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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第四章 殺人
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衝動


(あったま)(いてぇ)ぇ…」


 久し振りに来た実方本家にて、白装束の正装に着替えた(はる)(いち)は、額に(みぎ)(てのひら)を当てた。


 大丈夫?と言って、同じく、白装束に着替えた、片頭痛持ちの親友は、愛用の頭痛薬とコップ一杯の水を手渡してくれた。


―何の夢見たか思い出せないけど、変な夢見た気がするなぁ。其の夢見のせいか、あんまり寝た気がしないし、頭がガンガンする…。移動中の車の中でも、結構寝かせてもらったのになぁ。


「予報が当たって、見事に雨だもんね。鹿児島市は朝から降ってるらしいわ。俺も先刻(さっき)飲んだ」


「サンキュ。…寝不足かな?あんまり俺、頭痛って、ならないんだけど」


「長距離移動もしたしね。疲れも有るんじゃない?(はる)、イブプロフェン派?アスピリン派?(りゅう)用のアセトアミノフェンも有るけど」


「あんまり飲んだ事無いから分かんないけど…。此れは?」


「ロキソプロフェン」


「…有難う、ド理系(りけい)さん。余計頭痛がしてきたから、此れで。…市販薬じゃないな此れ」


「一応俺、医療法人社団『神祇会(じんぎかい)』理事の息子なんでね。此方(こちら)、実方医院処方の物となっております」


「あー、(そう)さん、不動産会社の代表だけじゃなくて、そっちの理事も遣ってんだっけ?」


「そーそー。医療法人財団の現理事は太郎(たろう)(にぃ)ちゃんだけどね」


「ああ。そう言えば…外車を家族の人数分買ったのって、太郎(たろう)(にぃ)ちゃん?」


「そうそう。(けん)おじちゃんは渋い顔してたけど」


「…俺が聞いて良い話だったのかな?アレ」


「…まぁ、税金対策は大事だと、俺は思うよ」


 何はともあれ、と岐顕(みちあき)は言った。


「一応、財団と社団は分けないとね。幾ら身内経営っつってもさー。前は、学校法人関係は(ひこ)じぃと顕将(あきまさ)さんが遣ってたから。学校法人の方は清水分家の正直(まさなお)さんが、学校法人社団の理事になってくれたから、めっちゃ助かってる」


「学校法人財団の理事は、清水分家の(かい)(しょう)さん?」


「そーそー。吉野分家の(しの)さんと結婚して、此の前、息子が生まれたの。うち、御世話になってるのよー、ホント。もう俺、四月に議案書(ぎあんしょ)を四つ分印刷しなくていいんだぁ。其れでも医療法人の方が二つ残ってるけど、印刷は黒服に任せられるようになったし、そろそろ学校機能は実方家と分離したかったからさぁ。清水分家や吉野分家の先生も増えたし」


「学校法人社団は『法楽会(ほうらくかい)』だっけ。宗教のカモフラには余念が無い名前だな…」


 (かみ)(ほとけ)も有るもんだ、つってね、と言って、岐顕は、薬を飲み終えた(はる)(いち)硝子(ガラス)のコップを受け取ってくれ、キッチンの方まで持って行ってくれた。


―久し振りに来たけど、こんな改装してたんだ。見違えたな。


 (かつ)ては畳敷きだった居間は、欄間(らんま)も何もかも取り払われて、他の(しつら)えだけは和風の(まま)、見事な板の間になっていた。()()が首を括ったとされる欄間(らんま)と、相当汚れてしまったらしい畳と敷居を取り払って嵩上(かさあ)げし、フローリングにしたのだろう。


―…そう思うと嫌だけど、理佐の事を思い出さないインテリアになってるのは、ちょっとホッとした。


 其れは別に、(はる)(いち)の為ではなく、此処の住人達の為なのだろうが、理佐の事を思い出したくなくて、此の家に足を踏み入れていなかった(はる)(いち)にとっても、有難い話であった。




 (はる)(いち)が、久し振りに足を踏み入れた親友宅の様子に、しみじみとしていると、結局一緒に、岐顕の運転する車に乗って、(りゅう)(けん)を連れて瀬原(せばる)集落に帰って来てくれた顕彦(あきひこ)が来て、よう、と言った。


(りゅう)、寝たわ。昼飯作ろうか?(はる)


