吉野保親
雑炊の用意と香の物が運ばれてきた辺りで、追加で玉露を二つ注文してくれた賢顕は、中座して用を足してから、戻ってきた。
「あ、賢おじちゃん。御帰り。玉露来たよ。御冷も追加で貰っておいた」
「おお、サンキュ」
再び、治一と水炊きの鍋を挟んで胡坐を掻いた賢顕は、穴杓子で、水炊きの具を浚い始め、雑炊を作る用意を始めた。
「此の具、食っちまってもらっていいか?」
「はい、おじちゃん」
そういえば本題だが、と賢顕が言ったので、治一は、あ、と言った。
「そっか…。此処までの話は、今日の本題じゃないんだ…」
「…言い難い話だから後回しになって、済まんな。ラストオーダーが二十時半、閉店が二十一時か。二十二時に百道浜到着目標って感じだな」
「…初孫の出生の秘密より言い難い話、聞くの怖いな…」
「俺も、言うのが怖いよ。さて、遡る事、昭和二十七年」
「そんなに遡るの?!」
驚く治一に、長い夜になるって言ったろ?と、賢顕は言った。
「…まー、食っちまってくれ。御前が其れ食ったら話すわ。…雑炊は、まぁ…。御前が食えなくなったら、責任もって俺が食うからよ、うん」
そんなに食欲を無くしそうな話なんだ、と思いながら、治一は、はい、と言って、頑張って水炊きの具の残りを食べた。
「御前の家族が亡くなったのと、長の後見人だった、吉野本家の保親さんが亡くなったのって、ほぼ同時期だったよな?」
「…あー。曽祖父ちゃんが、確か…保親さんが亡くなって直ぐは、旅行の許可の御願は流石に悪いからって、えーっと、九月に保親さんが亡くなって…十月に許可申請したんでしたっけね。で、旅行が十一月末だから、確かに、そんなに…間が空いてない、かな?」
「そうそう、御盆の頃に、瀬原分家の那智さんが令一の相手に如何だって話が出てたらしいんだが、八月の、清水本家のお仲さんの葬儀と、翌月の、吉野本家の保親さんの葬儀で流れて、あれっきり聞かねぇな、そう言えば。まー、バタバタだったよな。急に吉野本家当主が、保親さんの大甥の大示さんになるし、其の息子の大輝さんは、鹿経大に二浪して入って、四留したから、水配りが最近になるしよ…」
「あ、鹿経大だったんだ?大輝さん。確か、奏兄ちゃんと同い年だったよね?そっか、兄ちゃん達は、ソトで御礼奉公してたから、水配り遅かったらしいけど、更に後だもんね、大輝さん」
「そうそう。特に、奏には、うちに、歯科を作ってもらってたから、戻ってきてからもゴタゴタしててな。そんで、何か、大示さんとしては、経営っつーか、何か商売させたいらしいんだがな」
「あ、其れで鹿児島経済大学?」
「んー、噂じゃ、吟さんが、うちの奏と張り合わせたかったから大学進学させたらしいんだが…。大輝さん、女遊びに嵌ったらしいぞ、ソトで」
「えっ?…其れで四留したの?」
「…んー。ま、言い難いんだが。ちょっとなぁ、大輝さん、そういう所が有って。ソトの高校で寮生活してた時代から、風俗とかに、借金して通う感じの生活してたんだよ。其れで、学校から親が呼び出し食らって。大示さんと吟さんが、学生寮に押しかけてきた借金取りに土下座して。ほら、景気は良かったろ?あの頃。其の時の金は返済出来たらしいが。もー、其の後、吟さん、胃潰瘍で、うちに入院して」
「…あ、入院の話は、ちょっと覚えてるかも」
「そう、其れで、もう、吟さんに弥生が掴まっちまって、カウンセリング状態よ。忙しいから、うちの看護婦を返してくれとも言えんから、俺もオマケで話を聞いてたんだが、まー、あの優男、見掛けに寄らず、遣ってくれるよなぁ。母親を心労で入院させるたぁ、親不孝も良いとこだ。だから孫の教育は間違いたくないってんで、吟さん、楽には重い期待を寄せてて、嫁の美弥さんが、とばっちり受けてんだ。美弥さんは流石に、高校時代の話までは知らんだろうが…気の毒になぁ。家柄の良い所に嫁いだと思ったら、って話よ」
賢顕の妹の弥生は看護婦で、実方医院勤務なのである。
其れは大変だったね、と治一は言った。
「…あんまり、そういう人に見えないから、ホントに初耳だったなぁ」
「そうなんだよ。見掛けに寄らねぇのが一番怖いよな」
現吉野本家当主の意外過ぎる過去に、治一は、えー、と言うしかなかった。
「知らなかった。…まさか其れで二浪?」
「いや、其の辺は分かんねぇんだが。まー、其れで、女癖が悪いってんでな。由一としては、理佐か早佐の相手に考えられないってんで。水配りは、身分が合えば、年回りが合わなくても身分優先だろ?大輝さんと理佐って組み合わせも案としては有ったんだよ。ほら、義理だが、岐とじゃ、従兄妹同士だし、水配りとしてはな。其の分、あの二人は仲も良かったから、組み合わせとしては不自然じゃなかったが…」
「…うーん、結構不名誉な理由で水配り候補から除外されてたんだね、大輝さん…」
―そっか、そう言えば理佐って、自分が養女だって、知ってたのかな?
