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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第五章 悪意
62/68

運命


 本当に焼けてるなぁ、という感想しか、(はる)(いち)は持てなかった。


 隠れ里の敷地内では無いので、消防車は来られたし、病院は、延焼する程は近くない。

 本当に、ただ、坂元本家だけが燃えている。


―多分全焼だな。


 全国ニュースになっちゃうかな、と、ボンヤリ思いながら、(はる)(いち)は、闇夜の中で、赤々と燃える実家を眺めていた。


 自分の黒い着流しの端を、オレンジっぽい、火の色が、チロチロ照らしている。


 (はる)、と叫ぶ声がするが、振り返る気力が無い。

 後ろから抱き締められる。

 (みち)、と、呟いて、(ようや)く、号泣している親友の顔の(ほう)を見る。

 花緑青色(エメラルドグリーン)の着流しが、オレンジっぽい火の色に照らされて、白っぽく見える。


「ごめんな、瑛子(えいこ)さんに、見せられなくなって。木材も、あげられなくなっちゃった。好きだって言ってくれたのに」


(はる)


「隠れ里内じゃ、火事は御法度で、消防車も入れないけど。此処なら、何とか消火出来る。…解体料は市から出るみたいだよ」


(はる)


 こんなの嫌だ、と言って、岐顕(みちあき)は泣きじゃくった。


「俺の好きなものが、大事なものが、あいつに一個ずつ取られてく」


「放火だって決め付けちゃ駄目だよ、(みち)


「そんな訳無い、親父が、犯人、見付けてくれる!…あいつ以外に、俺には考えられない!」


「そう。…犯人が出て来たら放火で、…出て来なかったら、()()()()()なんだろうな」


 性格上、ガスの元栓は確実に締めた。あとは、ブレーカーすら上げていないから、他の火元は思い付かない。()()()()()()()()(おさ)が犯人、という事なのだろう。


(はる)。嫌だ!ちゃんと泣いてよ!怒ってよ!此れは、『酷い事』だよ!酷い事が起きてるんだ!」


 こんなの嫌だよ、と、背後で、湿った声がする。


 違うよ、と言って、(はる)(いち)は背後から抱き締めて来る親友の手に、自分の手を重ねた。


「挑戦状なんだよ」


「…(はる)?」


「此処までされても、()(あきら)めないか?()だ此処を出て行くのか、って。誰かからの」


 そう、(おさ)からの挑戦状とは限らない。


 『御前は本当に決めた事を完遂するのか?』という、挑戦状なのだ。


 其れが、何の存在からなのか、何の事象からなのかは分からないが。


 腹は括ったよ、と(はる)(いち)が呟くと、岐顕は更に泣いた。


「俺、傍に居るから。傍に居るから。(はる)、居なくなったら、嫌だ、(はる)。…こんなの、嫌だ」


 助けて御母さん、という、今まで親友の口から聞いた事が無い言葉を、叫びを、(はる)(いち)は聞いた。




 初めまして、という、世にも優しい声を聞いた(はる)(いち)は、声の(ぬし)に、初めまして、と返した。


 気付けば自身は白装束で、相手も、美しい白い(ころも)を着ていた。


 (はる)(いち)と向かい合って座っている、内側から発光している(よう)に美しい、其の人物は、肌の美しさが、(ころも)(とお)しても分かる程に思われた。


 長い髪も、美しい瞳も、琥珀(こはく)翡翠(ひすい)を削り出して作ったのかと思われる程、透ける(よう)に、明るい色に光っていた。


 其の空間自体も、光に包まれていて、光と、其の人物と自分以外、何も存在していない(よう)に思われた。


玉依姫(たまよりびめ)と申します。(より)と御呼び頂けて?」


 相手は、聞いた事が無い程優しい声で、そう名乗った。


玉依姫(たまよりびめ)…其れが、名前ですか?」


「いえ、此れは、()(しろ)に与えられる名前でして、私という存在に与えられた名前では御座いませんの。如何(どう)か、(より)、と」


「依り代?」


(たま)に生まれるのです、依り代になる女や、依り代を産む女が。そういう役割のみの存在です。役割を果たしたら、消えるか、体の一部を依り代として残して、魂だけ()()()ます」


