第九話 フォーチュン・ヒル編
公開の順番間違えました…
フォーチューン・ヒル。西の果てに佇む宗教都市。
信仰と科学が等しく寄り添い、祈りと回路がともに町を照らす。
空には『ヤハタ様』の旗がたなびき、街には静謐な祈りが満ちていた。
「想えば叶う。しかし、己のために願えば、その身は塵と散る」
そう教えられて育った人々は、今日も優しき祈りを胸に暮らしている。
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空は濃藍に沈み、遠くの社の上に銀の三日月がかかっていた。
その前に立つ一人の巫女。大友家当主――シズメ。
「この地に、陽の欠片を求めに来たと?」
カエデは頷いた。隣にはテルトラ、そして背後に控えるシンゲンの姿。
だが、シズメの視線は彼らを透かして空を見ているようだった。
「それは、叶えられません。陽の欠片は、放生の証。争いの火種にするわけにはいきません」
静かで、しかし凛とした口調。その瞳には疑念と、畏れが浮かんでいた。
「そんな…けど、徳川の所業を知らないわけじゃないでしょ!?」
カエデがシズメに詰め寄る。しかし、彼女は表情を変える事なく、静かに諭すように告げる。
「もちろんでございます。しかし、“放生”――この地の欠片が宿すのは、あらゆる命が平和に在らんとする力。それを争いに転ずることは、信仰への裏切りです。よって、お断りいたします」
「そんなこと言ってる場合じゃ…!」
「ならば証を立てよう」
不満を訴えるカエデを遮り、一歩前に出たのは、シンゲンだった。
「このまま何もせずとも世は荒れるのなら、それこそ教義に反する事だろう。しかし、その教義がある故に徳川と戦う事も出来ないのならば、陽の欠片を俺達に託してくれ。俺達が世を荒らす者なのかどうか…お前自身の目で判断するといい」
シズメはその場に沈黙を落とし、やがて小さく頷く。
「…良いでしょう。では一週間後。1㎞先の的の的を射抜いてみせてください。……達成した暁には陽の欠片を貴方方へ託します」
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「では、練習するか」
「『では、練習するか』、じゃないでしょ!!何勝手に決めてんの!証を立てるだなんて…」
「…それに、そもそもこの課題は不可能。長弓の射程はせいぜい4〜500m。1㎞だなんて揶揄われているだけ」
「ええ!?そうなの!?じゃあ無理じゃん!」
「…だからさっきからそう言ってる」
シズメから『私が稽古に使う弓道場であればお貸しいたします』と言われ、早速シンゲンは弓を片手に向かったのだが、そこでカエデとテルトラに詰められていた。相談なく欠片を掛けた取引を申し込み、挙げ句の果てには無理難題を押し付けられているからだ。
「ちょうど良い。これくらいの不可能を可能にでもしてやらん限り、あの女はこちらに欠片を渡す気なんて起きないだろうしな」
シンゲンは弓を携え、構える。
そして、蔓を引き絞り矢を放った。
「「……は?」」
稽古場に響いたのは、的に突き刺さらずに地面へ落ちたポテン、という何とも間抜けな矢の音だった。
「シンゲン、アンタまさかとは思うけど…」
「…苦手なのに見栄を切ったって事?呆れた」
カエデとテルトラが問いかける。
すると、シンゲンは悪びれもせず答えた。
「いや、苦手ではない。弓矢は生まれて初めて触ったからな」
その日、フォーチュン・ヒルに女性の怒号が木霊し、ちょっとした騒ぎになった事を彼らは知らない。
ーーー
1日目。
シンゲンは、慣れぬ手つきで弓を引いていた。弓を握るのも初めて、矢の飛び方も知らない。
朝から晩まで、ひたすら弓を放ち続けていた。
その様子を、シズメは黙って柱の影から見つめていた。
2日目。風を読むようになり、矢が真っ直ぐ飛ぶようになってきた頃。
「少し、握りが強すぎます」
背後から優しい声がした。
そこにいたのは、巫女装束を緩やかに着崩したシズメだった。
その手には、自らの弓があり、慣れた手つきで構えを見せてみせる。
「……お節介だな」
「あら、自分で課した試練を見守ることすら許されないのですか?」
それ以降、彼女は日々、稽古の時間に現れた。
そして、誰に求められるでもなく、ポツリポツリと語るようになった。
