疲労
シャワーを貸してもらって、黒っぽい寝巻の浴衣に着替えてから、治一は、恐らく夫婦の寝室となる予定だったのであろうベッドルームに招き入れられた。
豪華なエントランスの、幾何学模様のカーペットを見た辺りから、目がチカチカしていた治一だったが、其の、家具と呼べる物は大きなベッドしか入っていない、白で統一された、海外のインテリア雑誌の写真の様な部屋に、更に圧倒されて、呆然としてしまった。
「えー。此れ、キングサイズ?」
「いや、インポートのだから、此れでクイーンサイズのベッド。ベッドしかない寝室って憧れだったんだよね」
「…白、苦手なのかと思ってた」
「いや、自分が着てて汚れが目立つのが、不潔感が有る気がして嫌なだけ。他人が着る白や、ファブリックの白は寧ろ好き。汚れが目立つ方が、取り替え時期が分かるし、清潔じゃん。あと、白だと、クイーンサイズでも比較的、替えのシーツとかが手に入り易いんだよね」
「あー、だから、白い服、着ないのか」
「んー、やっぱりさ、息子と大濠公園とか行きたい訳よ、俺も。其れで、汚れを気にしないといけない様な服はさぁ」
「そっかぁ。…で、俺は…此処に寝るの?」
日付が変わってから帰宅してしまったので、寝静まっていて、確かに、顕彦や賢顕や龍顕を起こしたくないから、他の部屋に行き様も無いのだが、此の、明らかに新婚夫婦用の設えの寝室に圧倒されてしまった治一は、寝具に触れて良いのか如何かすら、迷うくらいだった。
良いじゃん、と岐顕は明るく言った。
「此れで、『理佐と寝られなかったベッド』じゃなくて、『治を泊めたベッド』になるんだもん」
―…其の言い方、断り難いんだよなー。
「そっか、分かった。今夜は此処に泊めてもらうとして。…あの時のベッド、大丈夫だった?前に御前が、俺を持ち上げて、一緒にダイブした時のやつ…」
アレねー、と言って、外に居た時よりも、心持ち声を落として、岐顕は笑った。
「二日後に脚折れた。買い替えだったよ、ベッド」
「やっぱ、そうかー…。ほら、野郎二人で寝るのには重かったんだよ、流石に」
「クイーンサイズだから大丈夫!其れに、ダイブとかしなきゃ良いじゃん」
そう言って笑いながら、岐顕が枕を一つ手渡してきたので、はいはい、と言って、溜息をつきながら、治一は、促される儘に、ベッドに座った。じゃ、シャワー浴びて来るね、と言って、親友は、新婚仕様の寝室に、治一を置いていった。
取り残された治一は、諦めて、ベッドを降り、荷物の整理を始めた。
「そーいやさー、固定資産税、幾らなの?坂元本家って」
枕を抱えて、ベッドの上で胡坐を掻く、黒っぽい寝巻の浴衣姿の親友は、不動産会社経営者らしい事を聞いて来た。ベッドの縁に腰掛けていた治一は、手にしていた枕を抱えて、俯せに寝そべりながら答えた。
「ま、年間六十万くらいなんだけど。…意地で払ってたんだけど、そろそろ削減したい気持ちにはなってきた」
うーん、と岐顕は言った。
「地価掛ける広さの値段、だと、其のくらいになっちゃうかぁ。あの辺も、バブルで地価上がったしね、多少」
「一応鹿児島市内だしなー。上物は、もう価値無いだろうけど。何せ広いのよ」
あー、と岐顕は言った。
「母屋の敷地と病院跡地の敷地で百坪ずつ?」
「そう、実方医院本館が開業された段階で、別館の建物は坂元本家名義になってたっぽくて。実方分家所有の土地が飛び地みたいになってるのも、ややこしかったらしくてね」
「百坪だと…大体、年間二十万くらい?」
「そう、あと、畑だった所も在るから。戦後に、共有地だったのを買ったらしくて、其処と、墓に行く通り道くらいまでの所は、うちの土地なんだよ。足したら六十万くらい」
「おー…。安くはないなぁ。土地遊ばせてるなら、勿体無いかもね。でも、戸建ての借家を借りるよりは安いね」
「うん、調べたけど、市内で戸建ての借家だと、月十万くらいだから、持ち家の方が今のところ安いっちゃ安いんだけど。…一人暮らしには広過ぎるんだよなー」
まーねー、と言って、岐顕は苦笑いした。
「月六万でも、年間十二ヶ月だと、持ち家の方が安いかぁ。月五万で、敷金礼金、共益費入れても…。うん、でも、一人暮らしで三百坪ってねぇ…」
「そうなんだよ、畑を遣る気力も、庭を整える気力も無いから…」
「一人で管理するには広過ぎるよね…。人を雇わないと…」
「其処までして手を入れたら、本家としての体裁も保てるんだろうけどね。此の辺りって、娯楽が少ないから、園芸に凝りがちだし、見劣りするだろうなー、うちの庭。本当に、家格は有るけど体裁は無いわ」
「隠れ里で外に出られないせいか、皆、庭に凝るというか、花に詳しいし、矢鱈植えるよね。最近、皇帝ダリアと岩躑躅が流行ってるけど、其れを考えると、シンプルだよね、坂元本家」
「最低限の植木は残した、って感じ。年一で庭師を呼ぶのがギリだよ。…やっぱ、固定資産税プラス維持費を考えても、賃貸の方が良いかなぁ。遺産も、家族の貯金とか、生命保険とか有ったから、相続税を引いた残りでも、払えない事は無いんだけどさ。固定資産税と、所得税で来年持って行かれる分を考えると、毎年、百万以上は余分に貯金しておきたくて。…何か、そういうのを考えるも、面倒になってきてさ。…未成年なのにさー、俺」
売ろっかな、と治一が言うと、そう?と岐顕は言った。
「御家族の思い出の土地だから、売らないのかと思ってたんだけど…。やっぱ、出て行きたいから?」
いや、と治一は言った。
「出て行くにしろ、行かないにしろ、身軽になりたくなってきた。更地にして売りたい。買って、跡地に何か建ててくれない?食料品売り場とか。こんなビミョーな立地、瀬原集落関係者にしか売り難いし」
「…あー。喜ばれそうだな」
「買い物の立地としては良いだろ?黒服とかに経営させてさ」
「…悪くないなぁ。皆、買い物出来る場所が決まってるから、飽きてるだろうし。駄菓子と雑誌を置いただけでも喜ばれそうだよね」
「…実方本家って、固定資産税、如何なってんの?」
―段々眠くなってきたな…。今日、本当に疲れた。
「あー、ほら、瀬原集落って、抑さ」
詳しく説明してくれる親友の声が、次第に遠のいていくのを感じながら、治一は瞳を閉じた。
※市内で戸建ての借家だと、月十万くらい 平成初期の鹿児島市内の家賃相場です。
※皇帝ダリアと岩躑躅 本当に、平成初期から十年くらい流行っていて、市内で、よく見かけました(何だったんだろう)。
鹿児島駅から西鹿児島駅に機能移転した頃なのか、西鹿児島駅の建て直しの頃なのかに、立ち退きが有って、御金を貰えた家や、地価が上がった家が在ったのですが、上手く調べられませんでした。新幹線が通った頃も、駅まで車で行きやすい場所の地価が上がったらしいのですが、調べきれませんでした。結構、立ち退きで幾ら貰った、みたいな話は、聞き取りでも出難いでしょうね…。




