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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第四章 殺人
23/68

御祓い

「え?(ひこ)じぃと(けん)おじちゃん?」


 玄関で、岐顕(みちあき)の驚く声がしたかと思うと、(やや)あって、リビングに、黒いナポレオンコートを着た顕彦(あきひこ)と、キャメル色のトレンチコートを着た(のり)(あき)が入ってきた。


「…おい、(みち)。事故物件に赤ん坊連れて来る奴が有るか。(はる)、世話ぁ掛けちまったな」


(けん)おじちゃん、久し振り。…分かってくれて嬉しいよ…。今日初めて、意見の合う大人に会った。見た目マフィアみたいだけど、二人共」


「バーバリーのコートの何処がマフィアだよ、(はる)。黒のコートは()(かく)…」


「いや…強いて言うなら、似合い過ぎちゃってるとこかな、二人共黒いスーツだし…。(けん)おじちゃんのジュラルミンケースも何か…」


 怪しい運び屋みたい、という言葉を、(はる)(いち)は飲み込んだ。


 去年還暦を迎えた筈の(のり)(あき)もさる事ながら、今年米寿の顕彦の、スタイルの良さが、怖いくらいである。

 身長は、二人共、岐顕や(はる)(いち)と横並びで、如何(どう)考えても、彼等の世代の男性にしては身長が高い。

 其れが、仕立ての良い黒のロングコートや、ブランド物のキャメル色のトレンチコートに身を包んでいて、しかも、二人共、髪色が、黒と金と白の三色なのだ。

 本人達曰く、遺伝から来る体質で、大体、四十五歳から五十五歳くらいになると、白髪が増えて来て、黒髪から、此の(よう)な髪型になるらしい。

 硬そうな黒髪にメッシュを入れた、という表現が一番近いかも知れないが、綺麗な珍しい髪色で、加えて、二人共、顔も妙に整っているので、俳優ではないのであれば、堅気(かたぎ)の感じが全然しないのだ。


―でも…平成に入っても、()だ隠れ里の、祈祷(きとう)なんてものを生業(なりわい)にしてる場所の人達だから、裏稼業の人っちゃあ、そうかな…。


 実際のところ、(のり)(あき)は医師なのだが、見た目と出身地を考えると、何が本業なのか、(はる)(いち)は幼い頃から、近所の小父(おじ)さんとしても、曽祖父や父の同僚としても、散々世話になっていたというのに、今ひとつ分からない。


「さ、(みち)顕彦(あきひこ)さんと一緒に、(もも)()(はま)のマンションに行けよ。事故物件に住むバイトとやらは、(しばら)く、俺が肩代わりしてやるからよ」


(もも)()(はま)のマンション…?何の話だ?


「え…?(けん)おじちゃんが?俺、(はる)と…」


「御前、こんな薄汚い、クリーニング業者も入ってない場所で、一ヶ月も赤ん坊を寝泊まりさせる気か?不衛生だぞ。其れは冷静な判断か?(りゅう)がハウスダストアレルギーとかに後からなっても、本当に後悔しないか?俺は職業柄、目に見えない黒黴(くろかび)の方が幽霊より怖ぇよ」


 (はる)(いち)が其れを言った時は、あまり頭に届いていなさそうな様子だった岐顕だが、医師に『不衛生』と言われ、『其れは冷静な判断か』と聞かれると、困った(よう)な顔をして黙ってしまった。


「俺、明日から福岡で学会なんだわ。バイトったって、アレだろ、毎日此処に住む必要ないだろ?不動産会社の告知義務だけの問題なら、次の人間が入るまでに、一回他人に貸した事実が残りゃ良いだろ。俺が此処を掃除して、何日か泊まってやるよ。ああ、今夜は、ちょと(はる)を借りるな」


