剣婆様
「…うん、うん。分かった。はい、はい」
「あ、戻りました」
「お、治。本部と連絡取れたか?」
「はい。ついでに、トイレも行かせてもらった。賢おじちゃんも、電話?終わった?」
「そうそう。吉野本家の子が熱出したってんでな。座薬処方したらしい。大丈夫そうだ」
「…あー、龍より一個上だっけ?」
「そうそう、楽君な」
「吉野本家も一人っ子だっけ?…地味に、子供減ったよね?俺も一人っ子だけど」
「そうだな。昭和三十年、四十年頃も、結構、子供が死んでなぁ。戦後の孤児受け入れのプロジェクトが無ければ、里の人口も激減してたんじゃないか?元々、百戸くらいだったけどよ」
「本家当主って、今、大輝さんだよね?一昨年代替わりしたって?何時の間にって感じ」
「おお。うちの奏と同い年のな。あそこはな、親父さんがもう引退したがってて、楽が生まれたのを切っ掛けに代替わりしたらしいぞ。先代の当主の恥かきっ子の大輝さんも一人息子の本家後継だからなぁ、もう、其の息子ともなりゃ、床にも置かぬ扱いってやつよ。楽をソトの学校入れたいって、美弥さんが息巻いてるって話じゃねぇか。御優秀に育てたいってんだろ」
「あー、本家の御嫁さんね。そういうイメージ無かったけど。大人しそうっていうか?…大輝さんも、そんなに、要領の良いタイプじゃないっていうか…。悪い人じゃないんだけど」
「あそこ、御姑さんの吟さんが厳しいんだよ。大輝さんはフワッとしてるし、そうとでも言うしかないってやつだな。何処も大変だなぁ」
「ふーん。でも、ま、早く良くなると良いね、楽君」
「今、二歳だろ?平を思い出しちまっていけねぇや。大した事無いとは思うんだが、熱性痙攣でも起こしたらと思うとなぁ。乳児突然死も怖いし、目が離せねぇだろうな」
ああ、平ちゃん、と言って、治一は席に戻って胡坐を掻いた。
平とは、二歳で突然死してしまった、岐顕の双子の兄、顕平の事である。
「俺、写真の顔しか覚えて無いけど、龍と似てたよね。二卵性だけど、やっぱり岐の御兄さんなんだなぁ。平ちゃんにも、あの、金色の髪、有ったのかなぁ。おじちゃん達みたいなやつ」
「ああ、項の所にな…」
「…賢おじちゃん?」
「すまん、治、御願いなんだけどよ」
「はい、如何したの?おじちゃん」
「顕之丞の事なんだが…」
「ああ、丞?」
顕之丞は、顕太郎と、治一の遠縁の娘、吉野分家の美晴の間に出来た、賢顕の初孫である。
美晴は、付き合いは流石に無いくらいの、微妙な遠さの親戚なのだが、遠目で見る感じでは、龍顕より三歳年上の、今年四歳になる顕之丞の顔立ちの系統は、割合自分に近いと感じている。実方家よりは、清水家寄りの顔立ち、といったところだろうか。
別に、顔立ちが整っていないとは思わないのだが、実方家の子にしては、少し華の無い顔立ちだと感じる。
「あいつには、其の話が耳に入らない様にしてやってくれないか?」
「…え?」
「丞はな…。太郎の子じゃねぇんだ」
続く話に、早速食欲を無くした治一は、食事を再開する事が出来なかった。賢顕も食べるのを止めて、水炊きを加熱しているガスコンロの火を止めてしまった。
曰く、集落外の高校に進学した美晴は、水配りの前に妊娠していたらしいのだ。其れに気付いた顕太郎が、美晴を庇って、其の儘水配りを行い、自分の子として顕之丞を出産させたのだという。
「いや、無かったんだよ、生まれた初孫の頭に、金色の産毛が。一本も。…そういう事も有るのかな、と思ってたが…血液型がな。美晴がA型で、太郎がO型」
「丞は…?」
「AB型だ。O型の父親からは生まれ様が無い。美晴から生まれたのは確かだから、父親は、B型かAB型の男だよ。…そういう事だ」
そんな、と言って、治一が青褪めると、賢顕は、頼む、と言った。
「髪の毛の話が、丞の耳にだけは入らない様にしてやってくれないか。…高校時代、美晴は寮生活だったらしいな。高校の間は、禄に瀬原集落には帰って来なかったらしいんだがよ。其れで…ソトで彼氏が出来たらしいんだが…。まぁ、要は、そいつに逃げられちまったんだな。高校一年生なのに。其れを知って、太郎が庇ったんだよ。だから、美晴の親も知らないそうだ。血液型の話をしたら、流石に誤魔化せなくなったらしくて、太郎が、美晴には言わない約束で、白状したんだ」
