市影譚-EP2【白く見える滝】道の駅
道の駅の裏手には、回収されたゴミ袋が三つ並んでいた。
管理人さんは、袋の口を軽く結び直した。
「これ、毎回こっちで片づけるんですか」
私が聞くと、管理人さんは少しだけ肩をすくめた。
「毎回ってほどじゃねぇけど、最近増えたな。夜中に来て、朝にはいねぇ。残るのはゴミと足跡だけだ」
「滝までは、ここから歩けるんですか?」
「歩ける。けど、夜に行く場所じゃねぇよ」
管理人さんは、山の方を見た。
建物の裏からでも、滝の音はかすかに聞こえていた。
水の音というより、空気全体が低く鳴っているような音だった。
桂一さんは、道の駅の駐車場を見回した。
昼間は普通の場所だった。
地元の野菜を買いに来る人。
トイレに寄る営業車。
家族連れ。
軽トラ。
観光案内の看板。
けれど、夜になれば違うのだろう。
広い駐車場は、車を停めやすい。
滝へ向かうには、ちょうどいい拠点になってしまう。
「夜間は閉めてるんですか」
「建物は閉める。けど、駐車場とトイレは完全には塞げねぇ。道の駅だからな」
「なるほど」
桂一さんは短く答えた。
便利な場所ほど、別の使われ方をされる。
それは、前の待機所の換気経路にも少し似ていた。
本来の目的ではないものが、隙間から入り込む。
「写真、見せてもらえますか」
桂一さんが言うと、管理人さんはスマートフォンを取り出した。
「これだ」
画面には、夜の滝が写っていた。
暗い。
白い。
そして、妙にざらついている。
滝の水しぶきが、スマートフォンの補正で強く浮いている。
黒い岩肌の横に、白い縦の筋があった。
たしかに、人に見えた。
滝壺のそばに、白い人影が立っているように見える。
私は、思わず黙った。
「……人に見えますね」
「そうだろ」
管理人さんは、困ったように言った。
「これを見せられて、出るんですかって聞かれるんだよ。こっちは知らねぇって言うしかない」
桂一さんは、画面を拡大しなかった。
そのままの大きさで、しばらく見ていた。
「拡大しないんですか?」
私が聞くと、桂一さんは答えた。
「最初はしない」
「なぜですか?」
「拡大すると、探しに行ってしまうから」
探しに行ってしまう。
その言葉で、私はもう一度画面を見た。
白い人影のようなものは、確かにそこにある。
けれど、こちらが人だと思って見ているから、人に近づいているようにも見えた。
「相沢、まずそのまま見て、何に分けられる?」
「えっと……」
私はノートを開いた。
「頭に見える部分は、上の枝か岩の丸みに近いです。胴体に見える部分は、水しぶきと霧。足元は、黒い岩の影に見えます」
「腕は?」
「滝の白い筋、だと思います。ただ……」
「ただ?」
「全体の位置が、人に見えやすいです」
「それでいい」
桂一さんは頷いた。
「見えたことは否定しない。けど、いたことにはしない」
管理人さんは、その言葉を聞いて少しだけ眉を上げた。
「そういう書き方、できんのか」
「できます。むしろ、そう書かないと危ない」
「危ない?」
「人影なんてありません、と断定すると、確かめに来る人が出ます。逆に、本当に写っています、と書いても来る」
「どっちにしても来るのか」
「書き方を間違えると」
桂一さんは、スマートフォンを管理人さんに返した。
「だから、記事に写真は載せません」
管理人さんは少し驚いた。
「載せないのか」
「載せたら、場所を探す人が出ます」
「でも、写真がないと伝わらねぇんじゃないか」
「写真より、行かない理由を伝えた方がいいです」
その時、駐車場の方から一台の軽ワゴンが入ってきた。
降りてきたのは、若い男性だった。
消防団員だと、管理人さんが紹介してくれた。
「この前、電話した者です」
彼は少し緊張した様子で、桂一さんに頭を下げた。