(けん)おじちゃん…」


 そんな顔すんな、と言って、(のり)(あき)は、右手で、ポン、と、軽く、岐顕の肩を叩いた。


「運転して、顕彦さんを(もも)()(はま)のマンションまで連れて行って差し上げろ。そんで、床屋行け。明日また、連絡するから。な?」


 顕彦は、黙って、眠っている龍顕を、バスタオルとブランケット(ごと)抱き上げると、優しく、ポンポンと背中を叩いた。

 眠った(まま)の龍顕が、安心した(よう)に、顕彦の首に、自然と手を回して抱き付くのを見て、岐顕は、悲しい顔をして、分かった、と言った。


「…ごめん、(はる)。俺…」


 岐顕の表情が、あまりにも哀切だったので、(はる)(いち)は、慌てて、いいよ、と言った。


「二十時に、レンタルの布団が、二組届くんだろ?受け取っておいてやるから」


 岐顕が、有難う、と言うと、顕彦も、有難うな、と言って、岐顕を連れて、玄関の方へと向かった。

 (はる)(いち)は、油絵を見ないようにしながら、玄関に一番近い和室から、岐顕と龍顕の荷物を取って、岐顕に渡してやった。


「あ、(りゅう)。其処、如何(どう)した?」


 今までは気付かなかったが、龍顕の、寝癖でグチャグチャになった、フワフワの旋毛(つむじ)の辺りに、一房、金色と言って良いくらい、色の薄い髪が生えていた。


 ああ、と言って、顕彦が微笑んだ。


「実方家の男はな、こういう髪が生えるんだよ。ほら、俺や(けん)みたいな、金色の髪がな。生まれ付き、何処かに生えてんだ。な、(みち)


「あ、うん」


 岐顕は、ポニーテールを解いて、両耳の上の髪を持ち上げて、金色の髪が一房ずつ生えているのを見せてくれた。


「へぇ、知らなかったな」

「うん、見せた事無かったね」


 すると、龍顕が目を擦り始めたので、顕彦が、行くぞ、と言った。


「車に乗せると起きるかもな。あんまり長く寝かせると、夜寝ないから、丁度良いかも知れないが」




「さーて。掃除すっか。あ、(わり)ぃ、(はる)。服貸してくんねぇか?スーツしかねぇ。洗って返すからよ」


「…良いですけど」


「有難うな。天神(てんじん)の、水炊きの店、予約してあっからさ。夕飯奢るからよ」


「あ、有難うございます…」


折角(せっかく)来たからにゃ、中洲(なかす)の屋台の方に行くか迷ったけどよ。何か、博多駅から来る途中にタクシーの窓から見ても、スゲー混んでて、嫌になったわ。アレだろ、四月に、何か出来たんだろ?キャナルシティ博多だっけか。那珂川(なかがわ)の辺りを運河(キャナル)と表現するたぁ、洒落てるね」


「あー、何か、出来たらしいですね。(みち)が、劇団四季がどうのって」

「ああ、専用劇場だったっけかな。相変わらず多趣味だな、あいつ」


 さー、掃除だ掃除、と言って、矢鱈(やたら)スタイルの良い六十代は、コートを脱ぐと、椅子に掛けた。




 (はる)(いち)の貸した、予備のジーンズと、臙脂(えんじ)(いろ)のタートルネックセーターに着替えた(のり)(あき)は、サッサと腕捲(うでまく)りし、バケツと雑巾の準備を始めた。


大濠(おおほり)公園(こうえん)まで行って、ドーナッツ買って、掃除用具も調達してきたってかい。感心、感心。お、風呂用洗剤に、(ほうき)まであんのな」


「…俺の服入っちゃうんだ、(けん)おじちゃん。還暦過ぎなのにスタイル良過ぎて怖い…」


「怖いは余計だろ。粗食だから太れねぇんだわ」


「あー、食べる暇ないんでしたっけ…」


「もー、忙しくってよ。仕事の日は大体、一日、一食から一食半って感じよ。腹減るからさ、朝飯を多めに摂って、で、軽めの昼飯を食うのが夕方になる事が有って、そうなると夕飯が入んねぇのよ。忙しいと、其の昼飯も無しで、風呂入ったら寝ちまうとかな。手術前と学会前は、三日前から酒も飲まない事にしてるしな。休肝日も(なげ)ぇ。食える時に肉食いたいんだ、付き合ってくれよ」


