語終
「畜生…畜生…やってくれたな小僧」
私は自身の腕を切り裂いた少年の顔を思い浮かべながら、ただただ汚い言葉を吐き捨てた。
妖狐八尾が連れてきた少年。所詮化け狐なのだからどこかで私を裏切ってくるのだろうとは思っていたが、まさか連れてきた少年に私を攻撃させるとは思いもしなかった。けれど、考えられなかったことではない。
私は自分の至らなさに腹が立ち、なおも毒のような言葉を吐き続けた。
屋敷の外皮はバラバラに崩れ落ち、轟々と燃えてはいるものの、内核部分は傷一つついていなかった。
仁宮家のこの屋敷は少々特殊だ。内核と呼ばれる建物を作り、妖術によって空間の歪みのような膜を張った上でその上からさらに外皮と呼ばれる建物を作る。
つまり、同じ空間の全く同じ位置に二つの建物を重ね合わせるように次元をずらして建てているのだ。
今回、急な落雷によって破壊されたのは外皮だけだった。だからこうして内核に入り込めば火の脅威など全くなく、あの小僧のような想定外の攻撃に怯える必要もない。
私は痛む左手を右手で押さえながら、朦朧とする意識の中で記憶の整理を行った。これが走馬灯と呼ばれる類のものなのかはわからない。ただ、自分にも最後の瞬間が迫りつつあるのは何となくわかっていた。
長い廊下を歩きながら、もう少し傷が浅ければ血が足りなくなって命を落とすなどという間抜けなことにもならなかったのになと苦笑いをする。
一番古い記憶はもう何世代も前の、初代仁宮家当主の記憶にまでさかのぼる。私が実際に経験したことではない、仁宮家の当主が代々引き継いできた原初の記憶だ。
その頃はまだ、仁宮家などは存在していなかった。雉尾。それが私の一族が名乗っていた仮の姓だ。本当は姓など我が一族は持っていなかった。ただ、尾張地区の片田舎で夢を見た小さな地主が勝手に名乗ったにすぎなかった。
今でも覚えている。私の一族の運命の日を。私が直接見たことのない、私の記憶に焼きついた光景を。
12の時の暖かな春の日だった。その日、私−私の先祖−は父親の領地拡大の商談について歩いた。朝、日が昇る頃に家を出て幾つかの村々を順に渡り歩いた。
ちょうど太陽が真上に昇る頃、4つ目の村で私と父は休憩をすることにした。ただ、私はそこで体を休めるよりも、見たことがない土地で景色を眺めることのほうが好きだったため、屋内で茶を飲んで休む父を置いて私は一人で村とその周辺を散策することにした。
しばらく見慣れぬ村を歩いていると、田畑が広がる場所に出た。そこでは村人達が必死になって畑を耕していて、私は自分がそういう仕事をせずに一生を終えるのだろうと意味のないことを悟った。
そうやって散策を楽しんだのち、田畑が並ぶ場所をも抜けて、私は完全な野道に出た。申し訳程度には道が作られているものの、道端の花々が道を圧迫していて少し繁雑な印象を受けた。
その時、私は運命と出会った。
長く伸びた綺麗な黒髪が印象的だった。心地よく吹く風にその髪をなびかせ、少女は花を摘んでいた。色が薄くも鮮やかな花々に囲まれ、少女は楽しそうに花を選んで摘んでいた。花々の淡い色合いが、まるで少女を引き立てているようだと思った。彼女を花に例えるのならば、百合の花しかないだろうと私は思った。
これが一目惚れだなんていうことは誰に言われるわけでもなく理解していた。
気づけば、私はその少女に声をかけていた。
「ねぇ、そこで何してるの?」
我ながら、問いの意味を為していない浅はかな問いだと思った。
「花を摘んでるの」
当たり前のように少女は返す。見ればわかるようなことを質問され、嫌な顔一つせずに答える。
「それは…どうして?」
「花たちが綺麗だから」
正直、彼女が言っていることは理解できなかった。けれど、彼女は「一緒にどう?」と私に勧めてきて、私はただそれに頷いた。
