坂本治一
※交通事故等による残酷表現が有ります。苦手な方は御注意ください。
坂元治、本名、坂本治一。
坂元治は瀬原集落での通り名だが、戸籍上の本名は、坂本治一である。
『坂本治一』という本名は、本来、親や親族以外では、誰にも知られてはいけない。
古い仕来りで、坂元家の男は本来、本当の名前を、特に、瀬原集落の中では、隠して生きなければならないのである。
集落の外では使用する事も有る名称であるし、相続の手続きを手伝ってくれた向子は知っている可能性も有るが、向子本人に、通り名と本名の違いを指摘された事は無いので、ノーカウントにしている。
其れは、『真名』という風習らしいが、もう、其の詳細を教えてくれる人間は居ない。
だから、曽祖父は坂元栄ではなく坂本栄五、祖父は、坂元了ではなく、坂本了一、父は、坂元紀ではなく、坂本紀一が本名だった。
『坂本治一』という本名は、仮に、治一に姉妹が居ても、教えてはならない、というのが、古い決まりだった。一人っ子だったから、そんな心配も無く育った治一だったが、彼女達は他所に嫁いで真名の秘密を漏らすかもしれない、という理屈らしい。
だから、真名は大事だ。真名を知る女性は、実質、自分の母親だけ。そして、自分の真名を教える女性は、余程、命に関わる制約が生まれない限り、生涯の伴侶となる女性だけである。昔は隠れ里を出て暮らす人間も居なかったであろうから、戸籍上の本名を使う事は殆ど無く、実際に、そうして、他人に真名を知られないで生涯を全うする事が出来たのであろう。
そして、妻に先立たれても、再婚したという例を周囲では聞かないので、恐らく、大抵の坂元家の男達は、生涯、ただ一人の女性にだけ、自分の真名を教えてきたのだろう、と治一は思っている。
そんなものは古臭い仕来りで、別段、治一という名前を好きでも嫌いでもなかったし、治と呼ばれるのに慣れてしまっていたから、全く気にせず、もっと言えば、ほぼ忘れて過ごしていた治一だったが、ある日、其の瞬間は訪れた。
ある女の子に、自分の本当の名前を教えたくなってしまったのだ。
十三の頃だったと思う。
真名を知られるのは、自分の本質を掴まれる事だから、集落内の人間に知られるのは、絶対にいけない、と、親族の面々から堅く約束させられていた事が、却って強く、教えたい気持ちに繋がった。其れは、自分の本質を、寧ろ掴まれてしまいたい、という、自分でも理解しかねる様な、しかし、強く、甘美な気持ちだった。
同じ年の幼馴染、瀬原理佐。
大きな口で、華やかに笑う、其の少女に、ふと、治一は、自分の本当の名前を教えたくなった。前からずっと、好きではあったが、真名を教えたいなどという、大それた事を考える様になったのは、中学に入学して間も無くだったのだと思う。
結局、教える事も無く、相手は、十七歳の若さで此の世を去ってしまったが。
自分の秘密を知られてしまいたい、あの気持ちが、きっと、相手への気持ちの全てだったのだろうと、今でも治一は、そう思っている。
古臭い、つまらない事だと思っていたのに、理佐にだけは、其れを知られたいと思った。
幼馴染の岐顕と理佐が、婚約者になる前から、御互いに思い合っていたのにも気付いていた。だから、隠し通そうとした。其の、隠し通そうという決意自体も、酷く透明で、本当に、透き通っていて、其の、純粋な気持ちごと捧げたくなる程、相手の事が好きだった。
光を透過して輝く、形容し難い、美しい何か。自分の心の、一番柔らかい部分。
きっと、ああいう気持ちを、恋情と呼ぶのだろうと。其の、美しい気持ちの名前は、きっと初恋というのだろう、と。
其れに引き換え、今は。
