投棄
「派手な車だなー。買ってやったのか、甘やかしてるなぁ」
闇夜の中でさえ映える黄色いフェアレディZの車体を見ながら、呆れた声を出す賢顕に向かって、税金対策よぉ、と、何でも無い事の様に向子は言った。
「あたしと色違いのポルシェかフォルクスワーゲン買ってあげるって言ったのに、修理するのに外国に連絡しないといけないのが面倒だから国産が良いって言うんだもの」
御前のバブルって未だ終わってねぇの?と賢顕は呆れた様に言ったが、賢兄こそ、と向子が言った。
「家族の人数分の外車は要らないでしょ?派手も派手じゃない。そりゃ黄色じゃないんでしょうけど、色だけ地味じゃ、説得力無いんだけど」
賢顕は、嫌そうに、税金対策だよ、と言った。
「しかも俺が買ったんじゃねぇ」
「太郎と奏の大学への寄付金も、税金対策?そりゃ、入学後の寄付金だから、二人共現役合格だって、裏口なんて疑ってないけど」
「…税収高過ぎんだよ。可変しいだろうよ、此の国。大学の御役に立ったんなら万々歳さね」
まぁねぇ、と向子は言った。
「宗教法人にしちゃえば非課税なんだけど、何か嫌よね、其れも。あとは…節税したいのが数億程度じゃ、宗教法人にしたって意味無いしね、あんまり。宗教団体の維持費に、既に数億掛かるんだから。節税したいのが其れ以上の金額じゃないと割に合わないもの。学校建てるとか、何かするにしたって、建物だけで大体、数十億とか掛かるでしょ?うちは不動産経営で充分身の丈に合ってるわよ」
「そーぉなんだよなぁ。…うちの団体って如何してんだ?」
流石に、夜とはいえ、外だからなのか、賢顕は、『苗の神教』という名前を出さずに、向子に問うた。
「あー、何か、宗教法人って事にしてるみたいよ?特例なんでしょうけど。羽振りも良いけど、金遣いも荒いわよね、あいつ。振袖買い過ぎじゃない?」
向子も、黒服が居るからなのか、『令一』とはハッキリ言わなかったが、そりゃ御人形遊びの必要経費なんだろ、と賢顕が言うと、気色悪い、と、吐き捨てる様に言った。
あーあー、と、賢顕が言った。
「うちの団体の何処に、非課税にする程の公益性が有るのかね?御祈祷は収益事業に入れてないのか?」
其れが特例なんでしょ、と言うと、向子は、態々、岐顕の車の後部座席のドアを開けて、治一を乗せてくれた。サキって御金の話好きだよね、と呟く岐顕に向かって、向子は、御金の話が嫌いな人なんて居ないわよ、と言って、フン、と鼻を鳴らした。
後部座席から治一が話す、栄の長崎移住失敗及び殺害の話を聞く岐顕は、運転しながら、そっか、と言った。
「…じゃ、明日の朝一番で、長崎行こ?」
「へぇっ!?」
「運転するから。福岡からだと鳥栖ジャンクションで」
経路説明をする親友の言葉を遮る様に、治一は、いいよ、と言った。
「そんな、今日も朝から長距離運転させちゃったし、悪いよ。…体力バケモンなの?」
「いーよー、免許無いでしょ、治。俺も気分転換。龍と離れる練習しろとか言われたから、二人で行こ?其の、長崎市の女子大付近の物件ってやつ、見に行こうよ。見たからって、何か変わるもんでも無いけどさ。福砂屋でカステラ買いたいし」
「…ごめん、俺も、普免取るわ…。何か…悪いな」
「ああ、来月十八だもんね。じゃあさ、誕生日の一ヶ月前から通える教習所教えたげる。そしたら、今月から通えるじゃん。治なら三週間とかで取れんじゃない?」
「…サンキュ。…岐、髪もっと切るかと思った」
親友が、夢で見た様な気がする人物と、髪の長さまで似ていたので、治一は、思わず、思った儘を言った。
其れがさー、と岐顕は言った。
「彦じぃが、龍は見ててやるから髪切って来い、とか言って、天神で俺を車から降ろすからさ。ボーっとしてたらカットモデルに誘われて。…んもー、唐人町からだったら百道浜と逆方向じゃん?なのに、態々」
「あ、天神の美容室で切ったの?」
「そーそー。堅い仕事してるから短めにしてくれって言うのに、当節の流行りはロン毛だとか言われて、知るかっつーの。『もっと切ってくれ』を繰り返して、妥協点で此の長さよ。堅い仕事なのに髪にメッシュ入ってますねとか言われて面倒臭ぇ。地毛なんだってば。もー、苦労したよー、此れ。ソトの高校行く時は地毛証明書いてさー」
