提案
「いや、ちょっと。庭で、って。オープン過ぎるからぁ」
背後から、息を切らしている白装束姿の親友に声を掛けられて、治一は驚いて、長の館の庭先で早佐を抱いた儘、あ、ヤベ、と言った。
高崎山の猿も吃驚のマウンティングだったねー、と、楽しそうに岐顕は言った。
「ま、令一も、もう行っちゃったし、良いんじゃない?とは思うけど」
「え?長、居た?」
「居た居た。バッチリ見てたよ。最高~。ザマァ」
岐顕が、そう言って、ニカッと笑ったので、治一は、もう一度、ヤベ、と言った。
「え?俺、白装束の長の前で、羽織袴で登場しちゃったって事?」
―服装規定として、長より盛装は不味い。確かに此れじゃ、マウンティングだわ…。いや、だから、白装束に着替えて館に来る心算だったのに、着替える暇が無かったんだよな。
オマケに、此れまた、自分の家の庭先で妹と居る、という事以上の場面を見せてしまった事になる。
―…マウンティングか…。ヤベー。まぁ、密通しておいて、今更、と言われると…。
治一は流石に、長が、どんな表情をして此方を見ていたかについては、岐顕に尋ねかねた。
ボス猿並みのマウンティングだったね、と、更に楽しそうに岐顕は言った。
「ま、自分が館に居る時間を正確に周りに伝えないから、こういう事が起きるんだわ。身分が高い自覚が有るなら、気分で御出座しの時間を変えちゃいかんのよ。そんなん、分かり切ってる事なのに。ま、御前が、令一が居るのを知らないで、婚約者に羽織袴で会いに来ちゃったのは、あいつのせいだから、文句も言えないだろうし、余計に悔しいだろうなー。メスも此方を選びましたよ、つってね。重ねて、良~いマウンティングでしたなー。いやー、ハンバーガーに、セットでポテトも付けますか?的なねー」
「…義妹の事、雌とか言わない方が良いと思うな…。…てか、見た事無いくらい顔色悪いよ?岐」
如何した?と治一が言うと、あははー、と言って、岐顕は屈み込んだ。
「…朝から何も食べてない」
嘘だろ、と言って、治一は、早佐から離れて、親友に駆け寄った。
「え?其れで、俺の従者として、一緒に、本通りを疾走してくれたの?!」
「いや、だって、早佐ちゃんが館に一人のところに、令一が帰って来ちゃうかも、と思って、心配で…。あ、ヤベ。視界が白くなってきた。…ごめん、早佐ちゃん、何か、食べる物、無い?」
「えー?!早佐、ごめん、何か食べ物くれない?!従者に昼餉を出せない決まりなのは百も承知だけど!」
恐らく、食べ物を恵んでくれ、などとは、他人に言われた事が無いであろう、箱入り娘の婚約者は、目を点にしながら、はい、と言った。
いやー、有難う、と言いながら、飯椀に、自ら杓文字で糯米をよそい、木の匙で、其の上に更に粒餡を盛る親友に向かって、治一は、早佐の部屋で、早佐と向かい合って、箱膳で用意された昼餉を食べながら、怖いよ、と言った。
「隣に、御飯に餡子を載せながら御箸で食べる人が居るの、怖いよ。…しかも、飲み物、ヨーグルッペなんだ…」
治一が、もう一度、怖いよ、と言うと、岐顕は、明るく、仕方ないじゃん、と言った。
「御飯じゃなくて、糯米。此れは、御萩になる予定だった物なんだから、御箸で食べても良いでしょ?」
「…そうだけど…」
そう、長の館ともなると、婚約者には食事を出せるが、従者には御茶までしか出せない。
其処を何とか、と、早佐が厨に頼んでくれて、結局、御茶の時間に振舞われる予定だった御萩が、作成途中で供される事になったのである。
ヨーグルッペは、厨に居た誰かの、個人の御八つだったらしい。
言わばサービスである。
