御呪い
協議の結果、綺麗に清拭したダイニングテーブルに、バスタオルを敷いて、淡い水色のベビー用ブランケットで包んだ龍顕を寝かせる事になり、治一は、本日何度目かの綺麗好きの称号を親友から頂いた。
気付けば、ドーナッツの箱が空になっていたので、あの量を食い切ったのかと思うと、治一は、岐顕の甘党加減も事故物件に負けず劣らず怖い、と思ったが、黙っていた。
―理佐って深窓の御嬢さんって感じだったけど。岐と話が合ったのかなぁ。こいつも、理佐の前では大概カッコつけてた様な気がしたけど。少なくとも、理佐って、ミスド知ってたかもあやしいところが有ったし。子供の頃は兎も角、高校中退したとは言え、ソトの進学校に行ってて、黄色いフェアレディZとか乗り回してて、イタリアンが好きな、ゲーマーで、自作のパソコンで病院の会計システム作る、不動産業遣ってる男と、どんな会話してたんだろうな。
治一も、気付いてはいるのだ。再会以降、此の親友の口から、『理佐』という言葉が出て来ないのを。治一も、敢えて話題に出す気にはなれない。
目には見えない大きな傷が、御互いの心に付いていて、其れは、傷付いている事も指摘出来ないくらい、大きくて深い傷で、本来なら、こうやって、笑いながら話せるの自体が奇跡なのかもしれなかった。
早佐も、姉の死に傷付いているから、極端な行動に出たのかもしれない、と、今なら多少は思い遣れるのだ。先に理性を無くしてしまったので、慰める、という方向には持っていけなかったが。
―本当は、良くなかったのかも。
理佐という大切な存在の不在に傷付く、岐顕や早佐と一緒に居て、共に悲しむ事を拒否した。そうやって自分の傷を見る事を拒否して、気晴らしに走った。一緒に悲しみ合って、慰め合っていたら、何かが変わったとも思えないのだが、自分は、少なくとも、悲しみの紛らわせ方を間違ったのだろうとは思っている。
―別に良い奴じゃないよ。会わない間に、龍が喋るくらい大きくなってたってのに、結局、岐の方から会いに来てくれるまで、自分からは、実方本家に行くのが怖くて、会いに行かなかったんだから。
傷付いている親友に会うのは、理佐の不在を確かめるのは怖かった。
だから、未だに、自分からは、実方本家に赴けてはいない。
あの、時間の止まった様な瀬原集落で、未だ囲炉裏の残る古い家に住んで、自分の傷を見ない様にするのが精々で、其れより更に前に亡くなってしまった家族達の死にも、きちんとは向き合えていない。
―分かってんのにな。あんな、古い家、相続してみたところで、そろそろ、管理だって難しくなってきてて…。茅葺き屋根じゃないから、葺き替えは要らないのが救いだけど。家を残してるからって、誰も帰って来てくれるわけじゃないのに…。
奇しくも、福岡ドームの見える物件に来る事になったのだ。治一も、そろそろ、過去の傷と対面しなければならないのかもしれない。
ダイニングテーブルの上に眠る龍顕を挟んで、向かい合って椅子に座りながら、岐顕と治一は、心持ち声を潜めながら会話した。
「テーブルの上に寝かせるのって良いのかな?御行儀悪い?」
「いや、だから、抑、事故物件に連れてくんなって…。寝かせる場所がテーブルの上以外に無い様な場所、ってのが問題なんだよ。そういや、今日何処で寝る心算なんだよ、岐」
「あ、二十時にレンタルの布団が二組届く予定なんだ。此処、リビングの隣の畳の部屋在るじゃん、玄関の近くに有るのとは別に。其処に龍と寝ようかなって。そうだ、2LDKだから、一部屋あげるよ。玄関の近くの和室に、一人で寝る?」
「…嫌だ」
「え?」
