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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第四章 殺人
38/68

 

 鍵だ、という、誰かの声を遠くに聞きながら、(はる)(いち)は、虚空を眺めていた。


―え?病院?


 何を描いているの、という、聞き覚えの有る声がした。其れは、美しい総白髪の、白衣の人物で、とても背が高かった。


 記憶の中よりも若い(よう)に感じたが、間違いなく、其れは、曽祖父の栄五(えいご)で、(はる)(いち)は泣きそうになりながら、其の姿を見た。


―誰に話し掛けてるんだろう。


 診察室のベッド一面に紙を散らかしながら、八歳くらいの白装束の少年が、一心不乱に鉛筆で何かを描き付けているのを見て、(はる)(いち)は息を飲んだ。


 顔、顔、顔。


 其れは、(おびただ)しい数の白いA4のコピー用紙に描かれた、幼い頃の、理佐(りさ)早佐(はやさ)の顔だった。


―写真記憶。…此の子、(おさ)か?…何か、顔が真っ黒く見えて…。


 (おさ)が写真の(よう)に絵を描く才を持つとは聞き及んでいたが、実際には其の、(おさ)が描いたのだという絵を見た事は無かったので、(はる)(いち)は、何だか空恐ろしい思いで、其れを見詰めた。


 いい加減に此方(こちら)を見なさいよ、と、其の傍らに立っている栄五は、溜息交じりに言った。


「新しい御母さんに、全然懐かないらしいねぇ」


 栄五の言葉に、少年は、絵を描くのを()めて、栄五の方も見ずに、(そば)()(なつ)(いわ)れは無い、と言った。


 そんな言い方は無いでしょう、と栄五が(とが)めると、少年は、側女(そばめ)が悪ければ(はした)()だ、と言い放った。


(よう)は後妻であろう。身分低い側室(そくしつ)だ。()(ばる)本家後継の俺が、何故、機嫌を取ってやらねばならない?」


 そんな口の利き方を何処(どこ)で覚えたの、と言いながら、栄五は、溜息をついて、少年の描いている絵を見詰めた。


「此の絵だけ真っ黒だね。何の絵?」


 少年は、嬉しそうに、(みち)(あき)だ、と言った。


 栄五は、戸惑った様子で、そう、と言った。

従兄(いとこ)が好きなの?」


 少年は、やっと栄五の方を見て、勿論、と言った。


 栄五は、更に、困った(よう)に言った。

「一緒に遊んでいるのなんて、見た事が無いけど?」


 少年は、ふふん、と笑って、得意そうに言った。

「此の前は、縄跳びに誘ったら、断られた。良いだろう?」


 栄五は、(いぶか)しそうに、何の話?と言った。

「何が良いの?」


「俺の頼みを断る奴は面白いだろう?大好きだ」


 栄五は、困惑しきった顔で、そう、と言った。


 (はや)()もだ、と、少年は言った。


「全然言う事を聞かない。()()()まらん。()ぐ泣くし、()ぐ言う事を聞く」


「其れは、君が叩いて、怖がらせたからだろう?」


「叩いたら音がしたのだ。其れが面白かった。面白かったから叩いた」


 其れは泣いたって言うの、と、呆れた(よう)に栄五は言った。

「妹を叩いたらいけない」


「父上が叩くなと言うから、もう叩かない」


 俺は(おさ)の言う事しか聞かない、と、少年は言い放ち、再び、絵を描き始めた。


「まぁ、あれ()は俺の嫁なのだ。好きに扱って構わないだろう?」


 何を言っているの?と栄五は言った。


「妹として引き取ったのだから。第一、将来結婚したいなら、優しくしてあげなさいよ」


「優しく、って?物を遣るとかか?」


「…大筋では、叩くよりは合っているけど。其れに、幾ら二人共好きだからって、一人としか結婚出来ないのだから」


「父上は、二人嫁を取った」


「其れは。君の御母さんの浩子(ひろこ)さんが亡くなっちゃったから、紅葉(もみじ)さんと結婚しただけでしょ?」


 少年は、絵を描く手を()め、顔を上げて、栄五の方を見ると、おや、と言った。


()()()()()()()()()()()()()のか。良い事を聞いた」


 再び、困惑しきった様子で、何の話?と栄五は言った。


 ()()()()()()、という話だ、と、絵を描く動作に戻りながら、少年は言った。


「本家の娘でありながら、俺と血が繋がっていない。最高だ。父上は、俺の為に、二人の妹の何方(どちら)かを用意してくれたのだ。其れでは父上に申し訳ないから、二人とも貰おう」


