第八話 島津編
風の匂いが変わった。
甘く、湿っていて、どこか死を思わせる土の香り。
薩摩国――。
かつて“鬼ヶ城”とも呼ばれたこの地は、異形の者たちが跋扈する妖怪都市であった。
石畳の通りには一つ目小僧が店番をし、猫又が三味線を爪弾き、骨だけになった坊主が茶を啜る。
絵巻から抜け出したかのような風景に、カエデは目を輝かせていた。
「うわ……うわぁっ! 見て! 猫が二本足で歩いてる! えっ、あれ骨? ガイコツ!? あはは、可愛い! うわ、絡繰でもサイバーでもないのに生きてるー!」
「騒がしい。静かにしてくれ」
「……でも、見たことない文化構造。興味深い」
テルトラもまた、いつもの冷静さを保ちつつも、目だけはきらめいていた。
一方で、シンゲンは浮かない表情ではしゃぐカエデを諌める。
彼の脳裏には、師であるユキ=ムラマサとの稽古の記憶がフラッシュバックしていた。
『太刀筋に人の心は現れるものでございます。信念さえ見失わねば、いかなる相手も斬り伏せられましょう。…まぁ、今のクソ雑魚模様では、武田の名を語るのも烏滸がましい剣術でございますけどぉ…あっ、失礼しましたぁ。シンゲン様のそれは剣術ではございませんね。児戯です、児戯。ガキが棒きれ振ってるのと同じですぅ』
「……言いすぎだろ、あの女」
「え?」
「いや、なんでもない」
◆
やがて、彼らは島津国の領主・イシンの屋敷に辿り着く。
中にいたのは、まさしく“死の化身”とでも呼ぶべき存在だった。
骸骨の顔、巨大な鎧、全身からあふれる異様な威圧感。
だがその佇まいには、どこか凛とした風格が滲んでいた。
「来訪の理由を述べよ。骨の無い者たちよ」
「陽の欠片を譲って欲しい。そして、徳川を討つための力を貸してほしい」
カエデは一歩も引かずに言い放った。
イシンはわずかに首を傾げると、低く呟いた。
「どこの馬の骨とも知れぬお前に、欠片を渡す道理はない」
カエデは一瞬言葉を失ったが、すぐに言い返す。
「でも、徳川を止めなきゃ、この国は――この世界は、本当に滅びる!その為にも貴方達の力が必要なんです!」
長い沈黙のあと、イシンはふっと笑った。
「曽是の坊主には、そろそろ灸を据えてやりたかったところだ。対徳川としての協力、それは承ろう」
「じゃあ!」
前向きな返答にカエデは目を輝かせる。
しかし。
「だが。欠片を渡す事は出来ない。話は終わりだ」
イシンから放たれたのはあくまで拒絶の言葉であった。
◆
「ダメだったー!!」
屋敷を出た直後、カエデは大げさに地面に転がった。
「…まぁ、協力だけでも上々」
「イシンの態度は合理的だった。ヤツの信頼を得るには何かしらの手土産が必要だろうな」
そんな会話を交わしながら、一行は街へと繰り出した。
祭りのような賑わいの中、彼らはある鍛冶屋で奇妙な話を耳にする。
それは、一本の妖刀の噂。
その妖刀の名は――「国宗」。
「魂を持ち、主の心と共鳴しあらゆるものを斬る。しかし、“斬るモノを制限された”ため、主を見限り、国を離れた刀だと聞きます」
店主は語る。
国宗は今、徳川に与し、虐殺の限りを尽くしているという。
イシンはその責任を感じ、打倒・国宗のための刀を国中の鍛冶屋総出で刀を作り続けているが、未だ成果は出ていない、と。
「……閃いた」
その話を聞いたテルトラが、ぽつりと呟いた。
◆
数日後、再びイシンの屋敷。
「何度来ようと、答えは変わらんぞ」
「…じゃあ、これはどう」
テルトラが差し出したのは一本の刀。
刀身は銀に輝き、刃には雷のような紋様が浮かぶ。
イシンは手に取ると、それをまじまじと眺めた。
「剣の名を『雷・国永』。私の絡繰技術と、この国の鍛冶の粋を集めた。これなら国宗も斬れる。……これと欠片を、交換してほしい」
イシンの眼窩に微かな光が宿る。
「これを数日で…確かに凄まじい業物だ。国宗と同等、いやそれ以上か」
「それは使い手次第。…返事はYESという事でいい?」
唸るイシン。答えようとした瞬間――屋敷が揺れた。
「敵襲、敵襲ーー!!」
カエデ達が屋敷を飛び出る。
外は呪術よって作られた兵隊に溢れ、パニック状態であった。
そして、その兵隊を従えるように立つ徳川死天王「クニムネ」の姿があった。
「ぬゥ、なんとも間の悪い。ヤツはワシが斬る。貴様らは民を守れぃ!」
イシンが剣を取りクニムネへ向かう。
カエデも状況を確認し、テルトラと目配せすると、市民の救助へ回った。
「私達があの兵士達から民を守る!シンゲン、クニムネを頼むよ!」
「…任せろ」
クニムネの刃は“災厄”だった。
振るわれるたび、空気が裂け、地面が焦げ、斬撃の残光が遅れて追いついてくる。
