第十話 裏切りの接敵 下
「……へっ」
落とすように言ったアリスの言葉を、魔理沙が鼻で笑った。
「結構なことだけどな、アリス。それで、お前らはここにいる私達に勝てると思ってるのか?」
それに関しては、霊夢も魔理沙と同意見だった。
単純な人数の争いでは、四対三と向こうに分がある。
しかし、実力ではこちらの方が断然上だ。
アリスも中々の試合巧者ではあるが、脇を固めるのは三人の騒霊。
対してこちらは、博麗の巫女を始め、自機経験者三名。
力の差は歴然だ。
もし真っ向から衝突すれば、僅か数分で勝負は決するだろう。
アリスもそれは理解しているはずだが……。
「確かに、ね。だけど――」
しかしアリスは戦闘開始とばかりに、右手を振り上げた。
その白く細い指が、まるで不可視の鍵盤を叩くように複雑に中空を動き回る。
「――ここは私の庭よ!」
と、アリスの言葉と同時に、霊夢達が背にしていた木々の間から、次々と人形が飛び出してきた。
その数は目視できるだけでも数十を超え、その一体一体が手に剣や槍を構えている。
「ちっ!」
咄嗟に霊夢は背後に反転した。
迂闊だった。
ここはアリスのテリトリーなのだと、気付くのが遅過ぎた。
しかし息つく間もなく、三人を囲うように、次から次へと人形達が溢れ出ててくる。
そしてそれは集団でありながら、それがまるで一体の生物であるかのように連帯を取り、一気に霊夢達を取り囲んだ。
がら空きになっている霊夢の背後に、透かさず魔理沙と咲夜がそれぞれ背中合わせに位置を取る。
人形達に完全に包囲され、進退もままならない状況に追い込まれた霊夢達。
しかし、その中でも霊夢はどうにか冷静さを保ちながら、この状況をつぶさに観察した。
右手一本だけの操作で、これだけの人形を一度に操れるとは思えない。
かと言って、騒霊の姉妹に人形操作が出来るとも考え難い。
つまり、この人形達の中には、他の人形を操作するタイプの人形が混じっているはず。
それが言わば、人形同士での司令塔の役割を果たし、アリスはその司令塔格の人形のみを操っているのだ。
もしそうならば、その司令塔を潰すことさえ出来れば、この集団の戦力は急激に落ちる。
霊夢は悟られないように、最小限の動きで背後を振り返り、目だけをアリスに向けた。
この人形軍団の中から、目当ての人形を見抜く方法はただ一つ。
再びアリスが指を動かしたその時に、最も早く行動する人形。
それこそが彼女の直接制御している人形であり、それと他の人形とのタイムラグを見極めることによって、司令塔となっている人形を判別することだ。
「悪いわね、魔理沙」
一瞬の膠着状態を破って、アリスが不敵に笑った。
その指が宙を踊る。
(今っ!)
瞬間、霊夢は自分達を囲う人形の群れに全神経を集中させた。
しかし、どの人形も一向に動く気配がない。
(!?)
混乱する霊夢の脳裏に、先のアリスの台詞が甦った。
「悪いわね、魔理沙」
(しまった……!)
霊夢は顔面蒼白になった。
アリスが操作したのは、この集団の中の人形ではない。
それは自分達が『太陽の畑』から持ってきた、あの上海人形だ。
その人形は今、魔理沙の足元に転がっている。
(爆破する気!?)
しかし、霊夢が動くのよりも先に咲夜が動いた。
恐らく時間停止を使ったのだろう、咲夜は一瞬の内に魔理沙の隣りに移動すると、彼女の足元にあった人形を空高く蹴飛ばした。
――しかし、
「ぐふっ!」
地面に落ちても人形は爆発せず、爆音の代わりに霊夢の耳に届いたのは、魔理沙の呻くような悲鳴だった。
霊夢は我が目を疑った。
誰もが空中の上海人形に視線を注いでいた隙を突いて、何者かが人形の軍団の中から飛び出し、魔理沙に不意打ちの一撃を見舞ったのだ。
魔理沙が意識を失って、その場に崩れ落ちる。
その向こうに立っていたのは、なんとそれまで姿を消していた妖夢だった。
「これで、朝の分は許してあげます」
妖夢は言うと、『楼観剣』を構えたまま後方に跳んで霊夢達と距離を取った。
(そんな……!)
