霊道
「岐も居ねぇし、デザート要らねぇかな、と思って、梅コースにしたんだけどよ。大丈夫か?」
「え?コース料理食べさせてもらえるの?有難う御座います。俺、デザートは別に、いいんで」
奢ってもらえる物に文句など有りよう筈も無いのに、そんなに気を遣ってもらえたとは、と、治一は恐縮した。
「鶏皮の酢の物で御座います」
黒と赤を基調とした高級感の有る内装の座敷だったが、個室になっていて、確かに、聞かれたくない話をしても大丈夫そうだな、と思っているところに、初老の、着物姿の女性が給仕に来たので、治一は更に恐縮した。
―高そうだな…。
金を出す方の賢顕はと言うと、お、此れ此れ、と、嬉しそうに言った。
「いやー、酢の加減が難しくて、家だと味を再現出来ないんだけどな。湯掻いた鶏皮を包丁で叩くか刻むかして、柚子胡椒とポン酢で和えても旨いぜ」
「賢おじちゃん、料理するんだ…」
「…御前、一応共働き夫婦だぜ?うちは。掃除だって遣ってらぁ。御祓いついでにな」
「…あー、今日見たアレ?」
「ま、病院はな、納得してない奴が多いからなぁ…。定期的に、な。意外に寺なんかは少ないんだぜ?納得してる人が多いからかなぁ。其れとも読経が良いのか」
「…賢おじちゃんの怖い話スイッチって、何処なの?」
賢顕の、其の、あまりにも自然な語り口に、不意に怖くなった治一だったが、蒸し鶏のサラダで御座います、と言って、先程の女性が入って来たので、更にビクリとした。
「お、飲み物も頼もうぜ、治。俺、烏龍茶か玉露にしようかな」
「あ、じゃ、烏龍茶で…」
「烏龍茶二つ御願いします」
「畏まりました」
給仕の女性が去ると、食っとけ、と賢顕が言った。
「次、地鶏が出てきた後、水炊きと野菜が出たら、締めの雑炊の用意と香の物が出て来るまでは、殆ど誰も来ないからよ。秘密の話をし放題だから、絶対食欲無くなるぜ」
「…食事に誘われて、食欲無くす話する前に食っとけって言われるなんて…」
「だから、悪いと思って、ちょっと良い店にしたんだぜぇ?飲み物の追加も遠慮無く言えよ。あ、一応、未成年だからソフトドリンクにしとけよ?俺も飲まねぇから」
「…うん…?有難う御座います…かな?そうだね、味が分かんなくなる前に食べよ…」
何せ此れから、理佐の死因云々の話は、出る事が確定しているのだ。予め、食欲が無くなると忠告してくれているのは、親切なのかもしれず、更に、気分が落ちてしまう前に食べるという提案は、従っておくのが得策なのかもしれなかった。
「あ、美味しい。…ヘルシーだなー…。酢の物と蒸し鶏。賢おじちゃん、もっと、ガツンと肉でなくて良かったの?久し振りの、ちゃんと肉を食べる機会でしょ?」
「違うコースだと、ローストビーフか竜田揚げも有ったんだけどよ。地鶏食いたくて。そっちが良かったか?」
「いや、そんな、俺に遠慮せず、好きな物食べて…。賢おじちゃん、夕飯、こんな時間に食べるの、何時振りなの?」
「いや、もう、天国だよな、座って飯が食えるんだぜ?」
「其処から?!」
「いや、超軽食を五回、みたいな日も有るからよ。青汁飲んで働いて、ヨーグルト食って働いて、インスタント味噌汁飲んで働いて、チーズ齧って働いて、アーモンド小魚食って働いて。生卵二個くらい、口の中に割って、直接飲む日も有るぜ。気付いたら夕方だよ。今日診察以外で座ったっけか?って、覚えてねぇ日も有るわ。睡眠時間は確保したいから、あと、風呂を犠牲にしないなら、食事の時間が犠牲になるんだよ。一日は二十四時間しかないからな」
「え…其れで料理と掃除も遣ってんの?!太れないよ、そりゃ」
「忙しいんだよ。いやぁ、家が病院で、学校の運動会が土曜開催だったから、ギリギリ育児参加出来た様なもんでよ。此れでキチンと育ってくれたんだから、親孝行な息子達だよな、二人共。上は俺の後を継いでくれる気だわ、下は歯科医になってくれるわ」
