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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第五章 悪意
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 駆け込んだ病院の個室のベッドの上では、(はる)が、実に安らかな顔をして眠っていて、(はや)()は、心臓を掴み潰されたかと思った。


 そっと近寄って、(はる)が呼吸をしているか、確かめた。


 (たつ)(あき)が、(のり)(あき)が、(けん)太郎(たろう)が、奏顕(そうけん)が、()羽子(わこ)が、(みち)(あき)が、一人で、向子(さきこ)よりも早く、走って個室に辿り着いた早佐に対して、驚きの目線を向けているのにも、早佐は意識が向かなかった。


―大事にしたいもの程、こんな目に遭わせてしまう。御花が捨てられた(よう)に。


 此の(まま)、相手が目を覚まさなかったら、本当に死のう、と思いながら、早佐は、涙も出ない気持ちで、(はる)の顔を見詰めた。


如何(どう)したら、苦しみを取り除いてあげられるの?あんなに体の強い人が、気を失ってしまう程の思いをしているのに、如何(どう)して、何も出来ないの?


 相手の苦しみだけ吸い取って、自分のものにしてしまいたい。

 そうして相手に、喜びだけを与えられるのなら、自分は、消えてしまっても構わない。


―惨めだわ。与えたいのに、与えるものは持たず、役にも立てなくて。


 座ったら、という()羽子(わこ)の、躊躇(ためら)いがちな声が、早佐の耳を擦り抜けていく。


―また、分離していく。そうだわ、此の人が居ないなら、私、地に縫い留めてくれている存在も無くなってしまうのだったわ。


 体が罅割(ひびわ)れそうな程、(つら)い。

 顔が、体の表面が、本当に痛み始めた。


 そろそろ、立っていられない。


―ああ、何も出来ない体で、此の人を失ってまで、此の体に(とど)まっているのは茶番ね。




 目を覚まして、と念じると、本当に相手が目を覚ましたので、早佐は目を見張った。


「…早佐」


―此の声だわ。


 此の声しか聞きたくない。

 此の存在しか、自分を(とど)めない。


 目から自然に零れる涙が、(はる)の頬に落ちた。


 相手が微笑んだ。


 早佐は、ボロボロと泣きながら、(はる)(すが)り付いた。


「ごめんなさい、私のせいで、御家(おうち)が…」


 黒い着流し姿の相手は、ベッドに上に半身を起こして、早佐を抱き締めてくれながら、ん?と言った。


「おいおい、自分で火付けを(おこな)ったんじゃないなら、簡単に謝るな。頭を下げ慣れると、謝罪の価値が下がるぞ」


 御前が火を付けたんじゃないだろ、と言う相手の顔を、相手に抱かれながらも、まじまじと見詰めながら、そうですけど、と早佐は言った。


―意外。帝王学の(よう)なものが、此の人にも有るのね。流石(さすが)、本家当主。其れを主張する事は(ほとん)ど無いけれど、気高くて、自尊心の高い人なのだわ。…ああ、優しい筈なのに、照れ屋で、時々ぶっきら棒なのは、プライドのせい?


 何笑ってんだよ、と、珍しく、クスクス笑いながら言ってくる相手に、早佐は、泣きながら微笑み返した。


此方(こちら)台詞(せりふ)ですよ。御実家が全焼されたのに、何を笑っていらっしゃるの?何方(どなた)かに、八つ当たりなさらないの?家が焼けてしまったのは、御前のせいだ、と」


「…いや、何か、美人のテレオペ?に、丁寧に『死ね』『死ね』って言われる夢を見た気がするんだよ。あんまり覚えて無いんだけど。そんで、何か、…どーでも良くなった。俺のせいで家が焼けたんじゃねーし、って」


「…気絶した時、頭でも打たれました?」


―テレオペ、って、何かしら…。


「おいおい、そんなハッキリ、頭おかしいって言うなよ」


 頭は打ってないって、と言って、(はる)は、珍しく、早佐を抱き締めながら、ケラケラ笑った。


「確かに、変な夢だったけど。…何か、ポテトとナゲットをくれなかったんだっけ…?其のテレオペ。ハンバーガーだけ、っつって」


 腕組みしながら此方(こちら)を見ていたらしい、着流し姿の(みち)(あき)が、小声で、其れはテレオペじゃなくてマックのドライブスルーのお姉さんじゃないの?と言った。


「あ、(みち)


