表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第四章 殺人
31/68


 (のり)(あき)曰く、(はる)(いち)の曽祖父、坂元(さかもと)(さかえ)医師は、平成五年のある日、遂に、()(ばる)(しゅう)(らく)を出る事を決意したのだそうである。


 息子の(りょう)は交通事故に見せ掛けて殺されたかも知れず、次女の(いつ)()は転落死させられ、其のせいで長女の成子(みちこ)を出奔させなければならなくなる等、散々な扱いを受けても、聡明な坂元本家の人々が耐えてきた理由は一つ、(さかえ)の妻、(はつ)の心残りの事だった。


 実方本家の娘であり、苗の神教(ナエンカンきょう)の最後の巫女だった彼女の心残りとは、同じく最後の巫女であり、清水本家に嫁いだ妹、(なか)だった。


 (なか)は、(はつ)にとっては、年の離れた可愛い妹で、其れを置いては()(ばる)(しゅう)(らく)を離れる事が出来ないと考えている程の絆の強い姉妹だった。其れが、平成五年の八月十七日に、亡くなった。


 初は、念願だった、()(ばる)(しゅう)(らく)出奔を決意した。


 そして折しも8.6(ハチロク)水害の後の事で、()(ばる)(しゅう)(らく)も、下方限(シモホーギリ)という低地の地域の、小川に近い場所では家屋浸水し、数ヶ月は復旧作業で天手古舞(てんてこまい)だった事も手伝って、(さかえ)向子(さきこ)に依頼した物件探しも、周囲には発覚しなかった。


 何故、移住場所が長崎市だったかというと、坂元分家で最初に、正式に里を出て、熊本県の益城(ましき)に移住していた人物、坂元(さかもと)(すなお)が、当時は()だ存命で、互いに連絡を取る事が出来、其の孫が長崎県の琴海町(きんかいちょう)に住んでおり、長崎大学病院で医師をしていたからだった。


 其の、(すなお)()の孫という人物の伝手(つて)で、(はる)(いち)の父、(はじめ)医師は、長崎市内のクリニックで職を得られる予定になっており、(さかえ)夫婦は、向子(さきこ)がオーナーである八階建て物件の最上階に住み、(ゆう)月子(つきこ)と共に、近辺の女子大生向けのアパートの雇われ管理人になる予定だったのだという。


 其れは、計画の漏洩を恐れて、(ゆう)月子(つきこ)にすら、一切知らされず、家族旅行を装っての出立(しゅったつ)、及び、交通事故死に見せ掛けての出奔(しゅっぽん)という形で決行され、無論、たった一人の曾孫、(はる)(いち)にも知らされなかった。


―そうだったのか。


 人生初の旅行に気乗りしない(ゆう)を、(さかえ)が、珍しく、無理に説き伏せて連れて行ったのは、当時の(はる)(いち)から見ても、多少不自然に思えたのだった。そして、今考えると、同じく人生初の旅行だったのにも関わらず、(ゆう)より遥かに高齢の(はつ)は、夫の提案した温泉旅行に、大乗り気だったのだ。当時、(はる)(いち)の母の月子も、其の、何の不安も無さそうな様子に、少し不思議そうではあった。


「あの…。俺は…?」


 顔の皮膚が痺れる程に血の気が引き、青褪めながらも、やっとの事で質問した(はる)(いち)に対して、(のり)(あき)は、気の毒そうに言った。


「御前は旅行に行きたがらなかったし、受験生を無理に家族旅行に連れて行くのも不自然だから、置いていく事になったんだ。其れで、孤児になった御前を、向子(さきこ)が自分の不動産会社の社員にして、長崎支店勤務にして、再会させる手筈になってたんだよ」