運がいいことに、この村を領地に入れる話が難航しているらしく、私と父は以降もこの村に足を運ぶことになった。父がこの村に向うというたびに私はついて行くと言った。そして、その度に私は彼女に会った。
「あなた、村の人間じゃないよね」
「そうだよ。二つばかり隣の村に住んでいるんだ」
「どうしてこんな場所まで来ているの?」
不思議そうに首をかしげる彼女がものすごく愛おしかった。
なんどもなんどもこの村に訪れ、何度もなんども彼女と時間を共にした。そうして1年が経とうとしていた頃、私の淡い恋心も肥大化して抑えきれなくなってきたころ、悲劇は起きた。
いつものように村のはずれで彼女と遊んでいると、村の方角が異常に騒がしいことがわかった。よく目を凝らして田畑が並ぶ向こう側にある村を見ると、轟々と炎が上がっていて、村人達は逃げようと必死になっていた。炎だけではなく、刀を持った集団から逃げていた。
不幸なことに、村を襲ったのはその頃度々問題になっていた山賊の集団だった。村から村にわたり歩き、村人を皆殺しにして衣料や食料を片端から奪い取っていく、達の悪い奴らだった。男は真っ先に殺され、女は子供であろうと犯されたのちに命を奪われる。もはや災害のようなものだった。
そして、これまた不幸なことに、すでにその災害は私と彼女の元へと迫っていた。
私と少女が並んで道を歩いていると、急に彼女はハッと何かに気がついたような顔になり、私を道脇の背の低い木々の茂みに向かって突き飛ばした。
「痛っ。何を…」
私の言葉を遮るように、彼女は囁くような声で静かにといった。ただ事ではないのは彼女の額に伝う冷や汗を見れば分かった。
「おっ、本当に居た」
「村の奴が言っていた通りにえらくべっぴんじゃねぇか」
「もうあと4つは歳がいっていてもよかったな」
「まぁそういうなよ、この歳でこれだけべっぴんってだけで十分じゃねぇか」
私たちが歩いて向かっていた方向、村の方向から、複数の男の声が近づいてくるのが分かった。わかる範囲で、声の種類は四人分のものだった。
彼女が私に隠れるようにいった。私はそれに素直に従い、木々の間に隠れてその隙間から道を覗き込んだ。
刀と銃を手に持った男達がぞろぞろと歩いてきて、あっという間に彼女を取り囲むと、その中の一人が彼女の髪の毛を掴んで引っ張った。
何をしているんだと声を荒げたかった。でも、それはできなかった。単純に私にはその勇気がなく、足がすくんでしまっていた。
そこから先はひどいものだった。道の真ん中で、男達が彼女を押さえ込んで痛めつけたあと、順に順に嬲っていった。私は彼女が次第に汚されていく様を何もできずに恐怖に震えながら見ていることしかできなかった。
途中で何度か、彼女が涙を流しながらこちらに手を伸ばしてきた。それが助けを求めるものだということは重々理解していた。けれど、私はその手を取ることができなかった。
やがて、男達は十分に楽しんだのか、満足したように身につけていた衣服を整えると、手に持っていた刀で彼女の首を切り落とした。
私は、恋心を抱いた愛しい少女が人ではない何かに変わる様を目の前で見せられた。
このあと私だけは無事に村へと逃げ帰ることができ、命を落とした父の代わりに家業を受け継ぐことになった。そして、領地を広げていく中で私は妖狐に出会った。この時、私はすでにあの少女を失った年齢の倍ほどの年齢になっていた。
妖狐は自らを八尾と名乗った。その言葉の通り、若い女の姿をした妖狐には八つの尻尾があった。
彼女は尻尾をゆらゆらと揺らしながら、怪しい笑みを浮かべた。
「お前さん。何か面白いことをしてみせろ」
何を思ったのか、私は馬鹿らしいことを口にしていた。