 親友の姿に気付いた(はる)は、真っ赤になって早佐から離れたが、遅かった。

 早佐も、涙を拭きながら、真っ赤になった。


 (たつ)(あき)(のり)(あき)も、(けん)太郎(たろう)も、()羽子(わこ)(さき)()も、あの奏顕(そうけん)すらも、真っ赤になって(うつむ)いている。


―しまった。皆様、いらしたのだわ。


 んもー、と(みち)(あき)が言った。


「めっちゃ心配したのにー。病院に運んだのも、俺なのにー。…でも、起きて良かった」


 (みち)(あき)が、ボロボロと泣きながら、じゃあねー、と言った。


「退散するもーん。帰って、(りゅう)と寝るー。(ひこ)じぃに見てもらってるから。詳しい話は、明日しよー。黒服に迎えに来させるから、泊っておけばー」


「え?早佐は?」


 (はる)の言葉に、俺には見えない、と(みち)(あき)は言った。


「目に見えない、血の繋がらない、非実在の義妹(いもうと)が居るみたいー。って、そんなん居る訳無いよー。此の時間に、(おさ)(やかた)から、そんな子が外出する筈無いもーん。見えないから、此処に一晩、(はる)と一緒に居ても、俺は知らないしー。仮に居るんだとしたら、喘息の発作とかで、偶然、別室に来院したんじゃなーい?」


 気の回し方が怖い、と言う(はる)に、御休みー、と言って、(みち)(あき)は、本当に病室を出て行った。

 そして、他の人間も、顔を赤らめながら、ゾロゾロと、病室を出て行ってしまった。


 (はる)が、真っ赤になりながら、嘘、と言った。


 (けん)太郎(たろう)が、去り際に、振り返りもせず、御邪魔しましたー、と言った。


 此処、兄ちゃんちだけど、と言う(はる)の言葉は無視されて、個室の照明は、奏顕(そうけん)の手によって間接照明だけにされ、扉は、(のり)(あき)の手によって、パタリと閉められた。




「…あの、素敵な御屋敷が焼けてしまって、私、…嫌だわ。本気で、死んだら、あんな地獄に行きたかったのよ。本当よ」


 薄暗い、病院の個室のベッドの上で、(はる)に抱き締められながら、そう言う早佐に、そっか、と(はる)は言った。


「…何にせよ、また一つ、無くなっちまったなぁ、俺が()(ばる)集落に留まる理由が」


 そうかもしれませんが、と言って、早佐が、自身の両手で、相手の頬を包むと、相手は、早佐の両手を、自身の両手で掴んでくれた。

 黒い着流しは、少し、前が(はだ)けていた。


貴男(あなた)は、悪くないのに。そんな(つみ)貴男(あなた)には…。いえ、誰だって、御自分の家を焼かれる程の悪い事なんて…」


「いや、したんだよ」


「え?」


 密通は悪い事だよ、と、囁く、相手の漆黒の瞳に、早佐は、吸い込まれそうになった。


 悪い事をしてるんだ、と、更に言われて、早佐は、急に、自分の胸が早鐘を打つのを感じた。


 唇が重なった後、珍しく、相手は、早佐の耳を、軽く噛んできた。


 黒電話の受話器が当たっていた場所が、清められた(よう)な気分になった早佐は、声を我慢した。




―体が邪魔だわ。


 体と言う隔たりが有るから、どんなに重なっても、相手と一つにはなれない。

 体が、相手と一つでは無いから、時間が経てば、離れなければならない。

 相手の悲しみも吸い取れないし、自分の喜びも植え付けられない。

 相手が傷付く事が起きれば、自分の中に相手を隠してしまいたいし、どんな傷も肩代わりしたい。


 体が、邪魔だ。


 こうして、剥き身で触れあっていても、体が、皮膚が、骨が、血が、互いを交わらせつつ、(はば)む。


―一つに。なれない。




 すると突然、早佐は、体が、水の中に潜っていく(よう)な感覚を覚えた。


―嘘。私、こんなに深く、潜った事など無いわ。


 辺りが水色の透明な膜を通して見た景色に思える。

 互いの手を取り合った(まま)、早佐は、(はる)と、深く深く、落ちていく。


 コポポ、コポポ、ボー、という音が断続的に聞こえる。

 音は次第に、強く、騒がしくなっていく。


―心音だわ。誰のもの?私?貴男(あなた)?…もう一人?


 二人で潜っていた水が、突然、全て青い花になり、足元に、花畑として広がった。


 花畑と、空と海とは、境が分からないくらい青く、暖かく、二人を包み、広がっている。


―青い場所に来てしまった。…まさか。




 裸身の早佐が目を覚ますと、同じく裸身で、早佐を抱いて眠っていた(はる)の、驚く顔と、目が合った。


「…そんな、嘘だわ、私。如何(どう)なっているの…?」


 貴男(あなた)から()()()しまったの?と言って早佐が泣くと、(はる)は、やった、と囁いて、少しだけ、悪い顔で笑った。


「…寿()()を少し、分けられた」


 ほんの少しだけど、と言う(はる)に、早佐は、縋り付いて泣いた。


「…私、貴男(あなた)から、何も取りたくなかったのに」


 ()()()()()()()、と言って微笑む(はる)に向かって、何を笑っているのよ、と言って、早佐は泣いたが、(はる)は、微笑んで、早佐を抱いた(まま)、早佐の頬に口付けし、取り合ってくれなかった。




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