一話 感情の弊害
記憶と感情が戻った事で過去の悍ましい出来事の被害者が立ち上がる。行き場のない猛り狂う思いを纏って。
かつて宗教勢力は純粋に人々の心の拠り所として、世の中の救いの一つとなっていた。
人は集まり集団となり、一つの街の様になっていく。宗派は広がり、人から人へ。
心地の良い言葉は荒んだ人々の心によく染み渡った。
─しかし、その状況を多くの領主達はそれを良しとしなかった。
筆頭たるは織田当主ムドウ。
彼は特に厳しい宗教弾圧を行った。
その行いにより、多くの血が流れたが、その記憶は欠片の力によって闇へと葬られていた。
そして今、その記憶が呼び起こされる。
武田と豊臣による征伐も終わり。
世界は、再び静かに元へ戻りつつあった。
徳川の支配が崩れ、十三の欠片が解放されたことで、人々の中に“感情”と“記憶”が戻った。
笑うことも、怒ることも、悲しむことも。
それらは本来、当たり前にあるはずのものだった。
だが同時に――それは、思い出さなくてよかったものまで、すべて戻ってくる、という事でもあった。
⸻エンドシティ。
徳川との戦いの爪痕はまだ残っているが、街は確実に息を吹き返していた。
崩れた建物は修復され、人の往来も増えている。
市場には声が戻り、子供たちは路地を駆け回る。
その様子を見ながら、ソルベは静かに腕を組んでいた。
「……悪くない」
ぽつりと呟く。
かつては“ムドウ"として戦場に立っていた男も、今は"ムドウの弟ソルベ"として、改めてこの街を守る側にいる。
誰かが秩序を保たなければ、すぐに崩れる。
それをよく知っているからこそ、彼はここに立っていた。
「ソルベ様。東部の修復作業が完了致しました」
「そうか。住民は?」
「皆、既に仮設住宅からの転居を済ませ、移住も完了しております。万事順調……ですが、ただ一つ気になる事が」
報告に来た兵が、言葉を濁す。
「どうした」
「最近、妙な噂が広まりつつあるのです」
ソルベが眉をひそめる。
「『あの寺』関係です。
昔の弾圧の話を……思い出した連中が、集まり始めている、と」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……そうか」
それだけ答え、ソルベは再び街へ視線を戻した。
忘れていた過去が戻る。
それがどういう意味を持つか――彼は理解していた。
⸻その頃。
街の中央広場では、見慣れた顔ぶれが集まっていた。
「こうして集まるのも久方ぶりだな」
シンゲンが腕を組んで立つ。
「…ほんとにね。こんな落ち着いて話すの、いつぶりだろ」
テルトラが軽く笑う。
その横で、カエデは二人のやり取りを聞きながら、静かに空を見上げていた。
戦いは終わった。
─そう思いたかったが。
クーデターを企てる輩は未だに跡を立たない。
カエデがふと、シンゲンに尋ねる。
「そういえばシズメは?」
「少し外している。なんでも気になる店があるらしい」
その言葉にカエデは小さく頷いた。
それぞれが、それぞれのやり方であるべき“日常”に戻ろうとしている。
世は平穏へと小さな一歩を踏み出していた。
――そんな矢先。
遠くで、けたたましく鐘が鳴った。
「なんだ?」
シンゲンが顔を上げる。
次の瞬間。
ざわめきが広場の外から流れ込んできた。
人々が振り返り、道を開けるように後ずさる。
「おい……なんだあれ」
「巡礼……?いや、しかし……」
人の波の向こうから、整然とした一団が現れた。
白と黒を基調とした装束。
手には十字を模した標。
両の手を折り合わせ、祈るように歩いている。
その足取りには一切の迷いが感じられない。
先頭を歩くのは、背広姿の一人の初老の男性。
その背筋はまっすぐ伸び、歩みもしっかりしている。それでいてかなりの長身であり、妙な威圧感を放っていた。
彼は立ち止まると、広場を見渡した。
「皆様、はじめまして」
穏やかな声が響く。
「私はホンガンと申します。そして我々は、“十字軍”」
周囲の空気が、一瞬で変わった。
「この地に来た理由は一つ。
神による平穏を破壊した者達を……正す為です」
終始穏やかで、柔らかな口調。
だが、その言葉には一切の迷いがなかった。
カエデは、無意識にアタラヨへ手をかける。
ホンガンは、微笑を崩さない。
広場は、不自然な静けさに包まれていた。
その沈黙を破ったのは――
「…どけ」
低く、太い声。
エンドシティ領主、ソルベであった。
ソルベがゆっくりと前に出ると、ホンガンと正面から視線を合わせた。
「帰んな。ここはあんたらの来る場所じゃない」
ホンガンは、わずかに首を傾げる。
「ほう……では、どこへ行けと?」
「知るかよ。とにかく俺の国から出ていけ」
短く、それだけ。
ホンガンは微笑んだまま、静かに息を吐く。
「話し合いの余地すらないとは……残念です」
その一言と同時に。
彼の背後に並んでいた信者達が、一斉に顔を上げた。
虚ろな目。
焦点の合っていない瞳。
そして――
「……断罪」
誰かが、呟いた。
次の瞬間。
信者の群れが一斉に動きだした。
「来るぞ!」
シンゲンの声が飛ぶ。
信者達が、武器を振りかざし突進してくる。
農具、木材、刃物。