早佐になど、自分の事を何一つ教えたくない、という気持ちになる。
自分の事を知られるのは恥ずかしい。
本質を知られる事は、相手に支配される事だ、と感じる。
そんな事には我慢ならない。
自分は一人の人間で、誰かの命令にも使役にも耐えられそうにないし、早佐になど支配されてなるものか、と、歯噛みしたくなるくらい強く思うのである。
相手に対して気になるのは、自分の真名を教えるなどという、フワフワした事よりも、ちゃんと食って寝てほしいと思う事くらいだった。早佐が治一の真名など知ったところで喘息も治らないし、健康になる事に対して、一ミリも貢献しない、とまで思う。
そう、早佐に対する時、自分の真名の重要性は、『そんな事より』になってしまうのである。
大事な真名より、相手の健康の方が重要、と思ってしまう。
其れを以て、治一は、恐らく自分は、あの性格の悪い女が好きなのだろうと考えている。
だが、此れが恋情なのかと聞かれたら、本来は困るのだ。
透き通っていて、純粋で、美しかった、あの頃の物思いとは真逆だと感じるからだ。
日も差さない沼の、水の様に濁っていて、其れでいて人肌の温度で、ドロドロした欲に塗れていて、甘い、濃い、白梅の香りが、体に、脳に、纏わり付いて、思考を奪われ、精神の其処彼処に、其れ等がへばり付いている様な感覚になる。相手の事も、自分の行動すらも、全然思い通りにならなくて、腹が立つのに、離れられない。
教えてなるものか、と思う。
自分の真名なんて、早佐には教えたくない。
しかし、そういった強い念を、他の誰にも感じた事が無いのもまた、事実なのだった。
ともあれ、真名は大事だ。
だから、平気だ。
自分の真名を知らない人間が、坂元治の事を、どれだけ悪く言っても、『坂本治一』という、自分の本質は傷付けられない、という気が、頭の何処かでしている。
でも、一年程前から、其の、大事な、自分の真名を聞かせたい人間の不在を、如何しても認めたくなくて、治一は、心を閉ざして、自分の外側、つまり体を、敢えて粗末に、安っぽく扱う事で、敢えて傷付けたのだった。
自傷など出来ない自分が、声を掛けて来る他人を使って、緩慢な自傷を繰り返していたのだとも言える。
大事な家族が、全員居なくなってしまっても、自分の真名を知られたい相手が生きて此の世に居てくれる事が、どれだけ治一の心を慰めたか。
そして結局、理佐が居なくなったら、理佐の存在によって慰められていた傷も同時に開いたので、治一は、此の一年程、自分でも気付けなかった程に、深く、苦しみを抱える羽目になったのだ。
父親の紀が十九歳という若さで出来た一人っ子だった治一は、過保護なくらい可愛がられた。
父親が医師免許を取得したのが、治一が六歳の時だったから、相当若い親だった事は確かだ。
だから、可愛がられていて、我が儘だった自覚も有る。
友達は、殆どが岐顕の友達で、幼馴染と言えるのは岐顕と理佐くらいだった治一は、自分で選んで、瀬原集落の小中学校に通っていた。
集落外の小学校に通う選択肢も、一応は有ったのだが、岐顕と同じ学校に通いたくて、其方は選ばなかった。
坂元家は、里では微妙な立場ではあったものの、其れでも、小学校低学年くらいまでは、そういった事を気にせず、瀬原集落内でも、分け隔てなく遊べていたし、男女は校舎が分かれていたが、何より、岐顕が居た。岐顕が、公立の、県内一の進学校に合格して、里を出て行ってしまった二年間は肩身の狭い思いをしたが、其れでも、自分で通う学校を選んだ事は後悔していなかった。
自分で物事を決める事は、当時の治一にとっては誇りだった。