「…そんな…酷くないですか?」


「まぁ、誤解なさったかしら?重大な任務ですのよ。私にしか出来ない役割です。生み出したものを、私は、私共は純粋に愛しておりますし、出来る事なら(いつく)しみたい。生み出したものを、育てる、という役割は与えられておりませんが」


 やっぱり酷いと思いますけど、と(はる)(いち)が困惑して言うと、相手は、まぁ、と、愛らしい声を出した。


「其れは人間が作った理屈ですので…。次世代を生んで()ぐ死んでしまう生き物も(おお)う御座いますからね。酷い、と決め付けてしまうと、其の生き物の立場も御座いますから…。人間ばかりが特別では御座いませんので。命を生み出す事が何より大事で、生み出す事は私共にしか出来ない素晴らしい事で、生み出したものは全て愛しく、其れが重要ですから…。(そもそも)、愛する存在を生み出さなければ、其の存在を愛する事も叶いませんし、私達は、命を、命懸けで生むのです」


 命懸けの事に対して酷いと申されますと困ってしまいますね、と、本当に困った(よう)に言う声を聞いて、(なん)か可愛いなと(はる)(いち)は思った。


「いえ、御考えを否定しているわけではないのですが…」


 ちょっと俺には分からなかったです、と(はる)(いち)が言うと、相手は、実に優しく微笑んだ。


「人間には分からなくても当然だと思いますわ。そうですね、()だ人間でいらっしゃるのですもの、私と、命の考え方が同じの方が可変(おか)しいのかもしれませんわ」


―何処かで見た(よう)な顔なんだけど。誰かな…。


 (はる)(いち)は、取り敢えず、相手に微笑み返しながら、ええと、と言った。


「実家が焼けてしまいまして…」


 焼けましたねぇ、と、相手は、おっとりと言った。


―あんまり経験した事が無い会話のテンポ…。


 実際に会った事が無いのは確実だな、と思いながら、(はる)(いち)は、次の言葉を探した。


「ええと、何で焼けたのかな、と思ってしまって」


「ああ、火を付けられたからですわね。うちの甥が、御免なさい」


「…放火なんですかぁ?」


―甥?


「ああ、まぁ、証拠は出ないでしょうねぇ。ですから、貴男(あなた)が放火と思えば放火ですし、木が燃えただけ、と思えば、地上の何処(どこ)でも起きている(よう)な事ですわ」


「…広い。宇宙とか地球的視点で見れば、そりゃ、うちの実家の火事なんて、マッチ棒の火より小さいでしょうけど…」


―木が燃えただけ、って、貴女(あなた)


 困惑する(はる)(いち)に、相手は、落雷とか御座いますものねぇ、と、おっとり言った。


「放火でなくても、遅かれ早かれ、焼ける予定でしたから。今日焼けてしまったのねぇ、という感じですねぇ。終戦直後も、焼き討ちに遭いそうになっておりましたし…」


「焼き打ち。…如何(どう)いう事ですか?あの…御説明頂けますか?流石(さすが)に『焼ける予定だった』と言われても、納得が難しいので…。何時(いつ)、そんな予定、決まったんですか?」


「明治四十二年ですわ」


「結構前ですね?!」


「あら、でも、比較的最近では?」


―何と比較して?…ん?此の、思い込みの激しい会話のパターン、覚えが有るな…。テンポは違うけど…。


「宇宙感覚ではそうだと思うんですけど。…人間っていうのは、生まれる前の事って、大昔に感じるもんなんですよぉ」


「そうでしたわね」


 相手が、そう言って、優しく笑うので、(はる)(いち)は、続く言葉を探すのに苦労した。


「あっ、うーん…。如何(どう)すれば、燃えなかったんでしょうね…。家が焼けると、流石(さすが)に悲しくて…。如何(どう)すれば焼けなかったか、御分かりになりますか?」