治一が生まれる数ヶ月前に、瀬原本家第十二代当主の由一が養女に迎え入れたのが理佐で、治一が四歳の時に養女に迎え入れられたが早佐だった。里の人口維持の為の孤児受け入れプロジェクトの一環で、先代の長の由一が見本を示したという事だった。
中学に入った頃、周知の事実とは言え、デリケートな問題なので、周囲の大人達から、本人達に指摘してはいけないと言われたが、流石に生まれる前や、四歳当時の記憶は残っていなかったので、治一は、周知の事とは言われつつ、其の時初めて聞いた気分で、其れを指摘しないと大人達に約束したものだった。
「ま、第一、親戚が多いよね…。従妹だ、何だ、って。血を濃くしないのも大変だよね。孤児受け入れでもしないと…」
「おー。御前と宗も又従兄弟だしなぁ。こんな狭い場所だから、何処も意外と遠縁の親戚だったりするよな。組み合わせ考えるのも骨だろうぜ」
そう、実は、岐顕と治一が、幼少の砌から一緒に、よく遊んでいたのも、岐顕の祖母の瑛子と、治一の母の月子が従姉妹同士という縁が有ったせいもあるのである。
だから、ややこしいので、滅多に話題に出ないが、岐顕の父の宗顕が治一の又従兄弟なのだ。
瑛子の父、清水分家の繁雪は、月子の父、薫陶の、年の離れた兄だった。分家と言っても、繁雪も薫陶も、清水本家と血の近い家柄だったらしい。辰顕の母だった景が清水本家の娘だった事も有ってなのか、此の周辺は割合懇意だったらしく、婚姻関係が有るのだ。
其のせいか、宗顕は、厳つく、身長も驚く程高く、実は、見た目は其れ程、実方家の顔立ちでは無い。しかし意外にも、繁雪という人の写真の顔を、物凄く煮詰めて渋くした様な顔立ちなので、治一としては、宗顕は、岐顕の父親というより、自分の又従兄弟という認識が強い次第である。
兎に角、其の縁で、瑛子も宗顕も治一を可愛がってくれているから、孤児になっても、此れ程までに実方家の面々から援助を受けられていた、というのも有り、其の愛情を考える時、治一としては、彼等に益々頭が上がらない思いになる。
「其の点、那智さんなんかを令一の相手に持ってきた辺り、結構、案としては良いなと思ったがなぁ。戦後の戦災孤児受け入れプロジェクトで受け入れた孤児の子孫だから、里の中の誰とも比較的血が遠いし。御父さんの藍児さんは、本部で重役だしよ。奥方が亡くなる前は白装束部隊も遣ってたから、結構金も有る筈だぜ。優秀でな。でも、男寡になってからは、娘さんが里に一人になるから、家を空けない様にってんで、本部勤務になったんだよな、確か。御前、那智さん、分かるかい?」
「あー、えーっと、理佐の妹の早佐と同い年でしたっけ?ま、長と年回りも合うか…」
「そうそう、あの小町娘よ。…あの話、何で立ち消えたんだろうな…。ま、大方…。いや、順を追って話すか」
―そうそう、って…。小町娘なんだ…。古い言い回しだなー。でも、顔が微妙に思い出せないんだよなぁ…。最後に見掛けたの、何時だっけ?棟上げの餅撒きの時だったから…。
「ま、結局、保親さんっていう重しが無くなったから、諸々の事が起こったんだろうけどな。お、沸騰したな」
御飯を水炊きの鍋に投入し、沸騰してきたところで、穴杓子を使って溶き卵を綺麗に回し入れながら、賢顕がしてきた話は、今夜最大の情報量で、治一は遂に頭痛がしてきた。
昭和二十七年の六月二十四日。
賢顕が十七の頃の事である。
其れこそ、日本でテレビ放送が始まった年だったのだと言う。瀬原集落にテレビが導入されたのは、もっと後だったそうだが、兎に角、其の日、顕彦の父であり、失踪したという、当時の坂元本家の娘、成子の祖父でもある、実方忠顕が亡くなってしまったらしい。