「用意…?」


「養女などというのは、きっと嘘で、二人共、本当の妹なのだ。そうに決まっている。だから、二人共、俺の嫁にする」


「…戸籍なんて知らないだろうから教えてあげるけど。大人になっても、そういう事を言っていたら、恥を搔くだろうと思うよ」


 馬鹿にするな、と、少年は、絵を描きながら、顔も上げずに言った。


「きっと父上が戸籍とやらを偽造してくださったのだ。俺と妹達が結婚出来る(よう)に。十六になる本家の娘とだけ、『水配り(ミックバイ)』で一緒になってやる」


「…まぁ、君が(おさ)になったら好きにしたら?其れまでには、親御さんが反対するなりして、現実を思い知るだろう」


 少年は、再び、絵を描く手を()め、顔を上げて言った。


「『(おさ)』の命令は絶対だ。其れは遵守(じゅんしゅ)する。だが、きっと、父上は結婚を御許しくださる筈だ」


 其の根拠の無い自信が怖いな、と栄五が呟くと、(おさ)になったら俺が(ほう)だ、と少年は言い放った。


―何か、全然、話が噛み合わない子だな…。


 そして再び、没頭する(よう)に絵を描き始めた。


 そろそろ帰ってくれない?と栄五は言ったが、其の言葉は、少年の耳には入らなかったらしい。全然、絵を描く手を止めなかった。(はる)(いち)恐々(こわごわ)覗き込むと、少年が『岐顕』だと言っていた絵は、何重にも鉛筆の線が重ねられて、真っ黒で、(はる)(いち)には、顔なのか何なのか、何も分からなかった。


『ないしょだぞ、はる。おれ、たまに、れーいちのかおが、みえないんだ。まっくろにみえちゃうんだ。めが、わるいのかなぁ』


―あれ…?




 場面が切り替わったが、場所は同じ、病院の診療室だった。


 高校生くらいの年齢の、白装束の人間が、認めない、と言って(わめ)き散らしていたが、やはり、顔が分からなかった。


―此の声…(おさ)か?


 其れに対峙(たいじ)している、美しい総白髪を持つ人物は、記憶の中の通りの栄五だった。


 白衣を着た曽祖父は、相手と向かい合って立った(まま)、黒縁眼鏡をしていても、老いても、(なお)、凛々しく整った顔で、認めないと言われても困るよ、と言った。


「君の御父さんと君はAB型。君の御母さんはB型。ついでに、紅葉さんはA型。君の妹は二人共O型。此の話は終わり。血縁関係は認められませんでした」


 嘘だ、と叫ぶ人物に対して、栄五は、今更でしょう、と言った。


「昔、本家の娘でありながら、俺と血が繋がっていない、最高だ、って言っていただろう?親も亡くなったのだから、妹の何方(どちら)かと正式に入籍すれば?」


 其れは出来ない、と言う相手に対して、栄五は、何でまた、と、呆れた(よう)に言った。


「戸籍も一緒に確認したでしょうよ。結婚も出来る間柄なのだから」


「前にも言ったが、あんな物は、きっと父上が偽造してくれたに違いない、ただの、法的(ほうてき)効力(こうりょく)の有る紙だ。だから、父上は、きっと、結婚を御承諾くださっていたのに違いない」


「…他人の気持ちを代弁するのは()めない?もう、証明しようもない事だし。あと、ついでに言うけど、『偽造』された『法的(ほうてき)効力(こうりょく)の有る』『ただの紙』なんていう難しい日本語を、年寄(としより)に聞かせないでくれない?頭が痛くなってきた」


 曽祖父は、小声で、馬鹿じゃないの?と言ったが、相手は、其れを聞いた風も無く、(わめ)き散らした。


「『(おさ)』の命令は絶対だ。父上の御言葉は遵守する」


「…?遵守すれば良いでしょう?何?妹と結婚するな、とは言われていない訳だよね?其の言い方だと」


「遺言状には、妹二人には、自分達が養女である事を教えないでほしい、我が子同然で育てたから、せめて未成年のうちは、自然に知ってしまうまで、どうか教えないでほしい、と書かれていたのだ」