絶句する霊夢。
倒れ込んだ魔理沙を助け起こしながら、咲夜が叫んだ。
「妖夢っ! どうしてっ!」
しかし、妖夢は険しい表情で無言を貫く。
その彼女に代わって、アリスが口を開いた。
「妖夢はもう、こちら側の人間よ」
「嘘でしょっ!? 妖夢っ!」
霊夢は驚愕して叫んだ。
あの正義感の強い妖夢が、自分達を裏切って敵に回るなど考えもしなかった。
しかし、アリスは残念そうに首を振り、
「さっきも言ったように、私達は目的を同じくしている。私と騒霊の姉妹は、生みの親との再会の為に」
すると彼女の前の三人が、それぞれ言った。
「私達は!」
「絶対に!」
「レイラに会うんだから!」
次にアリスは妖夢を見て、
「そして妖夢にも、再会を望む人がいるのよ。いや、再会をさせたい人、と言う方が正しいわね」
(そんなの嘘でしょう……?)
霊夢は祈るような思いで妖夢を見た。
妖夢は隙の無い姿勢を崩すことなく言った。
「霊夢さん達は『春雪異変』の際、幽々子様が『西行妖』の下に封印された人物を復活させようとしていたのを覚えていますか?」
言わずもがな、霊夢はその『春雪異変』の概要を思い返した。
それは『冥界』に存在する妖怪桜、『西行妖』の下に眠るとされる人物の封印を解く為に、西行寺幽々子が〝春〟を集めて、この『西行妖』に満開の桜を咲かせようとしたのがそもそもの始まりだった。
その為に、『幻想郷』には一向に春が訪れず、時期的には春なのに雪が降り続く〝異変〟、後に語られる『春雪異変』となったのだった。
妖夢は続けた。
「あの時は、私も幽々子様も貴女方に敗れてしまいました。ですが私は今一度、幽々子様の悲願であったこの再会を、この手で成し遂げて差し上げたいのです」
「その為に、何の関係の無い人々の魂を利用すると言うの!?」
と、堪え切れなくなった様子で咲夜が妖夢に言い放った。
だが妖夢は微動だにしない。
「……理解してくれとは言いません」
そのまま睨みあう両者。
流石の霊夢も、この状況には当惑の色を隠せなかった。
戦況は一瞬にして、こちらの不利に転じてしまっていた。
元々の能力の性質上、後方支援向きのアリスとプリズムリバー三姉妹。
そして接近戦のエキスパートとも言える妖夢。
この布陣は、そう簡単に打ち崩せるものではない。
だと言うのに、こちらは魔理沙が戦闘不能に追い込まれてしまっている。
我が身だけなら守ることが出来ても、彼女の分までは到底手が回らない。
たちまち、魔理沙は敵の格好の的となってしまうだろう。
更に言えば、自らの有利を良いことに、手の内を一度に全てを明かすほどアリスも馬鹿ではない。
仮にこの難局を乗り越えることが出来たとしても、その後確実に、今より悪い状況に追い込まれることは必至だ。
つまり、このままでは勝てない。
霊夢は悔しさに肩を震わせながら、相手の動きを窺いつつ、咲夜の腕を掴んだ。
そして、小声で彼女に話し掛けた。
「咲夜、ここは一度退くわよ」
「……悔しいけど、どうやらそれしか無いようね」
咲夜にもまだ冷静な部分が残っていたことは、不幸中の幸いだった。
霊夢は手にしていた符を地面に叩き付けた。
すると、たちまちそこから濃霧のような白煙が立ち込めて、その場にいた全員の視界を奪った。
その間に咲夜が魔理沙を担ぎ、時間停止を以って彼女を最優先に退避させる。
だが、敵も瞬時に動いた。