坂元本家は、既に、今、治一が独居している、瀬原集落から少し離れた位置に移住していたが、実方本家は、当時も今も瀬原集落の中に在るので、忠顕の通夜と葬儀の為に、坂元本家の面々は、瀬原集落に赴かねばならなかった。
「俺も、ほら、前、岐が通ってた、ソトの公立高校に通ってたんだが、知らせを聞いて、西駅の近くに在った学生寮から大慌てで、学ランの儘戻って来たんだよ。でも、葬儀の時にトラブルが有ってな」
成子の妹で、当時十五歳だった逸枝が、吉野衆の若い衆に揶揄われ、転んで、喪服を汚してしまったそうである。
「其れで、腹を立てた成子は、葬儀が終わって直ぐ、逸枝を連れて、坂元本家の、ほら、今、御前が住んでる家に戻っちまったんだよ」
『成ちゃん。逸ちゃんは?』
『ああ、賢ちゃん。あの子、あの子…。ああ、一人にするんじゃなかった…』
喪服が汚れちゃったから、御湯を沸かしてあげたのよ、と、成子は、泣き崩れながら言ったのだという。
成子は、坂元本家に戻ると、炊事場で湯を沸かして、泥を落として身繕いをする様に妹に言い、葬儀の後の食事の席の用意を手伝う為、瀬原集落に在る、実方本家に戻る事にしたのだが、妙な胸騒ぎがして、来た道を引き返したのだという。
「で、あそこ、ほら、瀬原集落に向かう途中に、草っ原が在るだろ?で、桜島の見える辺りに、崖が在るじゃねぇか。あそこだ」
見れば、吉野本家当主の保親が、崖の端で、長い洗い髪を垂らした、浴衣姿の逸枝に向かって、巻物を出せ、と迫り、追い詰めていたのだという。忠顕はもう居ないから、誰も御前の家を守らない、と言って、未だ十五歳の逸枝に迫っているのを、成子は見てしまった。保親が、逸枝を、ドン、と押し、崖下に転落させたのだと言う。そして、保親は其の儘、走り去ってしまったのだ、と。
「保親さんが、葬儀を抜け出して、坂元本家の家探しをしていたところに、気付かないで、本家の娘二人が戻ってきて、其の儘、逸ちゃんが、其処で、一人で身繕いしていたんだな。そして、保親さんと鉢合わせたんだろう。でも、家探しの証拠も、保親さんが逸枝を突き落とした証拠も無い。どうせ、立場の弱い坂元本家は味方が得られなくて、もっと酷い事になる。だから、其の儘、事故扱いされた。でも、成子は、唯一の目撃者になっちまったんだな」
まさか、と言って青褪める治一に、賢顕は、雑炊の火を止めながら、そうだよ、と言った。
「出奔したんじゃない。皆で逃がしたんだ。唯一の目撃者だった成子が、保親さんに何をされるか分からなかったからな。坂本家の立場は元々微妙だった。其処に、更に何か、保親さんが、坂元家を陥れる様な嘘の一つもつけば、簡単に、成子は、保親さんの思惑通り、酷い目に遭わされただろう」
一生分後悔したよ、と賢顕は言った。
「俺が一緒に行けば、ってな。そりゃ、昼日中だったが、当時、十五と十七の女の子二人で、あんな、誰かに悪さをされるかも分からん様な草っ原を歩かせちまって。実際、そんな事になって。…俺は自分を責めたよ。伊羽子も葬儀に来てくれてたから、相手をするように親から言われてて、何か、成子達と居るのを遠慮しちまったんだよな。変な話だが、伊羽子と成子が、割合仲が良かったのも有るんだが、俺は、成子と一緒に居るのを伊羽子に見られるのも、伊羽子と一緒に居るのを成子に見られるのも、何か、嫌だったんだよな、あの頃。…何か、伊羽子に、成子の事が好きだって、知られたくなかったんだ。何か、そんな事で分かっちまうわけも無いと、今では思うんだが、自意識過剰だったよな。若かった」
後は、治一も知っている通り、坂元本家は、周囲から悪口雑言言われたのだそうだ。
悔しかったよ、と賢顕は言った。
「自分より立場の弱い者になら、何したって良いのか?証拠が無けりゃ、十五の女の子を殺しても平気で暮らせるのか?周りは、保親さんのせいだとは知らない。だから坂元家の人間は、ってな。周りの殆どが、成子の方を悪く言ったんだ。…伊羽子以外は」