「其れでも(とり)の水炊きか…。ヘルシーだな…」


「いや、博多に来たら食っとけ、水炊き。旨いから」


「旨いんだろうし、味に疑問を感じた事は無いんだけど…。何か、脚も長くて、マジで怖い、(けん)おじちゃん」


「実方の血統みたいなもんだよ。大体身長も横並びで生まれて来るんだ。(たま)に、弁護士の(まさ)(あき)さんみたいな人も居るが、別に、あの人だって横這(ヨコバイ)小短躰(コジックイ)じゃねぇだろ」


「ああ、まぁ、確かに。あの年代の平均身長っていうのかな。スタイルも悪い訳じゃないし、御洒落な人ってイメージですよね。なんか、実方さん達って、平均的に、皆見た目が良いんだよな…怖い…」


「だから、怖いは余計だっつの。まぁ、御前の祖父(じぃ)さん達程は、男前(ヨカニセ)かは分からんがなぁ」


「…いや、(りょう)祖父(じぃ)ちゃんもだけど、清水の祖父(じぃ)ちゃんの若い時の写真も、ヤバかったですね。腰抜かすかと思いました。軍服のやつ。何か、双子だったらしいですね、祖父(じぃ)ちゃん」


薫陶(くんとう)さんな。御前、似てるよ、やっぱ。(さかえ)さんにも似てるけど。や、これまた、御前の(ひぃ)祖父(じぃ)さんの栄さんってぇのが、おっそろしい美形だったんだけど、時代的な話で、若い頃の写真が(ほとん)ど残ってねぇんだよな。勿体ねぇ。Du hast den Farbfilm vergessen, mein Michiko(みちこ)! Nun glaubt uns kein Mensch, wie schön's hier war - haha haha!」


 (のり)(あき)は、何かを軽快に歌いながら掃除を始めた。

 伶人(れいじん)の家系の人のせいか、(えら)く歌が上手い。


「何?其の歌。…みちこ?」


「俺が作った替え歌だよ。ドイツ語でな。『カラーフィルムを忘れちまったんだろ御前、あんなに綺麗だったのに白黒で写っちまって、勘弁してくれよ、今となっては誰も、此処がどんなに綺麗な場所だったか信じてくれねぇじゃねぇか、笑っちまう』みたいな歌だ。Hoch stand der Sophora am Garten von Sebaru(瀬原)


()(ばる)?…どんな替え歌?」


 賢顕は、元は風刺の歌なんだよ、と言って笑うと、答えてくれなかった。


(わり)ぃ、(はる)。風呂場の掃除遣ってくんねぇか?」

「…はい」




「さて、キッチンも終わった。水拭きも終わった。後は乾拭きだ。掃除機も無いし、畳も水拭きと乾拭きになっちまったのは痛かったが。茶殻(ちゃがら)でも有れば良かったなぁ」


茶殻(ちゃがら)?」


「あ、さては掃除機の時代の子だな、御前」

「そ、掃除機の時代って何…?」


「掃除機が無い時代はなぁ、急須で飲んだ後の御茶の茶殻、分かるか?飲み終わって()だ少し湿ってる茶殻の水気を絞ってから、畳に撒いて、其れを(ほうき)で掃いて埃を取ってたんだよ」


