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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第五章 悪意
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坂元本家


 宗顕と岐顕は、黒服達を病院に連れて行く、と言って、(はる)(はや)()を、坂元本家で降ろした。


 じゃあね、と、岐顕は、笑顔で言った。


「俺は、めっちゃ気を遣って、日没まで迎えに来ない。此の(まま)、親父と、(りゅう)の事も迎えに行っちゃう」


「…『気を遣う』、って、本人達に向かって、態々(わざわざ)言わない方が良いと思うな」


 しかし、(はる)の言葉には答えず、義兄は、俺ってば気遣いの人だからー、と、明るく言って、黄色い車で去っていった。




―此処が、坂元本家。…凄い。


 着物を着た人間が上がれる(よう)な、低い段の石段が三段程敷かれた上に、白漆喰と瓦で作られた、(まご)(かた)()本家門(ほんけもん)が在った。門にも屋根にも、同じ瓦が使われている。


―門に使われている金具の意匠からして、別格だわ。


 驚いて目を見張る早佐に対して、(はる)は、何の(てら)いも無く、古いだろ、と言った。


―…此の人には、此れが普通なのだわ。本気で、本家としての体裁など無い、古いだけの家だと考えているのね。


 早佐は、格の違いを見せ付けられた気分で、黙って、目を(しばた)かせてしまった。


 そして、玄関とは別に、家の敷地の中に入ってからも、玄関に辿り着くまでに、敷石と、曲がりくねった通路、そして、恐ろしく立派な玄関と、其れとは別に、庭に到る場所にも門が在った。

 しかも、表玄関の他に、内玄関が在るとの事だった。


―玄関と門が二つも。其れに、此の入り口。恐らく、外敵の侵入を防ぐ為の造りだわ。




 通された上座敷の壁紙には、恐らく、(かつ)ては鮮やかであったのであろう染料が使われていた。


「此の、桃色の(よう)な、茶色の(よう)な物は…」


 早佐の問いに、ああ、と、気不味そうに、(はる)は言った。


紅殻(ベンガラ)の跡だよ。かなり長い事塗り直してないらしくて、茶色っぽいけど、元は赤らしい」


紅殻(べにがら)?!」


 昔は、インドのベンガル地方からの渡来品で、高価だった筈の染料である。

 其れを、自身の先祖が、大量に壁面に塗る事が可能だった、という事が、如何(どう)いう事なのか、(はる)自身は、何とも考えていないらしかった。


…新築の、(おさ)(やかた)など、比較にならない。…本物の名家なのだわ、此処は。


 しかし、(はる)は、見る物無いだろ、と、申し訳なさそうに言った。


「家具も結構処分しちゃって。広過ぎて、そろそろ俺だけじゃ管理がキツいんだよ」


 そして(はる)は、上座敷から次の間(ツギノマ)を通って、玄関に入って()ぐの、下座敷まで戻って、炊事場(ナカエ)まで案内しよう、と言った。


―此れは。此れも、表玄関に入って()ぐは、下座敷、そして、囲炉裏端の在る広間(ヒロマ)。玄関からの侵入者が、奥座敷や、上位の者の為の上座敷に、簡単に侵入出来ない(よう)になっているわ。


 早佐が、建物の内部を見渡していると、囲炉裏が珍しいか?と、(はる)が尋ねてきた。

 はい、と早佐が言うと、そうか、と言って、(はる)は、囲炉裏の傍まで、早佐を連れて来てくれた。


 あら、と早佐は言った。


此方(こちら)から見ると気付きましたが、表玄関の方に、何やら、襖が有りますのね?壁かと思っておりましたが。履物の収納にしては大きい(よう)な…。あら、御部屋?にしては細長い(よう)な…」


 ああ、と(はる)は、何でも無い事の(よう)に言った。


弓的場(きゅうてきじょう)だよ」


「え?」


 (はる)は、キョトンとして、見るか?と言った。

 早佐も、キョトン、とし返してしまったが、ええ、と答えた。


―此の人にとっては、何もかもが当たり前なのね。でも、見た事も聞いた事も無いわ。


 (はる)が開けてくれた襖の中には、細長い、弓の練習場が在った。


「…は?え?此れは?」


 弓的場(きゅうてきじょう)だよ、と、もう一度、(はる)は言った。


(ひい)祖父(じい)ちゃんは、弓の名手だったんだ。一応、文武両道の家風なんだよ、うちは。まぁ、俺は、体術ばっかりで、弓は、何年も、触っても無いけど。此の、弓的場(きゅうてきじょう)で、雨の日も鍛練出来る(よう)になってるんだ」