「まー、天神で切るからだよな…。そりゃ流行りに寄せられるでしょうよ。カットモデルっつったら、相手は、切りたい様に切るだろうし。商店街の床屋にすれば良かったのに…」
「も、子持ちでスーツの仕事だっつってんのに、全っ然、誰も信じてくんねーの。二度と行かねぇ」
確かに信じてもらえなさそう、と思って黙る治一に、親友は、何かの袋を手渡してきた。
「…丸ぼうろと麻花兒?如何したの此れ」
丁度思い出していたところだったので、涙が出る程懐かしいね、などと、抑揚の無い声で言う治一に、岐顕は、分かんない、と、食品の出所を説明するには適さない返事をした。
「長崎で思い出したんだけど、車に乗ってたんだったわ。食べる?」
「…何時の?何時から車に乗ってたか分かんないの?」
―だから、衛生面が不安になる様な事を言わないでくれよ。
「賞味期限大丈夫だったけど、何時のかな?彦じぃが買ったのかな?食べれば?御腹空いてない?あ、通りもん食う?」
「…しょっぱいもんが食べたいんだけど」
「麻花兒は比較的しょっぱくない?」
「…何と比較して?…いや、あの…。分かってもらえないと思うけど、俺にとっては麻花兒は菓子なんだ。砂糖が練り込まれてる、揚げた小麦粉だ」
気疲れして、甘党の岐顕に対して、其れ以上の、自身と相手との味覚の違いを説明するのを断念した治一だったが、優しい親友は、コンビニ行こ、と言ってくれた。
「マンションの駐車場に車停めてさ、歩いて行こ。からあげクンでも買えば?」
「…コンビニ近いの?」
「んー、歩きだと、ちょっと歩くかな。でも、五分くらい?車、もう家に着いちゃうし、話すんだったら、家より、外歩いても良いかなって」
「そっか、もう、龍、寝てるしな…。オッケー。便利な所に在るんだな、マンション」
「小学校の近くにしたかったから買ったんだけど、西新駅はあんまり近くないんだよなー。車だから気にしてないけど。あ、シーサイドももち行かない?海浜公園。二十四時間なんだ」
「歩いて?いいけど」
「ビーチバレーとかする?」
「十一月に?…幾ら今日、暖かいとはいえ、十一月にビーチバレーする気も、夜中にバレーボールする気も起きないんだけど?」
「そー?バスケのゴールくらい無いかな?治、バスケ上手いじゃん」
「や、だから、暗いんだって。何時だと思ってんだよ。ボール見えんの?」
「あ、そういや、あの漫画さ、六月に最終回だったんだって!知らんかったわ」
寝込んでいたうちに人気バスケットボール漫画の連載が週刊少年ジャンプで終わってしまった事を知らなかったらしい親友は、前を見て運転しながら、嘆きの声を上げた。
「…あー、そんな好きだったんだ。道理で、江ノ電見て、はしゃいでると思った」
「其れはアニメのオープニングの話ね。…もー、何貸しても全然ハマってくんないよね?ゲームも漫画も。古い映画を、ちょっと見るくらいしかしないよね、若いのに。治、意外に趣味が昭和ぁ」
「…手に入り難いモノクロとかの映画を偶に借りて、静かに見るのが好きなんだよ。だから、好きって言ったって、あんまり数は見て無いよ」
「…発想が既に渋い。小津安二郎映画が名作なのは俺も認めますがねぇ?あと、何?『天井桟敷』だっけ?洋画も見るよね?『お熱いのがお好き』だっけ?あれはカラーだった?」
「…多分『紳士は金髪がお好き』だと思うぞ、一緒に見たやつの話をしてるんだったら」
「すみませんねぇ、マリリン・モンローが出てたら全部、『マリリン・モンローの映画だなぁ』って思う様な人間なんでぇ。んもー、治さん、漫画も読んでくださいよぉ。話が合わねぇ」
「…漫画、難しいんだよ」
「…難しい?」
「N字の方向に読んだり、Z字の方向に読んだり。四コマ漫画は縦なのに…。モノローグとか入ったら、読む順番考えるのに気が散って、話の中に入り込み辛い」
「ちょっとぉ、マジで、そんな、おじいちゃんみたいな理由だったの?読んだげる!読んだげるから!」