「…ごめん、(けん)おじちゃん。そんな事言われたら、もう絶対、掃除機の時代の子だわ、俺」


「まぁ、もう、平成だしな。先にワイパーは掛けてくれたんだな、助かったよ(はる)。…いやぁ、赤ん坊に、何処で飯食わせてんだ、って、ゾッとしたわ」


「…分かってくれる大人が居て良かった。もう…俺、(りゅう)の健康が気になって気になって」


「いやー、御前、病院で育った子だもんな。感覚が俺と近いのかもしれん」


「また病院で育った子って言われた…。まぁ、(ひい)祖父(じぃ)ちゃんも父さんも医者でしたけどね…」


―思い出したくなかったのにな。


 しかし、いい加減、十五の時の自分に起きた出来事と向き合う時期なのは、分かっているのだ。


―そう、福岡の、西区の…今宿の病院まで、タクシーを飛ばしてもらって。十一月だったな、あれも。




 物思いに耽りそうになった(はる)(いち)に対して、賢顕(のりあき)が、秘密にしててくれるか?と言った。


「ちょっと、御祓いするからよ」

「…え?」


 賢顕は、リビングの真ん中で、パァン、と、良い音を立てて、両手を打ち鳴らした。

「ふむ。此処かな?」


 賢顕は、場所を移動すると、畳の部屋の押し入れを空け、再び、パァン、と、良い音を立てて、両手を打ち鳴らした。


「成程、真っ()ぐ行くと、キッチンとリビングの境目くらいか」


 賢顕は、そう言いながら、キッチンに移動して、コンロに向かって手を合わせて、何事かを唱えた。


「そもそも(うやま)い、(かしこ)みて(もう)す。()れ、三宝(さんぼう)大荒神(だいこうじん)一切(いっさい)衆生(しゅじょう)未生(みしょう)いぜんの(あるじ)なり。その眷属(けんぞく)は九億九万八千五百七十二神にまします。されば荒神(こうじん)諸神(しょしん)氏神(うじがみ)、よろず(ひと)産土(うぶすな)(かみ)となり(たま)う。また(かげ)(ごと)くにしたがうは、みな、荒神(こうじん)のなすわざなり。不信心(ふしんじん)(いえ)には悪事(あくじ)災難(さいなん)(つね)にきたる。(おく)堅固(けんご)(いえ)には災禍(さいか)(なん)(うけ)くることなし。かるが(ゆえ)(かれ)眷属(けんぞく)守護(しゅご)(しん)とし、悪事(あくじ)災難(さいなん)ことごとく他方(たほう)万里(ばんり)(そと)()(はら)うとの()(せい)(ごん)なり。舎利(しゃり)ほつ、荒神(こうじん)()いたまうに、荒神(こうじん)こたえて(いわ)く、()眷属(けんぞく)芥子(けし)(ごと)くに(へん)じて、微塵(みじん)(ごと)くに(さん)(らん)す。(われ)(しん)ずる(やから)は常に富貴(ふき)繁盛(はんじょう)子孫(しそん)長久(ちょうきゅう)息災(そくさい)延命(えんめい)(まも)らせ(たま)うとの御誓願(ごせいがん)なり。(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()(おん)(けん)(ばや)(けん)(ばや)()()()


 唱え終わると、賢顕は、再びリビングの中央に戻ってきて、手を合わせて、言った。


「我、此処に派遣されたる者なり。今より場を清浄し、制圧させて頂く。悪鬼よ去れ、悪鬼よ去れ、悪鬼よ去れ」


 其の(まま)、賢顕は、悪鬼よ去れ、と呟きながら、丁寧に部屋中を乾拭きしていった。其の様子を、(はる)(いち)は、呆然としながら見守っていた。




「さ、終わった。こんなもんだろ。さ、飯行くぞ。ちょっと早いか?カフェでも入って時間潰すか?」


(けん)おじちゃん、何?今の…」


「今ので(ざつ)(れい)は居なくなったと思うぜ。後は、出て来てもらわねぇと祓えねぇなぁ」


「え…?」




 結局、(はる)(いち)強請(ごね)て、歩いて天神(てんじん)に行く事になったので、(のり)(あき)は、明治通りを歩きながら、おいおい、と言った。


折角(せっかく)地下鉄(ちかてつ)空港(くうこう)(せん)の駅が近い物件なんだから、唐人(とうじん)(まち)(えき)から電車に乗ろうぜ?店は十八時からの予約だから、歩いたって間に合うけどよ」


「無理だよぉ。こんな話、電車で出来ないよ。誰にも聞かせられないぃ」


「信じやしねぇと思うけどなぁ」


(けん)おじちゃんが秘密って言ったんじゃん」

 もうやだー、と言って、(はる)(いち)は顔を覆った。

「やっぱり事故物件だったんだぁ」


「いや、やっぱりも何も、今更。事故物件だったろ?最初から」


 落ち着け、と言って、(はる)(いち)が貸した服の(まま)治一(はるいち)の黒いパーカーを上に引っ掛けた賢顕が、ポン、と軽く、同じく、ネイビーのブイネックセーターの上から青袋鼠(グレイッシュブルー)のパーカーを引っ掛けている(はる)(いち)の背中を叩いた。