 栄五は、困った(よう)に、泣かせる文面じゃないの、と言った。


「…あんまり、自分の親の遺言状の内容とか、他人に聞かせない方が良いと思うけどね?…で…?何?…妹が二十歳(はたち)になってから結婚すれば良いだけの話では?」


「其の遺言を守ると、『水配り(ミックバイ)』に間に合わない」


「…え?あれ、本気だったのかな?『十六になる本家の娘』とだけ?」


 そう言った切り、ポカーンとして黙ってしまった栄五を他所(よそ)に、令一は、当然だ、と答えた。


「当たり前だろう。其れが『水配り(ミックバイ)』だ。二十歳(はたち)なんて薹が立った(おだった)女は()らん」


 いや、だから、と栄五は言った。


「遺言なんて別に守らなくても、(おさ)でしょ?好きにしたら?あの子達が養女だって事は、若い子達は()(かく)、大人は皆知っているから、反対する人も出ないでしょうよ。そりゃ、自分達が養女だと知ったら悲しむかもしれないけど、十六で知ろうが、成人してから知ろうが、悲しいものは悲しいだろうから。事実を知るのが四年くらい早まるだけ、と考えれば」


「『(おさ)』の命令は絶対だ。其れは遵守する。妹達には、キチンとした相手を其々(それぞれ)に見付けて水配り(ミックバイ)をさせてやる。婚礼衣装も必須だ」


 だからぁ、と言って、栄五は頭を抱えた。

「…うーん、そしたら、妹とは結婚出来ないけど?」


「いいや、血の繋がった十六歳の妹と、『水配り(ミックバイ)』で結婚する」


 栄五は顔を上げて、そんな妹は居ないってば、と、言った。


「非実在なの、其れは。血液型のメンデル遺伝の話が理解出来ないって話なら、DNA型鑑定でもすれば?御金は有るでしょ?精度は知らないけど」


 DNA型鑑定、と聞いた途端、相手は黙った。


 栄五は、溜息をついて、もう、と言った。


「医学的な権威や科学的な権威は信じるのは、何なの?其れを()()ねた途端、傍目(はため)にも頭が悪そうに見えるから?」


 相手は、其れは、と口籠った。


 栄五は、あのね、と言った。


「医者の言葉に医学的権威が無いとは思ってないよね?少なくとも、()(ばる)集落の中では」


 相手は返事をしない。


 だからね、と、(さと)(よう)な声で、栄五は続けた。


「俺の言葉を信用してくれているから、下痢したり、妹が喘息を出したりしたら、来てくれている筈でしょう?此処に。苗の神様(ナエンカンサァ)だって、別に、医療の神だという話も聞かないし、御祈祷したって、腹痛も喘息も治らないのは分かっているでしょう?そりゃ、医学だって、薄毛も風邪も水虫も根絶出来てはいないけど、せめて、血液型の遺伝の話くらいは聞き入れてよ。間違って輸血したら大変だから、血液型の詐称だって出来ないよ、俺は」


 (うるさ)(うるさ)(うるさ)い、と、相手は、再び(わめ)き散らした。


 其れには構わず、栄五は、第一、と言った。


「血の繋がった妹と、何で結婚したいの?血が濃くなるだけでしょ?」


 相手は返事をしない。


 まさか、と栄五は言った。

「血を濃くしたいの?」


 相手は、やはり黙っている。


 如何(どう)いう事なの?と栄五は言った。


「…そんなの、どんな修辞法(レトリック)を駆使されても賛同出来ないよ」


「俺の血は神聖だからだ」


 栄五は、神聖、と復唱し、目を点にした。


 相手は、神聖な俺の血が濃くなればいい、と言い放った。


 待ちなさい、と栄五は言った。


「血を濃くしない為の水配り(ミックバイ)でしょ?うちは参加してないけどさ」


 何故参加しない、と叫ぶ相手に、必要性を感じないから、と栄五は言った。


何時(いつ)までも隠れ里なんて続けているから、可変(おか)しな事になるの。もう平成だよ?婚姻統制しないといけないようじゃ、先細りでしょうに。こんな狭い場所だから、大体が何処(どこ)かの遠縁なの。工夫して(しの)ぐって言ったって限界が有るから、孤児受け入れプロジェクトなんてものを遣っていた訳でしょ?其れで来てくれた妹さん達なのだから、血が繋がっている訳が無い。そりゃ、親も結婚を反対しないだろう、集落内での()()()()()()()他所(よそ)から連れて来た娘さん達なのだから」


