第六話 隠れ世の森編
鬱蒼と茂る樹々が、空をも覆い尽くしていた。
木々の隙間から光は差し込まず、耳を澄ませば、水滴の落ちる音さえ幻のように遠い。
「……ここ、さっきも通ったよね」
不機嫌そうにテルトラが呟く。
肩越しに見える倒木の模様、苔むした根の分かれ目――すべてが、見覚えのある風景だった。
「やっぱり、迷ってるよね?アタラヨ、何か感じない?」
カエデは鉄の箱を軽く叩く。背負った箱の中から、ひとつため息のような声。
「術式障壁。あるいは幻術による領域操作。この森そのものが、人避けの“結界”になっています」
「道を狂わせて、追い返そうとしてるってコト?」
「というより、“選別してる”。誰を通すか、見てるような感じだ」
テルトラが唇を噛んだ。
「……だったら、力技でも突破するしかないでしょ。私たちは、行かなきゃいけないんだから」
同じ頃――三日月の森の奥深く。夜刀の隠れ里では、静かなる嵐が起きていた。
「討つぞ。徳川を」
囲炉裏の前に座した老忍――ハルマサが、静かに告げた。
「え…?え…? そ、それって……!」
思わず声を上げたミネを、隣の50銭と芳ニが押しとどめる。
だがその表情には、戸惑いと混乱が隠せない。
「ずっと我らは、カケラを集める者を排除するよう言われてきました。
それが夜刀の“本懐”だったはずでは……!」
ハルマサは頷いた。
「陽の欠片の解放を阻止する――それは“徳川に従う者”を演じる為の仮面よ。
我らが真に討つべき敵は、“時を縛るもの”」
老いた忍の声は、凍えるように静かだった。
「徳川は……術を使って、この世界を“閉じた”」
ミネは目を見開いた。
「閉じた……?一体どういう…」
「そうだ。徳川はこの世界をループしているのだ。時間を、因果を、掌の内に収めている」
「ま、待ってくれよ、おやっさん!ループだとか、時を縛るだとか、俺たちにゃ何の話だかさっぱりーー」
困惑するミネ達。しかし、デビ=ヘイリーだけは、いつもの騒がしさが嘘のように彼の話を目を細めて静かに聞いていた。ハルマサは彼らの疑問に答えることなく淡々と続ける。
「あの子を守れ。カエデこそ、世界の希望だ」
それから間もなく、夜刀の面々は森へと向かった。
その背を、ハルマサは見送る。最後にミネが振り返り、何かを言おうとしたが、彼は静かに首を振った。
「行け。……お前達の役目は、まだ終わってはおらん」
ーーーー
ミネ達を見送った彼の背後に、わずかに墨の香りを纏う風が吹いた。
「忍の長が部下の見送りとは、殊勝なものね」
“浮世絵師・怨美”。
白無垢のような装束。背に背負った巻物。瞳は虚ろであったが、口は歪んだ弧を描き不気味に笑っていた。
「よもや、そちらから乗り込んでくるとはな」
ハルマサは突然の襲来にも動揺を見せず、素早く印を結ぶ。
「不意をついたつもりだろうが…笑止千万!」
火花が散った。
刃が交わり、風が巻き起こり、地面がえぐれる。
怨美は背に構える巻物から絵を具現化させ、多種多様な武器を取り出す。
対してハルマサの忍術は、常人には捉えられぬ速さを誇った。
怨美を幾度も圧倒し、彼女の術の大元である巻物を次々と消費させていく。
そして、遂に巻物は底を尽きた。
「同じ絵は、二度使えない……貴様の術は、そういうものであろう?」
「……!」
怨美の表情が揺れた。
「つまりは巻物の数即ち貴様の命。……その命、貰った!!」
トドメを刺さん、とハルマサが目にも止まらぬ速さで怨美の首に短刀を当てがい、確かに斬り落とした。
ーーだが。
「よかった♪」
怨美は、斬り落とされ首の皮一枚で肩にぶら下がった顔を大きく歪ませて言った。
その人とは思えない表情に、ハルマサの背筋が凍りつく。
「貴方がその程度で。世界のループに自力で気づいた時は、曲がりなりにも忍びの頭領であると、感心したものですが…この程度で私に勝った気になるような小物では、ねぇ?」
すると、怨美の姿がみるみるうちに紙に変わっていく。
そして、次の瞬間――怨美は轟音と共に爆ぜた。
――しばらくして。