「天気が良くて、セーター着てりゃ、コートも要らねぇような、良い陽気で。しかも、此れから天神(てんじん)で水炊き奢ってもらえんだぜ?御前。良い日じゃねぇか。何の問題が有るよ。命を取られるでもなしよ」


「問題…」


 そう言われると、(はる)(いち)は困った。


 何が問題だと言えば、全て問題な気もするのだが、事故物件だと分かっていたのは確かだし、暢気(のんき)に其処でドーナッツなど食っておいて、確かに、今更、と言われれば其の通りだった。

 実際に霊障が有ったというわけでも無く、今日した事と言えば、乳幼児の世話と掃除くらいのもので、普通免許を持たない自分が、親友の運転する車で福岡に来て、公園に行き、眺めの良いマンションの一室で喋っていただけ、とも言える。


「…天気も良くて?…良い日、だったのか、今日は。ただ、矢鱈(やたら)、衛生面が気になって、怖かっただけで…」


「そうだな…。其処に赤ん坊が居たのだけは問題だったな…」

 大丈夫だよ、と、賢顕は明るく言った。

「何だか分かんないから怖いんだよ。大体の事が分かりゃ、対処も出来るし、怖かない」


「…『大体の事』…?」


「金使って調べたんだが、先月、リビングのソファーで住人が亡くなってたんだな。独身男性一人暮らし。住人の死因と職業は分からんかったが、ま、其の辺は祓えたろ」


「…だからソファー無かったんだぁ…」


 うわぁ、と言って嘆く(はる)(いち)に、賢顕は、(なお)も明るく言った。


「あ、思うよな。あの間取りでテレビとダイニングテーブル残ってて、テレビの正面に、コーヒーテーブルもソファーも無い。ダイニングテ―ブルはキッチンに寄せてあるし、ソファーが元々無いとなると、テレビの角度がおかしいんだよな」


(けん)おじちゃん、俺、『大体の事』を聞いても、あんまり怖さが減らないんだけど…」


「そうか?第一、あの物件の問題は、先月(せんげつ)人が死んだ事じゃないからなぁ」


 (はる)(いち)は、あまりの驚きに、短く息を吸い込んで、喉をヒュッと鳴らしてしまった。


 賢顕は、ニコニコしながら言った。


「押し入れからキッチン、玄関に向かって真っ直ぐ、霊道が通ってんだよ。其れ程悪いもんじゃないから、赤ん坊も平気で寝てただろ。別に霊道が悪いんじゃないんだよ。店舗とか仕事部屋には向いてるが、寝室には向いてない物件って事だな。特に、病気の人間には良くない。気力が充実してないと引っ張られるからな。大方(おおかた)、あそこの住人も、体調を崩したところに引っ張られたってとこじゃないのかな」


「…いや、あの。え?霊道?」


「そうそう、で、多分前は、其の霊道を塞ぐ(よう)に、玄関入って()ぐの壁に油絵が飾ってあったんだよ。額を掛けてた金具の痕跡が壁に残ってた。あれが良くないんだ。額装の硝子(ガラス)が鏡の役割をして、霊道を塞いじまってたんだな。額の裏に御札(おふだ)が貼ってあったけど、逆効果なんだよな。住んでる人間も、何かザワザワして、如何(どう)にかしたかったんだろうなぁ。違和感が有って和室に絵を移動させたってところかな。あの絵は外した方が良いな、と思って、畳を乾拭きする時に、ついでに外して、布で包んで、玄関に近い方の和室の押し入れに隠してきた。…おい、どうした、(はる)()(くら)みか?」


「…いや、だから、あの絵が怖かったんだ…。…続けてください」


「そうか?で、まぁ、御札を外しちまったんで、御札で(おさ)えてた分は、今夜出て来るかもなぁ。あと、霊道の辺りは賑やかになるかもしれんが。(そもそも)、寝室向きの物件じゃないから、其処は諦めが肝心だな」


