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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第五章 悪意
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実方宗顕


 さて、揃って、車に乗ろう、と、()(ばる)本家の前の本通りに出たところ、(みち)(あき)が回させていた筈の車は無く、代わりに、()(ばる)本家の精鋭黒服部隊が待ち構えていたので、岐顕は、先程までの明るさを引っ込めて、静かに、如何(どう)いう事だ、と言った。


 手練れ揃いの、精鋭の黒服部隊の筈なのに、其の威圧感に、一瞬、身を強張(こわば)らせたのが、(はる)(いち)にも分かった。


―あ、不味い。


 基本的に、明るく親切な親友であるので、其れは、何年かに一度しか見られない光景なのだが、此の(まま)だと確実に、『岐顕がブチ切れる』という、休火山の噴火レベルの事態が起きる事を、長い付き合いの(はる)(いち)は確信した。


―うーん、しかし、此れ、(おさ)の命令なのかな。黒服の監視?やっぱり、早佐を外に出す気は無い、って事?


 しかし、()せばいいのに、黒服の一人が、何方(どちら)へ、などと発言してしまった。


 岐顕は、ほう、と、低い声で言った。

 こんな時に何だが、怒っている時の声は、()いバリトンなので、()ぐ分かる。


「…『如何(どう)いう事だ』と問うた言葉に返事もせず、此方(こちら)の行き先を問うてくる声が聞こえた様子だが?」


―そりゃそうだぁ。回答以外に発言は許されてないよな?馬鹿たれがぁ。本当に精鋭部隊かよぉ。


 恐らく、年齢的には、此の場で一番の若輩者の(はる)(いち)だったが、流石(さすが)に、大人の黒服に向かって『なっちゃいねぇ』と言いたくなったくらい、其れは、本家後継に対する態度としては失敗だった。


 流石に失言に気付いたらしく、言った黒服も、其の上司らしい黒服も動揺の色を見せたが、今更遅い。


 うちの黒服達は如何(どう)した、と、部下思いの岐顕が、鋭い声を出した。


―まぁ、そりゃ怒るよな。でも、不味い。(おさ)の黒服部隊に何かしたら、(おさ)に弓引く事になる。


 しかし、本家後継の岐顕を此処まで怒らせれば、成り行きとしては仕方が無い事であり、最早、(こぶし)は振り上げられているのと同然であり、此の身分の高さの人間が振り上げた(こぶし)は、相応(そうおう)の何かに振り下ろされなければ、収め所が無い。


 そう、(おさ)でも無く、黒服でも無く、此の場で、岐顕より身分が高い人間が収めるしかない。


―…マジッスか(みち)(あき)さん。俺、此の状況を、一番身分が高いからって、如何(どう)にかしなきゃいけないの?…もう、俺、本家当主、辞めてぇー。


 とっとと実方不動産に就職して岐顕の部下になってやる、と思いながら、(はる)(いち)は、岐顕殿、と言った。


 此方(こちら)を振り返った岐顕の目は座っていた。


―…(こえ)ぇー。


 (はる)(いち)が、頼む、と念じながら微笑むと、岐顕は、全然納得していない目を向けてきたが、状況に気付いたらしく、ムッとした顔をしてから、溜息をついた。


―そうそう、(おさ)に弓引く訳にはいかないでしょ。…そして。


「御手合せ願おう」


 『岐顕に向かって言いたくない言葉』のベスト(ファイブ)くらいにはランクインしそうな言葉を、相当無理した笑顔で言う羽目になった(はる)(いち)は、心の中でだけ、最悪だよもう、と言った。


 案の定、『手合わせ』という単語を耳にした岐顕の顔は、パァーッと明るくなった。


―うぅ。でも、俺が受けないと、如何(どう)にもならない(こぶし)だからな…。


 岐顕は、邪悪と形容出来るくらいの良い笑顔をしながら、小声で、食べといて良かった、と言って、此方(こちら)に向かって構えた。


―俺の(ほう)は、あんなに食べなきゃ良かった…。別に、食べ過ぎたわけじゃないけど、食べた直後に、何で、こんな事しないといけないの?横っ腹が痛くなるやつじゃん、コレ。羽織袴で本通りを爆走してきた後、羽織袴で、往来(おうらい)で、何で手合せしないといけないの?…あ、食べたばっかりなのは、(みち)も同じだった。大体、朝から飲まず食わずで、本通りをダッシュ出来たのは、何でなの?マジでバケモンじゃないの?何なの?勝てるわけ無いじゃん。