「…そうだったんだ」
「まぁ、夫婦仲は良いんだよ。流石に気不味いのか、美晴は吉野分家の実家に入り浸りだが。だから、悠は太郎の子なんだよ」
「…もしかして。悠には、金色の髪の毛が生えてるの…?」
顕悠は、顕之丞の、年子の弟である。
賢顕は、言い難そうに、そうだ、と言った。
「此の儘じゃ、何時か、丞に、自分が此の家の子じゃないって知れちまうからって、太郎が、悠を、顕将さんのところに養子に出すって言い出したんだよ、丞が、物心が付く前に」
「えっ。弁護士の?」
「そう。あそこ、一男一女に恵まれたが、孫は居ないだろ?顕将さんのところの長男の武顕が、男の子が欲しいとは言ってたらしいんだよな」
「そんな…自分の子を」
「自分の子だからだよ。自分の子じゃ無い方を、捨てるみたいにして手放す様な奴じゃない。其れに、自分への戒めらしいんだよ」
「戒め?」
「悠の方ばっかり可愛がらない様に、ってな。悠を可愛がってるところを、丞に見せたくないらしいんだ。あいつなりの、丞への思い遣りなんだよ。悠には気の毒だが」
「…あ」
分かるんだよ、と賢顕は言った。
「俺も、生まれた直後から関わってるから、丞に対しては愛情が有るんだよ。太郎も、親愛情が有るんだろ。だがよ、無意識に悠と比べちまったら、丞には良くないからな」
「其れで…美晴さんは納得してるの?」
「いやー、納得するしかねぇだろうなぁ…。太郎が、美晴と丞の事を考えて決めた事だからよ。美晴にしてみれば、忘れたい事だろうから、丞に対して複雑な感情は有る様なんだが、自分が蒔いた種だしな…、いやぁ、其れで、遂に此の前、辰兄にバレちまってよ」
「うわぁ…」
辰顕は、先々代の実方本家当主、忠顕の長男、俊顕の長子で、本来なら実方本家後継となる人だったが、俊顕が、実方本家当主を、弟の顕彦に譲り、自身は医師になった事で、分家の当主となり、更に、医師として俊顕の後を継いだ後、独身を貫いた為、遠縁の、実方分家の長男、賢顕を養子にし、病院を継いでもらう事になったのである。
だから、辰顕は、賢顕の養父であり、丞達の義理の曽祖父でもある。
「変だとは思ってたみたいなんだよ、男の子なのに金色の毛が生えてないからな。で、太郎が悠を養子に遣るって言い出して、ピンときたらしくて。で、血液型の話になっちまって。…太郎が、丞はA型だって嘘ついてたらしいんだが。まぁ…直ぐバレる嘘だよ。アレルギー検査のカルテが残ってて。去年採血したからな。丞、蕎麦アレルギーでよ。…カルテに嘘を書いたら、違う問題が出る可能性が有るからな」
「うーん、医者につくには苦しい嘘だったかな…」
「そうだな…。A型凝固剤もB型凝固剤も凝固よ。其れで…辰兄が太郎を気の毒がったらしくて…。丞の養育には。今後、一切口出ししないとさ」
「うわぁ…。よっぽどじゃない?辰じぃが?超優しいのに…」
「いや、だってよ。もう、全部が美晴を責める構造になっちまうじゃねぇか、口を出し始めたらよ。優しいから、見て見ぬ振りしてくれるってんだよ。抑、高校で男作ってんだからな、水配りが有るのは分かってたのに」
「あー。十六で水配りだもんね。女子は…。高校進学の場合、形式だけ水配りを遣って、出産を高校卒業まで待つか、妊娠したら高校中退だっけ?」
「大体は、そうだな。まぁ、今更何を言ってみたところで、不義の子だよ。でも、其れを太郎が庇ってんだからさ。何も言えねぇよ、俺も、辰兄もよ。確かに、瀬原集落みたいな狭い所で、こんなん広まってみろよ。美晴も丞も、生きていかれねぇわな。太郎が庇う気持ちも分かるんだ。美晴も未だ、十九だしよ。…そんで、芋蔓式に、医療事務の伊羽子にもバレて」
「ああ…カルテが有るからね…」
「…そーぉなんだよなぁ…。如何しようもねぇわ。此れでな、女の子だったら、髪の毛に遺伝が出ねぇから、未だ、本人にも誤魔化し様が有ったんだが…。いやぁ、厄介な遺伝だよ。Y染色体に何か乗っかってんのかぁ?ま、いずれは丞にも分かっちまうにしても、引き伸ばしたいわけさ。幼少期の人格形成期に知っても、良い事一つも無いだろ?そんで、美晴にも丞にも言わないって、伊羽子も約束してくれてな…。良い奴だろ?」
