間話 中編 『鬼王、砕ける』
大江山の頂。
妖怪達が円を描くように退き、その中心に二人だけが立つ。
鬼の王――酒呑童子。
若き剣士――シンゲン。
「では─」
酒呑は肩に担いだ巨大な金棒を軽く回す。
「死ぬがいい」
踏み込んだ、その一歩。
ズドンッ!!という破裂音と共に、地面が陥没する。
次の瞬間には酒呑の姿はシンゲンの目の前から消えていた。
「速──」
その速さを認識した時には、金棒が既にシンゲンの頭上へ振り下ろされていた。
山を揺らす轟音が響く。
巨大な岩盤が粉々に砕け、土煙が空へ舞い上がる。
その様子を見て、妖怪達は歓声を上げた。
「決まったァ!!」
「人間なんか一撃だ!!」
「さすが酒呑様!」
勝負は決した。
酒呑もそう信じて疑わなかった。
─土煙の中からの声を聞くまでは。
「危ねぇ危ねぇ。流石にこれは喰らったら痛そうだ」
酒呑の眉が僅かに動く。
煙が晴れると、そこには傷一つないシンゲンが立っていた。
金棒は、彼の足元を掠めて地面へめり込んでいる。
「惜しかったな」
それを見て、酒呑は初めて表情を消した。
「……アレを避けたか」
「いいや?」
シンゲンは戯けたように笑う。
「当たらなかっただけだ。─狙う相手はよく見たほうがいいぜ?」
その言葉が酒呑の神経を逆撫でする。
「図に乗るなよ、小僧!!」
金棒が唸る。
横薙ぎ。
振り上げ。
叩き付け。
一連の動作は、通常の人間であれば残像すら捉えられない速度。
さらには、その一撃一撃で山肌が抉れ、岩壁が吹き飛ぶ。それこそ、見えたところで防ぐ事など出来るはずがなかった。
─それでも。
「遅いな」
シンゲンはゆっくりと歩いていた。
右へ。左へ。
半歩前へ。
たったそれだけ。
最低限の動作で、必殺の一撃を紙一重で躱していく。
「嘘だろ……」
茨木童子が呟く。
「コイツ、本当に人間なのか……?」
この状況は、酒呑にも理解できなかった。
表情にこそ出さなかったが、内心焦りを覚えずにはいられなかった。
(何故だ?
何故人間如きが私の攻撃を見切れる!?)
先程の攻撃とは違い、間違いなく全力だ。
そもそも、自身の攻撃は今まで一度たりとも避けられたことなどない。
それなのに、当たらない。
それどころか、掠りもしない。
「…よし」
シンゲンが一言呟いた次の瞬間。
酒呑の視界からシンゲンが消えた。
「ッ!?」
同時に腹に衝撃が走る。
それは、シンゲンの放った拳だった。
人間の、しかもたった一発の拳で、酒呑の身体が宙を舞った。
「ガっ……!」
岩へ激突し、山肌が崩れる。
その様子に妖怪達は言葉を失った。
「酒呑様が……吹き飛ばされた……?」
酒呑が瓦礫の山から起き上がる。
その拍子に体についた埃が空を舞う。
それをしばらく他人事のように眺めると、大きく笑った。
「ハハハッ!!…土など久方ぶりに触れたわ」
メキメキと音を立てて、角が軋む。
妖力が溢れ、大江山全体が黒い霧に包まれていく。
「人間…いや、シンゲンよ。私の本気を見せるのは貴様が初めてだ。光栄に思うが良い」
ドス黒いオーラが酒呑から噴き上がる。
「酒呑様の本気だ……!」
「山そのものが妖気で満ちていく……!」
山中の妖怪達がその圧に怯え、震える。
大江山は、地も空も黒く染まり、地獄の形相を醸し出していた。
「さぁ、呆気なく終わってくれるなよ!!シンゲン!!!」
酒呑が姿を消した。
一瞬でシンゲンの背後へと回り込む。
「死ね。死ね。死ね。死ねェエエエ!!!」
一撃必殺の攻撃がまるで、雨のように叩き込まれる。
「やはりな」
だが、シンゲンは動じない。
感心したように頷いた。
「お前は強い。俺が合った猛者の中でも5本の指には入るだろう!!」
「ぬかせェエエエエ!!!」
酒呑の金棒が振り下ろされ、地面を割る。
周りの木々や妖怪達がまとめて吹き飛ばされ、更地となる。が、シンゲンの姿はそこにはなかった。
「チッ、どこに──」
「ここだ」
酒呑が苛立ちながら周りを見渡す。
すると、真横から声が響いた。
─ドゴォッ!!
シンゲンの拳が再び繰り出される。
酒呑の頬を直撃し、顔全体を大きく歪ませた。
「まだ終わりじゃねえぞ?」
さらに、腹。肋。顎。脇腹。
連撃が酒呑へと叩き込まれる。
「がぁっ!」
酒呑が反撃しようと腕を振る。
しかし、シンゲンはその腕を掴むと、勢いそのままに一本背負いする。
酒呑の巨体が宙を舞い、地面へ叩き付けられる。
辺りに響く轟音。
酒呑は、自身に何が起きたか理解出来ず大の字に倒れ伏してしばらく固まっていた。
「まだ立てるか?」
「……舐めるなァ!!」
が、シンゲンからの言葉で我に返り、瞬時に立ち上がる。そして、間髪入れずに再び突撃した。
─だが。
「おっと」
また投げられる。
ドゴン!!と、小気味良い音が響く。
「まだまだ」
ドガァ!!
「ほいっと」
バキィ!!
「遅い遅い!」
ドゴン!!
まるで、子供をあやすように。
シンゲンは酒呑をいなし続ける。
「どうした?もう終いか」
「ハァッ…ハァッ……!!人間風情が……!!」
乱れた息を整えながら、凄んで見せる。しかし、酒呑の身体は既に血塗れだった。
角は砕け、牙は折れ、腕は震えていた。
対するシンゲンは、汗一つかかず涼しい顔をしている。
妖怪達は理解し始めていた。
──もはや、勝負になっていない。
酒呑は震える拳を握る。
「……何故だ」
初めてだった。
力で勝てない相手は。
初めてだった。
戦いを「早く終わってくれ」と思うのは。
初めてだった。
無力差と、圧倒的な力の差に恐怖を覚えたのは。
シンゲンは刀を納めたまま近付く。
「なんだ、本当に終わりなのか?…存外呆気なかったな」
その何気ない一言が。
鬼王・酒呑童子の心を、プライドを何より深く抉った。