「事故物件で、夜、一人で部屋に居るのが、既に嫌だし、あの油絵を二度と見たくないのに、あの油絵が掛かってる部屋で寝るのは、もっと嫌だ」
「…えー、思ったより怖がり?俺は、治と同室でも構わないけど。未だ龍、夜泣きしちゃうから、悪いなぁ。朝の四時半とかに起きちゃったりとかさぁ」
「怖がりとか、夜泣きとか、そんなレベルで話をしてないんだよ…。事故物件で夜一人になるくらいだったら、夜泣きで眠れない方が絶対良い」
そーぉ?と言いながら、岐顕は、愛おしげに龍顕を見詰めて、微笑んだ。
「こんなによく眠れるんなら、悪いものなんか居ないと思うけどな」
治一も、龍顕を見た。
寝顔が本当に愛らしく、確かに、其の周りは守られている様な雰囲気が有る気はする。
―口元は結構、理佐に似てる気がする。龍が笑うと、ちょっと理佐を思い出すんだよな。
「うん…まぁ、確かに」
「其れか、子供の霊とかね。御友達ってやつ。龍、妙に機嫌良いし、そっちの線も有るけど、其れならどの道、悪戯しかしないだろうしさ」
そう、穏やかに親友が言って微笑むので、治一は、再び、信じられない様な気持ちになって言った。
「…今、此処の事、子供の霊が出て悪戯してくる事故物件って言った…?」
「うん、可能性としてね。其れなら怖くない気がしない?」
「え…?怖いよ?」
「そう?俺は、飲茶の話の方が、聞くの怖くなってきたけどなぁ…。真面目だった治が、と思うと」
「其の話、未だ引っ張んのかよ…」
「いや、結局聞いてないんだもん、天文館のミスドで逆ナンされた時の話」
治一は、渋々、龍顕の催眠学習になりませんように、と思いながら、語り始めた。
「いや、其の、相手の子がさ。女子高生なんだけど。飲茶についてくる和辛子の小袋を財布に入れてたわけよ」
「えっ」
「…いやー、先に知ってたらミスドで其の儘別れてたと思うんだけど。知ったのが別れ際だったから」
「んー、前提として其れを知るのは女子高生に財布を出させてる状況じゃないのか、というのは置いておくとしても。…別れ際に女子高生に財布を出させてる状況って?とは思うんだけども。其れより気になるな、和辛子。インパクトすげぇ」
治一は、頭回る様になってきたじゃん、と思ったが、そうとは言わずに、其れだよ、と言った。
「海老シュウマイとか選ぶとついてくるやつ」
「うん、個包装というか、あの、ちっちゃい、小分けのやつね」
「そう、あれが、小銭入れに入ってて。『何で?』って」
「…聞いたの?」
「聞いちゃったよね、驚き過ぎて。俺からしたら食品だぜ?財布から出てくると思わなかったからさ」
岐顕は、まぁね、と小声で言って俯いた。
ほら、と治一は言った。
「…盛り上がらないじゃん、こんな話したって」
「…いや、怖いけど。途中で止めないで、気になるよ…。小銭入れの部分から調味料が出て来る女子高生の話…」
「…怖いか…」
「…うん…。俺、人間の方が怖いよ…。見えもしない幽霊より」
「…其の意見は、今は同意して良いか分からないんだけど。そんでまぁ、兎も角、財布から、小銭と一緒に出てきたわけ、其の和辛子の小さいパックが。で、其の子が、戻すわけよ、財布の、チャックの付いた小銭入れ部分に。其の和辛子を」
「いや、もう…何で?」
「『おまじない』なんだって」
「御呪い…って書いて『お呪い』でしたーみたいな、ネタ?誰か食中毒になれ、みたいな…」
「いや、『おまじない』らしいよマジで」
「え?何の御呪い?」
「彼氏が出来ますように、って」
治一は其の時、御喋りな親友を絶句させるという、初めての体験をしたが、構わず説明を続けた。
「和辛子、辛子、彼氏。んで、ドーナッツで、『輪』なんだと。ドーナッツ屋さんの辛子で、彼氏の輪が出来ますようにっていう、『おまじない』なんだってさ。クラスで流行ってるんだって」