良いの良いの、と岐顕は言った。
「御萩になるのに間に合わなかった子達なのよ。朝から糯米蒸してもらって、餡子まで炊いてもらってんのに、三時間以上早めに出させておいて、厨に文句言う筋合い無いし。御腹の中では御萩になるから、大丈夫。其れに、従、こうやってセルフで糯米と餡子をドッキングするから。気にしない、気にしない」
「いや、セルフでドッキングする分には、未だ、調理風景っぽくて良いんだけど。一度、御萩の状態にしてくれればさ。でも、茶碗によそってるから…。ビジュアルが、御飯に餡子を載せながら御箸でモリモリ食べる人なのが、本当に怖い。…あと、御萩になる筈だった物?を食べながら、御茶とヨーグルッペを交互に飲んでて、本当に怖い」
「やー、甘いのに飽きたら玉露。サッパリしたくなったらヨーグルッペだよ」
「だよ、じゃないよ。何で、甘い物に、甘い飲み物合わせられるんだよ」
「え?ヨーグルッペ甘いか?」
此れは酸味の有るサッパリした飲み物だよ、と言ってのける親友に、治一は再び、怖いよ、と言った。
早佐は、ヨーグルッペ?と言った。
「初めて見ました…」
岐顕は、紙パックから、ストローで、チューチューと、南日本酪農協同株式会社の販売する乳酸菌飲料を飲んでから、そーかもねー、と言った。
「理佐も、カップ麺すら見た事が無かったみたいだからねー。令一、情報制限し過ぎなのよ。ま、麺は分かったみたいだけど、カップに入った麺、ってのが、イメージ出来なかったみたいだね」
「あー、そうかもな…。麺は、そりゃ分かるにしても」
そーそー、と、岐顕は言った。
「蕎麦も饂飩も素麺も麺だから。其の辺は流石にね、食べた事も有るだろうし。でも、今時、テレビも見せてあげないのは遣り過ぎだと俺は思うけどね。もう平成なんだから。CMとか見れば、結構察せたと思うんだよなぁ、理佐だって」
黙って、岐顕と治一の様子を見ながら食事をしていた早佐は、麺、と言って、ハッとした顔をした。
「…若しかして、ふくろめん、というのは…麵ですか?」
場を、静寂が包んだ。
稍あって、ヨーグルッペの紙パックを箱膳の上に置き、居住まいを正した岐顕が、最初から話して?と言った。
早佐は、箸を丁寧に箱膳に置き、義兄に向かって座り直し、御義兄様、と言った。
「ふくろめん、というのは…。袋状の何かではない、という事で宜しいでしょうか?袋状の…麺…?」
「…ごめん、早佐ちゃん。最初から話して?袋状の麺…まぁ、詰め物パスタの種類として、三角形とか、小さな帽子とか、有るけど、多分、早佐ちゃんが聞きたい物とは違うから…」
更に知らない単語が出てきたと見えて、気の毒な箱入り娘は、困った様に、そうですか、と言った。
―絶対、何か、イタリアンの話してるんだろうけど、俺にも分かんないからなぁ。本当に、岐って、理佐と、どんな会話してたのかな…。
「その…先程、兄が戻る寸前まで、那智さんを御招きしておりまして。御庭で、那智さんと御話していたのですが。那智さんの御父様の、藍児さんが、奥様が亡くなられたばかりの頃は、ふくろめん?しか作れなかったので、酷い、と、那智さんが仰っていて…。其れで、那智さんは、那智さんの御母様の作ってくださっていた御料理を作れるように、練習なさったとかで。…何が酷いのか、抑、ふくろめん、とは、何なのか、分からず…」
岐顕と治一は、揃って、両手で顔を覆った。
―…あー。袋麵、分かんないんだ。此れ、教える事、沢山有るぞ…。
相手が、学校にも行かせてもらえず、情報を制限されて生きてきた事は分かっていた心算の治一だったが、実情を目にすると、やはり分かってあげられていなかった、と実感するばかりで、何だか無力感を覚えると共に、其の箱入り娘ぶりに同情した。