煙の向こうから、無数の剣と槍、そして豪雨のような弾幕が残された霊夢に殺到した。
しかし彼女は【亜空穴】でこれを回避し、そのまま咲夜を追ってその場を後にした。
背後を振り返る。
アリス達からの追撃は無かった。
霊夢は理解していた。
自分達は、あくまで逃がされたのだと。
もし相手にその気があったなら、虚を突いて魔理沙を失神させた時点で妖夢を後方には下げず、あの場に留まらせて一斉攻撃に転じたはずだ。
しかし、彼女達はそうはしなかった。
恐らくは、自分達は〝再会〟が目的であって、【月下美人】を他に悪用する意思は無く、即ち貴女方の敵ではないということ。
そして、それでも邪魔をするのなら容赦はしないという警告の、二つの意思表示がそこにはあったに違いない。
しかし、霊夢は腹わたの煮えくり返る思いでいっぱいだった。
向こうの思惑はどうあれ、犯人をあそこまで追い詰めたのにも関わらず、結果的には成す術も無く逃走を余儀なくされてしまったのだから。
これは彼女にとっては、敗走に等しかった。
「…………次は意地でも止めるわよ」
霊夢は屈辱的な気分で、『魔法の森』を飛び越えた。
それから数時間後。
『永遠亭』の医者、八意永琳が診察室を出ると、待合室で彼女を待っていた霊夢と咲夜がすぐに駆け寄って来た。
「魔理沙は大丈夫なの?」
霊夢が落ち着かない様子で言った。
咲夜もまた心配そうに、こちらを見つめている。
こういう時、普通の医者ならまず「ご安心ください」とでも言うのだろうな、と永琳は思った。
そしてそれが自然には出て来なかった自分を、心の中で自嘲気味に冷笑しながら、永琳は手元のカルテを開いて、その内容に目を走らせた。
「単に気を失っているだけよ。鳩尾に一発もらってるみたいだけど、骨にも異常は無いし、少しすれば目を覚ますと思うわ。けど、暫くは頭痛や吐き気が残るでしょうから、今夜中に『弾幕ごっこ』は無理でしょうね」
永琳が言うと、霊夢と咲夜は揃って肩を落とした。
永琳はカルテを閉じて、
「一応、『永遠亭』でベッドを用意したわ。今はそこに寝かせてあるけど、目が覚めるまでは安静にしてあげてね」
それだけを告げると、永琳は落ち込む二人に背を向けてそそくさと歩き出した。
あのまま彼女達に面と向かって、如何にもな講釈を垂れる気持ちにはなれなかった。
正直な話、こんな程度の事にカルテなど必要ない。
走り書きしたメモで十分だ。
『永遠亭』のベッド数にも限りがあるし、それらは本来、もっと憂慮されるべき人々の為にあるのだと言うのに。
永琳は二人が見えなくなると、溜め息を吐いて天井を見上げた。
「まったく。誰かさんに頼まれでもしなかったら、追い帰してたところよ」
永琳が二人の前を去った後、霊夢と咲夜はそのまま『永遠亭』を後にした。
魔理沙の診察を待つ間に日は随分と傾き、もうじき夕暮れに差し掛かろうとしている。
咲夜は霊夢と並んで『迷いの竹林』の上空を飛びながら、眼下に映る自分達の影をぼうっと眺めていた。
(……八方塞がりね)
そう思った途端、自然と口から溜め息が漏れた。
この間にも、アリス達は更に体制を整えて、再びどこかに行方を暗ましたことだろう。
そして昼間の時よりも緻密に計画を練り直し、罠を張り巡らせたに違いない。
今朝のような手掛かりも無しに、再びこれを追い詰めることなど出来るだろうか?