過保護で口煩い両親が決めるのではなく、自分で、全ての進路を決めたかった。時には反抗しながらも家族を尊敬していたから、医師を目指した。成績が良い事で、却って学校では孤立したが、其れは其れで構わなかった。岐顕と同じ高校に行けるなら、別に、そんな事は構わなかった。
学ぶ事で、世界は、集落の外に開いている気がした。高校、大学と進学していく自分の想像図には、疑いの余地が無かったし、其処には、岐顕の姿も在った。
岐顕や理佐と、互いの家や病院を行き来して、沢山遊んだ。
岐顕と学校に通って、沢山勉強した。
二歳で夭折してしまった、岐顕の兄の顕平の事は、写真で見た顔しか知らなかったが、生きていたら、きっと、一緒に、其の様にして育ったのだろう。
岐顕が傍に居るのは当たり前で、其処に、理佐が加わってくるのも当たり前で、三人で居るのは楽しくて、そして、きっと、理佐を好きになるのは時間の問題だった。
しかし、三は二で割れないと気付いたのは何時だっただろう。
一、余るのだ。
岐顕も理佐も、御互いの事が好きだった。
岐顕も理佐も、大事な家族を亡くしていて、其の隙間を互いに埋め合う様に惹かれ合っている、と、治一は感じていた。
其処に入り込めない、家族に囲まれて育った治一は、関係を壊したくなくて、遠慮した。
二人と、オマケの一人、という関係でも、構わなかった。岐顕の事も、理佐の事も、大事だったからだ。
三年前に、治一の世界が全部変わってしまうまでは、其れで、本当に幸せだった。
三年前の、平成五年。十一月二十九日だった。
あの日も、治一は、岐顕と博多に居た。
月曜日だったのは覚えている。朝、また一週間が始まるな、と、憂鬱に思ったからだ。
午後の授業中、集落の中の中学の、白装束が男子の制服の、治一の教室に、高校生だった岐顕が、治一の着替えを持って、黒い学ラン姿で駆け込んで来たのだった。
長に許可を取ったから、と言って、岐顕は、其の儘、治一を連れて、自身の父、宗顕の運転する車に乗せ、博多駅まで向かってくれたのだった。
宗顕は、其の儘、東京に仕事で行っていて戻って来る途中の向子と福岡空港で合流し、各方面に、坂元本家に起きた出来事を通達する用事が有るので、其処で分かれたが、岐顕が、駅でタクシーを止めて、治一を病院まで連れて行ってくれた。
初めて、長距離移動して、里を出た日だった。
文字通り、右も左も分からなかった。
俺が傍に居るから、と、岐顕は言ってくれた。
本当に、其の言葉通り、岐顕は、高校を中退して、ずっと治一の傍に居てくれて、食事も作ってくれて、散々世話をしてくれて、向子の会社に入って不動産会社の仕事を始めるまで、本当に、文字通り寝食を共にしてくれたのだが、自分の為に高校を中退したと恩に着せて来る様な親友ではなかったので、そんな大きな代償を払わせた事に気付いたのは、間抜けな話で、随分後だった。
今も、当時其処までしてくれた親友が苦しんでいた時は、何もしてやれなかったし、会う事すら控えてしまっていたのは情けない話だが、其の時も、ただ、中三の時の治一は、震えながら、岐顕の、黒い、金釦の学ランの袖を掴んで、タクシーの座席に座っていた。何も考えられなかったし、全部が嘘だと思いたかった。信じられるのは、ただ、隣に座って、自分の手を握っていてくれる、二つ年上の親友の存在だけで、空は曇っていて、寒かった。
其の年の八月十七日、御盆の頃、治一の曾祖母である初の妹、仲が、七十五歳で、シェーグレン症候群による衰弱で亡くなった。
十二月には八十二歳になる予定だった初は、妹の長い苦しみと、其の死に落ち込み、急速に老け込んでしまった。
当時七十九歳だった、年下の夫である、未だ医師として現役で働いていた栄は、長の令一から許可を得て、初を、柳川まで、温泉旅行に連れて行く事にした。
