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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第五章 悪意
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嘆願


 向子(さきこ)の運転する車に乗って、光太郎から贈られた香炉(こうろ)の入った桐箱を手にして、(おさ)の館の自室に戻った(はや)()は、胸を(えぐ)られる光景を目にした。


 那智(なち)から贈られた花が捨てられていたのだ。


 花瓶は割られ、無残にも、水と葉が飛び散っており、花の方は、女中達が、手分けをして、廃棄していた。


―嘘。


 暖房で暖かいと、花が開き切ってしまうかもと思い、弱暖房にし、水の中に氷を入れて、大事に飾っていた、あの、愛すべき花々が、早佐の目の前で、透明のゴミ袋に詰められていく。


―今更、あんな人にされた事で、涙など出ないと思っていたのに。


 分かっていた事だった。

 此の花を、(れい)(いち)が気に入らない花を、其の(まま)、取っておかせる為には、令一の機嫌を損ねてはいけない事を。


―分かっていたのに。私は、此の御花より、(はる)(さま)を取ったのだわ。


 早佐が目にする(よう)に、帰ってくる時間帯を見計らって、誰かに花瓶を()()()()のだろう。


 見せしめだ。


 当然だろう。

 兄の目の前で、(はる)の方を選んだ。 

 黒服の制止を誤魔化して、(はる)の家に行って、二人きりになった。


 相手にしてみれば、早佐は、自身の不在中、此処に閉じ籠って居なければならないのだから。


 犬小屋の中の犬は、鎖を千切って脱走してはいけないのだ。


―那智さん。


 あの(まま)では恐らく、那智は、閉じ込められて、時間が止まってしまう。

 早佐の(よう)に。


 雁字搦(がんじがら)めになって、委縮して、きっと、那智の良い所が発揮されない。


 そう、きっと、あの、(しの)も交えて、此処で一緒にケーキを食べた時間は、二度と訪れないのだ。


 那智は、良家の本妻として自由を失い、此処に那智を招ける日は、恐らく訪れず、実家の庭も、二度と見せてはもらえない。


―私は、御友達が作れないのね、兄が居る限り。此処に居る限り。…思い知ったわ。(はる)様の事も、本当に、危険に晒している。此処に、帰って来たくなかったのに。ずっと、あの人と一緒に居たかったのに。(りゅう)ちゃんと、御義兄(おにい)(さま)と、其れから…。私にだって、同じ年の御友達が…。でも、其れは、叶わないのだわ。今日も私は、此処で夕餉を頂いて、此処で休むのだわ。


 静かに涙する早佐に向かって、向子(さきこ)が、如何(どう)したの、と問うてきた。


「御姉様。…大事にしていた御花が、捨てられました」


「どうせ、あいつの仕業よね」


 今日も泊まるわ、と言う向子(さきこ)の言葉に、早佐は、目を丸くした。


「…泊まってくださるのですか?此処(ここ)に」


「ええ、貴女(あなた)が、こんな気分の時に、一人にしないわ。なるべく此処に泊まれる(よう)にするから。あいつって、紀和(きわ)さんと、あたしには多少の遠慮が有るのよ。()()()丁重に扱ってたもんだから。あたしの事は、本当に苦手なんでしょうけどね。あたしに挨拶もしないで出て行ったんだから、あたしが挨拶もしないで泊っても構わないでしょうよ。泊る泊まらないは、あいつの不在中は、女主人の、貴女(あなた)の裁量なんだから」


()()()()…そういう理由も有ったのですか」


「なーんか、由一(ゆういち)の言い付けは守ったりしてたわよねー、あいつ。さ、御夕飯、此処で一緒に戴きましょ?とは言え、ティラミスで、あたしも、そんなに御腹空いてないけど…」


「ティラミス…。やはり、皆様、何か有ったのでしょうか?」


 涙を拭いて、そう問う早佐に、何でも無いのよ、と向子(さきこ)は言った。


「プレゼントっていうのは、相手の事を考えて贈るべきだっていう、良い見本ってだけ。あたしの方が、あいつより絶対プレゼント上手なんだから」




 向子(さきこ)は、女中達の片付けが終わると、女中達に、幾つもの畳紙(たとうがみ)を持って来させた。


「ほーら、()()の普段着の(つむぎ)よ。全部、貴女(あなた)の丈に直したんだから。好きなだけ着ると良いわ。動き(やす)いしね。こういうのに慣れたら、何時(いつ)か、ワンピースだってプレゼントしちゃうんだから。ね、プレゼント上手でしょ?あいつより。御花みたいに枯れないし。(はる)と結婚して、もっと、もっと移動する(よう)になるんだから。そしたら、御振袖なんて、着ていられなくなるんだから」