「いや、此れから()(ばる)本家に行くから、大丈夫です。朝御飯も作ってもらっちゃったし。有難う御座います」


「あ、だから正装なのか。…何の用だ?こんな雨の中。別の日でも良さそうなもんだが」


「あー、まー、その…」


 詮索はしねぇが、と言いながらも、言い淀む(はる)(いち)に対して、不思議そうな顔をする顕彦に、(はる)(いち)は、有難う御座います、と、心から言った。


(りゅう)、長距離移動で興奮したかと思ったけど、御昼寝してくれて良かったです」


「そうだなぁ。あ、桜島パーキングエリアで、アンパンマンのシール買ってくれて有難うな。大喜びだったなぁ、(りゅう)


「シール買ってあげるって約束したから、守れて良かったです。()(ばる)集落に戻って来ちゃうと、買い物が難しいから、あそこで」


「律儀なこった。…何だって、そんな約束したんだ?『シール欲しい』って、自分で言う(よう)(とし)かい?」


 答えられない(はる)(いち)が、いやぁ、と言って、左手を額に添えると、顕彦が、おや、という顔をした。


「おい、(たもと)から、何か、紙、落としたぞ」


「え?」



「おいおい、何かの本、破ったのかい?感心しねぇなぁ」


 罰当たりが、と言いながら、顕彦は紙を拾い、其れを手に取って、おや、と言った。


「お、『古事記』じゃないか。随分趣味の良いもん持ってんな。…え?此の本…」


「紙なんて知らないですけど…何です?其れ」


「いや、本が好きでも無いのに、こんなもん持ってんのかい?」


 本が好きな女には会ったが。心当たりなど、早佐(はやさ)しか居ない(はる)(いち)は、うーん、と(うな)った。


「知り合いの物ですかね?」


「え?自分の物じゃないのか?貰ったのか?」


「…いや、分かんないですけど」


「女からか?(すみ)に置けないな」


 顕彦にそう言われると、(はる)(いち)は何だか恥ずかしくなった。


「いや、分かんないんですって。第一、何て書いてあるんです?」


 読んでも良いのかよ、と言って、顕彦は紙を広げて読み上げた。


八千(やち)(ほこ)の、神の(みこと)や、()(おお)(くに)(ぬし)()こそは、()にいませば、()()る、島の崎々(さきざき)()()る、磯の崎落ちず、若草の、(つま)持たせらめ。()はもよ、()にしあれば、()()て、()は無し。()()て、(つま)は無し。(あや)(かき)の、ふはやが(した)に、(むし)(ぶすま)(にこ)やが下に、(たく)(ぶすま)(さや)ぐが下に、(あわ)(ゆき)の、若やる胸を、(たく)(づの)の、白き(ただむき)、そ(だた)き、(たた)(まな)がり、()玉手(たまで)玉手差()()き、(もも)(なが)に、()をし()せ。(とよ)御酒(みき)(たてまつ)らせ」


(なが)っ…分かんないです。聞いた上でも分かんないですけど、何て書いてあるんです?」


「私には貴方(あなた)しかいないって歌だよ」


「え?」


「いやー、何でもなくて、こんな(ページ)破って、態々(わざわざ)三つ折りに畳まないだろ。…折ってあるからには、こっちが(おもて)なんだよな。こりゃ、結構情熱的な歌だよ」


「…え?」


大国主(おおくにぬし)に、正妻の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)()み掛けた歌だな。須勢理毘売命(すせりびめのみこと)っつーのがまた、一途で、情熱的な表現をされているんだが、出会って()ぐ、大国主(おおくにぬし)と肉体関係を結んじまうんだよ。爲目合而(まぐあひして)相婚(あひたまひて)、つってな」


 其の内容に、ギクリとした(はる)(いち)は、再び、え?と聞き返した。


 顕彦は解説を続けた。


「そんで、大国主(おおくにぬし)に浮気された後、喧嘩して、仲直りする歌というか。貴方(あなた)は行く先々に妻がいるでしょうけど、私には貴方(あなた)だけです、と言って、まぁ、アレだ、家を()けがちな浮気者の夫が居てだな。其の夫が出掛ける前に、(とこ)に誘ってるんだな。視点が、寝室の様子から、体、胸とか腕に移るとことか、生々しいな。腕を差し交して枕にしましょう、とか言ってるからな。結構直接的な誘いだよ。()()て、()は無し。()()て、(つま)は無し。言われてみてぇもんだ、こんな事。力強い愛情の告白だな。貴方(あなた)の他に、男は居ません。貴方(あなた)の他に、夫は居ません」


