第十三話 リリカ・プリズムリバーの願い
寂れた洋館で過ごす、いつも通りの日常。
レイラは椅子に腰掛ける私の髪を後ろから櫛で梳かしながら、どこか懐かしむように言った。
「リリカ姉さんはね……」
彼女の言う〝リリカ〟とは、私のことではない。
それはレイラがまだ外の世界にいた頃の、彼女の本当の姉妹こことだ。
レイラは元々人間の家系であるプリズムリバー家の四女として生まれ、一家が没落四散した後、生き別れた上の三人の姉達を想い、私達騒霊のプリズムリバー三姉妹を生み出した。
そしてその三人の姉達に準えて、それぞれルナサ、メルラン、リリカと名付けられた私達は、私達のそのモデルになったその三人の話をレイラから聞くのが大好きだった。
理由は特に無い。
ただ、レイラがその三人のことを今でも心から好いているのを知っているから。
彼女が語る姉達との思い出の中に、まるで私達も重ねられているように思えたから。
ただ、それだけ。
そうして今日も、レイラは私達に強請られて、彼女の思い出話を語り始めた。
「リリカ姉さんは、私の前だとすごく偉そうにするの。そして色んなことを私に注意するのよ。『レイラ、身嗜みには気を遣いなさい』とか、『言葉遣いに気を付けなさい』とか」
私は座ると地面に届かなくなる足をブラブラさせながら、ルナサ姉さんとメルラン姉さんもそれぞれ思い思いの場所から彼女の話に耳を傾けていた。
「だけど、リリカ姉さんが私に言うことは実は全部、昔リリカ姉さんが上の姉さん達に言われていたことなの」
レイラは可笑しそうに微笑んだ。
こうして思い出話をする時のレイラの表情はいつも穏やかで、私は手に持っていた手鏡を通して彼女のその顔を盗み見ていた。
私の視線には気付かず、レイラは続けた。
「リリカ姉さんは上の姉さん達からしたら妹だけど、私にとってはお姉さんだったから。だからきっとリリカ姉さんは、自分も上のお姉さん達みたいに私に振る舞いたかったんでしょうね。大好きで、自分の憧れだった姉さん達みたいに」
そしてレイラは、鏡越しにその優しい瞳を私の方に向けて、
「リリカは、ルナサとメルランのことは好き?」
「うん」
私は躊躇なく答えた。
するとレイラはにっこりとほほ笑んで、
「そう。良かった。――さぁ、終わったわ。姉さん達と遊んでらっしゃい」
言いながら、レイラは私の背中をぽんと叩いた。
そして手鏡を私から受け取ると、それを櫛と一緒に片付ける。
私は椅子から飛び降りると、姉さん達と一緒になって〝音〟を出して遊び始めた。
それは私達が自らの能力によって、手足を使わずに出せるラップ音のようなもので、私達は只々夢中になって、この破裂音のような単発の〝音〟を出して遊んでいた。
時には音を高くしたり低くしたり、長く伸ばしたり短く切ったりと、様々な変化を付けてその抑揚を楽しむ。
しかし今思えば、それは何の脈絡も無い、ただの乱雑な〝音〟でしかない。
この時の私達は、まだそれぞれの楽器などを持ってはいなかった。
そしてそこに一石を投じたのは、他の誰でもない、レイラだった。
彼女はそれまで私が座っていた椅子に掛けて、私達の出す音に静かに聞き入っていたが、やがて何かを思い付いたかのように言った。
「貴女達の出す音はどれもとっても素敵だけど、もっと音を楽しむ方法を知っているかしら?」
「なになにー?」
レイラの一番近い所にいたメルラン姉さんが、レイラに駆け寄った。
私とルナサ姉さんも、すぐにレイラの傍に集まる。
レイラは私達の頭をそれぞれ撫でて、
「ふふ。付いていらっしゃい」
そしてレイラが私達を伴って向かったのは、館の中の大広間の一つだった。
長年締め切られていたのであろうその部屋はすっかり蛻の殻といった状態で、レイラが中へ進むと、埃が白雪のように薄く積った床に彼女の足跡がくっきりと付いた。
「埃が舞うから、窓は開けない方がいいわね」
「レイラ、ここは何の部屋なの?」
ルナサ姉さんが尋ねる。
レイラは尚も、広間の最奥部の一角に向かって歩きながら、
「ここは舞踏室よ。昔はよくここで、ダンスパーティーをしたの」
そしてレイラは広間の隅まで来ると、そこに鎮座する黒い三本足のテーブルの周りに私達を集めた。
「これは何?」
私が訊くと、レイラはその歪な造形のテーブルの、平らな側面から不自然に突き出した部分に手を掛けた。
「グランドピアノよ」
そのままレイラがそのグランドピアノの突き出し部を持ち上げると、そこの黒塗りの上半分が開いて、中からマフラーのように長い臙脂色の布の掛けられた部分が現れた。
私はどこか胸の躍るような気持ちで、レイラの所作を見つめていた。
私の隣りにいた姉さん達も、興味深々な顔付きでそのグランドピアノを凝視している。
レイラがその上蓋の中に敷かれていた布を取ると、そこは白と黒の鍵盤の不規則に並んだような形になっていて、私はそれに人間の歯並びを連想して少し怖くなった。