 黙れ、と相手は言ったが、黙っても(くつがえ)らないもの、と栄五は、また、困った(よう)に言った。


「悪いけど、君のY染色体、()()()()だからね?神聖って言われてもさ」


 診療室の中が、シーン、と静まり返った。


 (やや)あって、何を馬鹿な事を、と相手は言った。


 馬鹿なものかね、と栄五は言った。


「十一代目の()(ばる)本家当主、()(ばる)(しゅう)(いち)は、俺の又従兄(はとこ)なのさ。其れこそ、俺や(はじめ)や、うちの曾孫とでも、DNA型鑑定をしてみれば?金は必要だろうけど、あと何年もすれば、精度も上がって、Y染色体が同じか如何(どう)かくらい、分かる(よう)になるかもよ?」


 少なくとも、君の妹達よりは血が近いよ、と言う栄五に対し、嘘だ、と相手は言った。


「…では、何か?()()()()()()()()()()()()()()()とでも?」


―え?


 ()(ばる)(しゅう)(いち)のY染色体を重要視するならの話だけどね、と、栄五は、珍しく、小馬鹿にした(よう)に言った。


「元々は、捨て子を拾って来て、集落の(おさ)に据える仕来りだったのを、十一代目の()(ばる)本家当主、()(ばる)(しゅう)(いち)の持つ、あまりのカリスマ性の為に、其の男系の子孫が重視される(よう)になっただけで、本来、(おさ)は、世襲制でも何でも無いのさ。誰が遣ったっていい(よう)なものだったから、捨て子が据えられていた。其処に偶々(たまたま)、十代目の()(ばる)本家当主、()(ばる)重蔵(じゅうぞう)という人の希望で、当時の坂元本家当主の長子が、極秘で養子に据えられたのさ。だから、世襲制になったのは、俺の生まれた、大正三年以降だよ。君には大昔に感じるだろうけど、俺にしてみれば、生まれた頃の話さ。最近の話だよ」


「…()()()()()()()()()()()()()()()と…?」


「其処だけ抜粋するの、やめてくれない?…だから、()(ばる)(しゅう)(いち)のY染色体に重要性なんて無かったの。世襲制ですらなくて、(おさ)になるのは、捨て子で充分だったの」


 信じない、と相手は言った。


「十代目の当主が捨て子だったのも、十一代目の当主が御前の又従兄(はとこ)だというのも信じない」


「ま、妹二人との血縁関係の無さを信じてくれないなら、そうだろうね。信じなければ良い。早佐ちゃんが学校に行ける程度には健康だって話も、全然聞き入れてくれないしねぇ。(かご)で水を()んでいる気分になるな、君と話してると」


 取り消せ、と相手は言った。


()()()()()()()()()()()()()()()なんて、嘘だ」


「だから、言ってないでしょ、そんな事。取り消すも何も。そして、()(ばる)(しゅう)(いち)のY染色体に重要性なんて無い」


「其れも取り消せ」


「…だから、そしたら、()()()()()()()()()()()()()()()事になっちゃうでしょうに」


 ほらな、と相手は言った。


 違う、と栄五は言った。

「…如何(どう)したいのさ、一体。何がしたいの、君は」


 出て行け、と相手は叫んだ。


()(ばる)集落から出て行け。俺の神聖な血を(おとし)める事も、俺の地位を(おびや)かす事も許さん」


 再び、診察室を静寂が包み込んだ。


 あまりにも栄五が言葉を発しないので、(ひる)んだ相手は、表情こそ見えないが、栄五の顔を見て、ハッとしたらしかった。(はる)(いち)も、曽祖父の方を見てみた。


―うわ。


 其れは、曾孫の(はる)(いち)が見ても、ゾクリとする(よう)な、冷たい、だが、美しい笑みだった。


 栄五は長かった、と言った。


「有難う。此処を出て行くよ。君から、そう言い出してくれて、助かった。如何(どう)切り出そうかと思っていたから。…周りには、旅行だと言って出るから。家族を連れて行っても構わないかな?」


 其の、あまりにも優しい声音に、(はる)(いち)は、却ってゾッとした。


 相手は、悔しそうに、キー、と言った。


「俺を、置いて行くのか?(おさ)の俺を。医者ごときが!御前、俺の主治医だろう?俺の物の筈だ!」


 限界、と栄五は、優しく言った。


「何を言っているのか分からない話を聞き続けるのも、限界。今度の冬にインフルエンザが流行する前に引退出来るなんて、幸運だったね。老体に鞭打って、随分長い事働いたから、慰労も兼ねて、温泉にでも浸からせてもらうよ」