「あ…。だから向子(さきこ)さん、家族の葬儀の後、俺を、実方不動産に誘ってくださったんですか…?」


 (はる)(いち)の疑問に、申し訳なさそうに、そういうわけじゃないけど、と向子(さきこ)は言った。


「…考えてはいたの、交通事故死に見せ掛けて里を出る事には失敗したけど、遠縁でも、親戚が残っているなら、(はる)を、長崎支店勤務にしてあげて、如何(どう)にか、()(ばる)(しゅう)(らく)から出してあげられないかって。でも、ショックでいらしたのかしら、(さかえ)叔父様が亡くなられてから、()ぐ、其の、坂元(さかもと)(すなお)さんという(かた)も亡くなられてしまって。オマケに、交通事故ではなくて、殺害されたかもしれないという事であれば、(すなお)さんの子孫に御迷惑を掛けてしまうかもしれないから、話自体を無かった事にしなければならなくて。…元々、(さかえ)叔父様からの御依頼で、何か起きたら、此方(こちら)から、彼方(あちら)への連絡を絶つ約束になっていたの。…正式にとは言え、()(ばる)(しゅう)(らく)から出た人間の子孫の所在が里の人間に知られると、迷惑が掛かるから…。…ごめんなさい。…今からでも、(すなお)さんの御孫さんに、連絡を取る…?」


「…いえ」


 血縁が生きていたのは嬉しいけど、と(はる)(いち)は、(かんが)(かんが)え言った。


「…迷惑を掛けるのは確実だろうから…。遠縁が長崎に居るって話は、聞かなかった事にします。顔も見た事が無い(よう)な遠縁の俺が、急に現れたところで…」


 せめて(すなお)さんが御存命ならね、と、悲しそうに向子(さきこ)は言った。

(さかえ)叔父様よりも御高齢でいらしたから…」


「…はぁ。其れより…。俺の家族は、本当に殺されたんですか…?」


 多分な、と(のり)(あき)が言った。


「観光バスの手配をしたのが令一だったんだよ。其れに、滅多に無いだろ、脱輪なんて。運転手も一緒に死んじまったから、今となっては分からん部分も多いが、点検に出したばっかりの車両だった事は確かだったらしい。…ま、()()()()事だな」


「…何でですか…?うちの家族が、何か殺される(よう)な事…」


 理由は分からんが、と前置きしながら、賢顕は言った。

如何(どう)も…。令一と(さかえ)さん、揉めてたみたいなんだ」


「…揉めてた?(おさ)と?」


「…いや、本当に、よく分からんのだが。()()(はや)()は、本当は養女だって(さかえ)さんが言ったら、令一が激高してな」


「…え?…いや、周知の話だと思ってたんですが?何か、其れで揉める(よう)な事に…?」


 すまん、と賢顕は言った。


「俺には、本当に、よく分からんのだが。…何か、言ったらいけない事だったらしい。令一にとっては。…あいつは、早佐に惚れ込んでるからな。まぁ、以来、表面上は何時(いつ)も通りだったが、険悪(けんあく)だったよ、あの二人。其れ以外に理由が思い当たらん。よく旅行を許したな、と思うくらい剣呑(けんのん)な空気だったのが、令一の手配した車両で事故死だろ?…ま、証拠は無いんだが」


 (はる)(いち)は次第に頭痛がしてきたが、(こら)えて、質問した。


「…え…っと…?…すみません。妹でない方が良くないですか?その…結婚とか?したいなら」


 御手上げだよ、と賢顕は言った。


「令一の頭の中は、本当に分からないんだが。(ちょっ)(きん)で起きた何かの心当たりが其れしか無いんだよ。其れに、早佐に対する執着も異常だ。ほら、理佐が嫁に行ってから、早佐を、理佐が居た部屋に移しちまったじゃないか。あの、()()()()()()()のに。住まわせてるだけで虐待みたいなもんだぜ。多分、知っててやってんだろ、令一は」


()()()()()()()?」


「早佐は()()()()()()()()なんだよ」


「…アレルギー…。…あ!…アレルギー性の喘息…?」


「そうだよ。昔は、そんなもん分からなかったが、竹林の近くで早佐を遊ばせると絶対に発作(ほっさ)を起こすのに気付いた由一(ゆういち)が、早佐を離れに住まわせていたんだ。最近の検査では、何のアレルギーか詳細に分かるからな。あの子は今のところ食品アレルギーは無いが、ハウスダストとスギ花粉と動物の毛と、イネ科アレルギーだ。イネ科の植物なんて珍しくも無いが、竹林じゃ、如何(どう)管理したって雑草の花粉が飛ぶからな」