怨美は埃一つ付いていない格好で、木々が焼け落ち、灰が積もる中、血溜まりに倒れ伏したハルマサを見下ろしていた。彼の体は、血に染まり動かない。だが、最後の力を振り絞って呟いた。
「……一度使った絵は……この“ループ”が終わるまで、再利用はできんのだろう……?」
その言葉に、怨美が眉を顰める。
「貴様……それが目的で…!」
「いつまでも好き勝手に繰り返せると思うなよ。……この命はくれてやる。だが、“次”は……貴様の番だ」
その言葉に、怒りのまま怨美が筆を取る。
次の瞬間、先程までの血溜まりは、何事もなかったかのように消え失せていた。
ーーーー
「…私としたことが。感情的になりすぎましたね」
燃え盛る木々の中、何もない空間を見つめながら怨美はひとりごつ。
ふぅ、と息を吐き、その場を立ち去ろうとした、その時。
その場に現れたのは、派手な衣装の女。デビ=ヘイリーであった。
「久しぶりね、怨美。アタシのこと、忘れてないでしょ?」
怨美が鬼の形相で彼女を睨む。
「貴様――半蔵……!」
一方――
三日月の森に彷徨い続けていたカエデ達の前に、忍の姿が現れる。
「遅れてすみません」
「貴方は……!」
立っていたのは、見覚えのある顔だった。
ミネ、芳ニ、そして――50銭。
「無事でなにより。アナタ達を探していたので」
「……探してた?」
カエデの声に、困惑が滲む。
「というか、ちょっと待って。なんで夜刀がここに……?」
ミネは一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。
「…詳しい説明は後ほどします」
そう前置きしてから、少し硬い声で続ける。
「ワタクシ達は、三日月の森当主ハルマサ様から、アナタを守るよう命を受けたのです」
「守る?私を?」
カエデが疑問符を浮かべ、テルトラが眉をひそめた。
その時。
「……静かに」
低い声が、場を制した。
50銭だった。
彼は一歩前に出て、霧の中で鼻をひくりと鳴らす。
「火薬の匂いだ」
「え?」
「新しい。湿ってない……つい最近使われたものだろう」
全員の空気が、一瞬で変わる。
50銭は視線を上げ、森の奥を見据えた。
「……風に乗ってきてる。里の方角だ」
ミネの顔から、血の気が引いた。
「……里?」
霧の向こう。
見えないはずの距離から、確かに漂ってくる。
硝煙と、焦げた木の匂い。
そして――戦いの残り香。
カエデの胸に、言いようのない不安が広がった。
「……行こう」
自然と、声が低くなる。
「ハルマサのいる場所へ」
ミネは一瞬だけ唇を噛みしめ、それから強く頷いた。
「案内します。急ぎましょう」
こうして、立場も目的も異なるはずの者たちは、
同じ嫌な予感を胸に抱えたまま、霧の奥へと足を踏み出した。
三日月の森の中心へ。
まだ誰も、そこで待つ現実を知らないまま。
森の奥――夜刀の里近く。
地面に描かれた墨が、蠢いた。
紙の上にあるはずの線が宙に浮かび、刃となって振り下ろされる。
それを、赤い軌跡が弾き返した。
「……相変わらずだね、怨美」
刃を構える女――デビ=ヘイリー。
否、今この場に立つのは、徳川家康の懐刀、服部半蔵。
「描いて、殺して、描き直す。
随分と、都合のいい能力だこと」
怨美は答えない。
背の巻物を開き、新たな一枚を空中へ放る。
次の瞬間、空中に描かれた“壁”を足場に、怨美が跳んだ。
常識を無視した軌道から、銃口が半蔵へ向く。
「――ッ」
銃声。
半蔵は身を捻り、肩を掠める弾丸をやり過ごす。
「チッ……!」
踏み込み、刃を振るう。
確かな手応え。怨美の胴が裂け、墨が飛び散った。
だが――その身体は崩れ、溶ける。
「……やっぱりか」
背後。
“別の姿”に描き直された怨美が、静かに立っていた。
「半蔵」
名を呼ぶ声には、怒りも焦りもない。
ただ、感情を削ぎ落とした冷たさだけがあった。
「まだ戻れる。徳川は――」
「その名前を、私の前で使うな」
半蔵の声が、低く響く。
次の瞬間、彼女は距離を詰めていた。
刃が、怨美の首元に迫る。
――その時。