 (はる)(いち)は、思わず、真っ赤になって、両手で顔を覆って、其の場に屈み込んでしまった。


「え?おい、(はる)如何(どう)した?」


―駄目だ。


 会わないと駄目だ、と(はる)(いち)は思った。


―今、会わないと。




 気付けば(はる)(いち)は、雨の中、走り出していた。


―ああ、()(ばる)集落だ。


 本家や、家格の高い家が立ち並ぶ、上方限(カミホーギリ)の本通りの石畳が、濡れて、鈍く光っている。

 実方(さねかた)系の家々に残る、茅葺(かやぶき)腕木門(うでぎもん)

 此れが、『木戸(きど)が合わん』の、木戸門(きどもん)なのだと言う人も居て、相当の家格を表すのだと言うが、(はる)(いち)は詳しくは知らない。

 ともあれ、戻ってきただけで、何百年も時代が逆行した気分になる。


 雨の中を走る。

 気付けば、()せばいいのに、此の足元の悪い中を、白装束に合わせて、白足袋と草鞋(わらじ)だった。


―つい先刻(さっき)まで、福岡に居たのに。


 テレビが有って、携帯電話が有って、自動販売機が有って、コンビニが在って。

 空は電線だらけで、公園や繁華街には人が居て、海の傍には夜景とタワーが在って。

 天神(てんじん)でカットモデルになる羽目になった親友は、海浜公園に在る桟橋の上で、ブレイクダンスの技を披露していたというのに。


 本当に、つい先刻(さっき)まで、黄色い車に乗って、高速道路のパーキングエリアで買い物をして、頭痛薬の種類や、社団法人と財団法人の議案書の印刷の話をしていた筈だったのに。

 

 現実的な、食う事や金の事、といった、散文的な世界に居たのに。


何方(どちら)かが、嘘で、夢みたいだ。


(ゆめ)(うつつ)(うつつ)(ゆめ)。栄枯盛衰も、愛憎も、生病老死も、借り物の肉体を得ているうちに見る夢。全ては夢』


―目に入って来る雨で、視界が()ける。


 現実感は無い。生まれ育った場所なのに、世界は(ソフト)焦点(フォーカス)で、泥濘(ぬかるみ)も雨粒も、全て美しい(よう)に思える。全部見えているのに、何も見えていない。


(ゆめ)で何が悪い。御前が(うつつ)と感じれば其れが御前の真実だ』


 視界と共に、世界と自分の境界線も()けて、曖昧(あいまい)になっていく。

 溺れているかの(よう)な湿度の中で、白梅(はくばい)の香りに包まれた人肌を思い出す。


 (はだえ)に絡み付いてくるのは、雨で濡れた白装束なのか、長い、艶やかな髪なのか。


―此の、日付すら分からなくなる感覚。


 溶けていく。()けていく。相手の白い肌の中に溶けていく(よう)な感覚が、疾走する自分の肌に、まざまざと蘇ってくる。頭の中が、金泥(きんでい)と岩絵の具の、金彩と不透明な五色(ごしき)とに、塗り潰されていく。(なまぐさ)五色(ごしき)の、極彩色の油の浮いた水の中に突き落とされて、自分の存在が()(つぶ)されていく。其れが、不愉快(ふゆかい)なのと同じくらいの強さの愉悦(ゆえつ)を、体に叩き込んでくる。


―会いたい。


『駆け出さずにはいられない程の衝動、熱、執着を学べ』


 ずっと、何処かで、音としては聞こえない筈の声が聞こえている気がする。


 其れは、神祇(じんぎ)の声なのか、夜の噴火の音の反響なのか。


 冬の雨の中なのに、暑いくらい、体の表面が火照(ほて)っている。


『手放せない、譲れないものを見付けろ』


(はや)()


『其れでこそ御前だ』




(りゅう)用のアセトアミノフェン カロナールという名称で処方される事が多い解熱鎮痛剤。乳幼児には、基本的に、アセトアミノフェンかイブプロフェンしか使用されない。


 因みに『症状がカロナール(軽くなる)』という薬剤師ジョークが有るとか無いとか。


※桜島パーキングエリア 鹿児島県姶良市西餅田に在る。


 桜島は見えるけど、桜島に在るわけではない、というのが個人的に面白いです。

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