女性は、旅行などという事情では外出出来ない様な隠れ里だったが、最後の巫女だった妻を労いたいし、もう八十も過ぎた事だから、と、栄が説得し、同じく、妹の仲を失って悲しむ顕彦の力添えも有って、周囲も納得し、其の家族旅行は決行された。栄と紀という、医師二人への慰労の意味合いも有ったのだろう。
治一だけは、高校の受験勉強があるからと、曽祖父の誘いを断り、里に残っていた。
福岡に行ってみたい気持ちは有ったが、親と歩き回りたい様な年でも無く、岐顕と同じ高校に行くと約束していた手前、自分でも、あの頃は頑張って勉強していたから、皆で言ってくれば、と言って、アッサリ、残る決意をした。
治一の母、月子も、治一の祖母の夕も、初同様、一度も、瀬原集落を出た事が無かった。
厳密には、治一の住む坂元本家と、辰顕や賢顕の住む実方分家は、戦前から、医師である辰顕や栄が、瀬原集落に比較的近い、鹿児島市内の、集落外の場所に在る実方医院で働き易い様に、と、微妙に、瀬原集落外の位置に居を構えていたので、抑の共住地が、厳密には瀬原集落内ではなかったのだが、其処と病院以外の集落外の場所に、彼女達が出た事は無かった。
だから、治一は、純粋に、集落の外を見せてあげたかった。
女性が三人も、しかも旅行という名目で里を出られるとは特例中の特例だから、妬まれるのではないか、という懸念も、彼女達には有った様子だったが、立場が微妙なのは今更だからという栄の意見が通り、結局、柳川の温泉に、治一を除いた家族全員で、集落初の、二泊三日の家族旅行に行く事になったのだった。
祖母の夕は、夫の了を交通事故で亡くしている為、かなり気乗りしない様子だったが、舅の栄の説得で、渋々了承した。
移動は、観光用の貸切マイクロバスだった。
柳川に向かう前に、博多を観光させたいという栄の提案で、一日目は其れに乗って、博多駅、天神、福岡城址、大濠公園前、福岡ドーム、福岡タワー、と回って、博多駅に戻ってくるコースで観光し、夕方から柳川に向かう予定になっていた。
平日の観光だったのは、受験生である治一が不参加になった事と、初めて旅行する女性達に配慮し、混んでいない日付にした事が要因だった。
十一月下旬の平日という事で、其れこそ、賢顕が言う様に、本格的にインフルエンザ流行時期が来る前の息抜きでも有ったのかもしれない。
しかし、福岡ドームに向かう頃、何故かタイヤが脱輪し、横転したマイクロバスは、其の儘、炎上してしまった。
一酸化炭素中毒死したのは、栄と初の老夫婦で、此方は後部座席に居た為か、他の遺体とは違い、顔を見せてもらう事は出来たが、夕も紀も月子も、焼死だった。
這う這うの体で辿り着いた霊安室には、曽祖父母の遺体しか無く、其れも、顔しか見せてもらえなかった。遺骨も、警察から返ってくるまでに随分かかった気がする。
栄は、礼儀作法や仕来りの事以外では、両親や祖母、曾祖母に輪をかけて甘い人だった。治一が遣る事の大体は褒めてくれたし、勉強しろなどとは、一言も言われた事は無い。だから却って尊敬して、曽祖父や父の職業を目指した。豪く背が高い人で、紀や、今の治一より、五センチは確実に背が高かった。周辺の親戚に美形の多い環境ではあったが、一番美形だと誰もが言うのは栄だった。三歳年上の姉さん女房の初を溺愛していて、治一は、其れを見るのだけは、何だか気恥ずかしくて、嫌だった。
曾祖母の初は、抱っこが長かった。一度膝に載せてくれると、ずっと、其の儘、載せてくれていた。場所は、囲炉裏端だったり、炬燵だったりした。そして、ずっと、穏やかに微笑んで、おっとりと話を聞いてくれた。