 美しいものは好きだ、と言う相手の言葉を、栄五は、意味が分からない、と言って、軽く()なした。


「有難う御座います、(おさ)。此れで俺達、名実共に、閼伽(あか)の他人ですね」


 相手は、歯噛みしながら、負け惜しみの(よう)に、其れなら乗り物は手配してやる、と言った。


「何処へでも行ってしまえ!」


 そう言って走り去る相手の背中に、優しく、そうするよ、と栄五は言った。




 場面が切り替わった。


―あれ?見た事無い家の和室だな。


 しかし、其処に居るのは、見知った人物達だった。


―全然知らない人も居るけど。…え?(おさ)


 (おさ)そっくりだが、随分老いていて、しかし、とても優しそうな、白装束の人物が、

畳の上で胡坐(あぐら)を掻きながら、同じく白装束の顕彦(あきひこ)や、(みち)(あき)と話をしていた。


―え?(みち)?わ、青い着物を着た向子(さきこ)さんまで。…やっぱり、髪、長いな…。


 何か有るのか?と、顕彦が言った。


(みち)、御前、理由を聞くと何時(いつ)も口を(つぐ)むよな?小学校に上がってからは滅多に令一(れいいち)と話さないし。年の近い坂元本家の(はる)とは親友のくせに、令一だけ仲間外れかい?」


 いや、と岐顕は言った。


「そうじゃないよ。アイツには取り巻きが沢山出来たから、一緒に遊ばなくなっただけで…。いいや、此の際だから白状するよ。言っても信じてもらえないと思ってさ」


 しかし、顕彦が、其の答えに、然程(さほど)納得していない様子なのを見て取った岐顕は、観念した(よう)に続けた。


「小さい時からなんだけど、一緒に遊んでると、令一から時々、黒い(もや)みたいなのが出るんだよ。あれが、薄気味悪くてさ。…何か苦手で」


―は?


「うんと小さい時だったかなぁ、其れが、(ひょう)に纏わり付きそうになっちゃって、俺、怖くて大泣きしちゃったんだよ。後は覚えて無いけど…。いや、やっぱ忘れて。ほら、こんな家に生まれたのに、俺、霊感みたいなのは無いし、見間違えかなって思ってはいるんだけど。()(かく)、あんなもんが体から出てくる人間、他に居ないからさ。俺、如何(どう)しても、此の人や(ひょう)と、令一が似てるとは思えないんだ」


 場の空気は凍り付いていた。


(おさ)から『時々、黒い(もや)みたいなのが出る』って?


 聞いた人間が驚くのも無理は無い、と治一(はるいち)は思った。

 特に、顕彦は、完全に青褪めていた。


「おい。顕平(あきひら)は乳児突然死で、二歳で亡くなってるんだぞ。…御前、其れ、何時(いつ)見た?」


 今度は、其れを聞いた岐顕が、あ、と言って青褪めた。


「…何時(いつ)見たんだ?…俺…」


 多分其の後に亡くなったんだね、と、悲しそうに、誰かが言った。


 其の、白装束の、治一(はるいち)が会った事も無い人物は、何処と無く、曽祖父の栄五を思わせる、端正な顔をしていた。


―誰だろう。御爺さんだけど、随分綺麗な人だな。


 そんな、と岐顕は言った。

 

 (おさ)によく似た、優しそうな老人が、慌てた様子で言った。

(あき)(ひら)という子の生年月日は?」


「一九七四年の四月二日です、俺と同じ。亡くなったのは一九七六年の五月四日ですが」


 岐顕の報告に、優しそうな老人と、端正な顔の老人は、え?と言って、互いの顔を見た。


 端正な顔の老人は、そんな、と言った。


「四月二日?…第十一代苗の神教(ナエンカンきょう)教祖、瀬原本家当主、()(ばる)(しゅう)(いち)と同じ日に生まれたのか?」


 其れを聞いた顕彦は、顔を伏せ、青い和服姿の向子(さきこ)は、目を見開いた。相当驚いたらしかった。


 優しそうな老人は、そんな、と言って、岐顕に駆け寄り、抱き締めながら、泣いた。


「ああ、此の子は、『此の顔じゃなかったから見逃してもらえた』んだ。ああ、もう、如何(どう)か、御許しください。せめて此の子は御助けください…」


 岐顕は、そんな、と言った。


「顔って、如何(どう)いう事です?其の顔に似ると、何が有るんですか?何もしてない人間が、二歳で死ななきゃいけない(よう)な、何が有るって言うんです?俺は、そんな事認めない」


―え?(ひょう)ちゃんが亡くなったのって…。あの、黒いやつが関係してるの?え?…(りゅう)、大丈夫なの?