「ええ、分かりますわ」


 そう言って、相手は嫣然(にっこり)とした。


―…慣れねぇー、此のテンポ。おっとりし過ぎてて、話が進まない。


「…一つ、御教え頂く訳には…」


「まぁ、宜しいですよ。御理解頂けるか否かは分かりませんが…」


「そうですね、何分(なにぶん)()だ人間なので…。何卒(なにとぞ)御手柔(おてやわ)らかに…」


貴男(あなた)が難しい、と感じたら、難しい事ですけれど。簡単だと感じたら、とても単純な事ですから。起きる予定だった事象と、実際起こった事象を、如何様(いかよう)に捉えるかは、御自由になさってくださいませね」


 もう難しいんだけど、という言葉を飲み込んで、(はる)(いち)は、優しい笑顔と声の持ち主に対して、はい、と言った。


()原修一(ばるしゅういち)が、吉野(よしの)(きぬ)と結婚。清水鞆(しみずとも)寿(ひさ)が、吉野(よしの)(ちか)と結婚。以上です」


「え?」


「花嫁が擦り替えられましてねぇ。其れで全ての歯車が狂いました。其処に、芋蔓式に、不幸な偶然と、最善でない選択が重なり、今の(よう)になりました。そのうち、苗の神教(ナエンカンきょう)()原集落(ばるしゅうらく)も崩壊します。貴男(あなた)の家は、其の、崩壊の過程の何処かで焼ける予定が決まってしまいましたから。明治四十二年でズレた歯車を大正の間に食い止められませんでしたからね。焼けない(よう)にする分岐点が、昭和初期に無かった訳では有りませんが、(いず)れも、人間の選択。致し方無い事。貴男(あなた)が生まれる前に決まっていた事で、貴男(あなた)のせいでは無いし、貴男(あなた)が何をしても食い止められなかった事ですから」


 御気落としなさらないでね、と言う優しい声に、(はる)(いち)は、はぁ?と言ってしまった。


「は、花嫁の擦り替え?が、もう、よく分からないですけど。…花嫁が違っただけで、こんな結果に?」


「ええ。明治四十二年に、()原修一(ばるしゅういち)が、坂元本家嫡男となっていれば、(そもそも)、教義は守られました。(げき)の立場の人間が、他人を利用して子孫を求めた事が、(そもそも)の崩壊の切っ掛け。(げき)自身が自分で子孫を儲ければ、時代の変化に対応する事が出来ました。そして、()原修一(ばるしゅういち)が、(かんなぎ)に邪心を起こさず、吉野(よしの)(きぬ)結婚(けっこん)すれば、八人の子と、優秀な跡継ぎが生まれ、()(ばる)本家は安泰。清水鞆(しみずとも)寿(ひさ)が、吉野(よしの)(ちか)結婚(けっこん)すれば、五人の子供に恵まれ、結核で亡くなる事も無く、清水本家も安泰でした。花嫁の擦り替えさえなければ、何とかなったでしょうが…。そして、死ななかった清水鞆(しみずとも)寿(ひさ)と、出奔しなかった(さか)本静(もとせい)(きち)の活躍で、()(ばる)集落は、戦時中も、軍と(えん)を結ぶ事は無く、今も宗教的教義は残されつつも、隠れ里は緩やかに解体され、今は、携帯電話の電波や、インターネット回線くらいは繋がっていた筈です。結果、そうはならず、神々は、()()()事を決めました。我々は、忘れられた神となり、此処では無い次元、宇宙の事象に還ります」


 さようなら、と言って、優しい声の持ち主は微笑んだ。


「でも貴男(あなた)()()()()()、また御会い出来ます事よ。何億年も、何十億年も、皆で仲良く致しましょうね。其れでも万古(ばんこ)不磨(ふま)永々無窮(えいえいむきゅう)、というわけにはいかないかも分かりませんが、此の宇宙が消えてしまうまでは、懇意(こんい)にしてくださいませね。同じ魂の集まり(グループ)の仲間ですもの」