「あ…。え?文武両道?」


「そう。本当は、本家当主なんだから、俺も、勉強だけじゃなくて、武芸も出来ないとなんだけど。あんまり真面目に遣ってないから、御先祖には申し訳ないな」


 (はる)が強い、というのは、先程、()(ばる)本家の前で披露された、岐顕との手合わせとやらで、早佐にも分かっていたが、(ゆみ)ともなると流石(さすが)に、如何(どう)捉えて良いのか分からないくらい驚いた。


 無論、先刻(せんこく)の動きも、あんな動きをする人間自体を見た事が無かったので、『驚いた』では、言葉が足りないくらいだったのだが。


―低く見積もっていたどころか。此の人の事、私、何にも分かっていなかったに等しいのかもしれないわ…。


 しかし、此の、外敵の侵入を(はば)む造りの家と、何時(いつ)でも何かに備えて鍛練を欠かさない家風、というのは、気になる所である。


―何かが可変(おか)しいわ。


「…そう言えば、自室の中二階が在るとか?養蚕小屋か、戦時中の米の隠し場所か、()()の場所、と仰っていらっしゃいました?」


 (はる)は、よく覚えてるなぁ、と、感心した(よう)に言った。


「そう、中二階。屋根裏部屋みたいな感じかな。あそこの梯子(はしご)(のぼ)るんだ」


 囲炉裏の上なんだけどさ、と言って、(はる)は、再び、囲炉裏の所まで戻ってくれた

 確かに、広間(ヒロマ)から見える、奥座敷と納戸(ナンド)の間に梯子(はしご)が在った。


―あそこで、囲炉裏端では出来ない(よう)な密談を…?


 囲炉裏端に着くと、早佐は、不自然な部分を発見した。


「此の、一部分だけ畳では無い、床が板になっている場所は、首座(しゅざ)ですか?」


 ああ、と言って、(はる)は、パカッと、板を外してくれた。


「秘密の逃走経路なんだ。女子供を、此処から逃がしていたそうだ。()だ使えるぞ。奥座敷にも、秘密の部屋が在るし」


「…逃走経路に、秘密の部屋?」


「そう。其処に家族を隠すんだな」


 此れで、此の家が、何かの密談を行いつつ、外敵に備えていた事は、確実になった。


―豪華な壁紙の上座敷に上級の者を置き、玄関に入って()ぐの場所には、練習場と称して、武器となる弓を、何時(いつ)でも取り出せる場所に配置。此の、囲炉裏端は、上座敷より簡素な造りで、(べに)(がら)など塗られていない。恐らく、少し下級の、上級の者を守護する者が配備されていた?其の上には、密談が行われる中二階。そして、武器を持つ守護者の足元から、女子供を逃がしていて…。其の逃走経路が、()だ使える、ですって?曳家(ひきや)だか移築だか、という話だったのに…。


 何かが可変(おか)しい、と早佐は思った。


―恐らく、本物の名家は、()(ばる)家などではなく、本来、()()なのだわ。其処までして逃がさなければならない、上級の者の血筋だった、という事。其れが、何時(いつ)の頃からか、()()されたのだわ。何時(いつ)かは分からないけれど、坂元家の方が下に見られる(よう)になってしまった。恐らく、何かが起きたのか、貴人だった事が()()されている。


 戦慄する早佐を他所(よそ)に、そう言えば袋麵(ふくろめん)見るか?と言って、恐らくは尊い血筋の、しかし、其の事が当たり前過ぎて、何ら特別な事だとすら思っていない当主は、スタスタと、炊事場(ナカエ)に向かった。




 参考にさせて頂いた邸宅は、国の重要伝統的建造物群保存地区の中の最古の物でとされており、市の指定有形文化財とされております。遠縁に子爵(華族)が居る家柄のようです。建物に瓦が使用出来ているという事は、此の辺りでは、十石以上の石高(こくだか)が無ければ許可されなかったそうです。

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