気絶
―青い花畑?
気が付くと、治一は、何処かの家のソファーの上で眠っていたらしい。
床は一面、紺碧のカーペットで覆われていて、寝ぼけた頭で、治一は、其れを一瞬、青い花畑か海か、と認識した。
―わ、凄い。青い花が沢山。造花…?手作りなのかな。
白っぽい内装の部屋に、沢山の、ドライフラワーの様に吊るされている青い花の造花や、花瓶に生けられている青い花の造花が見えた。そして大きな木の机の上に、作りかけの造花と思われる物や、上質なベルベットの様な生地が花弁の形に切り抜かれている物が置かれている。
―何だろう、石鹸みたいな、良い匂いがするな。
矢鱈と質の良い、水色の毛布が掛けられているのに気付き、ソファーから半身を起こした治一は、如何やら、其の良い香りの主と思われる人物に、声を掛けられた。
「あら、気が付いた?治」
目の前に、長い髪をした、白いガウンを羽織った美女が居たので、治一は、ソファーから転げ落ちるかと思うくらい驚いた。
―理佐?…じゃない。でも、何だ?理佐の姿が二重写しに見える…。
「あ…、えっと、向子さん?此処は…」
「博多駅南の、あたしの分譲マンションの部屋の中よ。天神の御店で治が気絶したって聞いたから、うちの黒服に頼んで連れて来てもらったの」
治一は、不躾ながら、其の旧知の美女の顔を、繁々と見てしまった。
普段は化粧で実年齢の方に寄せているのだろう、実際は、こんなに髪が長いのも、何方かと言えば童顔の部類に入る顔立ちなのも知らなかった。
「髪…長いんですね。膝まで有るんだ…」
「ああ、知らなかったでしょ?普段はシニョンだからね」
「おー、治、起きたか?博多通りもん食うか?」
「賢兄。寝起きで急に食べられる訳ないでしょ?ちょっと待ってあげてよ。あ、此の子の分、残してあげてよ?水炊き戻しちゃったんなら、後で御腹空く筈よ」
賢顕らしき声が、はいはい、と言っているのが聞こえたので、治一は、声の方を見た。
「向子、スゲーな此処。ワンフロアぶち抜きかよ。事務所みてぇだな。要所要所をパーテーションで区切ってるのがまた、洒落てるが。…幾らすんだ?あれ」
「あー、最上階でしょ?此処。事務所にしても良いなと思って改装したんだけど、天神東店の使い勝手が良過ぎちゃって。結局、アトリエみたいな使い方してるのよ。ベッドとソファーは入れたけど、テレビすら無くて、ごめんね」
「いや、此の時間に、キッチンに椅子だけで座って、膝に博多通りもんの箱載せて食うとは思ってなかったが、作品としては良いじゃねぇか。竜胆や矢車草の造花は見た事有ったが、花穂の長い大飛燕草の造花は見事だなー」
「ごめんなさいね。やっぱりテーブル片付けるわよ。御茶も煎れるったら」
「いや、急に来たんだ、悪いから良いよ。あと、こいつの分まで雑炊と玉露かき込んで来たもんだから水っ腹だわ。御茶はいいよ」
起きられるかい、と、賢顕が言ってきたので、此の人間はもっと若かった様な気がすると思いながら、治一は、はい、と返事をした。
「…続きを話しても大丈夫か?」
治一は、少し躊躇ったが、はい、と言った。
向子が、言い難そうに言った。
「ソファーに座った儘で聞いたら?起きたばっかりなんだし」
其の、気遣う様な声音に、何かを感じ取った治一は、あの、と言った。
「向子さんも、御存じなんですか?…俺の家族が、本当は、殺されたんだって」
ええ、と、白いガウンの美女は言った。
タオル地の厚手のガウンだが、装飾として、袖口等に白い清楚なレースが施されていて、今日は、本当に一瞬、少女の様に可憐に思えた。
「栄叔父様の長崎移住を御手伝いしたのは、私だったんだもの」
「…移住?」
待ってください、と治一は言った。
「福岡旅行だった筈でしょう?柳川の温泉に行くって。…長崎に移住って、如何言う事ですか?」
「あの旅行は、瀬原集落を出て移住する為のカモフラージュだったのよ。事故死に見せ掛けて、全員旅行先で亡くなった事にして。実際は私が、長崎の大浦に、物件を用意してあげていたの」
だから、坂元本家の土地屋敷を売る書類が揃っていたでしょう、と、年齢不詳の美女は、言い難そうに言った。
※あぐい 吐く。嘔吐する。「あぐる(吐ぐる)」の転訛。
※えぎれ 空腹のきわみ。食べ物にありつけない状態。「飢え切れ」もしくは「餌切れ」の訛化。