 は、と言って、(はる)(いち)は、口をパクパクとさせた。


「んぇえぇ?え、えっと。一回、整理させてください。昭和初期の分岐点って、何だったか、御聞かせ願えませんかぁ?」


清水(しみず)(ふじ)寿(とし)が、実方(さねかた)(はつ)と結婚。坂本(さかもと)(えい)()実方(さねかた)(なか)と結婚。以上です」


「…そ、れだけ?ですか?」


 はい、と言って、美しい笑みが、再び(はる)(いち)に向けられた。


貴男(あなた)は生まれなくなってしまいますけど…。御家は焼けませんでした」


「…俺の実家が焼けたのは…うちの(ひい)祖父(じい)ちゃんが、うちの曾祖母(ひいばあ)ちゃんと結婚したから、って?」


「ええ。既に出来ている周囲の状況に逆らえなかった、というのは有るでしょうが。木の(ハナ)の咲き(ほころ)(よう)な美しい姉を選び、自身も美しく賢く、栄華を極めますが、弥栄(いやさか)に、(いわ)(よう)(なが)い寿命を持つ子孫を得る事は叶いませんでした。妹の方と結婚した清水本家は五人の子を授かりましたが、そろそろ男児が生まれなくなり、本家の男系は絶えます。緩やかに滅びの方向に畳んでいくには、幸福な方法と言えたかも分かりません。坂本(さかもと)(えい)()という人は、想い人と一緒になれ、生き死にを共にしたのですから」


清水(しみず)(ふじ)寿(とし)が、実方(さねかた)(はつ)と結婚。坂本(さかもと)(えい)()実方(さねかた)(なか)と結婚する。其れだけで、俺の実家は焼けなかった…」


「ええ。どの御宅にも、男女合わせて五人ずつ御子さんが生まれて、跡取りも出来、安泰。(そもそも)()(ばる)(とう)(いち)も、()(ばる)(ゆう)(いち)も、()(ばる)(れい)(いち)も生まれません。()()という子は新宿のコインロッカーに入れられてはいましたが、違う(かた)に発見される予定でしたし、鏡花(きょうか)という子も、依り代として選ばれず、今頃二人共、他所(よそ)で、普通の生活を送っていた事でしょう。美しいから見初められてしまったのですね、()(ばる)集落に閉じ込められてしまって。其処は気の毒でした」


「…鏡花(きょうか)?…誰?でしたっけ…」




『先週、鏡花(きょうか)が来たばっかりだもんな…。まぁ、扱いにくい奴ですよ、令一ってのは。六歳だが、(はる)より聞き訳が無い』


『此の前来た赤ちゃんの事?』


そうじゃない(じゃない)?』




「え?依り代…?其れって。…御産の後、()ぐ、死んじゃうんですか?、其の、鏡花(きょうか)って人は」


「…ちょっと、其の言い方は、私には難しいのですが…。()()を果たしたら、消えます。寿命ですね。依り代として、体の一部は残るかも分かりませんが」


「いやいやいや、待ってくださいよ。既に俺には全部難しいんですってば、如何(どう)にかなりません?其れ」


「でも、貴男(あなた)にも、(さだ)められた事に逆らった部分が有りますから…」


「…俺?」


「依り代の役割しかない女に、勝手に惚れ込んでしまったのですもの。私共、なれるのは、精々、恋人の役までですのに。妻役にも、母親役にもなれませんのよ。そういう役割が与えられていない女に、貴男(あなた)が勝手に惚れ込んでしまったのですわ。長生きしてくれと申されましても…そういう仕組みになっていないもので…。申し訳御座いませんが、現在の仕様(しよう)では御対応致しかねます」


「いや、何、困った顔してんですか。カスタマーセンターのテレオペみたいな事言わないでくださいよ。如何(どう)いう事なんです?」


―何屋さんなんだよ。…ん?此の会話のパターンも、覚えが有るな…。テンポは違うけど…。誰かと風味が似た会話、というか…。


貴男(あなた)、川を()き止めたり、(いかづち)を操ったり、(つるぎ)になったりしておりましたけれど。勝手に、戦前に、溶岩(マグマ)の御嬢さん、山の神の末席(まっせき)の姫君が宿る予定の(かた)に懸想してしまったのです。水と火の恋ですわ。御安心なさって、()()()()()、打ち消し合って、陸地を作り合って、何億年も、何十億年も、愛し合えますからね。宇宙が消えて、一つの無に戻る時には、一緒に無に還れますよ」