『皆酷い。成ちゃん、きっと、ショックだったのよ。御祖父様の直ぐ後に、妹さんが、あんな亡くなり方したのよ?優しい、可愛い子だったのに、首が折れてて、御棺も見せてもらえなかったじゃないの。こんな所に居たくない、って、私だって思うかもしれないわ』
『伊羽子さん…』
『第一、可怪しいでしょう?此の里の子なら皆、小さい頃から、近付かない様に言われて育つのに、あんな崖になんて近寄る筈無い。揃えた履物も見付からない、裸足で、浴衣で落ちていたなら、自殺じゃないし、事故だと言うなら何かが起きたのよ、如何して誰も調べないのかしら?あんまりだわ…。皆して、不幸が起きた御宅を悪く言って…。何かが可怪しいわ。此の里は変よ。成ちゃんと仲が良かった人まで悪く言い始めて。私、身近に居る人達が、あんな性根の人ばかりだとは思わなかった。成ちゃんを悪く言う人は二度と信用しないわ』
『…有難う』
『え?』
『結婚しよう、伊羽子さん。入籍は、かなり待たせると思うけど。其れでも良かったら』
『…私達、婚約者でしたよね?』
『其れは親が決めたんだ。でも、俺は今、自分で、伊羽子さんと一緒になるって決めた。信用出来るから。可怪しい事を可怪しいと言えて、庇っても利得の無い人間の為に泣けるなら本物だと思う。尊敬する。此処は変だと俺も思ってる。可怪しな事が起きても、殺人か如何かも調べもしない、警察も介入して来ない、薄気味悪い土地だ。こんな里だから、誰が何を考えてるか分からない。一緒になるなら、信用出来る人間が良い。此処の事が変だと理解出来てる人間が良い。信用出来る伊羽子さんに、俺の事も信用してほしいから、正式に求婚する。俺の事も信用出来るなら、俺との結婚を承諾してほしい。俺は、伊羽子さんにも自分で決めてほしいんだ』
『…いえ、きっと、貴方を信用してるから、こんな愚痴を言ってしまったのね。そうだわ、危ない事を言ったのね、私、今。…喜んで、御受けします、賢顕さん。尊敬する、って、きっと、こんなに面と向かっては、誰にも、二度と言ってもらえないでしょうからね』
こんな言い方は良くないんだろうがなぁ、と、雑炊を二つの塗り椀によそいながら、賢顕は言った。
「泣いてくれる人間が居て、本当に、救われる様な気がした…」
「何なの…保親さんって。何で…。そんな。巻物…?」
「秘伝の巻物が有るって、戦前から暴走してたのが、あの人だったのさ。そんな物が未だ、坂元本家の何処かに存在するって思い込んで、目の上の瘤だった忠顕さんの庇護が無くなったら、葬儀が終わるのも待たずに、無人の坂元本家に押し入って、其処の家の次女を殺したんだよ」
人殺しだ、と、賢顕は言った。
「ハッキリ言うぞ。辰兄から聞いたんだ。あの人は、何人殺したか、分かりゃしないんだ。治、苦参って知ってるか?学名、Sophora flavescens、毒草だ。アルカロイド系の強毒で、脳の中枢神経や呼吸運動神経を麻痺させて、酷い時には呼吸停止によって死に至る。昔は、吉野本家の庭に生えてたらしい。其れを使って、何人も殺して、吉野本家後継の地位を手に入れた人だったんだよ。本来は次男坊で、家を継ぐ立場には無かったらしい。そして、多分、荻平さんっていう、先々代の長、瀬原永一の母方の祖父の、瀬原分家の人や、瀬原永一本人。そして、貴ちゃん…向子の御兄さんの貴顕と、御前の祖父さんの、了ちゃんを交通事故死させたのも、あの人だよ。ちゃんとした証拠は無いが、実行犯が、病院で死ぬ前に白状したんだ。殺人教唆だな。里に新しい雇用を作って、若者の流出を防ぐ為に作ろうとしていた不動産会社が目障りだったんだ。坂元本家と実方本家に権力の集中が出来ちまう。此れから大きくなるって時に、兄貴と従兄に死なれちまって、立ち消えになりそうになってたのを、向子が継いで、何とか形にしたんだ。だから、独身だろ、あいつ。結婚する様な暇は無かったし、誰が保親さんと繋がってるかも知れねぇから、周りも結婚を勧めなかったのさ。保親さんは向子を気に入ってたせいも有ったからなのか、何故か向子は未だに殺されずに居るが」