「止めて、漫画を朗読して聞かそうとかしないで!マジで止めて。あと、前見て!」
ゴチャゴチャと、そんな事を言い合っているうちに、車は、高級そうなマンションに着いた。
駐車場で、車から降りながら、治一は、小声で、スゲー、と言った。
「コンドミニアムじゃん。二十九階建てかぁ。何階に住んでんの?」
「二階」
「…え、もっと高層に住むのかと思った」
「高い場所だと怖がるかも、と思って。平屋で育った子だったから」
また、相手が、『理佐』という言葉を言わない事に気付いた治一は、そっか、とだけ言った。
ネイビーのブイネックセーターの上から青袋鼠のパーカーを引っ掛けて歩けば、夜道も然程肌寒くはなく、十五度くらいの気温だと聞いていたのは、やはり本当だったらしいと思い、治一は、コンビニを出て、親友と連れ立って歩きながら、夕方に賢顕と見た月が、宵闇の中で輝きを増しているのを見上げた。
コンビニの前でホットスナックを食べて、ゴミまで捨てて出てきたので、身軽だ。
到着した砂浜の磯の香りや波の音が、慣れない感じがしたが、思ったよりも近くに福岡タワーが見えて、暗い海が直ぐ傍なのに、怖い感じはしなかった。
「…うおっ。カップル居るなぁ」
フナムシみてぇ、と治一が言うと、止めろって、と言って、岐顕がゲラゲラ笑った。
「鴨川も、こんなだったじゃん」
「あの人達は昼だったし、等間隔に座ってただけじゃん。でも何か、波打ち際の近くの物陰とかにさぁ…」
「夜だよ?野暮な事言いなさんなって」
「…御前、其処まで想像出来るのに何で『ビーチバレーしよう』って言ったの?邪魔の上にも邪魔じゃん、そんなとこでバレーしてたら」
「邪魔すりゃいいじゃん」
ケロッとした顔で、そう言う岐顕に、酷ぇ、と治一は言った。
「…野暮は如何したんだよ」
「そ?カップルの思い出の一ページに、冬の夜にビーチバレー遣ってるアホの姿を刻み込むのは粋じゃない?」
「アホの自覚が有る時点で粋ではない。あと、今思ったけど、ボール無ぇ。第一、他人の思い出の一ページに、刻み込まれるレベルで登場しちまったら、紙魚だよ俺等。酷いって。やめよ?」
治一の指摘に、岐顕は、ウケるーと言って、更に笑った。
「フナムシとか紙魚とか言う方が酷ぇじゃん。もー、湘南でも、泳いでるサーファー見て、アシカみたい、とか言うしぃ。ウサギチャンとかさぁ。生き物シリーズ止めて?」
「いや、サーファースーツと頭が、マジで一瞬、遠目から見たら海生生物っぽかったんだよ…。悪口の心算じゃなくて」
「サーファーは海の生き物ですとかって、ウケるー。陸サーファーに刺されそー」
そう言って明るく笑う親友の口から出た、刺される、という、物騒な言葉を聞いて、治一はハッとした。
「…そう言えばさ、…亡くなった、吉野本家の保親さんって…。ヤバい人だったの?」
―殺人とか…、なぁ。
しかし、親友の口から出る『保親のヤバさ』は、其れとはまたベクトルが違った。
「ああ、何か、八歳の女の子にプロポーズした事有るらしいね?戦前?」
クソヤバいよね、と、アッサリ言う岐顕に対しても驚きながら、治一は目を剥いてしまった。
「…は、はっさい。…え?本当の話だったの?アレ」
「や、何か、正式に、御両親に申し込んで?断られた後、粘着したって聞いたけど?あの人が何歳の時の話か知らないけど」
「え…?ヤバいじゃん…。幾ら戦前でも、無しじゃない…?」
ヤバいよ?と、またしても岐顕はアッサリ言った。
「無しだから断られたんじゃん?やー、八歳は恐れ入るよね。あ、数え年とかだったら、七歳かも?戦前だし。やっとランドセルの年になった女の子にプロポーズとか、流石に周りで他に聞いた事無いし、モノホンのロリコンは違ぇわ」
何か嫌だな、と治一は言った。
「…小さい子を、そういう…。戦後、結構子供が死んだ、育たなかったって聞いてたから、何か…。上の世代って、もっと、子供を大事にしてくれてる気が、勝手にしてた。…俺の周りが優しかっただけなんだろうけど」
「あー、治って、病院で育った子だもんね」
「え?」