 冗談じゃないですよ、と(はる)(いち)は言った。


「…死んだ後、何十億年も愛し合えるからって、生きてる時に、体のあるうちに愛し合えなかったら、意味が無いでしょう?」


 はぁー、と、愛らしい声で、相手は言った。


「でも、此度(こたび)の事は、単なる御褒美(オプション)ですからねぇ。純粋に楽しまれては如何(いかが)ですか?生き物ですし、気に入った(めす)を使って増えるのも宜しいかと…」


御褒美(オプション)?」


 本当にテレフォンオペレーターみたいな事を言い出したな、と思い、(はる)(いち)は困惑した。


―誰がクレーマーだ。いや、其処じゃない。


 ええ、と、相手は優しく言った。


()()()前の御褒美です。加奈陀人(カナダじん)の美人の女の子が御好きらしかったので、洋風の顔の女性を探すのにも、多少苦労は有ったと思いますよ?ですが、願いは聞き届けられました」


 笑顔で、良かったですね、と言う相手に、(はる)(いち)は更に困惑した。


「カナダ人の美人の女の子…?…はぁー?」


「ダイアナ・バリーですよ。流石(さすが)に本物は用意出来ませんからねぇ。後は…グロリア・スワンソンとかコリーン・ムーアとか?今も、古い映画が御好きですってね。女優は()(かく)、架空の人物を気に入るというのも、人間ならではで、好ましいですねぇ」


「…ダイアナって誰っスかー?」


月子(つきこ)ちゃんです。まぁ、御忘れですか?でも、そういうものですよ、生き物ですからね。次の(つき)になったら違う女の子を好きになったりするものです」


「うっ。何か、今の刺さりましたね。いや、今は、そんな事は良いんです。願いって何です?何が聞き届けられたんですって?」


 少々御待ちくださいね、と、本当にテレオペの(よう)な事を言い出した相手は、上空を指差した。


 白く光る世界の上空に、何やら、数人の若者達が、何処かで見た(よう)な、病室のベッドの(よう)な所に腰掛けて談笑している映像が見え、中でも、一際(ひときわ)明るい声で喋っている、若者の姿が、クローズアップされ、更に大きく映し出された。




『おいおい、でも、そういう話なら、俺、美人と大恋愛してみたい。凄い美人と駆け落ちするくらいのやつ。今生(こんじょう)じゃ、そんな予定すらないけど。其の代わり、凄い美人じゃないと嫌だぞ』




「…此の…黒っぽい浴衣を着た、内輪受けを狙って笑いを取ろうとしてる、地元の調子乗った二十歳(はたち)くらいのアンチャンって…。()しかして、俺ですか?」


 ええ、と言って、相手は微笑んだ。


「美人でしょう?願いは聞き届けられました」


「え、いや、此の、頭悪そうな事言って、笑いを取ろうとしてるアンチャンって…俺ですか?」


「口元の黒子(ほくろ)以外は、よく似ておいでですねぇ。既に七、八割は貴男(あなた)、という感じの見た目ですわ。でも、そんなに卑下なさる事はないですよ。貴男(あなた)の経験してきた十八年近い経験を積んでいない人物なのですからね。貴男(あなた)から見たら、十八年分足りなくて、頭が悪そうに見えるかもしれませんが。弟思いで、素敵な(かた)でしたよ。だからこそ御褒美も貰えたのですし」


 俺のアホー、と言って、(はる)(いち)は突っ伏した。


「えー?駆け落ちだけ叶ったんですか?後は?末永く幸せに、とか、畳の上で死ねるとか、オプションはつかないんですか?」


 突っ伏した(まま)、ハンバーガーにポテトもナゲットもつかないんですか、と(はる)(いち)が言うと、優しい声が、まぁ、というのが聞こえた。


「…よく分からないですが、ポテトとナゲットが食べたいなら、ハンバーガーと一緒に御注文頂くのが(すじ)では?頼んだところでオーダーが通ったか否かは分かりませんが。でも、あれが、当時の貴男(あなた)の一番の本音だったのです。結構女好きでいらしたのですよ。御若(おわか)いですわね。此れは、貴男(あなた)が願い、決めてから今生(こんじょう)に生まれてきた課題であり、御褒美です。でも、まさか、逃げずに挑戦(チャレンジ)なさるとはねぇ。そんな苦労をなさらなくても()()()()というのに。御立派ですわ。純度の高い魂が、もっと研磨(けんま)され、見事な切れ味の(つるぎ)となる事でしょう。どうぞ駆け落ちなさってください」