しかしレイラは時に怯えた様子もなく、その白い鍵盤の歯の一本に指を添える。
そしてそれを下に押し込むと、グランドピアノの分厚い本体の中から、低く短い音が広間に響いた。
驚いた私達が思わず身体を震わせると、レイラはクスクスと笑って、
「ビックリした? ここを押すと、音が出る仕掛けになっているのよ」
言いながら、レイラはまた幾つかの鍵盤を順番に押し込んだ。
するとその動きに合わせて、高さの違う様々な音が発せられる。
そうしてレイラは自分の後ろに転がっていた椅子をグランドピアノの傍まで持ってくると、そこに座って両手を擦り合わせるような仕草を見せた。
「少しガタがきてるけど、これくらいなら大丈夫そうね」
そして姿勢を正し、両手をグランドピアノの鍵盤の並びに合わせて添える。
「ちょっと錆びついてるだろうけど、我慢してね」
そう前置きした彼女の指が、次の瞬間軽やかに踊った。
途端に、私は全身が総毛立つような思いがした。
それは私が初めて耳にした――演奏だった。
それまでは何も無かった空間に、その一瞬で〝かたち〟が生み出されたかのようだった。
一つ一つではただの〝音〟でしかなかったそれが、流れ、連なり、一筋の旋律を刻むことで壮大な情景をそこに描いていく。
それはまるで、一人の画家が一本の鉛筆から世界の様々な風景を書き出せるように。
一人の詩人が、一遍の言の葉を用いて緻密な人の心情を書き表せるように。
響き合う音を束ね、織り成し、奏でられるメロディ。
思い浮かぶ水の流れ、風の音、世界の吐息、人の心。
それはただの〝音〟の集合体ではあるが、それがその旋律の中に籠められたあらゆるものの動きを表現していた。
レイラの演奏が終わっても、私たちはぽかんとしたままだった。
正直、演奏が終わったことにすら私は気付いていなかった。
胸に残る余韻に、ひたすら圧倒されていた。
これが私達プリズムリバー三姉妹と、音楽との出会いだった。
その後、私達はレイラから楽器の演奏を教わった。
元々優良な家系に生まれていたレイラはなかなかの才女で、ピアノの他にも多くの楽器を嗜んでいたが、私は是非ピアノを教えて欲しいとレイラに頼んだ。
それはこの時の、真っ直ぐに鍵盤に向かう彼女の姿が、あまりにも綺麗に見えたから。
かつて人間のリリカ・プリズムリバーがそうだったように、私もまた、大好きで、憧れのレイラのようになりたいと思った。
それは私にとっても、姉さん達にとっても、とても大切な思い出。
それから数十年が過ぎた。
レイラの死後も、私達は音楽活動を続けていた。
『プリズムリバー楽団』の創設を最初に言い出したのはルナサ姉さんだった。
レイラのいる所にも、私達の音楽が聞こえるように、と。
しかしその時既に、私達の調律は狂い始めていた。
『そう、貴方達は少し自己が曖昧過ぎる』。
『花の異変』が起きたあの日、閻魔様にそう指摘を受ける前から、私はその変化に薄々気が付いていた。
私達の奏でる音が、段々とズレてきている。
そこにあるべき方向性や指針を失って、また昔のようなただの〝音〟になりつつある。
闇雲な演奏は不協和音と化し、雑音とも騒音とも呼ばれる始末。
その原因は、分かっている。
『貴方達の拠り所は貴方達を生んだ人間。そして、その人間はもう居ない』。
閻魔様の言葉が、全てを物語っていた。
『このままでは、貴方達は暴走するか、消えてしまうかのどちらかでしょう』。
私はそれで構わないと思った。
だけどレイラ、聞こえてる……?
私はそっと、レイラに思いを馳せた。
私達の演奏も、もうこんなになっちゃった。
貴女を失って、大切なものを見失って。
このまま消えてしまうのは惜しいけど、それが運命だと言うのならならそれでも良い。
だけど、だけどね。
貴女には、せめてもう一度、私達の演奏を生で聴いて欲しかった。
今の私達の音。
今の私達の旋律。
今日まで積み重ねた想い。
あの時貴女が教えてくれた、〝音楽〟に乗せて。
魔理沙に協力するのはその為だった。
もう一度レイラに再会して、私達の演奏を聴いてもらう。
私達が、もう何も奏でられなくなるその前に。
随分と久しい更新になってしまいました。
申し訳ありません。
遅ればせながら、第十三話になります。
今回はリリカの視点から見たプリズムリバー三姉妹の〝過去回〟なのですが、ちょっと苦労させられました。
そもそも仕事の方も忙しくなってきた最中、レイラと言う、設定上でしか存在しない人物とリリカ達との交流を描くのは少し大変でした。
多くの部分を思弁に頼る他なく、尚且つこの『東方逢月譚』のテーマに沿ってそれを描かなければならなかったのですから。
上手く纏まってくれていれば良いのですが……。
さて、次回の更新は今度こそ本編の方を前に進めたいと思います。
どうぞお楽しみに。