賢顕の長男の顕太郎は三十一歳、次男の奏顕は二十八歳。優秀で、働き盛りだ。太郎兄ちゃん、奏兄ちゃんと呼んで親しんでいた彼等だが、疾うに所帯持ちで、其々、既に子供も居り、親孝行も親孝行、と言ったところである。
「いや、まぁ、忙しいのは、そうなんだろうな、とは思うけど。…想像以上だね」
治一が、病院で育ったなどと言われても、なかなか首を縦に振る気になれない理由の一つは、病院が本当に忙しい時には出入りさせてもらっていなかったので、多忙さの想像は出来ても、実態までは見ていないからである。
病院に出入りしていたと言っても精々受付でおやつを貰ったり、中庭で遊んだり、患者が居ない時、診察室で、備え付けの冷蔵庫から、溶けて凍って固まり直して、を繰り返してシャリシャリになった、ちょっと成分が分離したバニラアイスを貰っていたりした程度の事で、本当に忙しい時には施設自体から追い出されていたのだった。
故に、昔は、しょっちゅう夜中に喘息を出しては担ぎ込まれていたのだと聞く早佐にも病院では一度も会っていないし、身内が亡くなって以降は、院内に足を踏み入れてもいない。
だから、伊羽子にも、実のところ、もう何年も直接会っていないし、理佐が亡くなってから、ショックで、暫く体調を崩し、入退院を繰り返していたのだという、岐顕の祖母の瑛子の御見舞いにも行かなかった。
―うちの曽祖父ちゃんと父さんが居なくなったから、人手が減ったんだもんな。医者が二人減れば、そりゃ、忙しいよな、病院…。
早くも食欲を無くしかけてきた治一を他所に、そりゃ御前、と賢顕は言った。
「そろそろインフルエンザ流行時期だろ?此れが俺の、今年最後の、座って食べられる夕飯になるかもしれないんだぜ?十一月下旬以降になってみろ、忙しいを通り越して、来年の春くらいまで止まれないマラソンのスタート地点みたいなもんよ」
「…食べよ!賢おじちゃん、食べよ!」
「おお、治もな!」
御座敷の赤い台に向かい合って胡坐を掻いて座る賢顕と治一は、其れから、地鶏の焼き物が出てくるまで、黙々と食べ続けた。
水炊きが運ばれて来てから、鍋奉行と化した賢顕の指示に従い、治一は、殆ど給仕の様に動いた。
「煮えにくいもんと、火が通ってないとヤバいもんから先に煮るんだ。ほら、白菜の堅いとこ…菜箸貸せ」
「いや、座ってて、賢おじちゃん。遣るから」
「灰汁は、こまめに取れよ。あ、其の鶏肉、もう良いんじゃないか?」
「座ってて、賢おじちゃん」
「あ、豆腐入れてくれよ」
「はい、おじちゃん」
「摘入、俺が遣ろうか?」
「…おじちゃん、豆腐入れたばっかりだから、鍋の温度、下がってるかも。ちょっと待とう?」
―いや、落ち着かねぇー。そわそわしてんなー。
普段座って食事をする時間が無いと言うだけあって、賢顕は、働いていないと落ち着かない病に罹患している様子だった。
「煮詰まってきたか…?火、弱めるか?」
「また白菜入れるから、待って、おじちゃん。野菜から出た水分で出汁が薄まるから」
結局、賢顕には、何か仕事をさせた方が良いと判断した治一は、摘入以降の作業を賢顕に一任し、食べる事に専念する事にした。
結果としては、其れは成功で、賢顕は黙々と摘入を鍋に投入する作業に没頭してくれたので静かになり、治一は落ち着いた。
摘入を全部、鍋に入れ終えた辺りで、賢顕が、いやー、と言った。
「煙草吸わない奴との食事は良いよなぁ。俺ぁ吸わないから、食事中に吸われると、煙食わされてる気分になるんだよ」
「分かる…。瀬原集落って禁煙だからね。俺も慣れない」
「火事は御法度だからなー、病院の場所なら未だしも。隠れ里で延焼しても、消防車も入れやしねぇからな。日頃から火種を増やさないのは正解かもな。昔は、煙草吸わない男に外で会ったら、うちの関係者だって言われたくらいだったらしいぜ。電気とガス関係にも瀬原集落関係者が居てくれるから助かってるようなもんで」