 そして、石畳の道の上で、白足袋に草履というだけでも最悪なのに、白張(しらはり)姿の相手に対して、盛装の(はる)(いち)は、既に()が悪かった。


―何で、こんな目に。…いや、今更迷うな。


 (はる)(いち)は、草履と足袋を脱いで裸足になると、足袋を懐に入れ、羽織を脱ぐと、申し訳ない、と言って、早佐に手渡した。


「御持ち頂けるか?」


 青褪めた顔で事態を見守っていた早佐は、眼を(しばた)かせながら、はい、と言って、(はる)(いち)の羽織を受け取ってくれた。


 小声で、良いねぇ、と言った岐顕も裸足になったので、(はる)(いち)は、心の中でだけで、んもー、と言ったが、諦めて構えた。


 早速、大変重たい蹴りが来た。


―まぁー、足が良く上がります事で。バランスも大変宜しいですねぇ。貧血起こし掛けてた人間の回復力とは思えないのよ。もー、俺だったら口から餡子(あんこ)(もち)(ごめ)出てるね、此の動き。


 (かわ)すしかない蹴りだったのだが、(かわ)すと、岐顕は、更に、とても良い笑顔になった。


―こっわ。…あー、反撃ったってなー。此の袴で、何処まで足が上がるんだ?俺。…あ、結構いけたな。


 (はる)(いち)の蹴りは、体を少し()らすだけ、というくらいの、大変小さな動作で、美しく()けられてしまい、相手は其処から、大変重たい突きを、全然無駄のない動作で繰り出してきた。