「…信じられない…。妹が喘息を出すって分かってて、あそこで寝起きさせてるって言うんですか?」


「妹を、万に一つでも、逃がさない為だろ。妹の周りに竹林が在れば、()()()()()になるんだからな。全く、学校にも遣らないかと思ったら。…本当に、親が死んだら好き勝手に…。異常だよ。これまた情けない話だが、イネ科アレルギーなんてもんが分かる(よう)になったのも比較的最近だったから、俺達が気付いた時には手遅れだったわけだ。あいつ、まんまと、一番気に入ってる妹を、手近な(おり)に囲ってやがんだ」


(おり)!?竹林が?まさか…」


―…いや、成功してたんだ!竹林の()に妹を閉じ込める事に。だって、実際に発作(ほっさ)は起こしてたじゃないか。俺が発見しなかったら…。あいつ、竹林で動けなくなって、あの(まま)、長い時間、誰にも発見されなかった可能性だって…。


 あの時も、早佐が喘息さえ起こさなければ、崖さえ登り切れたら、車道に出られる筈だったのだ。早佐の体力で其れが可能だったかは分からないが、竹林が無かった場合の方が、早佐が、あの場所を出られる確率は上がっていたわけだ。


御丁寧(ごていねい)に、令一の依頼で、(くりや)じゃ、(たま)(ちく)(すい)を料理に使って遣ってるらしいぜ。意図的だろうよ」


(ちく)(すい)って…。体に良いって言う、アレですか?切った竹から採れる」


 そりゃ御前、と賢顕は言った。


()()()()()だからな。(ちく)(すい)自体は体に良いんだろうし、別に、(ちく)(すい)飲んだくらいじゃアレルギー反応は出ないと思うが。(よう)は花粉症だからな。御呪(おまじな)いみたいなもんだろうが、あいつ、よっぽど早佐を、あの場所に寝かし付けておきたいんだな」


 聞きながら、震えが止まらなくなってしまった(はる)(いち)に向かって、今日はもう休むか?と、賢顕が、優しく言った。


 そうね、と向子(さきこ)も言った。

「じゃあ、あそこで一緒に寝る?あの衝立(パーテーション)の奥がベッドなの」


 向子(さきこ)は、そう言って、高価そうな透かし彫りの施された、木製の衝立(ついたて)の方を指差した。透かし彫りの隙間に、沢山、美しい青い造花が差し込まれていて、壁紙の白さが、其の造花の可憐さと精巧さを引き立てていた。


「え?…いや…?」


 自身以外の一族郎党が殺された話と、令一の異常性の話を聞いた直後に、何故美女と花に囲まれて同じベッドで寝る提案をされているのか分からなくなった(はる)(いち)は、思わず、(まばた)きが多くなってしまった。


 賢顕が、慌てた(よう)に言った。

「おいおいおいおい。ちょっと待ってやってくれ。流石に同じベッドは勘弁してやってくれ」


 向子(さきこ)は、キョトン、として、そう?と言った。


「小さい時は(たま)に、(みち)と一緒に三人で寝てたじゃないの。本を読んで寝かし付けてあげて」


「いや…。はぁ…」


 確かに其れは事実だった。(ちな)みに、本のチョイスが『銀河鉄道の夜』等、名作だが短くもない物が多かったので、続きが気になって眠り(にく)かった事まで、よく覚えている。余談だが、(みち)(あき)の方が先に寝てしまっていた。