「瑛子ばぁばが言ってたもん。昔っから、間引きは有ったって。下方限で十人産んだ人から、自分は一人も間引きをしなかったって自慢された、って。今の方が絶対、大事にされてると思うな、俺」
「…間引き?殺してたって事?」
そりゃそうでしょ、と、何でも無い事の様に岐顕は言った。
「食糧難の時に多産だった事も有るだろうし、障害の有る子だって産まれてた筈なのに、福祉も産業も何にも無い隠れ里で、如何してたと思うわけ?病院に連れて行ってもらえない子が居る、どころの話じゃないんだよ。病気になるような大きさまで育ててもらえない子も、うんと居たの。其の病院だって、実方医院が出来る前は無かったんだし。いや、上方限は分かんないけどさ。御金持ちとかなら未だしも」
「…そっか」
「そうだよ。虐待だって間引きだって、実際有ったし、有るの。俺等が知らないだけ」
―『病院で育った子』って、御綺麗な物しか知らないって意味だったのか。綺麗好きで育ちが良い、って。
何も知らなかった、と、治一は思い知らされた。
そう、虐待も存在するのだ。
早佐は将に、そういう状況に晒されていて、自分が其れを知らなかっただけだった。
随分酷い思いをしてきた気ではいたが、自分は消毒された世界を見ているのだという自覚は、確かに無かった。無知は悪ではないのだろうが、今の治一は、其れを悪だと思った。
あそこを出たいという人間の根底の、心の叫びを、本当の意味では理解していなかった、と。
あ、と岐顕が言った。
「ごめん、手帳さ、俺が持っちゃってたんだわ。返す」
「…あー。俺も忘れてたわ」
岐顕が、昼間に見せた黒い手帳を、パーカーのポケットから出すのを見て、いいよ、と治一は言った。実際今日は、仕事用の黒い手帳の事など、全く気にも留めなかったのだった。
「大した事書いてねーし。遣る。バッチいんだろ?」
捨てれば、などと言う治一に、そ?と言って、岐顕はパラパラと手帳を捲った。
「ねー、そーいやさー、荒稼ぎさん、何で今月、仕事全然入ってないの?」
「…見てんなよ、中身」
「貰ったら俺んだし」
「あー…」
其れ以上何も言えずに俯いた治一に向かって、え?と岐顕が、不思議そうな声を出した。
「…女?」
返事をしない治一に、うっそ、と岐顕は言った。
「え?マジで女なの?」
「…その…。早佐と居た」
二人の沈黙の間を、波の音と潮風が流れた。
「や、えっと…。うん。ちょっと…、その…。責任取って、結婚した方が良いのかなって事が有って。水配りの相手が発表される前に…」
俯いた儘、真っ赤になりながら、そう言った治一だったが、岐顕が全然返事をしないので、怖くなって、震えながら顔を上げ、親友の方を見た。
しかし、其の顔は意外にも、喜色満面だった。
いやっほーい!と言って、岐顕は、いきなり、海に向かって手帳を投げた。
「…バッカ、海にゴミ投げんな!」
治一が諫めるのも聞かず、岐顕は、聞いた事も無い様な大声で、海に向かって、令一ザマァー!と叫んだ。
「治、サイコー!」
そう叫びながら海に向かってガッツポーズをする親友の後ろ姿に、流石に、物陰から、うるっせーぞ!という声が聞こえた。
奇しくも、カップルの思い出の一ページにアホの姿を刻み込むのには成功してしまったが、行動としてはゴミの不法投棄という結果になってしまったので、冬の夜のビーチバレーの方が、相対的に粋になってしまった。
「やっべ、超楽しー!長崎行きは今度にして、朝一で鹿児島帰ろうぜー!」
「えー?!」
遂に治一まで叫んでしまったので、今度は空き缶が飛んできた。
場所替えようぜ、と、治一は小声で言った。
『サザエさん通り』(2012年から)が未だ無いので、何処を歩かせるか悩みました。
干潟だった百道浜が1989年に開催されたアジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)の為に大規模開発され、閉幕後、都市計画で分譲マンションが増えた辺りを、岐顕が購入した設定になっております。
『相生の松』でも書きましたが、1994年に『ゴジラvsスペースゴジラ』のロケ地になりました。