 また、場面が切り替わったが、今度も其の、他所(よそ)の家の和室らしかった。


―全然知らない、若い、白いセーターを着た女の人と、女の子の赤ちゃんも居る。…何時(いつ)の、何処なんだろう。…あれ?うちの曾祖母(ひぃばぁ)ちゃんにそっくりな、和服の美人も居るな…。


 紘一(こういち)さん、何を気にしているの、と向子(さきこ)が言った。


―紘一?…(こう)。あ。『東京に住んでる坂元(さかもと)()の知り合い』…?何だ?何処で聞いたんだ?そんなの…。


 紘一、と呼ばれたのは、何処(どこ)と無く栄五を思わせる(よう)な端正さを持つ、先程の、白装束の老人だった。


 何故か、(はる)(いち)には、紘一と向子(さきこ)が、大きな(つな)(くい)(よう)な物で繋がっている、と感じた。


 向子(さきこ)は、相手の返事を待たず、言葉を続けた。


()(ばる)集落の被害が大きくなるぞって事でしょ?だから儀式を続行しない、って」


―え?うちの里が、何だって?


「其れで良いの?御米が此の先日本で獲れなくても?」


―はぁ?


 急に、何故そんなに大きな話になったのだろうと、(はる)(いち)が困惑していると、向子(さきこ)は、更に、とんでもない事を言った。


「此の家に黒い塊が出続けても?天には穴が開き、地の(くびき)(ゆる)んでいる。何時(いつ)地震が起きたっておかしくないわ。其方(そちら)は何も出来ないけど、せめて、微力でも、何か出来る事をしないと」


―分かった。


 恐らく其れは、米不足と阪神淡路大震災の事だ。


―じゃあ、少なくとも此れは、平成五年や平成七年より、前の会話なんだ。


 だからって、と、紘一は言った。


「俺達の独断で、君達の所に、『あれ』を追い遣る儀式をしても良いのかい?(れい)(いち)君が死んでも?」


―…待って。まさか。『あれ』って、あの、黒いもの?


 向子(さきこ)は、キッパリと言った。


「人間は何時(いつ)か死ぬのよ。其れに、自分が何か御呪(おまじな)いしたせいで人間が死ぬ、何ていう(よう)な発想は思い上がりよ。私達には其れ程の力は無いでしょう?『あれ』を押さえる事も出来ない。真名(まな)が分かったって、黒いものは祓えても、日本全体を救えるわけでもない。救える範囲の事しか出来ない」


真名(まな)


「そうだけど」


 口籠る紘一に、向子(さきこ)は更に言った。

「令一なら、もう駄目よ。手遅れ」


 岐顕が、サキ、と言って(とが)めたが、向子(さきこ)は構わず、分かるのよ、と言った。


「令一だけじゃない。真っ当で居られたのは由一(ゆういち)だけ。先々代の永一(とういち)も腐ってたわよ。あんたの御祖父さんを悪く言うのは良くない事だけど、薄々分かってるでしょ?特に令一は、早死にするとしたら、多分に本人の責任も有るでしょうね。遅かれ早かれ、里には、何時(いつ)か悪い事が起きる事は決定しているの。神様を怒らせるって、そういう事よ。手心を加えてはくれない。私達が罪を犯した張本人じゃない、と言っても無駄。時間の概念も関係無い相手よ。忘れた頃に来る。七代祟るとか言うでしょ。決めて。日本の米を取るか、うちの里を取るか。米が獲れなくなったら、どの道うちの里も困るけど。重ねて言っておくけど、うちの里に悪い事が起きても、今日の儀式のせいだけではないからね。遅いか早いかだけの違いだから。…何方(どちら)を選んでも多分私達は後悔する。でも、今日を逃したら、御米は助けられない」


 もうやめてよサキ、と岐顕が、(すが)(よう)に言った。


「今年は御米が獲れないとか、梅雨の先は夏すっ飛ばして、木の葉が散る(よう)な秋になっちゃうくらい寒いとか、年明けた頃から妙な事ばっかり言って、本当なの?此処で他人に二択を迫る(よう)な重大な事が、本当に起きるわけ?サキや俺達が、そんな事背負(せお)えるの?」