「…(あったま)(わる)ぅ、(おれ)ぇ」


 泣きそう、と(はる)(いち)が言うと、順調ですねぇ、と、嬉しそうな声がした。


 顔を上げた(はる)(いち)が、順調って?と聞くと、美しい微笑みで、相手は、勤勉でいらっしゃる事、と、何処かで聞いた(よう)な事を言った。

 上空の映像は、何時(いつ)の間にか消えていた。


「今回は、『頑張れ』と『良かったな』で、済まさないのですねぇ」


「え?」


「不遇な状態の相手を見ても、『頑張れ』で済まさないのですねぇ」


「…は?当たり前でしょ?不遇な(まま)にさせたくないから、実るか分かんない努力をしてるってのに」


「自分と違う相手の事を、相手が好きでも、『良かったな』で済まさないのですねぇ」


 (つい)に、(はる)(いち)は、良くない、と言って、突っ伏して、泣いてしまった。


「相手の気持ちが分からない。何を手放しても、一番にしてもらえる気がしない。俺の気持ちも伝わらない。何時(いつ)()らないって言われそうな気がする。…もう、引き返せないのに。死んだ後、何十億年愛し合えても、生きてる時に、体のあるうちに好きになってもらえないんじゃ、納得出来ない。『良かったな』で済ませられる訳無い」


 あらあら、と、優しい声が言った。


(まぶ)しい程に人間的で、愛しい(かた)。そうですね、肉体があるうちは仕方が有りませんわ。()()()()()()()()()()()()()()()()、伝わらない」


 (はる)(いち)は、え?と言って、顔を上げた。


()()()?」


「ええ。想いを伝え合うのには肉体は邪魔ですものね。()()()()万事解決です」


「…済みません、要約すると先刻(さっき)から『死ね』『死ね』って言ってません?()()()、って、そういう事ですよね?」


 あらー、と、おっとりした声が言う。

 やはり、(はる)(いち)は、此の会話のテンポに慣れない。


()()()事が魂の目標ですから、そう取られても構いませんが。貴男(あなた)、他の解決手順としては、良い方法が有りますよ。良い御家(おうち)に生まれて、良かった事」


「え?」


「相手に真名(まな)を御伝えすれば宜しいの。そういう意味では、()だ求婚なさっていないのと同義だわ。真名(まな)()()をなさいな。そうすれば、御互いの一部分を相手に(ゆだ)ねられて、強い(きずな)が得られる事でしょう」


()()


「…嫌ですよ。何で、あんな女に、自分の本質を明け渡さなきゃなんないんですか。自分の一部分を(ゆだ)ねるなんて…。何で…。あんな、我が(まま)で、性格の悪い…。くっそー…。其れじゃ、俺が、あいつにベタ惚れみたいじゃないですか!」


「え?」


 絶対嫌です、と言って真っ赤になる(はる)(いち)に、相手は、(いつく)しみ深い声で、泣き()んでくださって良かった事、と言った。


「では、人間の言葉で話しましょうか」


 今までのは何だったんですか、と言う(はる)(いち)に向かって、柔らかな笑みを向けてくれながら、相手は、(さだ)めの話を致します、と言った。


「運命の相手など()りません」


 (はる)(いち)は、うっ、と言った。


「…俺が勝手に、依り代の女を、戦前に見初めたんでしたっけ?…其れは、運命にカウントしてもらえないんでしょうか…」


「そういう御話とも、少し違うのですが。其れも、人間が生み出した観念なのです。運命の相手など存在しないし、袖振り合うも他生(たしょう)(えん)とか申します通り、出会う人全てが運命の相手とも言えます。何億人も居る人間全部と、一生のうちに出会う事は不可能ですからね。そして、自分が運命の相手だと思えば、其れは運命の相手になる。そういう『観念』の話です」