「私はこの国しか知らない。外の世界が、ただ……羨ましいのです」
「けれど、“世のため”という言葉の重さを、私は知ってしまったから」
彼女の語る“ヤハタ様”は、世界を慈しむ神だった。
だが、私利私欲のまま願えば、神に拒まれ、存在ごと霧散するという戒律。
それは、彼女自身の“自由”すら、縛っていた。
シンゲンは昼餉を頬張りながらその話を黙って聞いていた。
「なんでも叶えられる素晴らしい神様。…けど、私はこうして貴方に不満を漏らしています。たった1人の小娘を満足させられない神は、果たして全能と言えるのでしょうか」
シズメは吐き捨てるように言う。
「…ダメですよね。仮にも大友の当主であり巫女の私がこんな事言ってちゃ」
彼女がバツが悪そうに笑う。その表情は諦めのような悲しみのような表情が見え隠れしていた。
「俺達が戦おうとしている相手は人智を超えた存在だ。神に近い。だが、俺はヤツらの掲げる大義などよりも、俺達の信念や正義が正しいと胸を張って言える」
シンゲンは3つ目の握り飯を口に放り込みながら答える。
「つまり。神が正しいとは限らん、ということだ」
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七日目。試練の朝。
緊張した空気の中、カエデ、テルトラ、そして、シズメがそれを見守る。
しばしの無音の間の後、鋭い音が空気を裂いた。
矢は真っ直ぐに勢いを落とす事なく遥か先の的に飛んでゆく。しかし、あと僅かのところで風に揺られ、的の外一メートル逸れた場所に落ちた。
「……ッ!」
カエデとテルトラは悔しそうに拳を握る。
そして、シズメは微笑んだ。どこか、諦めと慈愛の混じったような。
「本当に惜しかったです……本当に」
だがその時。沈黙の中、シンゲンは空を見つめていた。
その視線の先――巨大な社の頂点に掲げられた、ヤハタ様の旗。
彼は呟く。
「お前、弓になれるか?」
背中の刀、クニムネに問いかけると、黒い妖気が渦を巻き、巨大な和弓へと変化する。
「何を考えて…!まさかアレを射抜くおつもりですか!?…そもそも、ヤハタ様の御旗を射抜くなど言語道断でーー」
引き絞り、狙いはただ一点。
シズメの制止の声を聞くよりも早く――
ヒュンッ!
直線距離にして3㎞は下らない。放たれた矢は勢いを落とす事なく、フォーチュン・ヒルの象徴――ヤハタの旗を貫いた。
「見ろ。神に、人が勝つことだってできる」
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その夜。
シズメは夢を見た。十六夜の月、白く燃える霊峰、その頂に現れた一人の男。
――「信鎮八武スメラミコト様…?」
彼は背に長弓を携え、こちらをじっと見つめていた。
シズメは過去に親から聞いた昔話を思い出す。
(かつて徳川に抗い歴史上唯一、その首に刃を掛け、あと一歩まで追い詰めた古の英雄)
「私達、大友の祖にあたる御方…」
『少し良いかな?突然だが、君に我が力を託す』
そう語り、彼は自身の長弓をシズメに差し出す。
『名を「ホマレダワケノミコト」。本当はもっと早く渡したかったんだが…最も可能性のある時を選びたかったのでね』
(それは、どういう)
シズメが疑問を投げかける。しかし、口は動くが声が出ない。
『今回ならば行ける気がするんだ。この長き因縁に終止符を打ってくれ。頼んだよ』
スメラミコトは足早に告げると、光の奔流に飲み込まれていく。
シズメが眩しさに目を閉じると、次の瞬間広がったのは見慣れた天井であった。
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翌朝。再び神宮を訪れたカエデたちの前に現れたシズメは、昨日までの姿ではなかった。
巫女装束を軽やかに改装し、背には煌びやかな長弓と薙刀。
その顔には、これまで見せなかった柔らかい微笑みが浮かんでいた。
「共に参りましょう。放生の心を胸に、私はあなた方の旅に力を貸します」
周囲は騒然とする。
だが、シンゲンだけが、静かに彼女を見て微笑んだ。
「歓迎しよう。…お前にはそちらの方がよく似合う」
こうして、欠片を抱えた一人の巫女は、放たれた一矢によって己を穿ち、旅路に加わった。
そして誰も知らぬ未来に、また一つ、道が開かれていく。