それも、月が昇るその時までに。
(不可能だわ……)
それにもし、また彼女達との接触を果たしたしても、こちらは大きな戦力を失っている。
それでは意味がない。
つまり今の自分達に求められていることは、魔理沙の穴を埋める戦力の充填。
そしてアリス達が【月下美人】を発動させる場所の特定。
それら全てを、制限時間付きで行わなければならないのだ。
咲夜は途方に暮れて、隣りの霊夢の様子を盗み見た。
彼女は何かを考え込んでいる様子で、先程からずっとブツブツと何かを呟いている。
しかし、何か素晴らしい名案が思い付きそうな気配は無い。
諦めて咲夜が視線を前に戻すと、突然霊夢が声を上げた。
「そうよ!」
彼女の声に驚きながらも、咲夜は尋ねた。
「何か思いついたの?」
訊きながら、霊夢の顔を見た咲夜はそこでハッとした。
こちらを見る霊夢の表情は、それまでとは比べ物にならないほどの自信に満ちていたのだ。
「わざわざアリス達をブッ飛ばす必要は無いんだわ! 私達はただ、魔法の発動さえ阻止すればいいのよ! 向こうに【月下美人】の発動条件さえ満たせさせなければ、こっちの勝ちだわ!」
自分の考えに満足そうに頷く霊夢。
(そんなこと……)
言われなくても分かっている。
霊夢の機転に期待した自分が馬鹿だったと、咲夜はガックリと項垂れた。
霊夢の言うことは、確かに尤もだ。
だがその為には、【月下美人】の発動方法について知る必要がある。
しかし魔道書自体は今もアリスが持っているし、パチュリーもしそのことを知っていたのなら、まず間違いなく行動に出ていたはずだ。
咲夜がそれを霊夢に説明すると、彼女は豪胆な笑みを浮かべて、
「そのことなんだけど、咲夜。確かパチュリーは【月下美人】が生み出された経緯を知っていたのよね?」
霊夢の質問に、今朝の記憶を呼び起こしながら咲夜は頷いた。
確か【月下美人】は、とある魔法使いが幼くして病死した娘との再会を誓って編み出したもの。
しかし、それをパチュリーが知っていたら何だと言うのか。
咲夜は霊夢の次の言葉を待った。
霊夢は続けた。
「私は魔法に関しては門外漢だけど、普通、魔道書にそんなこと書くのかしら? 日記帳じゃないんだから、その魔法の使用方法と効果、用途くらいを書いとけばそれで良いんじゃないの?」
これに関しては、咲夜もまた魔法については畑違いなので何とも言えなかった。
しかし確かに言われてみれば、そこには一抹の疑問もあるようにも思える。
咲夜は口元を押さえて霊夢に聞き返した。
「つまり、パチュリー様は【月下美人】について、本来魔道書に書かれていないはずの部分まで知り過ぎてると言うこと?」
「私の考えでは――」
霊夢が答えて言った。
「恐らく過去に、【月下美人】の概要がパチュリーの耳にも入る何かが起きているのよ。きっと昔に使われたことがあるんだわ。そうと決まれば――!」
そして霊夢は空中で急停止すると、それまで向かっていたのとは明後日の方向に進み始めた。
その速度は風のように速い。
「ちょっと!」
咲夜は慌てて霊夢の後を追った。
「どこに行く気なのよ!」
「決まってるじゃない!」
咲夜が訊くと、霊夢は意気揚々と返した。
「阿求の所よ! 【月下美人】が過去に使われたのなら、『幻想郷縁起』にそれが書いてあるはずだわ!」
第十話になります。
前回の後書きで書いたように、結局二つに分かれてしまいましたね。
……長いです。
更に項は二つに分かれていますが、一気に書いたものなので、誤字脱字が心配です。
もし見付けられた方は、教えてくださると嬉しいです。
勿論、自分でも読み返すつもりですが。
さて、今回の第十話で第二章は終わりです。
次からは第三章に入ります。
物語が佳境が近付くに連れ、皆様にもより楽しんで頂けるよう、私も精進したいと思います。
それでは、今後とも『東方逢月譚』を宜しくお願いします。




