売買
早佐の部屋で昼餉の続きを食べながら、治一は、そう言えばさ、と言った。
「岐さ、うちの土地屋敷、買ってくんない?」
「え?うん。買う買う。何時買うー?」
「やー、早い程、助かるんだけど。やっぱ売ろうと思って。そんで俺を、岐のとこの会社に、就職させてくんない?普免取るし。俺、早佐と此処を出たいんだわ」
「あー、良いよー。じゃ、来月頭に買ったげる。今月、そろそろ予算締めるから。月の下旬に、あんまり大きい御金動かすと、色々言われそうでさ。あ、そだ、何か忘れてると思った。不動産会社に就職で思い出したけど、免許取ったら、一緒に日帰りで長崎行かない?御前の運転で」
「…行き成り高速道路かよ…。スパルタだな」
「何がスパルタなもんかね。遣らなきゃ、何時まで経っても上達せんよ。ペーパードライバーになる心算かい。何事も実践」
あまりにも気軽な遣り取りに思えたのか、治一同様、昼餉の続きを食べていた早佐が、目を剥いて、え?と言った。
「…今の遣り取りで、土地の売買や就職が決まってしまったのですか?もっと大事だと考えていたのですが…。こういうものなのでしょうか…?」
しかし岐顕は、如何かねぇ、と軽く言い、義妹の困惑を他所に、先程、厨から貰った、御代わりの玉露を、ゴクゴクと飲み干し、続けた。
「俺も、親友と土地の遣り取りとかした事無いし、他では如何やって売買してんのか、知らないけどねぇ。あ、治、三千万でいい?上物の解体費も出すから、ついでに墓参りの時に通る道も買って良い?もう一回、共有地に戻す。で、通行自由にしよ。御墓の手入れとかもしてあげるから。そんで、坂元本家の家に使ってた木材、貰って良い?もう、あんな良い木、手に入らないからさ」
「え?助かるけど。儲けは出るの?」
其れがさー、と岐顕は言った。
「福岡でクロワッサン食べたじゃん?焼き立てパンが食べられる店、近所に欲しくなっちゃって。で、無ければ作ればいいじゃない、と思って。あの立地、潰して、食料品置くにしても、野菜売り場とか手作り御握り屋とかと併設して、焼き立てパンの店出したら、当たるんじゃないかなって。ほら、病院の近くじゃん。雑誌とかコップみたいな雑貨も置いて、通院とか入院する人の購買みたいな感じにすれば、ソトの人の集客も見込めるし。駄目でも、病院に食品を卸す、とかすれば、販路作れるかもだし」
商才怖っ!と治一は言った。
「いやー、焼き立てパンってだけで、瀬原集落じゃ大喜びされそうじゃん?此の辺って、ロバのパン屋さんも来てくれないし。あー、だから、墓参りの時使う道を共有地に戻すのか」
「そそ。あそこの道、軽自動車なら楽に通れるくらいは幅が有るじゃん?ソトと繋げて、舗装してあげる。買い物客が通り易くなるでしょ?やっぱ田舎の車社会には車向けの通路よ」
「岐、スゲー」
治一は、そう言って、心から親友の商才を称賛したのだが、仕事に関してはシビアな岐顕は、珍しく、もっと褒めても良いよ、などとは言わず、軽く、大袈裟に考えなくてもさ、と言った。
「店っていうか、パンとか御握りと一緒に、ファーマーズマーケットみたいな、瀬原集落で取れた野菜とか、黒服の奥さんとかの作った御菓子とか、漬物とか置いても良いんだよ。其れだと仲介業者が要らないし、里の人が値段設定出来るし、里にも貢献出来るから。そう考えると、プレゼン次第では、建物代は親父が出してくれそうだし、道路舗装も、地域貢献になるなら、本来、儲けは度外視でも良いのよ。でも、まぁ、小麦は兎も角、野菜は各自の家で作ってるから、商品にならない様な不揃い野菜なんて、材料としては、ほぼ無料で集まるし、米は、新米とか貰えた時に、新米の御握り出す感じにすれば材料費も要らないし、職員は黒服の身内になるだろうから、集め易いし、九時五時でパート代出しても、…うん、いけそうだよな。雇用も増やせるから、反対も出難そうだし。イートインスペースとか作れば年寄の溜まり場も出来そうだし。パン買ったらコーヒー一杯無料とかね。家によっては茶葉も作ってるからなー。飲み物の問題もクリア出来そう。遣り様は幾らでもあるのよ、出来もしない、御洒落な今時の店にしようとさえしなければ。得意分野を伸ばすわけ。地産地消。漬物作るのなんか、年寄に敵う訳無いんだし、そういうのを売れば充分美味しいでしょ」
と、思って、と言って締め括る親友に、治一は、もう一度、スゲー、と言った。
「何か、もう美味そう。採れ立て野菜とか使ったパンと、無農薬で作った新米の御握りと、手作りの郷土菓子とか、地元の漬物」
岐顕は、そりゃ御前、と、明るく言った。
「俺が携わった食べ物が不味くなる事は許さないからな」
―怖。
商才より恐れるべきは食欲なのかもしれない、と、治一は、親友に対して思ったが、言わなかった。
稍あって、食欲が怖い従は、食べ終わりましたか?と此方に聞いて来た。
「先刻、御茶の御代わりを頂くついでに、黒服に車を回して来るように言いましたからね」
立場が其れ程強いとは自分でも考えていない主と、箱入り娘は、揃って、小声で、はい、と言った。
少なくとも、今後も、『近所に焼き立てパン屋が欲しいけど無いから作れば良いじゃない』と言って、自分に三千万払う事を決めるのが、ほぼ脊髄反射と言っても過言ではないくらい短い時間だった人間よりも強い立場になれる気は、全くしない治一である。
※ロバのパン屋さん 昭和初期から、日本でロバ、あるいは馬に馬車を牽かせて街なかを移動しながら売られたパン屋の事。高度経済成長期以降、馬車による販売形態から、自動車による販売に切り替えられた。
小さい頃、公園などで遊んでいると、ロバのパン屋さんの歌だけが聞こえて来ていて、何故あの音楽が聞こえるのか分からず、大人になってから「パンの移動販売だったのか!」と判明した、という、声はすれども姿は見えず、といった、『ロバのパン屋さんと遭遇していない』思い出だけが有ります(まだ『ロバのパン屋さん』の歌、歌えるのに)。
故に、平成の真ん中くらいになっても、鹿児島市内に、ロバのパン屋さんは来てくれていた筈なのですが、いつまで、何処に、という資料は発見出来ませんでした。
案外、まだ来てくれているのかも…。
因みに、コロナ禍になるまでは、都内なのに、お豆腐屋さんが近所に来てくれておりました。出身地でも、ラッパを吹きながら来てくれるお豆腐屋さんって、見なかったのに…。
鹿児島のお豆腐屋さんの話は別に有るので、違う機会に書き留められたらいいなと思います。