「叶えられなかった初恋を叶えたい」
「ほう?」
「あの時死んだあの子が未だに忘れられない。もう私もいい歳なのだから、相応の女性を愛さなければならないはずなのに、私はあの少女を忘れられない」
「なるほどのう。ならば、待てばええやろ」
妖狐は怪しく艶かしく笑った。
こうして、仁宮家は出来上がった。
妖狐が雉尾の領地に大規模な結界を張り、外界からの干渉を完全に断ち切った。そうすることで、仁宮家の権力をより強固なものに仕立て上げたのだ。これで邪魔者の介入はなくなった。私は晴れて、自分だけの世界を手に入れた。
統括領地の中であの少女にあった場所へ居城を作り、私はその村に一種の徴収を言い渡した。疫病の神の作り話を広め、その結末として、健康成就を兼ねて毎年村で一番美人の少女を私の元へ寄越せと言い渡した。
次に私は妖狐に頼み込んだ。どうか、私のこの記憶が後任の仁宮家当主に受け継がれるよう、呪いをかけてくれと頼み込んだ。
私の望みは、あの少女にもう一度会って初恋を叶えるという私の望みは、一代にして叶うものだとは思えない。それこそ、何度かの代替わりを経なければ難しいだろう。だからこそ、望みを叶えるために。願いの断絶を防ぐために、私は呪いをかけてくれと妖狐に頼み込んだ。
こうして、仁宮家は出来上がった。
何度思い出しても反吐がでるような迷惑なご先祖様の記憶だ。私は失血で遠のく意識の乱れた視界で目の前に突如現れた妖狐を捉えた。
かつて、私の先祖に力を貸して馬鹿馬鹿しい欲望を叶える機能を作り上げた問題の根源にある自分勝手な気分屋。そいつを朧げな視界で確かに捉えた。
「こ…これはこれ…は……ハァ…ハァ…へへっ。八尾様どう…ふぅ。どうしたんですか」
八尾は哀れなものを見るような表情をしていた。
「もう諦めたらどうじゃ」
「あ…諦める?何を」
「どれだけ記憶を引き継いだところでお前さんはあの時の小僧ではないし、どれだけ待ったところで記憶の一片を彩る初恋の少女は現れん」
それをお前が言っていいのかと思った。けれど、今はそんなことどうでもいい。それよりも私には今この状況を乗り切る方が重要だった。
「八尾…様、私と契約をしませんか。私の先祖のどうでもいい恋心とは関係のない契約です」
「ほう」
「私はもう血を失いすぎて長くありません。あなたの力でこぼれ落ちる私の命を救い止めて欲しい。私はまだ死にたくない」
「なぜ我がそんなことをせねばならんのじゃ」
「あなたのため…ですよ。あなたはもう退屈していたのでしょう?私の先祖が作ったこのくだらない連鎖に。だったら、あなたが私を生かしてくれるのなら。この傷を癒して命を繋いでくれるのなら、私は先祖のようなつまらない世界ではなく、もっと楽しい世界を造ってあなたに見せましょうぞ」
次第に薄くなっていく意識で何とか言葉を吐き出す。
八尾は一瞬だけ何を言っているのかわからないといった顔をした後、はははははと甲高い声で笑った。
「な…にが…おかしい」
「いやいや。随分と傲慢だと思うてね。その辺りもやっぱり一族は似るものなんだな」
そう言うと、八尾はこちらに右手を突き出してきた。
「‘無理なこと’を言うな人間。私は‘妖狐’、貴様ら人間がそう象ったものだろう?妖狐にできることなどたかだかしれているわ。人間を化かすことが精一杯に決まっておろう。私は神ではない。そこをはき違えるな」
もう黙れよ。それだけを吐き捨て、八尾は開いていた手のひらをグッと握り締め、踵を返した。
次の瞬間、私は自身の陰から伸びてきた無数の黒い手に引っ張られるようにして深淵へとこの身を落とした。
「ぐ…くそ!この化け狐目がぁぁぁぁぁぁ!」
その叫びがどれほどの間残ったのかはわからない。




