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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第六章 仕掛け
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開聞(ひらきき)の御池(みいけ)


 まぁ、という、嬉しそうな声がした。


「何という素晴らしいカルデラ()。大噴火で大陥没を作って、涙で(かみ)御池(みいけ)を御創りになるとは、流石ですねぇ」


 でも、そろそろ泣き止まれては?と、優しい声が言った。


「そんなに、此処を出たいのですか?」


 湖の上に浮かぶ相手に対して、(はや)()は、(みずうみ)(ふち)に座って泣きながら、言った。


「そういう訳では有りません。…此の(まま)で宜しいです」


 山津縁坂(よもつひらさか)は、すっかり様相(ようそう)が変わってしまった。


 如何(どう)やら、()()()、涙で、大きな湖を作ってしまったらしいのだが、何時(いつ)から泣いているのか、自分でも分からないのだ。


 重蔵(じゅうぞう)が、呆然として、(みずうみ)(ふち)に立っている。

 早佐の隣に立っている(よう)なのだが、距離感が掴めない。


池田(いけだ)()には…湖底(こてい)火山(かざん)が眠っていたのか」


 薩摩(さつま)富士(ふじ)が見える、と、言う重蔵の声が聞こえたが、早佐には、何の事か分からなかった。




 如何(どう)して泣いていらっしゃるの、と、柔らかの声の主が、湖の上から尋ねてきた。


()()()()()()()()()()ような御方(おかた)に、そんなに会いたいですか?」


「え?」


―求婚。


「そうだわ。…私、求婚されたのだったわ」


「まぁ、そうですか?何と?」


「…確定申告をしたり、書類を書いたりしてくれ、と…」


 其れは業務委託(ぎょうむいたく)では?と、困った(よう)に相手が言うので、早佐は思わず、泣きながらも、吹き出した。


「そうかもしれませんけれど。私は、頼ってもらえたようで、嬉しかったのです」


 左様で御座いますか、という、おっとりとした声がした。


「御好きでいらっしゃるのね。御会いになりたいでしょう」


「いいえ…。一緒に居ても、あの人に、良い事が無い気がするのです。…あの人の邪魔になるくらいなら、ずっと此処で、こうしていても良いかもしれません」


「…ずっと、此処で泣いていらっしゃる()心算(つもり)ですの?」


「涙は仕方が有りません。勝手に出るのです」


()()()()求婚してもらえたら、涙が止まるのかしら?」


()()()()


「…いえ。相手に、何かをしていただきたかった訳では無いのです。…ただ好きだったのに、巻き込んでしまった。酷い方法で…」


()()()()()()のだから、仕方が有りません。命の短い存在程、増える事に貪欲なのは、世の常です」


 ()(しろ)として、私は評価しますよ、と、相手は、訳の分からない事を言った。


()()()()()()?私が?」


「ええ。少なくとも、生きる事に対して、貴女(あなた)は正直でした。とても生き物らしかった。私は其れを、重蔵さんよりは評価しております」


 重蔵が、複雑そうな顔をして、穏やかな声の主の方を見た。

 其の様子が少し可笑しかったので、早佐は、笑いを堪えたが、依然、涙は止まらなかった。


「そうですねぇ、此の(まま)でも、池尾(いけお)大明神(だいみょうじん)は御喜びになるかも分かりませんし、其処の重蔵さんも、三十年くらいは話し相手になってくれるでしょうから、寂しくは無いでしょう。重蔵さんも別に、意地悪な(かた)ではないですよ。他人の子を取るだけあって、子供好きなのです。貴女(あなた)みたいな十六歳の少女と話が弾むか否かは分かりませんが、遊んでくれない事もないでしょう。貴女(あなた)が楽しいかは別として」


 重蔵が、どうせ明るい性格ではない、と(つぶや)いたので、早佐は、笑いを更に(こら)える羽目になった。


―確かに明るくはないけれど。()めて。こんな場所で笑わせないで。


「…あの人の邪魔にならず、嫌な兄の鳴き声を聞かないで済むなら、此処で、こうしているのも、良いのでしょうね」


 ああ、(おり)の子ですね、と、美しい笑みで、相手は言った。


 (おり)?と早佐は尋ねた。


 ええ、と優しい声が言った。


(けが)れの塊です。真っ黒でしょう?…そう、()()()()問題が有りますね」


「問題?」


「相手の幸せに、貴女(あなた)が関係無いと思っている。いえ、自分が居ない方が、相手が幸せになれる、というくらいに思っている。だから、相手に会いたくて、地形を変えて、湖を作る程泣いているのに、此の(まま)でも構わない、と、本気で言えるのです。…其れでは、伝わりません。貴女(あなた)の気持ちが」