「…は?…え?」
「そうやって、あの人は、どんどん他人を陥れていったんだよ。実権が自分に移る様に。坂元家を陥れたのも、あの人だ。巻物が欲しいというのも本当だろうが、其れも結局は、自分が宗教的権威を握りたかっただけなのかもしれんしな」
やっとの事で、待って、と、治一は言った。
「了祖父ちゃんは…。保親さんに殺されたんだね?先々代の長も…」
「そう。保親さんは、自分の言う事を聞かない永一が邪魔だったんだよ」
「邪魔…。其れって、女癖が悪くて、里の彼方此方で子供作ってたかもって話と関係有る…?」
「おうよ。保親さんを庇う心算は毛頭無いが、俺が後見人でも、あんだけ好き勝手に、長でありながら、水配りを無視して、他所でバカスカ子供作ってりゃ、如何にかしてやりたくなったかもしれん。俺に言わせりゃ、種馬だ、あんなん。あいつのせいで、自由参加だった筈の水配りが、東京五輪頃くらいから重要視される様になって、気の毒に、親父の尻拭いで、由一が水配りで、兄妹婚にならない様に相手を決めて、十一代目の長が戦後、暫く遣ってた、孤児を引き取って里の人口を増やすプロジェクトを再開させる事になったんだよ。だから理佐と早佐が里に居るってわけだな」
「…え?そんな最近だったの?水配りって」
「仕組み自体は十一代目が作ったから戦前から有ったが、其れこそ本当に自由参加だったし、もっと言えば、本家の娘に巫女の衣装を着せ始めたのは依の結婚式からだぞ」
「…婚礼衣装って、巫女の衣装だったの?」
「そう、衣装だけ復刻したのさ、保親さんが。自己満足で、依に、髪も伸ばさせて。本家の娘が髪を伸ばす様になったのも、依からだ」
「…そうなの?何でまた…。其処までして、巫女を復活させたかったの…?矢鱈と巻物に拘ったり…」
「いや…。実はな」
あの人、巫女衣装の髪の長い若い女が好かったんだよ、と、言い難そうに賢顕は言った。
「若い程、好いんだな。守備範囲は八歳からだったらしい」
「は、はっさ…」
治一は、今まで聞いた全ての話が吹き飛ぶくらい驚いてしまった。
「え、な…、如何いう事なの?」
「…そういう…まぁ、其の儘の意味、と言うかな。保親さんより先に亡くなったけど、奥方もスゲー年下だったぜ?ま、後は、巫女衣装だよ。巫女への憧れが強過ぎる人だったらしいからな。要は、後見人が、依にコスプレさせてたんだ。永一が亡くなってから、依の髪を伸ばさせて。御人形遊びみたいなもんだな。やー、焦ったぜ?当時。後見人と依が同居じゃなかったから、未だ良かったようなもんで。性的虐待とかされない様に、依が其れ程、体が丈夫じゃないのを理由にして、定期的に医療関係者が交代で往診行って、体に傷が無いか確認したりしてな。…貴ちゃんと了が、多分里の誰かに殺された、ってなった時に、実方家を守る為に、宗が水配りに参加して、態々、由一に頼んで、由一の姉の依と一緒になって、長の家と縁戚関係になってくれてさ。実方家の参加は其処からだから、俺も水配りなんか遣っちゃいないわけなんだが。あの時…正直ホッとしたぜ…。間に合った、ってな。依は、傷物にならずに、宗と一緒になれたんだ。流石に、こんな事、岐には言えねぇが…」
「え…。吐きそう…」
「ああ…。うーん。食事時に、本当に、こんな話で済まんな…。…まぁ、言い難いが…。永一まで排除した後、由一を二歳で長に擁立してから好き放題だったロリコンが、今の長の令一の後見人だったわけなんだが。亡くなり方、覚えてるか?」
