦にはなれなんだが?」
「なれませんよ?」
「…え?」
「『夫婦になりたい』なんて、一言も仰らなかったでしょう?諦めきっていて…」
確かに、と言って、重蔵は、ガックリと肩を落とした。
「…口に出来なかった…諦めきっていて。願えすらしていなかった、確かに」
「そうでしょう?良くないですよ?揚げ物、という注文だったのに、ナゲットを出したら、ポテトが良かった、とか言うのは。勇気を出して、生きているうちに、縞さんに、ポテトが良かった、と言えば良かったのでは?」
重蔵は、怪訝な顔をして、柔らかな声の主を見た。
「ナゲット…?ポテ…?え、あの、言ったら何とかなったので?」
「ならないと思っていたのですか?長だったのでしょう?縞さんは信者さんだったのですから…」
「そういう職権乱用をして良かったのか…?」
「したらいけないと思っていたのですか?時代と立場を考えると、我が儘を言えば、結構通った筈ですけれど。増える事に、もっと貪欲になれば宜しかったのに。生き物ですから。気に入った雌だったのでしょう?」
「縞も…儂の事を?」
「いえ、其れは無いですけど…。兄妹だなー、という程度でしょう」
重蔵は、其れを聞いて、再び、ガックリと肩を落とした。
―可哀想になってきたわね…。
早佐は、少し遠巻きに、二人の遣り取りを見ながら、珍しく同情心を起こした。
髪に、瞳に、眩い光を湛える、優しい声の主は、まぁ、と言った。
「貴男が勝手に、妹役の子を心に懸けたのですから…。拾い子の貴男でも、本当の兄と慕ってくれる、立派な心根の、素敵な御嬢さんでしたのに。相手にしたら、ガッカリされる筋合いも無いと思いますよ?ですが、立場と時代を考えると、親が言った人と素直に結婚したと思いますから…。結婚したらしたで、其れなりに好きになってくれたかも分かりませんし」
世にも優しい声が、判断ミスですよ、と、重ねて言った。
「自分で、ポテトが良いと言わないでおいて、他の御客に其のポテトを出した、と恨んで、自分で増える事を諦め、他所の愛し子を勝手に取って、大事な教義を失わせたのでしょう?ですが、九代目から教義を継いだのは事実ですから、恩情で、御褒美まで貰えるのに。御不満ですの?」
御褒美?と、怪訝そうな顔をして、重蔵は顔を上げた。
ええ、と、柔らかな微笑の持ち主は言った。
「縞さんと、可愛い女の子の双子になって、キッズモデルになります。程々に売れて、高校生くらいまでは仕事が有りますからね。其処から芸能界入りしたかったら、すると良いと思いますよ」
「キッズ…え?」
「ええと、写真を沢山撮られて、有名になります」
「…目立ちたくないのだが?もう、容姿で目立つのは懲り懲りなのだが」
「縞さんは乗り気ですよ?お姉ちゃんとモデルさんしたい!って言うと思います」
「え?」
「縞さんは、時代のせいも有り、前は、我慢し過ぎた人生でしたので、とっても目立ちたがり屋で、我が儘な、五人姉弟の末っ子として生まれてきます。貴男は、五分違いくらい先に生まれただけなのに、『お姉さんだから』と言われ続け、玩具等を譲り続ける事になり、一緒にやって!と妹が言う事を、何でも、引き摺られる様に一緒に遣らされる羽目になると思いますが、立川市の戸建ての二世帯住宅子沢山で、そういう形の幸せですから、御褒美として受け取ってくださいね。あ、美人なのでストーカーにも遭いますが、怖い、不動産会社の社長の御父さんが助けてくれるので、安心してくださいね。女子アナでも、美人フードコーディネーターでも、インフルエンサーでも、思いの儘の容姿ですし。目立ち過ぎて、日本に嫌気がさしたら、国際結婚でもしたら如何です?」
重蔵は、ガックリと肩を落として、此れが罰か、と言ったが、優しい声の持ち主は、愛らしく、御褒美ですよ?と言った。
「結構売れますから。バズりますよ?美人双子のモデルちゃん。かわいー、って」
「バズ…?」
重蔵は、不思議そうな顔をして、そう問うたが、優しい声の持ち主は、然したる説明もせず、御褒美ですよ、と、おっとりと言った。
「祖父母も両親も溺愛してくれますし、お姉さんも、お兄さん二人も、喧嘩しながらも仲良く暮らしてくれます。縞ちゃんも、双子のお姉ちゃんの事が大好きです。そこそこ裕福な家庭で、望めば習い事もさせてくれます。介護も財産分与も、不動産業の御父様が解決してから亡くなってくれますし、賑やかで幸せで、楽しい暮らしが約束されています。其れこそ、一生寂しいと思う暇も無いでしょう。御褒美を、変えますか?」
「え?」
「其の家族は一切手に入りませんが、何処かの家庭の男の子に生まれて、縞さんと結婚出来ます」
「…寂しくは、ないか?」
「…五人姉弟と祖父母と両親、という、九人家族よりは、大体の家族が寂しい可能性は有りますが…。『寂しい』というのも、人間の決めた観念ですので。貴男が寂しいと思えば寂しいですし。まぁ、生き物は、好きに増えれば宜しいので。縞さんに拘る必要は無いですよ。次も美男にしてもらって、他の雌と増えても宜しいですし」
「最初の御褒美とやらを選べば、愛されて、一生寂しいと思う暇も無く、ずっと縞と居られるのか…」
「ええ、縞さんの希望で、フリフリの御洋服とか着せられて、プリキュアダンスとかの動画を撮る羽目にはなりますけど…。御祖父様が大喜びで、うちの孫!とか言って、御嫁さんに送ろうとしたTwitterのURLを、同窓会用グループLINEとかで、元教え子達に誤爆したりしますけど…。あ、一クラス三十人ですか…。目立って目立って仕方ないですが、そういう形の幸せです」
「此れが罰か…」
―段々、ゲッソリしてきたわね。全然意味は分からないけれど、可哀想…。
「御褒美ですったら。他の御家庭ですと、愛される保証は有りません。縞さんと結婚出来はしますが」
「…縞は、儂を好きになるか?」
うーん、と、珍しく、優しい声の持ち主は唸った。
「未知数ですね…。定めていても、違う人間を選んだりしますからねぇ、人間は。偶然性による変化が許されている存在ですから…。そういう意味では、運命の人なんて居ませんし、運命の人は沢山居ますし、運命だと間違う事も有りますし。…あ、『でき婚でワンチャン有り』ですって!意味は分からないですが、良かったですねぇ。願いは聞き届けられます。まぁ、縞さんの、怖い御祖母様に、野菜みたいな、ボコボコの顔にされるとは思いますが…。生き物ですもの、増えられますからね、そういう形の幸せでしょう」
重蔵は、青い顔をして、考えさせてくれ、と言った。
ええ、と言って、優しい声の持ち主は、微笑んだ。
「三十年程悩んだら宜しいですわ」
重蔵は、此れが罰か、と言って、また項垂れた。
可哀想、と早佐が思っていると、さて、と、おっとりした声が言った。
「観光でもします?」
「出られないのですか?此処から…」
ええ、と、優しい声が言った。
「出られません」