だから、十歳になっても膝に載せてもらっていたら、月子が恐縮して、もう止しなさいと言われた。
当時の治一は、あまり、其れがどんな事なのか分かっていなかったので、じゃあ代わりに初を膝に載せると言ったが、試しに、と、遣らせてもらったら、小柄な女性だったのに、重くて、全く我慢出来なかった。
此れを、ずっと遣ってもらっていたのだと思うと、感謝と驚きで、其れ以来、膝に乗れなくなってしまったのを覚えている。
もう御膝に載らない、と言ったら、大きくなってしまったのね、と、優しく言われたのを覚えている。
夕よりも丈夫で、病気をしたのを殆ど覚えていないが、若い頃から踊りをする人だったと聞いている。小柄だが、姿勢の良い華やかな雰囲気の人だった。
長女の成子は行方不明、次女の逸枝は十代で転落死して、長男の了一も、三十歳にもならずに交通事故死した人だったが、顕彦や仲といった自身の兄妹や、嫁達とも仲が良く、穏やかに暮らす人だった。
其れなのに、あの二人が、と、治一は信じられなかった。
病院に着いても、動揺している治一は、忙しい病院のスタッフに気付いてももらえず、霊安室まで案内もされなかった。
岐顕が機転を利かせて、病院の案内図を見て来てくれて、治一を連れて行ってくれた。
そして、遺体を見て動揺して、霊安室の入り口で佇んでいた治一を、忙しい病院のスタッフは邪魔にした。
ムッとした岐顕が、治一の肩を抱いて、霊安室の中まで連れて行ってくれた。
事故死の遺体が持ち込まれる事など、然程珍しくも無いのだろう、と、治一は、其の時、漠然と思ったのを覚えている。
ただ、治一にとって大事な人達なだけで、働く人には、処理待ちの事案の、『交通事故被害者』という、情報の中の人物にしか過ぎないのだろう、と。
其れはもう『死んでしまった』『助からない』人間で、其れより先に、『頑張れば助かる』人間に対して忙しくすべきであって、病院がそういう場所である事は、百も承知で育った治一だったから、其れに、何も、一言も文句を言う事が出来なかった。
彼らは別に、治一の悲しみに寄り添ってくれたりはしない。其れが仕事ではないからだ。命を助けるのが仕事なのだ。だから、ボーッと立っている中学生が居れば邪魔だろうし、自分で案内図が見られる健康状態ならば、自分で行動してほしいものだろう。
逃避の様に、そんな事を考えながら、顔を上げて、祖父母を見た。
霊安室の中で、仲の良かった祖父母が、物言わぬ姿で、体と顔に布が掛けられて、並べて、横たえられていた。
恐る恐る、顔の布を退けた。
栄は、掛けていた黒縁眼鏡が無くなっていた。
初の優しい双眸は、二度と開かなかった。
異臭がした。焦げた様な、腐った様な、不思議な匂いだった。
臭いに気付くと、戻しそうになった。
嘗て自分を膝に載せたり、抱いたりしてくれていた人達からする臭いだとは、信じられなかった。
動揺した治一は、霊安室を飛び出して、病院の駐車場まで出ると、駐車場の、花一つ咲いていない皐月躑躅の茂みの陰に蹲ると、大声で泣いた。
岐顕が、泣きながら追い掛けて来てくれて、抱き締めてくれた。
其れから、直ぐに夜が来たのを覚えている。其れが、長い闇の始まりだった。
両親は未だ三十四歳だった。
其れこそ幼馴染で結婚した二人だと聞いていた。
母の月子は、清水分家の娘で、三人兄妹の末っ子だったらしいが、其の兄姉は夭折しているらしい。戦後十五年くらいは、夭折する子供が多かったと聞いたが、其の例に漏れなかったものらしい。
平成元年に、自身の母の葉、そして、平成四年に自身の父の薫陶が亡くなると、瀬原集落に在った実家も処分してしまって、専業主婦として、坂元本家で四世帯家族として暮らし、体調を崩しがちだった姑の夕を世話していた。