 (はる)(いち)が、其れ以上、何とも返答しかねて、頭痛や震えも忘れて、ポカーンとしていると、いやいやいや、と、再び、賢顕が、慌てて言った。


「御前の頭の中じゃ、(みち)も、こいつも、四、五歳の(まま)なんだろうがな。来月十八なんだよ、此の子は」


 でも、と、向子(さきこ)は、(なお)も分かっていない様子で続けた。


「御客様をソファーで寝かせるのも申し訳ないわよ。あたしがソファーで寝ないんだったら、寝かせる所が床しかないんだもの。全面カーペット敷きだから、床で寝るのも、其れ程は(つら)くないでしょうけど。壁をぶち抜かなきゃ、2LDKだったのにね、ごめんなさい」


 待ってくれ、と賢顕が言った。


同衾(どうきん)なんてサービスするくらいなら冷遇して床ででも寝せてやってくれよ。可哀想だろ?」


 賢顕が、日本語としては間違っているが、内容としては正当な事を言ってくれたので、(はる)(いち)は、内心同意しながら、()(まばた)きを続けていた。


 其れによ、と賢顕は続けた。


「実方本家の独身の娘と、坂元本家の独身の当主が同じベッドで寝たって噂でも広まったら如何(どう)するんだよ。…いや、一晩二人で同じマンションに居るだけでも不味い。黒服に連れて来てもらったんなら、何処で漏れるか分からん。俺は責任もって、こいつを(もも)()(はま)まで送り届けるぞ。御前、自分は五十歳で、こいつが四歳くらいの心算(つもり)だろうがなぁ。世間は、そう見ちゃくれねぇんだよ。マンションから出て来た若い燕とか言われたら」


「…あれ?向子(さきこ)さん、今年五十歳でしたっけ…?」


 目の前の美女の年齢が思い出せなくなっていた(はる)(いち)は、愈々(いよいよ)訳が分からなくなって、目を(しばた)かせながら、確認する(よう)に、そう言った。


―何か…また頭痛くなってきた。えっと、(みち)が生まれた時、此の人が三十歳で?(みち)が、今、二十歳(はたち)だから?…えーっと。可変(おか)しいな。三十足す二十は計算出来るんだけど、此の人の年が計算出来ない…。え?五十?…五十なの?


 問われた向子(さきこ)の方は、明るく、そうよぉ、と言った。

「終戦の頃に母の御腹に居たらしいの。二月で五十になったわ」




 そんな事を言い合っていたら、インターフォンが鳴った。


 ガチャガチャと音がして、合鍵を持っているらしい(みち)(あき)が入ってきた。

「サキー、こんばんわー」


「こんばんは、(みち)


 やって来た親友は、髪は幾分短くなっていたが、服は昼間と同じだった。


「もー、皆、全然来ないんだもん。(りゅう)寝ちゃったじゃん。車で迎えに来ちゃった。(はる)、倒れたって?大丈夫?」


 親友の姿を見て安心したのか、思わず泣いてしまった(はる)(いち)を見て、岐顕が慌てて近寄ってきた。


「え?ホントに大丈夫?(はる)


 よし、と賢顕が言った。

「親友同士の間には入れねぇやな。御前達、慰め合え」


 岐顕は、え?と言った。


 分かってんだろ、と賢顕は言った。


「御前、(はる)に構ってると元気が出てる。(はる)も、一人で色々抱え込むのは止めな。俺はタクシーで(もも)()(はま)に行くから、二人でドライブでもしながら帰ってこい。ほら、通りもん食え。遣るから」


「ちょっと、賢兄(けんにぃ)


 あたしが買ったんだけど、と言う向子(さきこ)を他所に、あ、通りもんだ、と、甘党の親友は、少し嬉しそうに言った。


「三年くらい前に新発売したんだよね、其れ」


 そうそう、と賢顕は言った。


「此れ遣るから。御前、(りゅう)と離れても平気な(よう)に、練習しろ。(はる)と一緒なら大丈夫だろ」


 ほら、と言う賢顕に向かって、少し拗ねた(よう)な顔を見せてから、岐顕は、うん、と言った。




琴海町(きんかいちょう) 長崎県西彼杵郡だったが、二〇〇六年に長崎市に編入。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