 (はる)(いち)は、其れを聞いて、ゾッとした。


―やっぱり。此れ、平成五年だ。米不足。此の時の向子(さきこ)さんが言った事、当たっちゃったんだ…。


 まぁ、如何(どう)なるかは見てたらいいわよ、と、向子(さきこ)はハッキリ言った。


 米不足が当たってしまった結末を知っている(はる)(いち)は、困惑しながら、続く言葉を聞いた。


「でも、今言える事は、今日の機会を逃したら米は手遅れって事よ。…迷ってるわね、(しゅう)()さん。…紘一さんは決めたわね?」


 向子(さきこ)の言葉で、其の場に居た全員が、(はる)(いち)も含めて、紘一の顔を見た。


―周二さん?って、どの人?


向子(さきこ)さんには御見通しか」


 状況的に、周二という名と思われる、優しそうな老人が、(こう)?と言って、そう言う紘一の顔を見詰めた。


「随分前に家業を織機(しょっき)から自動車に鞍替えしちゃったからね。自分が売ってる物が世界の大気に与えている影響には自覚的だよ。良い事も悪い事もね」


―はぁ?!何?此の人、自動車会社の社長なの?!どんどん話が大きくなってくるなぁ。


「其れでも今更会社を無くす事は出来ない。そうやって、より利益の有る方を選んで生きて来た。今回も、より被害の少ない方を選択する。決めた。今日、義式をしよう。何か起きたら責任は俺に有る。怨んでくれて構わないし、被害に対する助力は惜しまないから」


 此れから起こる事全ての責任を、なるべく負おうとするかの(よう)な、紘一の其の物言いに、周二が、泣きそうな声で言った。


「そんなの。あの場所から、画家になりたいって逃げ出した俺を助けてくれた人間にだけ、今更罪を被せない。今日の決断は俺の責任でもある。(うら)むなら俺を。…父親が、(こう)の両親に、あんな事をしたのに…(こう)達は俺を庇って、家族にしてくれた。俺が残って里を継いでいたら、俺が引き受けられたかもしれないのに、のうのうと生きて…孫まで生まれて、幸せに暮らしてる。…幸せなんだ。里を置いて逃げて、…此処で幸せなんだ。…ごめん、ごめん、岐顕君。其れでまた、あの黒いものを里に追い遣ろうとしている。君達が、どんな目に遭うか…」


―え?!里を置いて逃げた?!…此の、(おさ)そっくりの人、誰なの?周二とかいう名前、聞いた事も無いんだけど…。


 岐顕が、やめてください、と言った。


「其れは…貴方(あなた)は良い(おさ)になったかもしれないけど。自分が幸せな事を謝る必要は無いですよ。其れに、俺だって今まで、母親は死ぬわ、兄貴は死ぬわ、嫌な目に遭わなかったとは言いませんが、別に不幸じゃない。(つら)い事が有ったなりに、親戚全体で賑やかに育てられたし、()だ父親は生きてるから家族も居て、友達も居て、其れなりに楽しく暮らしてきたんだ。此れからだって、何か楽しい事を見付け続けて生きて見せる。里で俺達が此れから不幸になるって決め付けないでくださいよ。遣りましょう、儀式。別に俺は、此れから起きる不幸を、此の儀式のせいだとは思わない。其れに、令一が今後、如何(どう)なるのかは知らないけど、サキの話を信じるなら、其れは令一の問題って事でしょう。先代は(けん)(くん)で、尊敬出来る叔父でしたよ。不幸の全てが、そんな、何だかよく分からない黒い塊からくる(わざわ)いのせいだとも、俺は信じない」


―え?…結局、此の後…黒いものが、余計に、うちの里に?