「…ああ、うん。其れは…本当に、そうだね。御嫁さんの不貞を責めない御姑さん、か…」
「おかしいとは思ってたらしいけどな。あまりにも吉野分家の実家に入り浸りで、病院の事を手伝う素振りも見せないのは、何か有るんだろうとはな。…まぁー、居づらいだろうぜ?其れで、医者先生の奥方に収まってたら、気も咎めるわな。そんなわけで、うちの初孫は、長男だが、殆ど、吉野分家で養育されてるんだよ。だから、あんまり見掛けないだろ?病院の周りで、丞も美晴も、ついでに悠も」
「ああ、まぁ、確かに…。此処三年は、俺も病院に行かなかったから、あんまり気にしてなかったけど」
其れがさ、と賢顕は、言い難そうに言った。
「悠の方が、頭が良いんだよ。二歳だけど。言葉も早いし、体も丈夫だし。こりゃ比べられちまうかもな、って、俺も思っちまったからな」
「うーわー…。もう、そんなに差が出ちゃってるの?」
「いや、あれだよ。龍も言葉が早いんだが。悠は、十一ヶ月で喋る様になっちまってさ。実は、太郎も奏も、そうだったんだよ、言葉が早くて。大人に囲まれて育つせいかと思ったんだが、丞は別に、そんな事も無くて…。二歳までに二語文が出たから、まぁ、発達的には正常なんだが。年子なのに、悠の方が、言葉が早かったもんだから…。奏も、おや?とは思ってるらしいぞ」
「あっ…そういうのも遺伝?」
「分かんねぇんだがなぁ…。いや、美晴も気の毒ではあるよ。こんな田舎からソトに出たから、大方、騙されたんだろ。ソトのもんが、全ぇ部良く見えらぁな。ソトへの憧れも有って進学してるだろうし。隠れ里なんかじゃ無ければ、しかも、水配りなんかなけりゃ、好いた男と一緒になれたかも分からんしな。もう、隠れ里なんかやめちまえって思うがな。血が濃くならない分には、本来は、丞みたいな例が有った方が良いだろうしな。いやー…。頭が痛いわ。丞のせいじゃねぇのによ」
「そっか。…俺、誰にも言わないし、髪の毛の話題も、丞や太郎にいちゃんには出さない様にするよ」
「助かるよ。…不信心の家には悪事、災難常にきたる。奥堅固の家には災禍の難を受くることなし。唵剣婆剣婆蘇婆訶。あーあ、剣婆様よ。家内安全を御授けください」
「えっと、荒神様、だっけ?賢おじちゃんは、苗の神様を信仰してるわけじゃないの?」
「そうじゃないんだが。ほら、あまりにも、わけわかんねぇだろ、苗の神様ってよ。何の神様なんだか。教義も、祈祷の時使う術くらいしか残ってねぇし。何だか、五穀豊穣、子孫繁栄の神って事しか分かんねぇし。火伏や盗難避けは遣ってくれるのか、よく分からんし。そういう、足らない部分は、他の神様拝んでも良いんじゃないかと、俺は思ってるよ。日本は八百万も神が居るんだから、幾つ拝んだって良いじゃないか。内神様って知ってるかい?」
「…うん、まぁ」
「お、若いのに感心だな。氏神様みたいな感じかな?そう、昔は、どの家も祀ってたんだ、苗の神様とは別によ。自分の家を守ってもらうんだな。其れは別に、禁止される様な事じゃなかったからな。だから、剣婆様に俺が家内安全を祈願しても問題ないと思うぜ?」
「…其の、剣婆様って、家内安全の神様なの?」
「いや、火と竈の神の荒神が、地震の神の剣婆と習合したらしいな。Kampa、地震波、つまり、サンスクリット語の地震波から来た名前らしい。如何して習合したのか、とかは、話すと長くなるから止すが」
へー、地震の神様なんだ、と治一が言うと、そうそう、と言って、賢顕が食事を再開したので、治一も従った。土鍋のせいか、火を切って暫く経過したが、其れほど冷めていなかった。味は分からなくなってきたが、残すのも良くない。暫く二人で、無言で水炊きを食べた。
しかし、妊娠には気を付けろよー、などと、賢顕が軽く言うので、身に覚えの有る治一は、危うく咀嚼していた白菜を吹き出しかけたが、堪えた。
※愛情 愛情、思い遣り。「煩悩」の転義、転訛した鹿児島弁。
※親愛情 親の、子に対する愛情。
「ぼんのがある」「ぼんのがつく」みたいな使い方をします。




