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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第四章 殺人
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事故物件

「今日は、一九九六年の、十一月十六日の土曜日、か。…里に居ると、日付の感覚も無くなるんだよな」


 ネイビーのブイネックセーターとジーンズ姿で、仕事用の黒い手帳を眺めながら、久し振りのソトは、普段とは違う、不思議な感覚を覚えるものだなと、(はる)(いち)は思った。


 静謐(せいひつ)な、閉鎖された空間で、早佐(はやさ)と二人で居た時間は、ソトとは全くの別世界だった。

 時間の感覚も何も無く、思い返すと、何時(いつ)でも、あの時間は、仄かな白梅の香りがした。あれは、早佐の(こう)なのかもしれない。


「十一月かぁ。道理で、鹿児島よりは、ちょっと寒いな。福岡って、来ると、やっぱり日本海側だなって思うよ。同じ九州でもさ」


 寒いと言いながら、薄手のジップアップパーカーにジーンズ姿の岐顕(みちあき)が、フローリングに胡坐を掻きながら、微笑んで言った。


 何処で買ったんだと思う(よう)な、ミントブルーとターコイズブルーの中間くらいの、繊細な色の、高価そうな、ベロア地のパーカーだったが、其の中に龍顕(りゅうけん)が潜り込んでいて、ばぁ、と言いながら、しょっちゅう、襟元から顔を出すので、生地が伸びそうだな、と思いながら、(はる)(いち)は、あのさ、と言った。


「何度も言うけど、やっぱり、良くないと思う。…乳幼児を事故物件に連れて来るの」


 そぉかぁ?と言って、霊感など何も無いと公言している岐顕は、ゲラゲラ笑った。


「丁度良い小遣い稼ぎじゃない?一ヶ月程度無料で住むだけで、こっちは更に金が入るわ、不動産屋は、次の入居者に告知義務が無くなるわ、ウィンウィンじゃん。光熱費も向こう持ちだし」


「や、百歩譲って大人は良いよ?でも、こんな小さい子を、こんな所に連れて来たらさ」


「や、俺の遣ってる不動産業だって、別に、託児の有る仕事って訳じゃないからさー。しがない自営業で、実家を頼りっぱなしですわ。此れなら、子連れで遣ってもOKだし。報酬折半するからさぁ」


 そう、久し振りに会った親友に突然誘われた仕事、というのが此れである。


 一ヶ月、福岡の物件に同居しがてら、合間に本業の御祈祷も遣ればいい、と言うのが、岐顕の弁だったのだが。


「でも、(りゅう)にとっては、…良いのかなぁ?…其れに…怖いんだよ。何で、一ヶ月無料で、光熱費も向こう持ちで住まわせてもらえて、更に報酬が出て、しかも其れが、折半しても良いって思える(よう)(がく)なんだよ。如何(どう)考えても、待遇の割に報酬が高額過ぎるんだよ。此処、如何(どう)いう事故物件なんだよ。何で俺達、ベランダから福岡ドームが見える(よう)な高層の物件に、タダで住めるんだ?」


「聞かない、調べないのも条件に入ってるから、分かんない」


 (えら)く長髪になってしまった髪を、短めのポニーテールの(よう)に結った親友が、笑顔で、そう答えるのを聞いて、(はる)(いち)は、一瞬、目の前が暗くなった。


「え?大丈夫?(はる)()(くら)み?」

「…何で、そんなヤバい物件に俺を誘ったんだよ…」

「報酬が高額だったから…」

「だーかーらー」


 何で高額なんだっつーの、と(はる)(いち)が言うと、再び、龍顕が、ばぁ、と言って、パーカーの襟元から顔を出した。


 其の笑顔のあまりの愛らしさに、涙腺を刺激された(はる)(いち)は、ごめんな、と言って、岐顕のパーカーの中から龍顕を出し、抱き上げた。


「こんな怖い所に、大人の都合で連れて来ちまって…」

「でも、そいつ御機嫌じゃん」


 其れは確かだった。朝一で車に乗って、岐顕の運転で高速道路を飛ばして、三時間くらいで着いた、見も知らぬ場所だと言うのに、龍顕は、昼寝すらせず、楽しそうに遊び続けているのだった。


 ドナルドダックの(よう)な、水兵(セーラー)服型のベビー服を着た龍顕は、今も、ニコニコしながら、輝く瞳を(はる)(いち)に向けていた。


 な?と岐顕は言った。


「悪いものが居ないから御機嫌なんだと思うぞ。大丈夫だよ。ほら、空調も良いし、良い物件じゃん」


「…じゃ、何でクリーニング入ってねぇんだよ…」


 白い台に、黒い五徳(ごとく)が嵌め込んである、高価そうなシステムキッチンのガスコンロは、白い台の部分に、茶色い油汚れがへばり付いていた。

 そして、最初に此の物件に入った時、荷物を置かせてもらった、玄関に一番近い和室には、高価そうな、海に浮かぶヨットの描かれた油絵が放置されており、其の部屋の押し入れには、古い布団が放置されていたのだ。

 リビングには、ソファーこそ無いものの、ダイニングテーブルも椅子も揃っていて、冷蔵庫や洗濯機も其の(まま)だ。


 何が嫌と言って、其の、放置されている高価な家財道具の数々が嫌で、掃除も何もせず、ただ突然、住人だけが居なくなった、という感じが、生々しくも禍々しく、爽やかな油絵だったというのに、(はる)(いち)は、其の絵を見た途端、二度と其の絵を見たくないと思う程怖くなったのだ。