「御札で(おさ)えてた分…?」


「そう、彼方此方(あちこち)から霊道目指して来るんだな、(ざつ)(れい)が。で、角度的に、ちょっと、溜まっちまうというのかな。あの、玄関に近い方の和室に。で、そういう意味じゃ、御札(おふだ)も効果が有ったんだが。霊道を優先しないとワチャワチャするからな。交通整理だ」


「今夜出て来るかもって言いました…?」


「そりゃ御前、出て来てもらわんと、祓えんからなぁ。いいか?祓ってほしくて出て来るんだぞ?成仏したいんだ、相手は。だから(すが)って来る。其処からが仕事だ」


(けん)おじちゃんって、何なの…?苗の神様(ナエンカンサァ)の御祈祷と、全然遣り方違うし。大体、苗の神教(ナエンカンきょう)の御祈祷は()(くら)ましみたいなもんだけど、本当に御祓いとか言っちゃうし。御医者さんだと思ってたのに…」


「あー。其れはな。俺の祖母(ばぁ)さんが祈祷師(ウセンシ)だったのよ」




 (のり)(あき)の弁によると、こうである。


 実方(さねかた)分家、実方(さねかた)(のり)(あき)の父である(なお)(あき)の母、(のり)は、下花(しもけ)(だな)というところから()(ばる)(しゅう)(らく)に嫁いできた女性で、其の実家は、実は荒神(こうじん)(さま)を祀り、御祓いの(よう)な事をしていたらしい。


 当時は、隠れ里とは言っても、()だ、周辺集落からの嫁取りは有ったらしく、実方本家前当主の顕彦の母、(はや)も、()(ばる)(しゅう)(らく)外の出身らしい。


「で、うちの祖母(ばぁ)さんの実家が、そういう事を生業(なりわい)にしていたのが、廃仏毀釈で白い目で見られる(よう)になったらしいんだな。隠すようにはなったが、近所じゃ嫁の貰い手が無い。そんで、祈祷の仕事で下花(しもけ)(だな)に行った苗の神教(ナエンカンきょう)祈祷師(ウセンシ)と、祖母(ばぁ)さんの親父さんが意気投合して、娘を、うちの祖父(じぃ)さんの(ヨメジョ)にという事になったとか何とか」


「え?廃仏毀釈って…。結構最近じゃない?」


「おお。精々(せいぜい)、江戸末から明治初期だろうな。其の頃は、隠れ里って言っても、他所(よそ)から嫁取りはしてたんだよ。(はや)さんは春山(はるやま)からだったかな?水配り(ミックバイ)なんて制度が出来たのは昭和初期だぜ?俺が昭和十年生まれだからよ、やっと其の頃普及してきたか如何(どう)か、ってなところで」


「…そうなの?そう言えば、(けん)おじちゃんって、水配り(ミックバイ)遣らなかったんだよね?」


「おう。坂元家なんて、御前が初参加だろ?そんくらいのもんだったんだよ。あんなもんに伝統なんか()ぇ。何時(いつ)まで経っても隠れ里をやめねえから、結婚相手が里の中で見付け(にく)くなっちまったんで考案された、単なる婚姻統制制度だよ。隠れ里なんざやめて、ソトで相手見付けりゃいいだけの話だ」


「…そうなんだ…」


「んー、まぁ、生まれてなかった頃の話をされても、全部歴史みたいに感じちまうよなぁ。でよ、其の、(のり)さんっていう、俺の祖母(ばぁ)さんから習ったのが、さっきの御祓い方法だよ」


「ああ、其処に話が戻るんだ」


「おう、だからよ、苗の神教(ナエンカンきょう)の作法じゃないから黙っててくれな、って話だ。つっても、まぁ、話したところで信じてもらえるかは別なんだが。…そうだなぁ、『悪鬼』とか言っちゃってるから、かなり神仏混交した、仏教寄りの民間信仰だったんだろうな。俺の父親の(なお)(あき)さんは、此れを内緒で遣って、苗の神教(ナエンカンきょう)の御祈祷とは別に稼いでたらしいぜ」