地面に刻まれた呪符が、一斉に光を放った。
「撤退を、浮世絵師殿」
森の影から、呪術師が姿を現す。
「これ以上の消耗は、計画に支障が出ますぞ」
怨美は歯を噛みしめ、半蔵を睨みつけた。
「……半蔵。必ず報いを受けさせる」
呪術陣が発動する。
墨と光が絡み合い、怨美と呪術師たちの姿が、霧の中へと引きずり込まれていった。
静寂が戻る。
半蔵は刃を下ろし、短く息を吐いた。
その背後で、足音が重なった。
「――デビちゃん!」
振り返ると、霧を切り裂くように人影が現れる。
ミネ、カエデ、テルトラ、アタラヨ。
そして、夜刀の面々――芳ニ、50銭。
「ミネ…ちゃん」
「デビちゃん!大丈夫ですか!こんなにボロボロになって…それにこの惨状は…おじ…ハルマサ様は!?」
ミネが捲し立てる。50銭と芳ニはここで何があったかを察し、苦虫を噛み潰したような顔をして押し黙っていた。
カエデ達も薄々事態の深刻さに気がついているのか、言葉を発しなかった。
「ーーミネちゃん。落ち着いて聞いてね」
デビは、覚悟を決めてミネへ優しく語り始めた。
ーーーー
「そういう事だからさ、この欠片はアンタらが持ってって」
そう言うと、デビは胸元にしまっていた陽の欠片をカエデに手渡す。
今、カエデ達は灰だらけになってしまった里の片付けを手伝っていた。
50銭や、芳ニも黙々と作業をしている。
「わかった。これは貰い受けるよ。…それと、その…ミネは、大丈夫なの?誰かそばにいてあげた方が…」
カエデが手に持つ箒を握りながらおずおずとデビに尋ねると、彼女は静かに微笑んだ。
「いいの。あの子が1人になりたいって言ったんだし」
「けど…」
カエデは、なお心配そうに呟く。
デビは明るく答えた。
「だいじょーぶ☆ウチらのリーダーは、アンタらが思ってるより100倍強いんだから!…ただ、今は少し整理する時間が欲しいってだけ。わかったらほら、片付け手伝ってよ!そこら中灰だらけでこのままじゃウチら寝るとこもないんだからさ!ほら、行った行った!」
デビが強引にカエデを押し返す。
カエデはまだ何か言いたげな顔をしながらも、掃除に戻って行った。
「…そう、誰よりも強いんだから、ミネちゃんは」
ーーーー
三日月の森、夜刀の里から1里ほど離れた場所にある小さな湖。
そのほとりで、ミネは膝を抱えて座っていた。
今までの使命を突然変更されて。
それまで敵だと思っていた人を守るように言われて。
挙げ句の果てには徳川の手によって世界がループしているなどと言われても、状況が全く飲み込めない。
あまりの情報の多さに、彼女はイマイチ現実味を感じられなかった。
生まれ育った里は燃え、肉親であり当主であるハルマサが討死した事ですらーー
どこか夢の中の出来事のような気持ちだった。
しかし、この湖の辺りに1人佇んでいる事が、彼女にとって現実が残酷である事の証左であった。
「…私は、どうすればいいの…?」
誰に聞こえるわけでもなく、呟く。
その答えを教えてくれる人は、もうこの世にいない。
「なんで、死んじゃったの、おじいちゃん…」
こんな事なら、もっと彼と話しておくんだった、といった後悔。
普段の自分の不甲斐なさがフラッシュバックして、涙が溢れた。
(あの子を、守れ。カエデは世界の希望だ)
「世界の、希望…」
ハルマサから託された、最後の使命。
それを復唱する。
「…おじいちゃんは、いつだって正しかったよね。私が、やるんだ!!」
ミネは立ち上がり、里は向けて踵を返す。
その様子を、遠くの木の上から一つの影が眺めていた。
ーーーー
「私達は、徳川領へ向かう。……ハルマサ様の仇を討つために」
ミネが静かに言った。
「今こそ、反徳川の勢力を結集させる時です。アナタ達は……島津、大友、豊臣領へ向かってください。今、徳川へ対抗しうる最高戦力は間違いなく彼らです。アナタ達ならば、助力を望めるでしょう」
カエデは黙って頷いた。
「行こう。終わらせるために」
次なる目的地――豊臣の都へ。
すべての因果の始まり、そして終わりの場所へ。