 ハッキリ言うと、泣きそうになった。


「…まぁ、掃除は、俺達が遣れば良いんじゃない?」

「…答えになってねーんだわ」


 大丈夫だって、と、明るく岐顕は言った。


「病死とかだと、あんまり恨みを残してないらしいんだよ。自殺も。大体は、自殺の原因って自宅には無いらしいからさ。怨んでる人が居たら、そっちに行ってるらしいんだよね。一番ヤバいのは焼死だって言うじゃん?ほら、此処、焼けた感じはしないしさ。何かあったんだとしても、そんな、(たい)したもんじゃないんじゃない?」


「いや、前提が『事故物件』なんだって。第一、大丈夫だったら俺等にも告知してくれてもいいじゃん。(たい)したもんじゃないわけないだろ?何で詮索(せんさく)を許さないわけよ」


「んー、じゃあ…。持ち主が他所(よそ)でヤバい死に方してるとか?此の物件が、ってより、其の死因がヤバいか、職業が気質(かたぎ)じゃない人だったとか?」


「…御前、其処まで想像出来るのに何で『大丈夫』とか『(たい)したもんじゃない』って言うの?持ち主が(ヤク)の売人とかだったらどーすんだ。港町(みなとまち)の高級物件だから洒落になってねーんだよ。油絵の額の中から白い粉でも出て来たら…」


「あはは、ゴメン。実は、(ひこ)じぃから、高層に住むなら友達誘えって言われたからなんだよねー。一ヶ月一緒に住んでくれそうなの、(はる)くらいじゃん」


 親友の其の言葉を聞いて、(はる)(いち)は、言外(げんがい)に顕彦が、『岐顕が建物の高層階から飛び降りそう』という懸念を抱いている事を察し、今日一番の恐怖を感じた。


「あっ、うん。住む。住む住む。(みち)の料理めっちゃ旨いし。なー、(りゅう)


 (はる)(いち)が、そう言いながら、抱き上げていた龍顕を抱き直すと、龍顕は、愛らしい声で、なー、と復唱した。


 そう?と言って、岐顕がケラケラ笑うのが、(はる)(いち)は更に怖かったが、親友の笑い声に(かぶ)せる(よう)に、ホントだって、と言った。


「…何かほら…魚の何とか…。旨かったよ、ほら。何かオリーブオイル入ってたやつ」

「…アクアパッツァの事かな?」


 ホントに旨かったの?と言って笑う岐顕に向かって、覚えらんねーんだよ、と(はる)(いち)は言った。


「御前、英語は()だしも、イタリア語ってよ。家庭料理で出てくると思って育ってねーんだわ。俺の実家、()だ囲炉裏が有るんだぞ?耳慣れないにも限度が有るだろ。油がオリーブオイルだって分かっただけ偉いだろうが」


 いやー、と岐顕は嬉しそうに言った。


「外食で白身魚が食べられるって、俺にとっては救世主だよ、イタ(めし)。もー、何時(いつ)だったか会食でフレンチ続いて、死ぬかと思った。肉は其処まで得意じゃないんだよ」


「いや…『何が食べたい?』って聞くと、大体『魚かケーキ』って返ってくんの、怖いんだけど。どうすりゃいいの?魚の定食(ていしょく)食った後のデザートをケーキにすりゃいいの?寿司の後ケーキ食わせりゃいいの?」


 見掛けに寄らず、驚く程の甘党の親友は、笑顔で答えた。


「だからイタリアンだよ。ドルチェの宝庫なんだから。ケーキじゃなくたって、魚介類のカルパッチョとペスカトーレの後に、カタラーナとかでも充分」


「…俺とイタリアンレストランに行きたいの?(みち)


「や、別に、そういうわけじゃないけど。あ、でも、肉が好きなんだったら、コットレッタ作ろうか?生ハムが手に入ったら、サルティンボッカでもいいなー」


「…コットレッタって何?」

「カツレツ」


 じゃあ、カツ丼食おうぜ、と(はる)(いち)は堪らずに言った。


「…何か、イタリアン好きなのは分かった。よーく分かった。でも、昼飯は食おうぜ。(りゅう)はミルクと果物のピューレで満足してるみたいだけど、大人は何か食おう。俺、あのコンロで作ったイタリアン食うの嫌だよ。冷蔵庫は(さいわ)(から)だったけど、あのキッチンが綺麗なわけないじゃん。後で洗剤買ってコンロとか掃除してやるからさ、違う日に作ってくれたらいいから。今日の昼は何か買って食おうぜ。もう、ハンバーガーでも何でもいいから。近くに商店街が在ったじゃん。買い物してさ。あと、髪切る所探したいんだろ?(りゅう)は俺が見ててやるから、髪切ったらいいじゃん。取り敢えず、此処を出ようぜ」


(はる)って、()ぐ、『不衛生な場所に(りゅう)を居させるのは良くない』とか言うよねー。何だかんだ言って、病院で育ってるし、綺麗好きで、育ちが良いって言うかさー」


 笑顔の親友を、(はる)(いち)は、信じられない気持ちで見詰めながら言った。


「…俺の方がおかしいのか…?いや、だから、俺は、(りゅう)を事故物件に住まわせるの自体が嫌なんだよ?」


「いや、おかしいんじゃないよ。良い奴だなって」


「…うーん…。良い奴だと思ってくれるなら、俺の意見を聞いて、(りゅう)を事故物件に住まわせるのを考え直してほしいんだけど…」


 もういいや、と言って(はる)(いち)は、龍顕に、ペールブルーのフリース地の、モコモコの(つな)ぎを着せた。


「此処に居たらおかしくなっちまう。取り敢えず、何か食おう。出るぞ」



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