「昔、イベントで少しお会いしたことがあります」
「覚えています。防災展示の時ですね」
「覚えてるんですか」
「名刺をもらいましたから」
桂一さんは、そう言って軽く笑った。
若い消防団員は、少しだけ安心したようだった。
「すみません。こんなことで呼んで」
「こんなことではないです」
桂一さんはすぐに言った。
「夜に人が入っているなら、十分に現場案件です」
消防団員は、山の方を見た。
「あそこ、昼ならいい場所なんです。涼しいし、きれいだし。でも夜は本当に危ない」
「滑りますか」
「滑ります。特に冬は。道の駅の駐車場は乾いていても、滝の近くだけ凍ることがあるんです」
「水しぶきですか」
「はい。あと、冷え方が違うんです。下の道は濡れているだけに見えて、滝の近くだけ薄く凍ってる」
消防団員は、少し言いにくそうに続けた。
「見つかる時には、もう溶けてることもあります」
私はペンを止めた。
「氷が、ですか」
「はい。朝は凍ってたはずなのに、人が来る頃には濡れてるだけに見える。だから、何もないところで足を滑らせたみたいになる」
滝の音が、遠くで低く続いていた。
ただの水の音のはずなのに、その話を聞いたあとでは、少し違って聞こえた。
「あと、滝の音で声が届きません」
消防団員は言った。
「近くにいるのに、呼んでも聞こえない。夜だとライトの向きで足元も見えない。助けに行く方も危ないんです」
「それを、噂を確かめに来た人たちは知らない」
桂一さんが言うと、消防団員は頷いた。
「知らないです。動画では、そこまで映らないので」
管理人さんが、低く言った。
「こっちは、出るか出ないかの話をしたいわけじゃねぇんだよ」
それは、さっき聞いた言葉と同じだった。
出るか出ないかより、来られるのが困る。
私はノートに書いた。
夜間来訪。
駐車場無断使用。
ゴミ。
足場凍結。
滝音で声が届かない。
写真の人影は、現象より拡散が問題。
桂一さんは、道の駅の建物越しに山を見ていた。
「滝まで、昼のうちに見に行けますか」
管理人さんは頷いた。
「行ける。今ならまだ明るい」
「夜は行きません」
桂一さんは、はっきり言った。
消防団員が少しだけ意外そうな顔をした。
「夜の確認はしないんですか?」
「しません。少なくとも今日は」
「でも、夜に見えるって話ですよ」
「夜に行ったら、同じことをしている人たちと変わらなくなる」
桂一さんの声は静かだった。
「危険だと分かっている場所へ、確認のために入る必要はありません。昼に見えること、写真で分かること、地元の証言で分かることを先に整理します」
消防団員は、少し黙ってから頷いた。
「そういうところが、市影譚っぽいですね」
「褒め言葉として受け取ります」
桂一さんは、そう言って歩き出した。
道の駅の裏から、滝へ続く道が伸びている。
最初は整備されている。
けれど、少し進むと山道に近くなるらしい。
管理人さんが先を歩き、消防団員がその横につく。
私と桂一さんは、少し後ろを歩いた。
まだ滝は見えない。
けれど、音だけは少しずつ大きくなっていく。
白い水の音。
人を落ち着かせるようで、近づくほどに他の音を消していく音。
私は、録音機の電源を入れた。
画面のメーターが、小刻みに揺れる。
滝はまだ遠いのに、もう十分に音が入っていた。
桂一さんが、それを見て言った。
「相沢」
「はい」
「ここから先は、音が判断を邪魔する」
「滝の音ですか」
「うん。落ち着く音は、危ない音でもある」
私は山道の先を見た。
木々の間に、白いものが少しだけ見えた。
滝だった。
昼の光の中で見るそれは、まだ怪談には見えなかった。
ただ、きれいな場所に見えた。
だからこそ、夜に意味を足されるのだと思った。