 場面が切り替わった。


 黒いものと対峙(たいじ)している、本家の婚礼衣装を着た、長い髪の女性だった。


 よく見ると、其れは、早佐(はやさ)だった。


 黒いものが、次第に早佐に近付くのが、(はる)(いち)には見えた。


―其れは、其れだけは駄目だ。




 はた、と気付くと、(はる)(いち)は、再び、暗い中に、美しいシャボン玉の(よう)な物が飛び交う場所に居た。


 夢の中の夢が続いていく(よう)な、不思議な感覚だった。


 そして、やはり、(はる)(いち)の傍らには、(とし)が居た。


 如何(どう)だ、と(とし)が言った。

「『(かぎ)』は役に立ちそうか?」


 あれは何なんですか、と(はる)(いち)は言った。

「黒い、(もや)みたいなものが…」


 あれか、と(とし)は言った。


所謂(いわゆる)『悪いもの』だ。苗の神教(ナエンカンきょう)の術の力を使って祓ってきたものの残り(かす)とも言う。淀みに溜まる(おり)。巫女舞を奉納する事で浄化出来ていたものが、十一代目の()原修一(ばるしゅういち)が巫女を追い出して祭祀が廃れた事で溜まる(よう)になり、行き場を失って、瀬原修一の男系の直系に(たた)(よう)になったもの。今は其れを、一人で引き受けている存在が、十四代目というわけだな」


「祟り?…まさか、(おさ)が?一人で引き受けて?え、でも。何か…(みち)の事も追い掛けてきていませんか?(みち)って…十一代目の、女系の子孫ですよね?」


 (はる)(いち)の問いに、そうだろうな、と(とし)は言った。


「御前の主君が巫女を追い払って、巫女舞が廃れた事が元凶だからな。其れは、元凶が居れば、男系の直系だけではなく、其方(そちら)も追うだろう」


「え?…そう言えば、俺の『主君』って?」


 御前が身代わりになっただろう、と(とし)は言った。


「まぁ、御前の方に、そんな自覚は無かったであろうが。今は主従が逆だが、あの男は、御前に感謝していたのだ。今では、何時(いつ)も御前の傍に居てくれようとしているだろう?」


 如何(どう)いう事なんだろう、と困惑する(はる)(いち)他所(よそ)に、さて、と(とし)は言った。


「俺からの贈り物は以上となる。そして、此れは忠告だが、(みず)(まじな)いのみで現世に留め置かれている御前は、其の(まじな)いが御前を縛り、守っている時間しか、()()()のを待ってもらえない」


「其れって。…俺、そんなに長く、生きられないんですか?」


 (はる)(いち)は、『主君』と言う言葉に抱いた疑問も忘れる程驚いて、(とし)に問うた。


 まぁな、と相手は軽く言った。


「其の長さを長いと捉えるか、短いと捉えるかは自由だが、我から見れば、寝る前に火に掛けた(あわ)(がゆ)が煮上がりさえしていない程の短い時間だ。(ゆめ)(うつつ)(うつつ)(ゆめ)。栄枯盛衰も、愛憎も、生病老死も、借り物の肉体を得ているうちに見る夢」


 全ては夢、と相手は、何でも無い事の(よう)に言ったが、死を意識した(はる)(いち)は、恐ろしくなった。


 そうだ、死を恐れろ、と相手は言った。


「其れでこそ生き物だ。自己犠牲は一度きりで充分だろう。いいぞ。生に執着しろ。増えろ。残り時間を意識しろ。明日は今日より賢いが、今日は明日より若いのだ。(ゆめ)で何が悪い。御前が(うつつ)と感じれば其れが御前の真実だ」


 御前の本性は(つるぎ)、と(とし)は言った。


(みず)(まじな)いと相性が良く、風の(よう)な知性を備え、土地を扱う程の堅実さを持つが、本性は火の(よう)に熱く、(いかずち)(よう)に鋭く、理想を追い求める(つるぎ)。駆け出さずにはいられない程の衝動、熱、執着を学べ。経津(ふつ)経津(ふつ)(たぎ)れ。経津(ふつ)経津(ふつ)()れ。経津(ふつ)(ふる)。天にて(ふる)いて(いかづち)となり、地にて(ふる)()(いづ)ずる(はる)の草木となれ。(さか)しまに()(つるぎ)よ。手放せない、譲れないものを見付けろ。其れでこそ御前だ」


 (かぐ)も喜んでおる、と相手は言った。


 突然、ドンッと、暗闇の中で、大きな音がした。


―此の音。知ってる。夜の…。噴火の音だ。


 何の山だっただろうか、と(はる)(いち)が思っていると、花畑の方に行くか?と、もう一度、(とし)が聞いて来た。


「寄り道も悪くなかろうが」


 今度にします、と(はる)(いち)は言った。


「時間が無いから」


 其の意気だ、と言って、相手は片目合図(ウインク)した。

「此の祈りの場所から祈っている。其の身に幸多からん事を」


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