 畳紙(たとうがみ)を、一枚一枚開いて、中を見せてくれる向子(さきこ)の優しさに、早佐は(むせ)び泣いた。


 泣いちゃいなさい、と、向子(さきこ)は、優しく言って、抱き締めてくれた。


「あいつが、貴女(あなた)に此処に居てほしいなら、水配り(ミックバイ)の相手なんか、決めなきゃ良かったのよ。如何(どう)いう心算(つもり)か分からないけど、相手を決めるのも、(えら)く遅かったしね。さ、着てみない?そして、一緒に、何か食べましょう?別に、決まった献立じゃなくたって、いいじゃない。好きな物を食べましょう?一緒に。食事ってね、楽しく食べるのだって、大事なんだから。あたしと、今は、一緒に居ましょ?…泣くのも忘れる(よう)な目に遭い続けて…」


 向子(さきこ)も泣いているのが、早佐には分かった。


 泣いて、慰めて、共に泣いて、慰め合う、そんな程度の事が、何故自分は、兄とは出来ないのだろう、と、改めて、早佐は思った。




「早佐様。御電話で御座います」


「え?」


 帯を選んで、着付けをして、と、女二人で、夕餉も食べずに、只管(ひたすら)楽しんでいた所に、女中が、言い(にく)そうに、そう言ってきた。


「…私に御電話?…そんな事、生まれて()(かた)…」


(おさ)からの御電話で御座います。あの、…御待たせする訳には参りませんので、申し訳御座いませんが」


「…ええ、分かりました。貴女(あなた)達が叱られてしまいますからね…」


 (おさ)と聞いて険しい顔をする向子(さきこ)に、丁寧に一礼して、早佐は、女中に案内されるが(まま)に、古風な黒電話の在る、女中達の休憩所まで行った。


―初めて入るわ、自分の家なのに…。




 電話に出ると、女中は遠慮して出て行き、受話器の向こうから、ワーワーとしか認識出来ない、兄の声がした。


 ()()()を認識した瞬間、切りたい衝動に駆られたが、早佐は一先(ひとま)ず、御機嫌(ごきげん)よう御兄(おにい)(さま)、と言った。


「一方的に(まく)し立てるのは如何(いかが)かと存じますわ。御顔も見えないもので、何を仰っているか、聞き取り(づら)いの。()ずは落ち着いて、御用件を述べられては?」


 え、という問い返しの声が聞こえた。


―嫌だわ。耳元で聞きたくない。何だか、空間も繋がってしまった(よう)で、とても気分が悪いわ。


「ですから。私が聞き取り(やす)(よう)に御話になって。もう一度」


 冷たい声の早佐に対して、相手の聞き取り(づら)い声は、実に嬉しそうだった。


「ですから、聞こえない、と申し上げているのですが」


 もう宜しいですわ、と早佐は言った。

 対面して話していても話が通じない相手と、電話で話が出来る訳が無かった。


 コッココッコと鳴いて(まく)()てる(にわとり)との対話を試みている気分になった早佐は、向子(さきこ)さんがいらしていますから切りますね、と、更に冷たく言った。


 電話越しに、相手の動揺が伝わってきた。


―本当に嫌なのかもしれないわね…。


「此れで如何(どう)だ?聞き取り(やす)くなったか?」


 急に、聞き取り(やす)くなった兄の声に対して、心底嫌になった早佐は、溜息をついて、言った。


「全く、何かにつけて取り回しの悪い事。…如何(どう)いう心算(つもり)で、私の水配り(ミックバイ)の御相手の発表が、あんなに遅れたのよ…」


「ああ、藍児(らんじ)の娘の那智(なち)とやらを、(みち)(あき)の再婚相手に考えていたからだ。岐顕が再婚に全く納得せず、実方本家から、岐顕の再婚自体を断ってきたので、其処から調整したから今月の発表になった。岐顕は、最近まで寝込んでいたらしいからな。那智は、清水本家の後妻に押し付けてやった」