「伝わらなくても構いません。…健康で、生きていてくださるだけで構わなかったのに。寿命を分けさせるなんて、(だい)それたことをさせてしまった…。…あの人が好きだから、此の(まま)で良いのです。此れ以上、犠牲を()いたくはないのです」


「…相手がしたかった贈り物を、犠牲、と言い切ってしまう。相手は相手で、照れて()()してこない。…九州最大の(みずうみ)が誕生する程の擦れ違いなんて、驚いてしまいますねぇ。肉体があると不便です事…」


 柔らかの声の主は、不思議そうに、続けた。


「此の(まま)で良いと(おっしゃ)るなら、其れも良いのでしょう。其のうち、何億年も、何十億年も愛し合えますからね…」


―何の事かしら…。


 羨ましい、と重蔵が呟いた。


「…随分悩んだが…如何(どう)しても、女児に生まれる事だけは、承服出来ない…。(わし)には、そんな相手は居らぬようだし、(しま)にも其の気が無いなら、他の者と一緒になるから。男児にならせてはもらえまいか。以前の(よう)に、(しま)の兄として。今度は、血の繋がった、本当の兄として生まれたい。家族に愛され、(わし)も家族を愛し、仲良く、賑やかに暮らしたい。だが…美しい女児に生まれて、写真を沢山撮られては…。其れを(わし)は、自分だと、自認出来そうにない。自分を女児だと、多分、思えない。男児にしてはもらえまいか…」


「まぁ…。随分御悩みでしたのに、そんな事を(おっしゃ)るようになったのですね」


(わし)は、どのくらい悩んでおったのか…時間の感覚も無いが」


「大正三年からですから…八十二年くらいでしょうか?」


「結構前だな?!」


「明治四十二年よりは比較的最近だと思いますが…」


「何の話だ?そりゃ、(しゅう)が生まれたくらいではないか。…待てよ、(しゅう)も、生きて居れば八十七?…(わし)は、そんな長い間…。つい先刻(せんこく)御褒美(ごほうび)の選択を迫られた気がしたのだが?」


 あら、と、おっとりとした声が言った。


「八十二年を短く感じられたのなら、良かったではありませんか。(そもそも)、時間という概念も、人間が作ったものですが。此処は、青い場所と同じく、全ての時間が同時に存在するのです。時間の流れもバラバラですからね。池田湖が誕生したのだって、五千七百年くらい前ですし。開聞(かいもん)(だけ)の誕生は、更に其の後です」


 重蔵は、ポカーンとして、はぁ、と言った。




 突然、湖の水面に、大きな水紋が一つ立った。


 まぁ、と、優しい声が言った。


 湖の上に、髪を高く結い上げた、白い(ころも)の、美しい女性が登場した。


「寝ておったところを孫に起こされた!全く、毎度毎度、石を投げてきおって。(ざつ)なんじゃ、あやつは」


「…(かなで)(さま)?ではないですね?よく似ておいでですが」


 そりゃ孫だ、と、眉を(しか)めながら、女性は言った。


()()()準備に寝ておると、度々(たびたび)、石を投げて起こしてきよる。可愛いから話を聞いてしまうが。(ざつ)にも程が有る。力が有るから手順を踏まん」


「まぁ、(きく)(さま)


(より)。御前の子は()だ寝ておるぞ」


「寝かし付けてくださって助かりますわ。片割れが来るまで待っていると言うのですもの」


 (きく)と呼ばれた人は、(みずうみ)を見て、派手だなぁ、と言った。


「我は、山津(よもつ)縁坂(ひらさか)(ひら)(ひら)にて、()き切る神なり。開聞(ひらきき)と呼んでも構わぬぞ」


 泣いている理由を聞き切ってやるから申せ、と、美しい(うなじ)(のぞ)く首元を傾けながら、(きく)は、早佐に向かって、そう言った。



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