―俺だって、岐からしたら世間知らずの部類なのに…。何も知らないで里から出たら、絶対、苦労させるよな。そういや、不動産会社に就職したいとは言ったけど、未だ就職した訳でも無いし、祈祷師を辞めたら、今より収入が下がる事も言ってなかった…。どんどん、気の毒になってきた。
岐顕は、顔を覆った儘、悲しそうに、身につまされるぅ、と言った。
「…他人事じゃないぃ。…うぅ…」
早佐が、戸惑いがちに、御義兄様、と言ったので、岐顕も治一も、顔を上げて、其方を見た。
岐顕が、早佐ちゃん、と言った。
「実践だ。今、治の家に袋麺が有るから、見に行こう。令一も居ないし、良いでしょ」
「…え?何?其れ」
俺知らないんだけど、と治一が言うと、言い忘れてた、と岐顕が言った。
「御前が冷蔵庫の電源切って家を空けるくらい周到な奴だって知ってるからさ。実方本家から坂元本家に戻ったら、食べる物が無いだろうと思って、御前の着物一式を黒服に持ってこさせるついでに、乾麺とか缶詰を置いて来させたのよ。うちは今、乾麺類、切らしてるから無いんだけど、御前の家の炊事場には、うまかっちゃんが置いてあるから。あ、うちの親父が渡したとかいう胡麻油の一斗缶も回収しておいたから、実方本家で使うよ?封を切った瞬間から酸化が始まるからね、油って」
「…俺の従、優秀~!」
治一が、其の気の回し方に、却って困惑するくらい感服して、岐顕を褒め称えると、親友は、もっと褒めても良いよー、と言った。
「あのねぇ、電気代を節約する性格も、食品を腐らせない配慮も素晴らしいけど、非常食にもなるから、賞味期限内に消費可能な分量くらいは、余分に食料備蓄しておきなさいね。ま、そんで、うまかっちゃんだったら、今、坂元本家の炊事場に有るから。其れが袋麺だからさ」
早佐は、感心しきった様子で、はぁ、と言った。
治一も、そう言えば、と言った。
「…婚約者宅への訪問は、可だったな。早佐も、長の許可無しで、坂元本家に来る事自体は可なのか」
「そーそー、理佐も、しょっちゅう実方本家に来てたし。あれ、令一の許可無しで可だったからだよ。婚約者宅の裁量になるから。例えば、彦じぃが決めて良かったわけよ、婚約者宅への訪問は。だから、坂元本家当主の裁量で決めても良いのよ、早佐ちゃんの、坂元本家訪問は」
「…あー、そう言えば、そうか」
ですが、と、困った様に早佐が言った。
「…兄が許すでしょうか。…先程も、那智さんに、困った事を…」
岐顕と治一が、困った事?と聞くと、早佐は、其れが、と言った。
「那智さんに、私が、御庭を見せてほしいと御願いしたのですが」
あー、と岐顕は言った。
「女友達の家なら御茶とか行くのも、令一の許可無しで、可、でしょ?良いじゃない。許すも何も。訪問宅の女主人の裁量だからね。此の場合、那智さんの裁量でしょ?」
「其れが…御話をしていたら、兄が急に戻ってきて、那智さんの御宅に、私と一緒に行くと言い出して。那智さんが、長に御見せする程のものではないからと恐縮なさって、其の儘、帰ってしまわれて」
―…あー、若しかして、あの、本通りで擦れ違った、振袖の子?…其れは気の毒に。さぞ恐縮したろうな。
大慌てで走っていた為、あまり、通行人の顔を見る余裕も無かったのではあるが、姿を見ても、藍児の娘の那智の事を思い出さなかった自分に、多少驚いた治一だった。
しかし、改めて、ネコチャン大きくなったな、と思った。
えー?と、岐顕は言った。
「デートとかも付いてくるタイプの保護者ぁ?マジで無理なんですけどー」