―聞いたら聞いたで、聞かなければ良かったと思うのは、毎度、不思議ね…。よく、そんな、勝手な事を言えるものだわ。妻を(くび)り殺しておいて、其の夫に再婚を勧める神経は、考えるまでも無く異常だわ。


「そう。()(よう)()(よう)なら切るわ。耳が腐ってきたみたい」


「いや、言いたい事は有る。(ほこり)っぽい所と花粉には気を付けろ。其れだけ言いたかった。()(ぐる)みなど御法度だからな」


「…御丁寧に()していたものね」


―今回も、そんな理由を付けて、花を捨てた事を正当化するのでしょうね。


「埃っぽい所とは?」


「古い家だ。御前の事を心配して言うのだぞ、俺は、御前の為を思って。俺は」


 御前を愛している、という言葉を、途中までしか聞かずに、早佐は、では御休みなさい、と言って受話器を置いた。


―心配?コントロールの際たるものよ、『御前の為を思って』は。私に贈られた()(ぐる)みを燃して良い理由にはならないでしょう?贈られる前に、保親(やすちか)さんに、()(ぐる)みを御断りする旨を伝えておけば良かったのに、どうせ()い顔をして受け取って、態々(わざわざ)燃していたのでしょう?




 早佐が自室に戻ると、携帯電話を握りしめた向子(さきこ)が泣いていたので、早佐はギョッとした。


「御姉様?」


「さ、坂元本家が、火事ですって。そ、そんな。(りょう)(にい)ちゃん達の御家が…。(はる)が、気絶しちゃって、今、(みち)が、病院に運び込んだって」




『俺は、御前の為を思って』




―まさか。


 ()()()()?と思うと、早佐は、夢中で、玄関から、向子(さきこ)の制止も聞かずに飛び出した。




 街灯が有っても尚暗い、夜の本通りを、初めて走っている。しかも一人で。しかし、恐怖も寒さも、何も感じない。


 如何(どう)して、(はる)と自分は、別々の体なのだろうかと、走りながら、早佐は思った。

 体が別々だから、離れなければならないのだ。

 そうでなければ。


―やはり、死ねば良かった。坂元本家、あの、美しい所で。そうして、御家(おうち)(ごと)、燃えてしまえば良かった、私、私。




 しかし、そう長くは走れなかった。本通りの前に、ザッと黒服の男達が現れ、早佐の進路を塞いだ。


 早佐は、車を出しなさい、と叫んだ。


「病院へ連れて行って!」


 こんなに大声を出した事も、黒服達と一人で対峙した事も無い。一度も無い。だが、早佐には、そんな事は関係無かった。


「返事をしなさい!」


 背後から、早佐ちゃん、という、向子(さきこ)の声がした。


「あたしが、病院に連れて行くから。あたしの車に乗って」


 しかし、そう言う向子(さきこ)を制する(よう)に、黒服達が迫ってきた。


 向子(さきこ)が、見た事も無い程に(いきどお)った顔で、舌打ちをした。


 早佐は、分かったわ、と言った。


「初めから、こうすれば良かった。私を殺しなさい」


 黒服達が、いや、向子(さきこ)でさえ、早佐の、其の突然の言葉に(ひる)んだ。


(ねえ)(さま)を失って、(つら)い中で、囲われて、衣食住を与えられて生き恥を(さら)すくらいなら、目立つ(よう)に逃げ出して、途中で貴方(あなた)(たち)に掴まって、殺してもらえば良かったのだわ。そして、今、婚約者の見舞いにすら行かせてくれないなら、今、此の場で殺して。此の場で殺して頂戴。私は、二度と()(おく)れない。あの人より後には死なない。あの人の居ない世界に、一秒だって()(なが)らえない。誰でも良いから、今、私を殺しなさい」


 女の子(オナゴンコ)に此処まで言わせるんじゃないわよ、と向子(さきこ)()える(よう)に言った。


 黒服は、驚いた(よう)に、散り散りに去った。


 御姉様、と早佐が泣きながら言うと、向子(さきこ)は、涙を拭いながら、車に乗って、と言った。


「あたしのポルシェ、格好(かっこ)()いでしょ。口紅と同じ色なの。凄ーく早く、(はる)の所に着くんだからね。黒服の連中が運転する車なんかより、速いんだから」



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