「ああ、安幾さんの実家が電気会社経営って本当なの?」
「おお、戦前、安幾さんの父親の吉雄さんが里を出て、起業したんだよ。小規模ではあるけどな。木の電信柱と電線作ってくれたんだぜ、覚えてら。戦後は、テレビも映る様にしてくれてよぉ。今は経営者が違うんだが、其の縁で電気系統は、其の会社が遣ってくれてんだよ、契約で。で、安幾さんの弟の息子が、ガス会社を経営してくれてな。其の人は亡くなったんだが、其処の嫁さんの親族が融通してくれてて、こっちも契約が残ってんだと。…全く、平成にもなって隠れ里維持すんのは大変だよ。特例だらけじゃねぇか。病院じゃなきゃ、里じゃネットも繋がらねえし、ど迷惑だよ、俺からしたら。携帯電話は未だ、鹿児島自体が、NTTの基地局しか無ぇし、瀬原集落の電波悪いのはハナから諦めてるし、病院内はポケベルだけどよ」
顕彦の亡き妻、安幾は、坂元分家の娘で、治一の遠縁だった。
安幾の父である吉雄は、嘗ての坂元本家の娘、富の従兄だったと聞くが、此方は、三代前の長、第十一代の瀬原本家当主、瀬原修一の許可で里を出て起業したとの事なので、悪し様には言われていない。
だが、抑の、里を出た理由は、坂元家の、瀬原集落に於ける立場の微妙さから来たものだったらしいので、集落の電気系統のインフラの充実に吉雄という人が関与してくれた事については感謝しているが、一族郎党に死なれて、里に一人で取り残された状態である治一としては、同情を禁じ得ず、自分も伝手さえ有れば、そんな風にして里を出たいものだと一時期思っていた。
―…理由をつけて、里を出るのは…。今だと、向子さんの部下になって不動産業を遣るくらいかな。中学卒業した時に一度誘われたんだけど、遺産相続の手続きとか、固定資産税の準備とかで混乱してて、断っちまったんだよな。
当時十五だった自分の後見人の様な立場になってくれて、代わりに遺産の整理の手続きをしてくれたのも、顕彦の娘で、岐顕の大叔母の向子である。
―あの時は、如何しても、家族で住んでた土地屋敷を手放したくなくて、随分困らせたのに、今更、向子さんに、ヒラでも良いから雇ってください、なんて、迷惑だろうしな。言ったら絶対、雇ってくれるとは思うけど。
中卒で、祈祷師として働いて生計を立てるくらいだったら、不動産会社の社員になっておけば良かった、と思ったのは、家族の死後、一年くらい経ってからの事だった。当時、如何に混乱し、冷静さを欠いていたのかが、よく分かる。
そして、今更、就職の為に誰かに頭を下げるのも、何と無くプライドに障るのだった。くだらない拘りだという自覚も有るし、厄介な性格だとは自分でも思うのだが、治一は、結局、今も祈祷師として働いている。
続けるしかないから遣っているだけ、とは言え、続いているからには向いてはいるのだろうが。
何かのアンケートに答える事になった際も、職業欄の記入に悩んだ挙句、『フリーター』と書いた治一だったが、実態は遠からず、といったところである。
一応自営業の括りだが、不定期の仕事で、収入も毎月決まった額が入るわけでは無いから、コンビニ等で働いた方が未だしも安定しているというものである。
此の不安定さで、水配りで嫁が云々言われても、個人的には全く実感が無い。況や、早佐という里の権力者の妹を引き取る話を行動に移す件についてをや、といったものである。
―今更なぁ。ホント、忠告聞いて、彼是売っておけば、今、こんなに固定資産税で頭を悩ませなくたって。中三の頃の俺のアホ。相手はプロなんだから。…そうだよな、頭を下げて不動産業の平社員になるのが一番現実的だけど…。如何したもんかな。まぁ、そんなちっぽけなプライドも捨てられないなら、大して本気じゃないって事だよな。一応、祈祷師で食ってるわけだし。でも、本気で里を出たいんだったら…。ああ、俺、来月十八になるんだった。仕事替えるにしても、普免くらい取らないとな…。