「…あ、そうなの?学校の先生だと思ってた…」


「おう、内緒な。あの人其れで、学費を自分で貯めて教職取った人なんだよ。御祈祷と御祓いと、後は、器用な人だったから、正月飾りなんか作って売って」


「…其れは凄い」


「な、だから、俺としては尊敬してんだよ。でも、親が苗の神教(ナエンカンきょう)の御祈祷じゃない方法で稼いでました、とは、大っぴらには言えないだろ。だから、秘密にしてくれな」


「…はい」


「まぁ、今日は、助かったよ、(みち)を見てくれてて」

(みち)(りゅう)じゃなくて?」


「御前と居ると、笑って飯食ってたみてぇじゃねーか。やっぱり、楽しいんだろうな、御前と居ると。自分でも、御前と居ると元気が出るって分かってるんだろうな。ダボダボの服だから分からねぇが、かなり痩せちまったんだよ。だから、(りゅう)を連れて事故物件に来る、なんて無茶な事遣ったが、許してやってくれないか?多分、社会復帰のリハビリの心算(つもり)なんだと思うんだ。向子(さきこ)に内緒でな」


「あ、そうだったんだ…」


向子(さきこ)が知ってたら、(りゅう)を、こんな事に巻き込むのを許す筈ぁ無い。でも、顕彦さんは、今、(みち)から(りゅう)を引き離すのが怖いみたいなんだよ。何とか、(りゅう)が居てくれる事で、ギリギリ、(みち)が精神的にやっていけてるからな。…ちょっとおかしかったろ?話が噛み合わない、とかなかったか?普段しない(よう)な、極端な事を遣るとか」


「あ…」


―そう、幾ら何でも、他人の持ち物を燃やす奴じゃないんだよな、普段は。燃やしてくれても構わない(よう)な物ではあったにしてもさ。


 治一(はるいち)の沈黙に対し、賢顕は、やっぱりそうか、と言った。


「…で、(みち)(みち)で、(りゅう)が傍に居ても出来るバイトを、回らない頭で考えたってところだろうぜ。で、向子(さきこ)にバレたもんで、顕彦さんが向子(さきこ)に叱られて、福岡に迎えに行く事になったわけなんだが。顕彦さんは、(みち)の事も尊重してやりたいから、かなり迷ったみたいだったな。御前と居れば気分転換にもなるだろうしよ。で、(みち)を納得させずに瀬原(せばる)集落に連れ戻すのも可哀想だって俺に言うもんで。偶然、俺も学会が入ってたからよ。一緒に新幹線で博多駅に来て、まぁ、一先(ひとま)ずは俺がビジホをキャンセルして、其の物件の仕事を肩代わりして、泊るって事にしたってわけだ。で、(りゅう)は、去年、(みち)が買った、百道浜(ももちはま)のマンションに泊める、と」


「そうだ、(みち)百道浜(ももちはま)にマンション買ってたんですか…?」


「んー…。理佐と(りゅう)と、家族で住みたかったみたいでな。其れこそ、(りゅう)が生まれたから、百道浜(ももちはま)のマンションを十二月頭に契約して、手続きついでに仕事してたら、理佐の訃報が入ったもんで。(みち)としては、忘れたいんだろ、理佐と其処に住みたかった事自体を。向子(さきこ)が社員に手入れさせてるから、物件としては綺麗だが。…悲惨だぜ。3LDKで、夫婦の寝室の他に、子供部屋が二つ在るんだよ。女の子も欲しかったみたいでな…。…御前を、リハビリみたいな事に付き合わせて、悪かったな、ホント」


「そんな…リハビリって…何時(いつ)もは()()してたんですか?(みち)


