三話 エンリャク
「はらさで、おくべきか…恨み…」
しゃがれた声。
カエデ達が振り向く。
いつの間にかそこに立っていたのは、痩せ細った老人。俯き、ぶつぶつと何かを呟いている。
全身にまとわりつく灰は、その足元から、じわじわとこちらへと広がっていた。
「灰は、灰に……」
その言葉と同時に。
地面がボロリと、崩れた。
石が、建物が、瓦礫が。
灰に飲み込まれたものすべてが、灰へと変わっていく。
「なっ!?」
シンゲンが飛び退く。
「さきほどまでの力とは質が違う……!これは、『呪い』の類です!」
シズメが叫ぶ。
老人は顔を上げずに、ただ、呟く。
「…届かぬ……祈りならば……全て灰燼に…帰せ…」
灰が、渦を巻く。
足元から、壁から、瓦礫から。
触れたものすべてが崩れ、粉となり、そして――動き出す。
灰は人の形を取り、ゆらりと立ち上がった。
輪郭は曖昧。だが確かに“意思”を持っている。
そして一斉に襲いかかってきた。
「ちっ……!」
カエデが踏み込み、アタラヨで薙ぎ払う。
「効いてない……!」
切り裂かれた灰はそのまま崩れ、次の瞬間には再び形を成す。
続いてテルトラが射撃を叩き込む。
弾丸が灰の体を穿つも、やはり次の瞬間には再生していた。
「…コイツも再生してる!」
「ならば、本体を叩くのみです!」
シズメの声。
すでに弓は引き絞られている。
カエデとシンゲンが同時に動く。
「行くぞ!」
「合わせる!」
灰の群れを強引に突破し、一直線にエンリャクへ。
「……〜〜〜……」
しかし、エンリャクの呟きに応じるように、彼の周囲の灰が壁のように一斉に収束した。
「っ――!」
カエデの刃もシンゲンの一撃も、完全に防がれる。
「不味い、カエデ!その灰に触れるな!!」
シンゲンが叫ぶ。だが、既に灰はカエデの足元まで迫っていた。
(アタラヨでの緊急離脱──間に合わない!!)
しかし、灰はカエデ達から離れると、一直線に別の場所目掛けて一斉に動き出す。
「やっぱりな」
ソルベが前に出る。
「狙うならこっちだと思っていたさ。…兄貴と同じ『織田』の俺をな」
灰の向かう先はソルベ。
もはや、エンリャクの視線は、ソルベのみへと向けられていた。
「はらさでおくべきか…!!はらさで、ォオオォくべきかァアア!!」
「さっきとやる事は同じだ」
ソルベが剣を構える。
「俺が引き付ける。その間にテメェらが決めろ」
「そんな、危険すぎる!」
カエデが叫ぶ。
「関係ねぇ」
構わずソルベがエンリャクへと突っ込む。
「来い!その怨み、俺が受け止めてやる!!」
灰の流れが、一斉に変わる。
すべてが、ソルベへ集中する。
「今だ!」
シンゲンが叫び、カエデが踏み込む。
アタラヨが灰を裂き、道をこじ開ける。
シンゲンの刃が、それをさらに広げる。
「……見えた!」
シズメが息を止める。
そして、わずかに――灰の壁に、隙間を見出した。
「そこです!」
ホマレダワケミコト。
光の矢が、一直線に走る。
確かにエンリャクの胸を貫いた。
「……ぁ……」
エンリャクの身体が、わずかに揺れる。
灰の濁流は収まり、空間は静まった。
その時。
彼の視界には別の景色が流れ込んできた。
ーーーー
朝の光。
静かな空気。
石畳を掃く音が、さらさらと耳に心地よく響く。
振り返れば、子供たちが駆け寄ってくる。
「「「おはようございます!」」」
無邪気な声。
それに思わず笑みがこぼれる。
穏やかな日常だった。
疑うこともなく、ずっと続くと思っていた時間。
だが――突如として、それは崩れた。
響き渡る怒号と悲鳴。
「火を放て!」
武装した兵が押し寄せ、刃が振り下ろされる。
目の前で、僧が斬り倒された。
「……なんで……」
理解が追いつかない。
ただ、平和に祈っていただけの場所が、なぜ。
「逃げろ!」
気づけば叫んでいた。
子供たちの手を引き、奥の倉庫へ押し込む。
「ここから出るな! 必ず戻る!」
泣きじゃくる子供たち。
それでも扉を閉める。
エンリャクは振り返らず、戦場へと向かう。
剣を握る手は震えていた。
それでも、振るうしかなかった。
斬り、斬られ、また斬る。
だが数が違う。力が違う。
仲間が一人、また一人と倒れていく。
声が消え、温もりが消えていく。
──やがて、音が止んだ。
焼け跡。
煙。
血の匂い。
今朝までいつも通りあったものは、一つとして残っていない。
それでも、足を引きずりながら進んだ。
「……無事で……いてくれ……」
願うように呟きながら、倉庫へ向かう。
建物は無事だった。
胸の奥に、わずかな希望が灯る。
しかし扉は、開いていた。
「……嘘だ……」
手が震える。
それでも中を覗く。
そこに『人は』いなかった。
エンリャクは壁一面の朱色の軌跡と、残された『モノ』を視界に捉える。
膝が崩れた。
腕が震え、焦点がブレる。
上手く呼吸ができない。
己の理解が追いつかないまま、世界が崩れていく。
すると、突然背中が熱を帯びる。
倒れゆく中、視界を動かせば
刀を手にした織田軍の兵がこちらをニヤつきながら見下ろしていた。
背中を斬られた。
しかし、全てを失った彼にとっては、そんな事はもはやどうでもよいことだった。
そして、倒れるエンリャクへ織田の兵士が刀を突き立てようとした──その、瞬間。
視界がモノクロームに染まっていく。
同時に、世界が反転した。
時間は、巻き戻る。
死する存在は、なかったことになる。
エンリャクは気づけば、見慣れた景色の中に立っていた。
同じ朝。
同じ空。
…何も変わらない。
しかしふと、自分の手を見やるとビッシリと黒い灰がこびりついていた。
「……祈っただろ……」
声が震える。
「……助けてくれって……願っただろう……!」
空を見上げても、何も返ってこない。
その瞬間、彼の中で何かが決定的に壊れた。
「……祈りなど……何の意味もない……!!」
⸻
エンリャクの目が見開かれた。
「神など……いらぬ……!!」
その叫びとともに、灰が爆発する。
あたり一面を吹き飛ばす強烈な爆風を巻き起こす。
若返り、ありし日の僧兵だった頃の体。
だがその目に宿るのは、怒りと絶望だけだった。
それを見たカエデは一瞬、動きを止める。
理解してしまったからだ。
この男が何を失ったのか。
それでも――
「止めましょう」
シズメの声が静かに響いた。
そこに迷いはない。
ソルベが前に出る。
「やるぞ」
短い言葉。
それで十分だった。
ソルベが再びエンリャクを引き付ける。
灰の流れが彼に集中する。
その一瞬。
カエデとシンゲンが同時に踏み込む。
灰を切り裂き、道を作る。
門天丸がシズメを肩に乗せ接近する。
「終わりです」
一閃。
薙刀の一振りで、エンリャクの首は落とされた。
エンリャクの表情が、ゆっくりと変わる。
怒りが消え、代わりに浮かんだのは――穏やかな顔だった。
「……あぁ……」
その視界に、差し伸べられる手。
「……待たせたな……」
その手を、取る。
灰が崩れ、光に変わる。
そして、静かに消えていった。