治一が、そんな事を考えつつ、ボンヤリしながら賢顕の手元を眺めていると、火を弱めて、御玉で、鍋が焦げ付かない様に混ぜてくれていた賢顕が、ん?と言った。
「…おいおい。スゲーな」
「如何したの?賢おじちゃん」
「霊道を曲げた奴が居る」
「…は?」
「すまん、治、此処で電話させてくれ。鍋の灰汁、取っててくんねぇか?」
「え?…はい」
賢顕は、脱いでハンガーに掛けていた、パーカーの内ポケットから、テレビのリモコンサイズの携帯電話を出すと、何処かに電話を掛けた。
「…もしもし。向子か?…御前、あの物件に何かしたろ。……おーい……。ああ、成程な。そういう事かよ…。御前…。クロワッサンじゃねぇよ。…分かったよ。ありがとな。食うよ、食う食う。じゃあ、百道浜に直接行くわ。三丁目な?うん。博物館の近くだろ。分かった。後でな。うん。はい。切るぞ」
「…如何したの?おじちゃん」
「あのマンション丸ごと、向子が買い取ったらしいぞ」
「は?」
「来月から、オーナーが向子になるんだと。実方不動産天神駅東店の扱う物件になるみたいだな」
「…?え?」
「一から説明するよ」
賢顕の説明によると、如何も、抑、事故物件に住む、という案件自体に向子が疑念を抱いていたらしい。
そして、確認の結果、如何やら、此方が祈祷を遣る団体だという噂を聞き付けて、御祓いをしてくれるのではないかという期待を込めてされた依頼だったという事が判明したらしいのだ。
何と、聞けば、見るからに築浅であるにも関わらず、何度と無く事故物件になっている物件で、重く見たオーナーが、多額の報酬を積んで依頼してきたのを、其れ程頭の回らない状態だった岐顕が、あまり深く考えず、訳も分からず、向子に無断で引き受けてしまったという、完全にイレギュラーな案件だったらしい。
岐顕に対して、と言うより、其の依頼に腹を立てた向子が、物件自体の買い取りを決めて、力技で解決して、クローズとなったらしい。
「札束で頬を張る解決方法ってのは荒業だが。バブル弾けたってのに、全く、身内ながら、人間の方が怖いよなぁ、ホント」
「いや…何度と無く…って…。え、こっっわ。…ああ、だから、聞かない、調べないのも条件だったのか」
「あの物件で人が死んだのも一度や二度じゃないんだろうなー。いや、そりゃ祈祷はするけど、厳密には御祓い遣る様な団体じゃないのにな。…一体、何処から漏れたんだか。苗の神教って名前はバレてねぇだろうな?危なっかしい」
「…あ、賢おじちゃん、其れで、御祓いしてくれたの?」
「ま、一応な、移動中、常に塩は持ち歩いてるからよ。別に出て来られても構わないんだが、ビジホとかに居られると眠り辛ぇしよ」
ビジネスホテルに何が居るかとか、いちいち突っ込まない方が良いのかな、と思いつつも、治一は灰汁を取り続けながら言った。
「…塩って効くの?」
「純粋な物質だからな。他のもんが入り込み難い。其の分、塩が空間に入る事で、空間の中の雑なもんを祓ってくれて、効く事は効くんだが。過信はするなよ。盛り塩なんかは、何方かと言えば探知装置に近いところが有るからな」
「あー、見た事有る、盛り塩。ん?…探知装置?」
「中国の風水的な話だと、貴人の牛車の牛が、家の前に供えられた塩を舐めるのに立ち寄ってくれて、貴人と縁が出来るから縁起が良いって側面が有って取り入れられたって説が有るらしいんだよ。だから、其れで言うと、元々は、盛り塩の由来自体には魔除けの要素は無いんだ。縁起物だな。ただ、塩は、探知装置になるんだよ。雑霊が居る場所だと、盛り塩が溶けるんだな」