「夏くらいまで、(りゅう)の世話以外は、(ほとん)ど寝たきりみたいだったぜ。令一(れいいち)の名前を聞くと吐いちまうし」


「…(おさ)の?」


「ああ、其の辺りは、後で説明するよ。個室の店を予約したからさ。二十時に布団が来るって?其れまでにはタクシー使って戻ればいいよな。タップリ話そうぜ」


「…其れって…理佐が自殺じゃないかもって話と関係有ります?」


「…何処でそんな話聞いた?」

 賢顕が、立ち止まって、(はる)(いち)の顔を見た。


 (はや)()からだとは言えない(はる)(いち)は、いや、と言って誤魔化した。


「…赤ん坊が十一月二十三日に生まれて、十二月十日に首括るって…。そりゃ、育児ノイローゼとか、無い話じゃないだろうけど。床上げも済んでないのに、そんな…」


「ああ。()(ばる)()から、(りゅう)の世話をする人を雇ってたからな。一人で何もかも遣ってたって程じゃねぇ。理佐が亡くなった後は解雇したが」


「…そうなんですか」


「令一を手引きした可能性がゼロとは言えないからな。其れで、此れからは、なるべく(りゅう)実方(さねかた)()で育てようって事になったんだよ」


「…(おさ)が犯人なんですか?」


「そんな証拠はないが。…諸事情で、証拠が無いからこそ、令一なんだろうって事になったんだよ。オマケに、自殺じゃないかもしれないとなると」


「…首吊りなのに、踏み台が無い、とか…?」


 良く分かったな、と、賢顕は、驚いた(よう)に言った。


「ま、其の辺りは、説明してやろうと思ってたから丁度良いや。…余程のアホじゃなきゃ、踏み台くらい偽装で残すよな、やっぱり」


「…証拠が無いのに、自殺だって思われない(よう)な事、何で…」


 此れは俺の勘だけど、と賢顕は言った。

(みち)に自殺じゃないと思わせるためだろうな。『奪ってやったぞ』って示したいんだろ」


「…如何(どう)いう、…事ですか?」


「俺な、勘が鋭いんだよ。妙な事が分かっちまう事が有る。…多分、(ねた)みの(たぐい)の感情なんだと思うんだが、令一は、(みち)に執着が有るんだよ。(みち)は全く気付いてないが」


(おさ)が…?表面上は、そんな感じしないですけど…。理佐の相手に(みち)を選んだのも、(おさ)だし。嫌いなら、妹の婚約者になんか選ばなければいいのに」


「…嫌いっていうのとも違うんだろうな。令一は、(みち)のものが欲しいんだと思うんだ。理佐の事も、奪ってやりたかったんじゃないかな」


「…命を?」


 其れだけじゃないとは思うんだが、と、賢顕は言った。

「証拠が無い事は、個室で話そうか。…長い夜になるぜぇ」


「…俺…(みち)が、そんなに大変だったのに、一緒に居なくて…。親友とか、どの(つら)()げて…」


「いや、寝たきりだったからな…。(ほとん)ど入院と変わらん感じだったから、御前が居てくれても、(りゅう)の世話くらいしかしてもらう事が無かったかもしれんが。其れより」


 御前、理佐が好きだったんだろ、と賢顕は言った。


 治一(はるいち)は、思わず目を見開いた。


「…其れも、(けん)おじちゃんの勘…?」


「経験による勘だな。だから、御前は御前で、理佐の事で傷付いてたのに、誰にも言えなかったんだろ。親友の嫁さんだったから」


 (はる)(いち)は、知らず知らずのうちに、自分が、涙を零している事に気付いた。


 賢顕は、(はる)(いち)の顔を見ない(よう)にしながら、優しく言ってくれた。

「俺もな、昔、結婚出来ない相手が好きだったんだよ」


 御前の大伯母なんだけどな、と、賢顕が言った頃、二人は、地下鉄空港線の天神駅の辺りに着いた。



横這(ヨコバイ)小短躰(コジックイ) 小太りの人。横に(ふと)って背の低い人。「横張り」「こじっくり」の転訛からきた鹿児島方言。「こ」は、「小」、「じっくい」は、「ずんぐり」の転訛。デブの小男、みたいなニュアンスでしょうか。


 尚顕さんの秘密も出てきましたね。


 因みに此の物件ですが、十年くらい前に、入院中の母の看病の為に、父の友人の御厚意で、病院の近くに貸してもらった福岡の物件がモデルなのですが、(いま)だに親戚の間で、『あれ、事故物件だったんじゃ…』と話題になってます。


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