年の半分以上は和服で居る様な人だったが、御祝い事の時はスポンジケーキを焼いてくれる人だった。時々、其れが硬く焼けていたり、ボソボソしたりしている事は有ったが、生クリームで誤魔化して、苺を挟んで、其れを笑顔で出して来てくれる、口煩いが、優しい、普通の母親だったと記憶している。
土間が残る家だったが、月子の為に、ガスコンロを新調したり、オーブンを買ったりしていたのは紀で、仲の良い夫婦だったと治一は思っている。
紀の方は、記憶の中では大体白衣で、其れは、曽祖父の栄も同じだった。治一に甘く、これまた、勉強しろと言われた事は無いが、帰りが遅いと、心配して、酷く叱る人だったから、小学校中学年くらいの頃は、治一は、其れに、よく拗ねていた。
祖母の夕は、夫の了を昭和四十三年に、二十九歳という若さで亡くしてから、塞ぎがちになってしまったらしく、其れ程は笑わない人だったが、厳しい性格の人では無かった。息子の紀が未だ九歳だった時に寡婦になったと聞いているので、相当苦労もしたのだろうが、義理の両親と同居し、息子を医者になるまで育てたという、尊敬すべき人物であった。そして、孫の治一を、本当に可愛がってくれていた。拗ねると隠れる癖の有った頃の治一を見付けてくれたのは、大体が夕だった。そして、決まって、そんなに叱るなと、紀に取り成してくれた。
こういう、自分を甘やかす人々と暮らしていたから、当時五歳くらいの早佐に威張り散らかす様な性格をしていたのだろうとは思うが、幸福に暮らしていたのだ。少なくとも、幸福だったと、治一は思っている。
其れが。
黒焦げだったのだという。
だから、見せてもらえなかった。
理解したくなかった。
一日で、家族が全部、居なくなってしまった事。瀬原集落内に、自分と同じ名字の人間は一人も居なくなってしまった事。祖母と両親の死に顔すら見られず、骨になって帰ってきた事。
葬式やら何やらは、実方家の人々が厚意で行ってくれたが、其の辺りの記憶は曖昧で、学校にも真面に通わなくなり、高校進学も諦めた。
治、と呼んでくれた声を、覚えている。打ちひしがれる治一の、家の庭先に来てくれて、縁側から、赤っぽい普段着の紬や、学校帰りのセーラー服の儘、身を乗り出して、自分の名前を読んでくれた、理佐の声を。
理佐の何処が好きだったか、よく思い出す。
言葉少なでも、寄り添ってくれるところ。自分が不安を抱えていても、華やかに微笑んで見せてくれるところ。一緒に居ると、陽だまりの中に居る様で、心が、とても穏やかになった。
由一と紅葉という、本来庇護してくれるべき保護者を失って、令一に頼る他に無く、病弱な妹を抱えて、あの頃、本当は、不安だった筈の、同い年の幼馴染は、其れでも、治一に起きた不幸に、慰めを与え、寄り添ってくれた。
自分の不幸しか見えず、余裕の全く無かった治一には、彼女の不安を思い遣る事は、殆ど出来なかったというのに。
今でも、何か出来なかっただろうかと思い出すし、理佐が、治一の為に尽力してくれた岐顕の方に惹かれたからとて、詮無き事、と思うばかりである。
何かしてあげられなかったか、と、ただ単純に、純粋に思う時の自分の気持ちは、やはり、あの頃の様に透き通っていて、理佐の事を考える時、まるで、自分が、優しくて思い遣り深い人間の様に思えてくる。
自分の中の、相手の事を考える優しい気持ちが、幾らでも引き出されてくる気がして、自分は、良いところの有る善良な人間なのではないかと思える。
昔は、理佐の事を好きな自分を、良いものに思えて、理佐を好きでいると、自分の事も好きになれる様な気がした。