 此れまた、(かわ)すしかなかった。


―あ、やっぱ横っ腹痛くなってきた。うん、俺の突きも避けるよね、そりゃ。うーん、距離取りてぇなぁ。


 (はる)(いち)が、岐顕から離れようかと思っていた矢先に、相手が、側転で距離を取ってきた。


 黒服達の方から、小さな歓声が上がった。


―あ。俺が此の前遣ったやつ。


 側転から、構えの姿勢に戻った岐顕が、ニヤッと笑ってから、小声で、()ぐ終わったら詰まらないもんね、と言った。


―あ、そういう事?…マジッスか。…うーん、じゃあ、(みち)が前遣ってたやつ、遣るしかないのかー。


 (はる)(いち)は、不承不承(ふしょうぶしょう)、相手の蹴りを避けてから後方転回(バク転)した。


 此れまた、黒服達の、小さな歓声が聞こえた。


―うーわ、袴、(おも)っ。バク転向きじゃねーなー。


 着地した(はる)(いち)が、もう一度構えの姿勢を取ったところで、其処まで、という、聞き覚えの有る声がしたので、(はる)(いち)は安心した。


(むね)(あき)殿」


 一九〇センチはあろうかという長身の、白張(しらはり)姿の又従兄(はとこ)は、穏やかな笑顔で、御久しゅう御座います、と言ってくれた。


 相変わらず渋い。


 此方(こちら)は、不機嫌では無くとも()いバリトンで、顔は似ていない親子だが、声は案外似ている。


此度(こたび)は、御結婚、誠に御目出とう御座います」


「此れは此れは、有難う存じます」


 しかし、(はる)(いち)との手合わせを父親に邪魔された岐顕は、歯噛みしながら、イーッと言った。


 父親に対する甘えが噴出する其の姿を、恐らく、早佐も含めて初めて見るのだろう、(はる)(いち)と宋顕以外の人間は、目を点にしていた。


 しかし、宗顕は慣れた様子で、何が欲しい?と、穏やかに言った。


 岐顕は、唇を尖らせながら、焼き立てパン屋、と言った。


 宗顕は、分かった、と言った。


「パン職人が欲しいのか?土地が欲しいのか?上物(うわもの)が欲しいのか?」


上物(うわもの)。土地はポケットマネーで、自分で買うから。石窯付きの厨房の在る店舗作って。駐車場スペースも舗装して」


「分かった」


「あと、道路も舗装して。今度買う土地の道路拡張したい」


「分かった」


「あと、今度、解体業者紹介して。古民家解体したい。古民家の木材の方は、俺に頂戴」


 解体料も出してやろう、と宗顕が言うと、岐顕は、やっと、ニカッと笑った。


 (はる)(いち)は思わず、プレゼンしょぼ!と言った。


「あんだけ企画立てられるのに、プレゼン、しょぼ!此れじゃ、ただの御強請(おねだ)りじゃん。御金出してもらうのに、建てたい物の、詳細の説明は、しないの?!」


 岐顕は、笑顔で、良いじゃーん、と言って、サッサと、足袋と草履を履き直した。


「親父が書類に捺印する前に説明するからー。やったー、パン屋作ってもーらお」


 ちょっと(そう)さーん、と(はる)(いち)は言った。


「良いんですかぁ?!」


 しかし宋顕は、穏やかに微笑んだ(まま)、宜しいんですよ、と言った。


「儲けは出せる子だと信じておりますから。其の点は心配しておりません」


 岐顕は、わーい、と言った。


「親父にもパンあげるねー」


 (あっ)たり(まえ)だろ、と(はる)(いち)は言った。


(そう)さんが建てるパン屋なのに、何で(そう)さんが、御前の許可無しにパン食べられないんだよ!」


 岐顕はニコニコしながら、貰ったら俺んだし、と言った。


 ちょっと(そう)さーん、と、(はる)(いち)は再び言った。


「良いんですかぁ?!」


 しかし宋顕は、穏やかに微笑んだ(まま)、再度、宜しいんですよ、と言った。


(みち)、糖尿には気を付けろよ」


 岐顕は、今度は、少し黙ってから、はい、と言った。


―あ、凄い。(みち)を黙らせた。


 そして、実方本家親子が焼き立てパン屋を手に入れる予定の話を、静かに聞いていた聴衆は、早佐も含めて、全員、目が点だった。


―分かるー。欲しがる物も可変(おか)しければ、欲しい物の買い与え方と金の出し方も可変(おか)しいんだよなぁ。俺が商売人じゃないからなのか何なのか、儲けが出ればいい、っていうのも、よく分かんないし。




「さ、参りましょうか」


 宗顕は、穏やかに、そう言って、早佐に手を差し伸べた。


 早佐は、左手で(はる)(いち)の羽織を持った(まま)、おずおずと、右手を、姉の(しゅうと)の方へ差し出した。


 宗顕は、(うやうや)しく早佐の手を取ると、(みち)、と言った。


「車を運転しなさい。早佐様を病院に御連れする。具合が悪いから、息子に車を回させたのですよね?(おさ)の不在中なのですから、何時(いつ)でも、御姉様の婚家を頼ってくださって構いませんからね。ああ、其れと、御結婚、御目出とう御座います。改めて、御祝いさせて頂きますからね」


―あ、上手い。


 宋顕は、此れから病院に向かう事にしてくれる心算(つもり)なのだ。

 其れも、実方本家が出てきた理由を、上手い事、(おさ)の不在を理由にして、()わば、『(おさ)が居ない時に早佐の具合が悪くなった』、と、()(ばる)本家に責任を少し(なす)り付ける形で、更に『()(ばる)本家の代わりに早佐を病院に連れて行ってあげた』という貸しを(おさ)に作って、実行する気なのだ。


―器が違うわ…。


 顕彦(あきひこ)が高齢なので、本家後継とは言え、実質の実方本家当主と言って良い存在だが、こういう人間こそが本家当主を名乗るべきだな、と、(はる)(いち)は、感動さえ覚えながら、又従兄(はとこ)の、広い背中を見た。


 黒服の中で、言葉を発する者など、ただの一人も()らず、宋顕は、彼等を空気の(よう)に扱って、岐顕に、車を回しておいで、と言った。


「御前の車は、見付けて、清水本家の前に停めさせて頂いているから」


 優しい又従兄(はとこ)は容赦無く、しかし穏やかに、走れ、と息子に言った。


 岐顕は、其の、威厳タップリの姿に、はい、と返答するや、(はじ)かれた(よう)に、本通りを走っていった。




 岐顕の姿が見えなくなってから、此れは独り言だが、と、宗顕は穏やかに言った。


「うちの黒服の姿が見えなんだが」


 其の場に居た黒服全員が、サァーッと居なくなり、(やや)あって、実方家の、数人の黒服が、裏道の彼方此方(あちこち)から、怪我をした様子で戻ってきた。


 宗顕は、ほう、と、穏やかに言った。


「怪我をした子達も、別の車で、一緒に病院においで。…後で下手人を報告しなさい。まぁ、こういう事を他人にする人間にも、親兄弟や家族は有ろうから。(おさ)に弓引かずとも、落とし前の付け方というのは存在するものだよ。安心しなさい。雇用主には、御前達を守る義務がある。相手も命じられて遣った事かもしれないが、本家にも立場が有るからね…。(こと)に、うちの一人息子に取っても良い態度と悪い態度、というものは、覚えてもらわねばならないね」


 あー、個人的制裁という手が有りましたか、と(はる)(いち)は思ったが、穏やかに、そう言う又従兄(はとこ)が、怒っている岐顕よりも怖かったので、黙って、足袋と草履を履き直した。


 早佐が、羽織を、そっと手渡してくれたので、(はる)(いち)は、礼を言って、羽織も着直して、岐顕の運転する車を待った。



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