嫉妬
岐顕は、上機嫌で、砂浜を歩きながら、マリゾンの在るプレジャー桟橋の方まで来ると、無人の桟橋の上でバク転を始めた。
「やっほーい!」
「バッカ、止めろって!…本当に、体の動きに衰えが無いときたもんだ」
砂浜が歩き難かった上に、靴に砂が付着して、桟橋の上でもジャリジャリと靴裏から音がするので、治一は、足元が不安定な様に感じ、親友にも、あまり危ない事をしてほしくなかった。
しかし、岐顕は、其の心配を他所に、フワリと舞う様に美しく着地して、万歳のポーズをした。
「わーい、サンキュ、治。俺、こんなにスカッとしたの久し振りかもぉ。いや、初めてかも?」
「マジッスか…」
長の妹と密通してくれてサンキューとか言われても、如何したら良いんだろうと思う治一に対して、岐顕は、明るい顔で敬礼した。
「御手合せ願う!」
「マジッスか!」
へぇ~い、と、歌う様に言いながら、岐顕は、桟橋の上で靴と靴下を脱いだ。
―しまった。こいつ、上機嫌になったら違う意味で質悪いんだった。如何しよ…。
「…そういう事だったら、もっと食っとくんだった…」
いーからいーからぁ、と明るく言って、裸足になった岐顕が、此方を向いて構えた。
「良くねーよー。パワー系。体力バケモン」
治一が、そう抗議しながら裸足になると、早速、割と重めの蹴りが来た。避けたが、次に来た突きも速かった。
「えー?もー」
相手と距離を取る為に治一が側転すると、岐顕が、いいね、と喜びの声を上げた。
暫く、そうやって、近付いたり離れたりしながらの攻防が続いた。
治一が再び側転し、其処から、臨戦態勢に体の向きを戻した辺りで、岐顕が、疲れた、と言った。
「あっつ。動き過ぎたわ」
「十一月の台詞じゃねーな…。いいや、俺も暑い。止めよ?」
岐顕は、んー、と言って、桟橋の端に置いてある、自身の履物の付近まで戻って、丁寧に足の裏の砂を払って靴を履いた後、桟橋の上に倒立してから、其の儘の状態で、片手で二回転程回った。
「イエーイ、1900~」
元気じゃん、と言いながら、治一も靴を履いた。
岐顕は、パーカーを脱いで、桟橋の縁に掛けると、黒い長袖のカットソー姿になって袖を巻くるってから、ゴロン、と、桟橋の上に寝転がった。
其処で寝るなよ、と言う治一の言葉は聞かずに、良いじゃん、と言って、岐顕は、其の儘、空を見上げていた。
「初めて此処、来たけど、此の海、あんまり好きじゃないかも。昼だったら、ソフトクリーム食って帰ってたかもな。あ、後でさー、自販機で何か飲も?あっつい」
岐顕の言葉に、何で?と言いながら、治一は、岐顕の傍らに胡坐を掻いて座った。
「海、来なかったの?今まで。こんなに近いのに?」
「来なかったよ。治と来たから面白いんじゃん、こんなとこ。綺麗でさー、広くてさー。あーあ。見なきゃ良かった」
―綺麗で広くて?…見なきゃ良かった?…此処の海が嫌い?