「…は?」
「湿度が高いとか、不潔な場所だと、邪気邪霊が溜まり易いんだよ。だから、そういう場所に置かれた塩は溶け易い。目安になるんだな」
「邪気邪…何て?」
「邪気邪霊な。いや、霊とは言っても、霊って先入観で見ずに、発見されてないだけの、目に見えない物質とかって考えた方が良いぜ。磁気なんかだって、目には見えないだろ?だから、塩や空間の湿度にも影響を齎せちまうんだ。雑霊の中には、生前人間だった、観念に捕らわれている残留思念も含まれるから、塩だけじゃ如何にもならん場合も有るが。風邪の引き初めの葛根湯程度には良いぜ」
「ん…?えっと。塩…。盛り塩は、効く?と」
賢顕は灰汁取りを、治一の手から取ってくれながら、そうだな、と言った。
「後は、盛り塩に埃が混ざると、純粋な物質と遠くなっちまうんだ。盛り塩を白く保つ為に、塩の取り換えと、周辺の掃除をする事で、邪気邪霊を溜め難くするっていう、雑霊探知装置みたいなもんで。そういう意味じゃ、運気が上がる、なんてのは本当だよ。でも、盛り塩自体を過信しちゃいかんわけだ。あとは、形が良い。神社の立ち砂みたいに、綺麗に円錐形に盛る事で魔除けの効果が上がる。見立てって分かるか?」
「あ…。待って、おじちゃん。凄い怖くなってきた。…えっと、抑、今日、俺が半日居た場所では、何人も人が死んでるんですか…?」
―駄目だ、今日…。ごく自然に、ちょいちょい怖い話が挟み込まれて来て、ずっとジワジワ怖ぇ。前に岐の家で遣らせてもらってたゲームの、スリップダメージみてぇ。段々ダメージが来る。岐にしても、賢おじちゃんにしても、相手は、当たり前みたいに話すしさぁ。
医師だと思っていた、長年の付き合いの相手に、今まで自分が知らなかった部分を見せられ続けて、治一は、不安で、早くも食欲を無くしかけていた。
大丈夫だって、と、賢顕は、灰汁取りを続けながら軽く言った。
「御前だって仕事で、御祓い兼、御祈祷遣ってんだろ。其処までは変わらねぇよ、基本は」
「いや…。御祈祷は、暗示って言うか…。話術が基本だから、顧客のカウンセリングみたいな側面も有るし。事故物件の御祓いは滅多に頼まれないから…。少なくとも俺は無い」
「ああ、御前、荒稼ぎしてるらしいな。顧客、金持ちやVIPの評判が良いってな。政界関係とか。普通稼げない値段取る事も有るらしいじゃねぇか。其れで話術が基本って、スゲーよな。チンケな御祓いを引き受けた事は無い、か」
「そういう…仕事の大小を考えた事は無いんだけど」
他所の流儀には明るくない治一だったが、思うに、苗の神教の御祈祷は特殊だ。依頼相手に、見たいものを見せてあげる事が出来る。
戦後、其れは暗示の一種だという事で、悪用を避ける為に、定期的に長の配下の、黒服と呼ばれている、御祈祷の術を行う能力の無い、黒いスーツ姿の部隊の一部が、祈祷師の仕事先の監視を行う様になったし、そういう意味でも、治一は、心霊関係の仕事だとは考えていない。
だから、苗の神教の、白装束、または祈祷師と呼ばれている部隊は、何方かと言えば、最早都市伝説扱いされても良さそうなくらいの、社会の暗部的存在であり、其れこそ、政界の重鎮などの御用達で、口コミや紹介で仕事が入る。
相場も無い、本当に腕次第の仕事なのだが、交渉次第では実入りも良く、有難い事に、別段、苗の神教自体に売り上げの一部を上納する様な決まりも無いので、『荒稼ぎしている』と言われれば、そうなのだと思う。
仕事が入るのは完全にランダムだ。
抑、リピーターが付く様な仕事ではないし、リピーターが付くようなら、相手の御悩み事の解決を目的とした御祈祷としては失敗しているからである。
大昔は、余興の様な使われ方もしていたらしく、そういう場合には御贔屓さんとしてリピーターも存在したらしいが、現在は、断っているのか何なのか、少なくとも、治一の様な下っ端には、そんな、VIPの機嫌を取る様な話は来ない。