彼氏の輪?と、岐顕が復唱した。
「…あー…。ネットワークみたいな事?…えーっと、つまり、…其の界隈の可愛い、彼氏募集中の女の子の財布には、和辛子が入っているとみていい…?」
「…いや、そういう事だと思うんだよ。結局、モテるって、そういう事じゃないかなって。ファッションとか流行ってさ、ある種の協調性が有るから乗るんだと思うんだ。協調性が有って友達が居て、ある程度流行りのファッションを似合わせられる才覚が有るとなると、其れが結局『モテる』って結果になるのかなって思ってさ」
「…そっか、結果的に、其れを遣ってる子イコール彼氏が出来易い子、になるのか」
「そう。流行ってるとか、友達と一緒に、っていう理由で、財布に食品を入れて持ち歩く事に疑問を抱かない、協調性と大らかさが有るんだよ。流行りにも敏感と言えるし。成程、其れはモテるかもしれない、と思ってさ」
「…んー、そっか。寧ろ、彼氏が出来易い条件の子が乗り易い御呪い、って言うかな。結果として『彼氏が出来る』子が遣ってる御呪いなんだね。何か、ディズニーのデートの話みたい」
「え?」
「ディズニーでデートすると別れる、みたいな話が有るんだけど。色々要素は有るみたいなんだけどさ、値段が高いとか、どっちかが夢を壊す様な発言をするとか。でもさー、結局、分母の問題だと思うわけ。大勢デートに行けば、別れるカップルも、そりゃ大勢出るじゃん?だから『あそこでデートすると別れる』って言われがちなのかなって」
「あー、分母が多いのな」
「そうそう。確率高く見えてるだけじゃん?って。さくら水産とか行っても、別れる時は別れると思うし、別れない時は別れないと思うし。だから、クラスで目立つ、友達多い子が遣ってるから、彼氏が出来易い御呪いになる的な?や、呪いとしては成功なんだよね。『彼氏が欲しい』って式を打って、『彼氏が出来た』って結果が返って来てるんだからさ」
「…デートで、さくら水産…?…ごめん、想像が難しいわ。…あ、御前が魚好きだから…?」
治一は其の場所を、去年出来たばかりの居酒屋だったと記憶していたので、ディズニーランドとのイメージの違いのあまりの大きさに、果たして其の場所のチョイスはデートに合ってるのだろうか、と悩みながらも、兎に角、と治一は言った。
「瀬原集落なんていう、田舎で育ったもんだから、カルチャーショックでさ。価値観が全然違うんだなって。…何か…本当にショックで、其の儘直ぐ別れて、…もう、あれ以来、道行く子の財布に和辛子が入ってたらと思うと…。でも一方で、其の感覚が分からないのは、俺の育ちのせいなのかな、とか…。俺が田舎で育たなかったら、理解出来たのかなって…」
「…んー。そりゃ、良い思い出とは言い難いかもなぁ。誰も悪くないんだろうけど…」
二人で、そんな事を話していると、インターフォンが鳴った。
「えー?布団来るには早くない?」
龍が起きちゃうじゃん、と言いながら、岐顕は、ダイニングテーブルの椅子から立ち上がった。
此の御呪い、当時、本当に周りで流行っていて、私は衛生的に和辛子を財布に入れたくなくて拒絶する、協調性の無い人間だったのですが、念の為に今日(二〇二二年十二月二十八日時点)検索してみたら、二〇二一年にも記事が出てますね。
結構有名な御呪いらしいです。
当時のクラスメイトの名誉の為に言いますと、彼女達には彼氏が出来ており、私には彼氏は出来ませんでした。なので、『彼氏が欲しい』という式を打って、『彼氏が出来た』という結果が返って来る、というのは呪いとしては、やっぱり、成功なんだと個人的に思っています。