「…待って。…呼吸困難…。まさか」
「そう。証拠は無いがな。保親さんは多分、苦参で、令一に殺されたんだ。因果応報だな」
「な、んで、後見人を、殺すの?」
遂に、本当に頭を抱えてしまった治一を他所に、賢顕は、衝撃の話を続けた。
「…理佐を狙ってたからだろ、保親さんと令一が。此れも流石に、岐には言えねぇが。…『巫女衣装の髪の長い若い女』が好かったんだよ、分かるよな?もう一回慌てたぜ。何とか理由付けて、なるべく実方本家で理佐を遊ばせるようにして。早佐も、性的虐待をされない様に、定期的に医療関係者が交代で往診に行く事にしてる。…本当はな、あれは、体に傷が無いか如何かの確認なんだよ。依の時と一緒だ。別に、寝込む程病弱って程じゃねぇ。厨にも、間者を入れて、理佐と早佐の体調を見てもらってたし、今のところ大丈夫だが」
『あ、そうそう。瀬原本家の厨で噂になってて』
―だから、あいつに食欲が無いなんて噂が、実方本家に入るのか。
治一は、ゆっくりと顔を上げ、賢顕の瞳に焦点を合わせながら、掠れた声で言った。
「理佐…の、妹の方も危なかったんですか?」
「現在進行形で危険だよ。令一の奴、如何見ても早佐に気が有るからな。よく嫁に出す気になったもんだ。…いや、結婚出来る間柄なんだから、すりゃあ良いのにな…」
ごめんなさい、と謝って、治一は、中座して、トイレに駆け込んで、戻してしまった。
―何なんだ。今、俺、何を聞いた?
何とか席に戻った治一を心配して、賢顕が、人肌の温度になってしまった玉露を、ゆっくり飲ませてくれた。
「ごめんな、治。深呼吸して。吐いて。さ、ゆっくり飲んでくれな。ゆっくり」
賢顕は、囁く様に、低い、小さな声で、歌を歌ってくれた。
其れを聞いて、治一は、次第に落ち着きを取り戻していった。
きっと、意味は分からないが、昼に歌ってくれた、ドイツ語の替え歌なのだろう。
〽背の高い苦参が瀬原の庭に生えてる
〽成と 其れと 何もかもに腹が立つ
〽兔がビクビクしながら巣穴から覗く様に
〽だから俺の苦悩を此の青空にぶちまける
〽成、成、こんな事は此れっきりにしてくれないと、成 別れるぞ
〽カラーフィルムを忘れやがったな、俺の成子 今となっては、誰も、此処がどんなに綺麗だったか信じちゃくれないじゃねぇか 笑っちまう
〽カラーフィルムを忘れやがったな、俺の成子 勘弁してくれよ
〽俺の中では 全てが青くて白くて緑で
〽だけど、本当の色はもう残らない
「さて、本当にごめんな。此処からが本題だよ。御前の家族は、実は事故死じゃない」
殺されたんだ、と、先刻、優しい歌を歌ってくれた声が言った。
※鹿児島経済大学 一九六〇年設立。鹿経大。二〇〇〇年に、鹿児島国際大学に名称変更。鹿国大。
全然関係無いですが、名称変更しても略称の語呂が良いなと個人的に感心しています。
※西鹿児島駅 二〇〇四年に現在の「鹿児島中央駅」に駅名変更。旧称の西鹿児島駅の通称が「西駅」。現在は「中央駅」の通称が用いられる。
ややこしい話ですが、隣駅に鹿児島本線と日豊本線の正式な終点駅、「鹿児島駅」が在りますが、何方かと言うと貨物メインという印象で、鹿児島中央駅の方が、西鹿児島駅だった頃から大きいです。御越しの際には「中央駅」を目標とされるのが宜しいかもしれません。当時も、県外の方が「西駅」ではなく「鹿児島駅」の方に行ってしまってビックリするという、「分かり難いよ!」というトラブルが続出していたそうです。そりゃ普通、「鹿児島駅」の方がメインだと思うだろうし、「西駅???」ってなっただろうな、と。
※はらかく 腹を立てる。「腹を掻く」の転訛。