だから、大きな仕事が入るか否か、というのも、運によるところが大きい。
此のくらいの時期に此の辺に居てくれれば助かる、という感じで依頼が入り、其の時に、例えば博多で依頼が有るのであれば、博多に、相手の都合に合わせて仕事を入れるくらいの位置に逗留していればいい。頼む側も周囲には極秘で頼んでくるから、ハッキリ日時が予め決まっている事の方が珍しい。
今回も、此の三日くらいの間に福岡に逗留出来る者、という、本部と呼ばれる、戦後に出来た、仕事の請負や白装束の支給をしてくれる事務仕事の部隊が出してくれる募集に手を上げたら、偶然仕事が取れた、という程度のものだった。だから、手を上げなければ、そして、収入を気にしなければ、何時までも仕事も入れずに、里で、ああいう爛れた生活を送る事が可能にもなるわけで、本当に、良く言えば『フリーター』という働き方だ、と思う次第である。
違うのは、一日で数十万から数百万稼げる事も有る、という事くらいで、其処を除けば、不安定極まりない仕事である。
「何だ、顔で仕事取ったって言われんの、未だ気にしてんのかい。実力で稼いでんだろ、堂々としてろよ。昔は、話術に加えてハッタリも必要って言われてて、容姿も大事だって言われてたんだぜ?」
「うっ…」
そう、祈祷師としては不名誉な事に、十五の仕事始めの頃、リピーターが付きかけた事が有ったのだ。理由は、当時の治一の見た目の良さだった。
本部を通して断ってもらったが、リピーターではなくとも、口コミによる指名を受けた事も、一度や二度では無い。集落に於ける、白装束部隊の業務として平等性を欠く事から、指名を受けるのは御法度だったので、引き受けはしなかったのだが、頼んでくる相手が大物だと、下っ端の身分である本部としては忖度があるらしく、一度坂元本家当主に御判断頂く、などという理由で、其の場で断ってくれずに、当時十五だった治一に必ず確認の連絡を入れて来るのは迷惑だった。
当初から、坂元本家当主である治一に、表立った不敬な態度が取れない祈祷師達は、慇懃無礼な態度で嫌味や嫌がらせをしてくるものだったが、あれ以来、良い仕事を取ると、顔で仕事を取ったと揶揄されるようになったのである。
だから、ランダムで、平等に仕事が入るとは言え、『職場』の雰囲気的に難しい案件を押し付けられていた頃も有ったから、結構無理をして仕事を熟していた時期も有ったというのに、収入が上がると、益々嫌味を言われるようになったのだった。
そんな悪循環にも慣れ、今日に至る。
其れも此れも、孤児で後ろ盾が無い自分に、無駄に坂元本家当主という大きな肩書が有るからだと思っている治一は、此処まで祈祷師として、立場が悪いながらも頑張った手前も有って、不動産会社就職に踏み切れないでもいたのだった。
第一、職業的に安定はしても、不動産会社の社員に『転職』すれば、手取りは確実に下がる。御祈祷を並行して業務として行う事は禁止されてはいないが、依頼者の予定に合わせる事が格段に今より難しくなるので、同時並行で不動産業と祈祷師の仕事を行う者は、そう多くは無い。治一も、二つの業務を同時にスケジュール管理出来る程には、自分は器用ではないと思っている。
故に、結論として、今の儘の方が、仕事としては向いているのかもしれず、変化を恐れるのであれば、益々『転職』には踏み切り難い治一である。
―変な話だけど、腕一本で遣ってるって意味じゃ、祈祷師の仕事に誇りもあるのかな。職業欄に書けないけど…。まぁ、一応自営業なんだけどさ。此の若い見た目で、何の仕事だって突っ込まれたら答え様が無いから、『フリーター』が一番便利な方便なんだよな。『会社員』の方が絶対、世間体も良いんだけど…。