そして、今まさにその剣が体勢を崩したイシン目掛けて振り下ろされる。
シンゲンは、間一髪でクニムネの剣を受け止めた。
「助太刀する!」
「余計な事を…!」
《笑止。骨とガキが群れて何になる》
電光掲示板めいた文字列が剣に流れ、クニムネはカタカタ、と甲冑を揺らし笑う。そこから、目にも止まらぬ速さで斬撃を繰り出す。その一振りを、シンゲンは受け止める。
「ぐ……ッ!」
受けた剣が火花を散らし、辛うじて斬撃を逸らす。
重い。
ただの斬撃ではない。“斬る意志”そのものが、刃になって叩きつけられている。
「小僧、合わせろ!」
「――ああ!」
イシンがクニムネの背後を取り、呼びかけると、シンゲンも踏み込み、同時に斬りかかる。
前後二方向からの挟撃。本来ならば、ここで決まっていた。
だが――
《遅い》
次の瞬間、乾いた音が響いた。
――パキン。
「なっ!?」
視界の端で、刃が回転する。
自分の刀だった。
折れている。
根元から、無残に。
「……あ、あぁ……」
柄だけが、シンゲンの手の中に残る。
その瞬間、世界が遠のいた。剣を失った衝撃ではない。
まるで“自分が何者なのか”を、失った感覚だった。
武田の名。
剣士としての誇り。
信念という言葉で、無理やり支えてきた自分自身。
それらが、一息に崩れ落ちる。
膝が、勝手に折れた。
目の前では、なおも剣戟が続いているのに。
「俺には……斬れない」
クニムネは一瞬だけ、シンゲンに視線を向けた。
《心折れた者など斬るに値せず》
そう言い捨て、イシンへと向き直る。
《さて『親父殿』はまだ終わってくれるなよ?》
「――舐めるなよ、童!!」
イシンは巨大なガシャ髑髏の姿となると、剣を構え、クニムネへ猛攻を仕掛ける。その質量から繰り出される剣撃は、もはや個に行う攻撃の範疇を超えたもの。戦略兵器が炸裂したかのような衝撃波が辺りに響き渡る。
「ぬゥウ……ッ!?」
《斬り易い、斬り易い》
一瞬キラリと刀が光を反射する。次の瞬間には、イシンの高層ビルのような体は細かく刻まれバラバラと崩れ落ちた。
その光景を、シンゲンは呆然と見ていた。
助けなければならない。
分かっているのに、体が動かない。
「…いつまで座ってんの!!」
すると項垂れるその背に、声が叩きつけられた。
振り返ると、テルトラがいた。
怒りも、焦りも、全部混ざった顔で。
「…剣が折れたくらいで、全部終わり?
それで“信念”とか、笑わせないでよ!」
「でも、俺は……」
「でもじゃない!」
テルトラは雷・国永を引き抜き、シンゲンの前に突きつけた。
「心があるなら、剣は応える。
応えないなら――それはアンタが逃げてるだけ!」
シンゲンの視線が、雷・国永に落ちる。
雷の紋が、脈打つように光っていた。
まるで、問いかけるように。
――お前は、何故斬りたい?
「……そうだな」
シンゲンは、ゆっくりと立ち上がった。
「俺は……斬りたいんじゃない」
雷・国永を握る。
今度は、迷いなく。
「俺は――信じたものを、裏切りたくないんだ」
《ほう?》
クニムネが、シンゲンを見据える。
《斬り甲斐十二分》
シンゲンへ向けられるクニムネの猛攻をなんとか受けきる。
「……見えてきた」
クニムネの太刀筋。
斬りたいから斬る。
快楽のために振るう刃。
「――そこか」
雷・国永が唸り、
シンゲンの一太刀が、クニムネを捉えた。
《…天晴!!》
刀身が宙を舞い、地面に突き刺さる。
胴は断たれ、崩れ落ちた。
「礼を言う、テルトラ」
「…別に礼なんていらない」
「それでもだ、ありがとう」
憑き物が落ちたような顔でシンゲンは笑う。
初めて見る彼の心からの笑顔に、思わずテルトラも微笑んだ。
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イシンは深く頷き、陽の欠片を差し出す。
「約束通りだ。この国は、お前たちに力を貸そう」
「ありがとうございます。…でも、本当にいいんですか?刀も貰っちゃって」
カエデがイシンにおずおずと尋ねる。
すっかり元通りの姿になったイシンは、クニムネに斬られた箇所をもどかしそうにさすりながら答えた。
「構わん。…代わりに、そのバカ息子の面倒を任せるがな」
シンゲンは雷・国永を鞘に収め、
そして、もう一本の刀を拾い上げる。
折れた妖刀――国宗。
《小僧》
《お前となら、退屈しなさそうだ》
半身しかない刀身に、妖気がまとわりつき、
欠けた部分を刃として形作ると、もう一方の鞘に収まった。
思わぬ“同行者”を得て、
カエデたちはさらに西――
フォーチューン・ヒルへと歩き出す。