その行軍には、統一も統率もない。
だが同時に――迷いも、恐怖もなかった。
「チッ……!」
ソルベが剣を抜く。
最初にぶつかった信者の一撃を弾き、そのまま体勢を崩して地面に押さえつける。
「殺すんじゃねえぞ!止めろ!」
「…やるしかない!」
カエデが踏み込む。
アタラヨが閃き、信者の持つ武器だけを正確に弾き飛ばす。
そのまま体勢を崩させ、無力化。
「手加減前提か……厄介だな!」
彼の二刀が振るわれ、峰打ちで次々と信者を戦闘不能にしていく。
「…ああ、もう数が多い…!」
テルトラの操る絡繰、門天丸の周囲に信者が群がる。その動きは単調だが、全くもって躊躇がない。
「…ちょっと、危ないって!なんでこんなに躊躇いがいないの…!?」
テルトラが後退しながら叫ぶ。
すると、その頭上を一本の矢が貫いた。
「…助かる、シズメ!」
「下がってください!門天丸では彼らを不必要に傷つけかねません!」
「…了解」
門天丸が上空へと退避していく。
その間にシズメが二の矢を番う。そして、放たれた矢は正確に信者の手元を射抜き、武器を弾き飛ばし、動きを止める。
「おい、止まれ!クソッ、イカれてやがんのか!?」
ソルベが押さえつけた信者が、なおも飛ばされた武器を拾おうと、骨が軋んでも関係なしに腕を伸ばす。
その執念はもはや生者のそれではない。
命を守るという本能が、抜け落ちている。
カエデは一瞬だけ手を止めた。
「まさかこの人達……操られてる?」
本人の意思で戦っているのではない。
正気を失い、何者かによって“戦わされている”。
「一体、どうやって──」
「考えるのは後だ!」
シンゲンの声。
何者かに操られているとしても現実、信者達の凶刃は一般市民にも向けられている。
カエデは歯を食いしばり、市民を守るべく、再び信者の群れへと踏み込んだ。
その戦場の奥で。
ホンガンは、祈るように手を組みながら静かにその様子を見ていた。
「なるほど」
感心するような声音。
「如何にこちらが主導を握ろうと、所詮は烏合の衆。どうにもなりませんか。徳川を下した力は伊達ではありませんね」
その目は冷たく、口元は歪に曲線を描いていた。
「では…もう少し強めにいきましょうか」
そう言うと、戦場へ姿を現す。
そして、戦場全体を撫でるかのように、わずかに手を動かした。
─その瞬間。
信者達の動きがさらに激しく、苛烈さを増す。
「なんだ!?急に信者どもの力が増したぞ!?」
「あの男、一体何を…!」
「間違いない、アイツがこの人達を無理やり操ってるんだ!」
カエデ達が元凶であろうホンガンを睨む。
「操る?」
しかし、当の本人は柔らかに微笑んだまま、静かに言った。
「人が人を操る事など出来ません…人は平和を求め、崇高な祈りの元でのみ動くものです」
そして、カエデ達を見つめると言った。
「祈りは、人を強くします。しかし、その祈りを踏み躙り、暴乱の世を招く者もいる。…貴方方のようにね」
「……何が言いたいの」
カエデが一歩前に出る。
ホンガンは、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「─かつてこの国では、祈りが人を救っていました。…ですが、それを弾圧し、踏みにじり、滅ぼした者がいる」
ホンガンの視線が、ソルベへと向く。
「罪は、消えません」
次に、カエデへと。
「そして貴方方は――」
一拍置いてホンガンは言った。
「世界に“感情”と“記憶”を解き放った。世が荒れるとわかっていながら、ね」
「それの何が悪いっての!?」
カエデが反射的に叫ぶ。
ホンガンはただ、静かに答える。
「さぁ…ご自身の胸に聞かれては。感情を解放した結果、何が起きたか……知らない訳ではないでしょう?」
その言葉に、一瞬だけ場が止まる。
「忘れられていた憎しみ。
押し込められていた怨嗟。
それらが、今――この世界に溢れ出している」
彼の背後で、信者達が呻くように祈り続けている。
「貴方方が、“解放”したのです」
その声音はただ淡々と、事実を述べる。
「故に」
ホンガンは、ゆっくりと手を広げた。
「貴方方は裁かれるべきなのです」
それを合図にするかのように、信者達が勢いよく飛びかかる。
カエデ達が迎撃の姿勢をとった、その時。
「……ふざけないで」
テルトラの声が低く落ちる。
そして、門天丸の右腕の刀を振りかぶると、横一文字に薙ぎ払った。
すると、信者達が次々と倒れる。
まるで操り人形の糸が切れるように。
ホンガンは周りを見渡し、舌打ちする。
「…糸で無理矢理人を操っておいて、『祈り』だの『裁き』だの…よく言う」
シズメが倒れた人々に駆け寄る。
「なんと惨い…!」
解放された人々は皆、苦痛に顔を歪めて荒い呼吸をしている。
その腕や足は、体の限界を超えて動かされた為か、所々が青紫に変色していた。
「タネさえ割れればこちらのものだな」
「そうだね。どうする?大言造語のペテン師さん?」
シンゲンとカエデがホンガンに詰め寄る。
「…おお、怖い怖い。稀代の英雄殿に迫られては恐怖で話もできませんな」
ホンガンはニヤリと笑うと指を高く鳴らした。
「ーーでは、均衡状態を作ると致しましょう」