気付けば糯米も餡子も全て平らげていた親友は、知らん知らん、と言って、紙パックを丁寧に開いて潰すと、立ち上がった。
「御馳走様、早佐ちゃん。生き返った」
生き返ったって言葉に説得力が有り過ぎる、と治一が言うと、やっぱ粒餡よね、と、甘党の親友は言った。
「やー、やっぱり、治と居ると元気出るなー。由一叔父ちゃんが亡くなってから、令一の家で食べ物なんて絶対食べない、とか思ってたのに。平気で食べ切っちゃった。治と一緒に居たら、長いこと自分で勝手に決めてたルールなんか、簡単に破れちゃうんだなぁ」
「元気出る、って。…過去に一度も見ないくらい、貧血起こし掛けてたけど…」
「食べたから、もう平気、平気。さ、二人共、御昼食べ終えたら、此の従が、坂元本家に御連れしますよ」
早佐が、目を瞬かせながら、はぁ、と言った。
押しが強いな、俺の従、と治一が言うと、車出してあげるから、と言って、岐顕は微笑んだ。
「良い提案でしょ。大体、俺は令一じゃなくて、治の従者だから」
「そう言ってくれるのは、俺は有難いけど…」
親友は、キリッとした表情になって、ハッキリ言った。
「実方本家後継、岐顕。本来、誰に従う身分でも無ければ、誰かに従う謂れも無い。誰を主とするかは自分で決める」
―押しもだけど、本当はプライドも高いんだよな。こっちが本当は長なんじゃないか、ってくらい。
では、よしなに、と、主が呟くと、従は、畏まりました、と言って、ニカッと笑った。
※メシゲ 杓文字。「飯匙」の転訛。炊けたご飯をお釜からお櫃に戻す事から「おもどし(もどし)」とも。
言われてみたら確かに「匙」…。
昔、母が、杓文字の事も御玉の事も「おもどし」と呼んでいたので、小さい時、意味が分からなかったのですが、バッチリ方言だったようですね(鹿児島弁ネイティヴでも、年代で此れだけの差が出るという)。
成程、御玉も、汁を鍋に戻すから…?
(御玉を「おもどし」と呼ぶのは、母しか使っているのを聞いた事が無いけど、語源を考えると一概に間違いとも思えない)
※ヨーグルッペ 宮崎県産飲料ですが、鹿児島県でも販売されております。
※うまかっちゃん 1979年9月12日から、ハウス食品より販売された、九州限定の豚骨味ラーメン。
3月27日、此の話を考えている時に上野に行ったら、ニューデイズの壁に、大きくヨーグルッペのパッケージが貼られていて、思わず声が出ました(後から知りましたが『九州沖縄グルメが JR東日本 駅ナカ コンビニ NewDays に 2023/03/1~03/28 集結!』だったそうですね)。
しかも上野動物園でパンダを見たので、頭の中で『可哀想なパンダ』の歌が流れるし、帰りは一蘭アトレ上野山下口店に行ったので、『相生の松』を思い出すしで、脳内が、上野に行ったのか九州に帰ったのか分からない感じになってしまいました。
ヨーグルッペ懐かし過ぎる…。そして、ヨーグルッペの事を考えてる時にヨーグルッペのパッケージを見るとは思わなかった…。
うまかっちゃんは、上京したての頃は東京で売っておらず、何故か実家からの荷物の中に祖母がおにぎりせんべいと一緒に入れてくれていたのですが、上京して三、四年もすると、オリジナルのうまかっちゃんと、博多からし高菜風味のうまかっちゃんのみは東京でも買えるようになりました。
博多祇園山笠をテーマにしたパッケージデザインが可愛いな、と、昔から思っております。
因みに、大分県の高崎山自然動物公園の御話ですが、気になって調べてみたところ、一年前からボス猿が雌だそうです。