 今、御決めになったら?と、優しい声が言った。


「御自身の運命の相手を、御決めになったら?」


「…決めたら、そうなる、っていうのが、ピンと来ないんですけど」


 ()()()って御存知ないかしら?と、愛らしい声が言った。


「名前を付ける事で、概念を高度に抽象化するのです」


 難しいかしら、と言って、相手は話題を変えた。


(さだ)めの御話に戻りますわね。外国(とつくに)の言葉を御借りしましょう。変えられないのが宿命(しゅくめい)。変えられるのが運命(うんめい)です」


「宿命と運命?」


「ええ、親を選べないとか、そういう、自分では変えられない、(あらかじ)め決まって生まれてきたものを、宿命と言います。対して、自身の努力で変えられるものは、運命と言います。だから、『運命』の相手は、御自身で決めて宜しいのよ。難しいかしら?では、御好きな時に御決めになってね。変更も可能ですから。人間とは、間違うものなのですもの」


―…クーリングオフ制度適用可能、みたいな言い方してくるなぁ。何屋さんなんだ?


「運命は、変えられる?」


「ええ、人生の設計図の(よう)なものですの。偶然性や人間の意思によって変えられるのです。何と、偶然性による変化が許されているとは、美しくも、愛しい事ですね。体が無ければ味わえない事です」


 本来は、と、優しい声は言った。


()(ばる)、いえ、坂本(さかもと)修一(しゅういち)は、吉野(よしの)(きぬ)を娶り、清水鞆(しみずとも)寿(ひさ)は、吉野(よしの)(ちか)を娶りました。坂本(さかもと)(せい)(きち)は坂元分家当主となり、坂本ヨシを娶りました。二人は三人の子に恵まれ、長男の紘一(こういち)は、伯父の修一(しゅういち)の長男、自身の従兄(いとこ)の補佐になりました。彼等は幼馴染で育ち、仲も良く、坂元家は集落内での立場が悪くなる事も無く、集落には、賢く美しい人間が増えました。細々と、幸福の内に、瀬原(せばる)集落は、時代に合わせて解体され、しかし、信仰も忘れられず、人々は、長く、我々と共に在る筈でした。しかし、そうはなりませんでした。人々は、自分の意志で、喜怒哀楽で行動を起こし、人を愛し、妬み、増えました。愛しい事ですが、(かんなぎ)を追い遣った責めは負わなければならない。運命という(さだ)めは、集落の滅びの方向に変更されました。歯車が狂ったからです。もう止まりません。幕引きをする人間を、依り代の女達が産んでくれるでしょう。貴男(あなた)も、其の一助となるのかもしれませんが、得手勝手に増えなさい。生き物ですから。偶然性による変化が許されているのです。貴男(あなた)の行動如何(いかん)によって、誰かの寿命も変わるかもしれないし、貴男(あなた)の運命も変わるのかもしれない」


紘一(こういち)…?


 あの、と(はる)(いち)は言った。


「増えろ、って?」


「ああ、何でも宜しいのですよ。貴男(あなた)の考えを伝えれば、貴男(あなた)の思考が、他人の頭の中に伝わって、其れが『増えた』事になる。何かを作るのでも、子を成すのでも、自由です。全部、あの祈りの場所を通じて、青い場所に、『意識』として貯めて頂けますからね。そうして皆、宇宙の図書館の本の一冊にも、青い場所に咲く、美しい青い花の一輪にもなれます」


 青い場所に御行きになる?という優しい声に、今度にします、と(はる)(いち)は言った。


「そう?私、貴男(あなた)の事も、愛おしいですよ。何時(いつ)(いと)()と仲良くしてくださって有難う。さようなら」




 琥珀(こはく)翡翠(ひすい)の輝きを(まと)った、美しい女性は、(はる)(いち)が、病院のベッドの上らしき場所で目を開けると、実体化していた。


―いや、顔立ちは似てないか?


 早佐(はやさ)、と小さい声で呼ぶと、此方(こちら)を覗き込んでいた、赤っぽい(つむぎ)を着た婚約者の顔から、涙が零れて来て、(はる)(いち)の頬を濡らした。


 其の温度に、ああ、生きている、と、(はる)(いち)は思った。



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