「ま、そんなわけでよ。御前には悪いが、バイトはおろか、事故物件自体が消滅しちまった。御前に入る予定だった報酬は、向子が、清掃と子守のバイト代として、御前の口座に振り込むらしいぜ」
「あ、いや…。そんな心算で掃除とかしたわけじゃ…。って、事故物件自体消滅…って。え?本当に?如何やって?あ、霊道が曲がったって…?だ、誰が曲げたって?」
混乱する治一に、そりゃ向子が曲げたんだよ、と言った。
「そんな霊的な作法が要求されるバイトだったら、岐に出来るわけがねぇんだよ、抑。知ってたら、違う意味でも止めたよ、俺は」
「え?えーっと…。岐、霊感が無いんでしたっけ?御祈祷も、不動産業がメインだから、滅多にしないし…」
逆だ、逆、と賢顕は言った。
「俺の見立てだと、あいつ、霊格が高過ぎて、悪いもんにチャンネルを合わせられないんだよ。面白い話で、霊格が高いのと霊感の有無や強弱は別なんだ。あいつには、悪いもんが寄って来ないか、予め避けちまうが、本人に自覚が無ぇ。だから、時々、『あいつしか大丈夫じゃない』って事態が起きるんだよ。周りがアウトでも、あいつだけセーフで、危なかった事にも気付かないんだ」
―まさか。
「え、其れ。…理佐って…」
「…んー、広義の意味じゃ『アウト』だったんだろうな。理佐だけじゃねぇ。あいつの母親も、兄貴も早逝しちまったが、『あいつしか大丈夫じゃない』。あいつには言えないが。…あいつを含めた周りを狙ってる『何か』が居るんだよ。あいつは守られてるが」
「そんな…事、有ります…?」
「いや、信じなくていいさ。飽くまで俺の見立てだから。だってなぁ、あいつ、エネルギータンクみたいなのが、人間で言うと二人分有るんだぜ。矢鱈食うだろ、動きの良さも尋常じゃ無いし。此の一年近く、殆ど寝たきりだったのに、身体能力にも、ほぼ衰えが無ぇ。健康診断はしてやったが、驚いたぜ。メンタルの影響が其れ程体に出てねぇ。普通逆なのによ。食欲不振で痩せて、あとは、頭痛くらいか?其れも、あいつ、元々片頭痛持ちだしなぁ」
―普通の人間の二倍…。
其れには心当たりが有ったので、治一は黙ってしまった。
「そんな訳で、岐には悪いもんが、ほぼ感知出来ないと俺は見てる。知覚出来ないなら祓えもしない。相手に共感して遣れないなら出来ないし、共感し過ぎると取り込まれる。御前、気付いてないだろうが、ちょっと霊感有るぞ。だから今日も、御前はちゃんと怖かったんだろ。御前も割と霊格は高い方だぞ。悪そうな所は分かったって事だ、自信持て。御祓い自体は、練習すれば出来る様になるかもしれん」
「御…祓いが出来る様になりたいか如何かは別として、向子さんは其の、霊道を曲げられたって?」
「まぁなー、普通、出来ねぇんだが。だから、俺みたいに、チマチマと、場の浄化を遣って御祓いすんだけどよ。自分で清浄化した場所は、理論的には、自分で霊的に支配出来るからな。掃除するだけでも魔除けになる。だから、あいつは別格だぜ。反則技だ、一瞬で、こんな…」
「いや、もう、分かんない…そういうの、聞いても。れ、霊道って、曲がるの…?」
「見た事も聞いた事も無いが、理論上はな。霊体には空間の上下や高い低いが関係無ぇのさ。例えば、霊道自体に、地下に潜ってもらうとか。あとは、霊道が通る場所は、仕事場や店舗には適した物件だから、商売繁盛になる様に、商業施設の方向に曲げてやってもいいな。如何遣ったのかは、今度、向子に聞いてみるわ」
「…何で、向子さんは、そんな事が出来るんですか?」
「んー…。誰にも言わないでくれるか?」
「…言わないし…、此処までの話をしても、何人信じてくれるか如何か…」
前提として其れは有るよな、と言いながら、賢顕は鍋の中身を、治一の小鉢によそってくれた。
「あいつさ、多分、巫女なんだよ、苗の神教の。はい、摘入煮えたぞ」
―…?