「…何で、こんな…海の近くにマンション買ったの?」
「理佐が、海見た事無いって言ったから」
海が見てみたいって言ったから、と言って、岐顕が、顔を覆って泣いたので、治一も、何も言えなくなって、黙って泣いた。
稍あって、ごめん、と岐顕が言った。
「…あんまり、水配りの後、治と会わなくて。…色々あって、理佐と二人だけで居たかったんだ」
謝んなよ、と呟いて、治一は涙を拭った。
だが、涙は、後から後から出て来て、頬を伝った。
―岐が、『理佐』って言える様になった。
其れだけの事だったが、治一は、何とも言えない気持ちになって、ただただ、泣いた。
「やきもち焼いてたんだ」
暫くしてから、やっと口を開いた親友の言葉に、治一は、再び涙を拭って、顔を上げた。
「俺、誰にも理佐を会わせたくない気持ちになって。治にも」
「…そう」
昔聞いたら傷付いたかもしれない言葉だったが、早佐との事の後だと、治一にも、そういう心の機微が理解出来る気がした。
「でも、意外だな。岐の方が、何でも出来るのに。俺なんかに、やきもち焼くんだ」
「…治、下方限の女の子達にモテるんだもん」
「だもん、って」
意外にも子供っぽい其の言い方に、如何やら相手が本気で言っているらしい事を、治一は悟った。
「御前、偶に其れ言うけど、俺は納得してないからな?モテてるとか何とか」
「でも、一輝が治に、慇懃無礼に突っかかって来るのは、那智さんのせいだよ?」
「…那智さん?…瀬原衆の?本部の藍児さんのとこの娘さん?」
名前は分かるのだが、顔が全然思い出せなかったので、治一は腕組みして、虚空を見詰めてしまった。
完全に泣き止んだ岐顕は、ムクリと起き上がって、治一の傍で胡坐を掻きながら、間延びした声で報告してきた。
「何かー、那智さんが治を気に入ってるって噂が有ってぇ。そんで、那智さん人気有るから、一輝が妬んじゃってー」
へー、ウサギチャンがねぇ、と言いながら、治一は、はた、と思い出した。
「あ、ネコチャンか」
「突然の生き物シリーズ如何した?」
「いやさ、那智さん?が、小五くらいの時、何処かの家の棟上げで会ってるわ、俺。思い出した」
「お、餅撒き?」
「そーそー。何処の家だったかなぁ。そんで、止せばいいのに、木の上に上って餅を取ろうとした御転婆が居たんだよ。で、降りられなくなって泣いてて。助けたら、ああ、最近不幸の有った家の子だ、って。御母さん亡くなったばっかりの子だったんだよな、あの時。で、『高い所に上って降りられなくなって、猫みたいだな』って言ったんだった」
「…マジ?」
「そーそー。其れでネコチャン。ウサギチャン、ネコチャン好きだったのかー…」
「…ちょっとちょっとー。読み切りセンターカラーのラブコメ始まったかと思ったー。其れ、五頁目くらいのコマのやつじゃ~ん。ヒロインが子供の頃、困ってるところを助けてくれた人に出会うシーンでしょ?」
マジで何の話?と治一は聞き返した。
「漫画に例えんの、止めてくんない?マジで分からん」
「えー、じゃ、一乃さんは?」
「あー…庭師の御爺さんと上方限来てた?昔。どっかの家の池の水替えの時に、池に落ちたから、助けたけど?」
「…文香さんは?」
「…?あー、御弾き、ぶちまけてた子かな?泣いてたから、一緒に拾ってあげたけど?」
また、ちょっとちょっとぉ、と岐顕が言った。
「読み切りから連載狙ってんのぉ?」
「何の話?だから、まぁ、助けた記憶は有るけど、だから何?って感じ。大した事してないし」
ずりー、と岐顕が言った。
「イケメンに、幼少期に困ってるところを何気なく助けてもらうとか、ヤッバ。一分の隙も無いモテムーブじゃん。動きが、もうモテなわけよ。なーに、昔はツンツンの威張りん坊かと思ってたのに、女の子には優しかったってオチ?一輝みたいなのが敵うわけ無いじゃ~ん」
「いや、理佐が、『女の子には優しくしなきゃいけない』って言うから…」
「え…。理佐、一つも間違った事言ってないのに、何でこんな、モテモンスターが誕生しちゃったの?」
「…知らないけど。其れより俺は、ネコチャンに親切にした事によってウサギチャンに嫌われたって事で良い?ネコチャンの顔も忘れてたくらいだから、別に見返りが欲しかったわけじゃないけど、他人に親切にして、結果嫌われるってアリなの?」
地味に傷付くわ、とモテモンスターが言うと、『理佐』と自然に言える様になった体力バケモンは、あはは、と、軽く笑って、帰ろっか、と言ってきた。
実は『同じ顔』『相生の松』の麻那美ちゃんだけではなく、母親の那智さんも木登りするタイプだった、というのは書いてみたかったので、書けて良かったです。