そして、ただ、好きだった。
大きな瞳。白い肌。長い黒髪。明るい声と、笑顔。
花嫁衣裳姿の理佐も、美しかった。
二月の水配りに合わせて作ったのだと聞く、氷の襲と言うものだったらしい。
そんな冷たい名前は、理佐には似合わない気がしたが、確かに、雪の様に、パッキリとした白の、美しい絹地で、其れは清浄な感じがして、自分の相手への気持ちには嵌っていた。
きっと、あの衣装を見た時の表情で、理佐には、自分の気持ちが分かってしまったのだろうと思うが、ただ、好きだった。
最後まで口には出せなかったが、最後まで偽り切る事も出来ない、本当の気持ちだった。
此れからも、そんな、白いものとして、理佐の事を思い出すのだろうと、治一は思う。
早佐の好きなところは、自分でも、よく分からない。
一緒に居て心が穏やかになる事も無い。
自分という人間が、どれだけ理性に欠け、卑怯で、無力かを思い知らされる。一緒に居ると、まざまざと、まるで、自分を裏返しにして、内臓側から見られているかの様に、自分の汚い部分も全て、丸出しになる気がする。
そして、他人を思い遣る余裕に欠けるところが、自分に似ている気がして嫌いだ。
其の癖、里を抜け出したい、といった、肝心な事以外の要求は豪く少なく、生きる事を含めた様々な事を諦めていて、驚かされる。
表情も少ない。
自分と世界が関係無い様な、何処か、雲の上からかとでも思う様な、俯瞰の目線で物事を見ている様に思えて、治一を必要だと求めたりもしない。
好かれているのか嫌われているのか如何かすらも分からない時が有り、偶に苛々する。
其の、相手に対する感情を色でを表現するなら、清らかな白などでは有り得ない。
岩絵の具の、不透明な五色に、金粉が混ぜられている様な色だ。
見詰めていると脳が煮えるかと思う程のマグマの赤や、火傷や傷跡の黒、食べてはいけない食べ物の毒の青、腐臭のする硫黄の黄色、白も、きっと骨の色なのだろうと思う程の生々しさなのだ。
其の、五色の、極彩色の油の浮いた水の中に突き落とされて、自分の存在が五色と金彩で大理石模様に染まり、塗り潰される気がする。
其のくらい強烈なのだ。
だが、そんな相手に、ほんの一瞬、表情を見た時、ほんの僅かに、求められていると感じる時、好かれているのではないかと思う時に、恐ろしく衝動的な、離れた場所に居ても駆け寄ってしまいたいくらいの、自分でも抑えられない、強い気持ちが湧くのだ。
本当に、そんな、抑えられない様な気持ちを他人に抱いた事は無いし、多分、二度と会えない種類の人間なのだろうという事だけは確信出来る。
何方の方がどれだけ好き、という話ではないのだ。
ただ、二人に対する感情は、明確に違う。
思い出す。慰めてくれた人々の居た時間を。
寝食を共にしてくれた岐顕のセミダブルベッドが、御互いの背が伸びて、一年も経たないうちに、一緒に寝られなくなってしまった事。其れで、流石に一緒に寝るのは止めた事。大体其の頃、岐顕と理佐の婚約が決まり、実方本家に行くのを遠慮し始めたが、祝福はしていた事。
家族に死なれてしまった翌月の誕生日に、岐顕が作ってくれたケーキ。其れが、あまりに大きく、月子が作った物より、かなり見事に出来ていたので、驚き過ぎて、感謝の意を伝えるのが遅れた事。
実方家の人々の厚意。未成年の自分に、何かと手を差し伸べてくれた、実方家の大人達。
そして、岐顕が、何時も、一緒に居てくれた事。
岐顕が失った双子の片割れの様に、まるで、自分にもそんな存在が居たかの様に、欠けたところを合わせ合う様に、何時も一緒で。
其れはまるで、生まれる前からそうだったかの様で。
だから、離れた。