「あ、有難う御座います」
本日、何度と無く驚かされ続けてきた治一だったが、遂に理解の範疇を超えた事を相手に言われてしまったので、首を傾げながら自分の小鉢を両手で受け取り、礼を言ってから、無言で摘入を食べ始めてしまった。
「如何した?鶏の摘入、不味いか?治。煮えてたと思ったんだけどな」
「味は…。分かんなくなってきたかも。えっと。違うんだ、賢おじちゃん。水炊きは旨いと思うんだ。そうじゃなくて…。え?巫女ってさ。アレだよね?大正で廃止になった、アレ?お富さんとか、うちの曽祖母ちゃんが最後の巫女だったんだよね?行方不明になった、お富さんが持ってたんじゃないかっていう、苗の神教の秘伝が書かれた巻物が無いと復活出来ないって言われてて、巻物の行方について、未だに、坂元家が彼是嫌味を言われ続けてる、アレ?」
「俺の認識と合ってるかは分からんが、多分其れだ」
「え…?絶えたんじゃなかったの?巫女って。巻物なんか無しで復活出来るなら、うちが未だに彼是言われなくてもいいじゃん?」
「本人に聞いたわけじゃないから、詳細は分からないんだがな。多分、あいつの霊格は巫女だよ。因みに言うと、居なくなっちまった成子も、向子程じゃなくても、巫女の霊格だった。今にして思えば、俺は、あいつの霊格に惹かれてたのかもな」
こういう話は信じたくなきゃ信じなくていいぜ、と言って、賢顕は、自分の分を小鉢によそい始めた。
「でも、向子は、俺の知ってる人間の中でも霊格の高さが段違いなんだよ。だから、事故物件自体を消す、なんていう芸当が出来ちまう」
俺の見立てだと、段違いに霊格の高い人間は未だ居るが、と言って、賢顕は、水炊きを食べ始めた。
「…そうだ、治。御前、あそこから仕事に行く予定だったんだろ?悪い事しちまったな、何か、色々と…」
事故物件自体が無くなった事については良かったかも、と思った治一は、先程から与え続けられる情報の、あまりの量の多さに、如何受け止めて良いか分からなくなった。
「いや…。怖い物件に居なくて済むなら、まぁ…。其れに越した事は無いけど」
「向子がよ、御前に、百道浜に泊ってくんないかって。俺にも。勿論泊まるのはタダだ。レンタルの布団は、向子が業者に連絡して、受取先を、岐のマンションに変更してくれたらしいから、俺達が受け取らなくても良くなったってさ。顕彦さんが布団を受け取ってくださるそうだ。俺達の荷物も百道浜に移してくれたそうだぜ。此れで、二十時までに唐人町駅の物件まで戻らなくても良くなったし、ラストオーダーまで此処に居てから、タクシーで百道浜まで行こうぜ。何か、御詫びにって向子が、クロワッサン買ってくれたらしいから、其れを、明日の朝飯にしようぜ」
「…クロワッサン…」
天神中央公園での会話から再び、話の展開についていけなくなった治一が、クロワッサンという単語を脳内処理出来ないでいると、旨そうだよな、と賢顕は続けた。
「今年JR博多駅にクロワッサン専門店が入ってから、もう、駅が、あの香りだろ。バターなのかな。気にはなってたけど、時間を考えると、並んでまではなぁ、と思って素通りしちまってたんだよなぁ」
さて、本題に入ろうか、と賢顕が言った。
そうなのだ。此れまでの、情報量の多い、数々の話は、恐ろしい事に、今日の本題ではないのである。
ちょっと待って、と、治一は言った。
「…ちょっと、頭冷やさせて。店の公衆電話から本部に電話して、今回の福岡の仕事、キャンセルしてくる」
「…そんな事して、良いのか?」
「大口の仕事ではあったけど、俺、高速代は岐に出してもらっちゃったし、バイト代は、一ヶ月遣ってないのに、予定通りの額が入ってくるし、泊る場所も融通してもらえるなら、金額的には全然、損してないんだよ、こうして夕飯まで奢りだし。…其れより、ちょっと、精神的に、此の後で仕事入るの、キツい。折角自由業なんだし、今まで、こんな理由でキャンセルした事も一度も無いし、ちょっと…。今回は休みたい。休ませてもらう。百道浜のマンションとやらにも、此の後、ちゃんと行くから」
「…そうか。御前がそう言うんなら」
メンタルには来そうな話を此れからするしな、などと賢顕が言うので、胡坐から立ち上がった治一は、本当に立ち眩みを起こして、賢顕に再度心配された。
※ちわいちわい 鹿児島方言の表現で、うろちょろ、そわそわした状態に使う擬態語。
「ちわいちわいしちょっ」という言い方で、「ちわいちわい(そわそわ、若しくは、ちょろちょろ)している」という意味で使う事が多い気がするのですが、如何いうアクセントで言うか説明するのが個人的に難しくて、ちょっと困った事が有ります。
※たまがっ びっくりする。驚く。古語「魂消る」「魂離る」の転訛。「魂消る」は「魂が消えるくらい非常に驚く」という意味。
いやー、それにしても、昔の携帯電話って大きかったなぁ、と。
喫茶店等の店舗内の公衆電話は、十円玉しか使えないピンク色の事が多くて、外に置いてある公衆電話はテレフォンカードも使える緑色が多かった記憶が有ります。
舞台は1996年ですが、此の後、あっという間に携帯電話が小型化して普及し、公衆電話が少なくなっていきます。ネットワークシステム的にも端境期だったかもしれませんね。