理佐と居てほしかったからだ。理佐にも、岐顕と居てほしかった。遠慮して、水配り以降、実方本家に足を踏み入れなかった。
そして、龍顕が生まれた時は心から祝福した。十一月三十日に、産後入院していた理佐が退院してきた時も、実方本家に会いに行った。
あの場所は、何時も大人が居て、親友が居て、其処に、其の妻と息子が加わった、明るい場所の筈だった。
だから。
理佐の死によって、『自分の知っている』実方本家ではなくなってしまった場所に、赴くのが怖かった。存在自体が自分の慰めだった理佐が、もう居ないことを認めるのも。『悲しんでいる』岐顕を見るのも。
其の悲しみを、自分では癒せない事を認識するのも。
恐らく、悔いているであろう、大人達を見るのも。
そして、理佐の亡くなった現場が、実方本家である事も。
だから、逃げた。
逃げ続けた。
家族の死にも、理佐の死にも、向き合わなかった。嘗て一緒だった親友の事を、何時でも思い出せるというのに。
「あ、れーいちだ。あっちであそぼうぜ、はる」
「いっしょにあそばないの?こっちみてるよ。いとこでしょ?みちのほうが、さきにうまれたから、おにいちゃんなんでしょ?」
「ひょうちゃんが、あそんじゃだめだって。くろいのがでてるから」
「え?でも、ひょうちゃんって」
―ひょうちゃん、にさいでしんじゃったのになぁ。
「ひょうちゃんのしゃしんと、かおがにてるね。やっぱり、いとこだから?」
「ないしょだぞ、はる。おれ、たまに、れーいちのかおが、みえないんだ。まっくろにみえちゃうんだ。めが、わるいのかなぁ」
「ほんと?みち」
「だから、ひょうちゃんと、にてないとおもうな、れーいち」
「岐、長が、こっち見てるけど」
「えー?何か用かなぁ。用事が有るなら、あっちから来ればいいのに」
「行ってあげないの?」
「あんだけ取り巻きが居るんだから、雑用だったら、あいつらにさせりゃ良いじゃん。本当に用事が有れば呼び付けて来るだろ。久し振りの登校なのは、御疲れさんって感じだけど」
「まぁね、本当に、十代で長になるなんて…。大変だよね、きっと」
「由一叔父ちゃん、死んじゃったからなぁ…」
「シッ。駄目だよ、岐。先代の長の事、そんな風に呼んだら」
「だって俺、叔父ちゃんの頃の方が好きだったもん。今より…」
「駄目だって、そんな事言ったら」
「聞こえやしないって」
「でも、こっち見てるよ?」
「知らん知らん。もう、制服が真っ白ってだけで憂鬱なのに、自分から話し掛けてこない奴の事まで知らん。なーんで俺から態々話し掛けに行ってやんなきゃなんないんだよ。幾ら俺が四月二日の、学年一番乗り生まれだからって、あいつの面倒見る御兄さん役まで遣らん」
「…確かに。学年で一番先に生まれたから、皆の面倒見てあげてね、って、よく先生に言われてるもんね」
「そうそう。理屈は分かるけど、児童に児童の面倒見させるのって、大人が手を抜きたいだけなんじゃない?って気がするんだよね。学年が下の子の面倒を見なさい、とかなら分かるんだけどさぁ。第一、そういうリーダーシップは、長の方に求めりゃいいのに。なーんか班長とかにされがちなんだよなー。そりゃ、本家後継だけど、学校でまで…。あー、服買いたい。白装束じゃない服着たい」
「白、嫌なの?」
「白が嫌いなんじゃなくて、汚れが目立つ服が嫌なんだよ。鉛筆の芯と相性悪すぎなんですけどー、白。白装束が制服とか、最悪。女子はセーラー服なのに。俺、絶対、学ランの高校行く」
「…汚れが目立ちにくいから?」
「まぁね。…あー、また、黒いの、出てるな…」
「え?」
「何でもない。行こうぜ、治」
―でも。
こっち見てるよ。




