第十話 橘先生の個人的なレッスン
杏奈とのデートで大失敗。
自己嫌悪で一人落ち込んでいると、夜に優希が電話を掛けてきた。
彼は自分が手伝ったファッションコーディネートで気を病んでいるようだったので、事情は洗いざらい話しておく。
「えっ! ディープキスって、恭一、舌を入れちゃったの? 柏木さんとは初デートだったよね?」
千条と奈緒がおまけについていた変則デートを除けば、確かに初デートだったな。
「そうだな。あと、ちょっとお尻触ろうとしたら、本気で嫌がられた」
「ええ? それは当たり前じゃない。場所は公園、外だったんだよね?」
「そうだな。今にして思えば、舞い上がっていたとしか思えん」
「舞い上がりすぎだよ……」
「すまん」
「ボクに謝らないで。それは直接、柏木さんに電話して謝らないと」
「そうだなぁ」
「まだ電話してないんだね? 今すぐ。でないと、声、掛けにくくなって、自然消滅しちゃうかも」
「分かった。じゃあ、後でな。お前のファッションセンスは杏奈もハイレベルだって褒めてたぞ」
「うん。じゃあ、ちゃんと謝ってね。結果はボクにも聞かせて」
「分かった」
電話すると、逆に杏奈から謝られてしまった。
「ごめんね、あんな風に放り出して帰ちゃって。このまま野外で脱がされたり、ベッドインまで持ち込まれたらどうしようって私、焦っちゃって」
「いやいや、さすがにそこまでは行かないぞ。でも、そう思っても仕方ないし、やっぱり俺が悪かったよ」
「うん、じゃあ、そう言うことで許してあげる。次は、私も、もっと頑張ってみる」
「いや、無理はしなくて良いぞ。杏奈のペースで良いんだ」
「違うよ。二人のペースでしょ?」
「そうだが…」
「大丈夫、お互いのペースを知ってれば合わせられるよ、きっと。それとも恭一は、次のデートで私をベッドに押し倒さないと気が済まない?」
「そんなことは無い」
「ね。だから大丈夫。それに、私も、いつかは全部、恭一の好きにさせてあげられると思うから」
「お、おう」
「あんまりそこばかり期待されても困るよ?」
「分かってる」
「じゃ、お休み」
「ああ、お休み」
怒っていなかったのでほっとした。
翌日の昼休憩、橘先生に部室に来てもらい、事情を話して俺は抗議した。
だが、先生は言う。
「男慣れなんて私は言ってないぞ。フるのは慣れていると言っただけだ」
「ええ? まあ、そうだったかも知れませんが……」
あのニュアンスではそう思うだろうと。
「まあ、お前に話した情報は間違っていたしな。そこは責任が全くないとは言わないさ」
「どう責任を取ってくれるんですか」
我ながら子供だなと思いつつ、追及する。
「私が女の扱い方を教えてやろう」
「先生の扱い方は今ひとつ信用できません」
「じゃあ、別の奴に聞くんだな」
「ちなみに、どういうやり方なんですか?」
「前にも言ったと思うが、お互いの信頼関係を深める会話、もちろん相手の長所を褒めることも基本だな」
褒めるというのはなるほどと思うが、信頼関係の方は俺には見当も付かなかった。ただ、杏奈とキスをしていたとき、その教えが役立っていたかと言えば確実にノーだろう。
「そうですか」
「では、私はもう行くぞ。ああそうだ、次の課題を与えておこう」
「ええ?」
お断りしたい。
「そんな嫌そうな顔をするな。これはきっと楽しいと思うぞ」
そう言って橘は部室の棚にあったメモ帳を一枚破り、何かを書き込んで俺に渡してきた。
『屋上で待つ』
これくらい、その場で言えば良いのに、と思ったところで、はっとする。
監視カメラに写らないための配慮だ。
「分かりましたよ」
俺は面白く無さそうな声で応えると、先生が部室から先に出ていくのを待った。
少し間を開け、屋上に向かう。
「来たか」
「ええ。それで……」
「お前の暴走はちょっと心配でな。柏木にも悪いことをした。だから、私がお前を少し、特訓してやろう」
「おお、つまり……」
「そうだ、美人教師との実践レッスンというわけだ。分かっていると思うが、これは学校側にも内緒にしてもらう」
「え、ええ。わ、分かりました」
「あまり期待しすぎるな。セックスまではしないぞ」
「はい。ちなみにどこまで……?」
「ディープキスだ」
「おお」
「ただし、尻は触るな。胸もな」
「ううん……」
「仕方ないな。じゃあ、それも最後には触らせてやる」
「ど、どうも」
自分が弱い人間だなと思い知らされてしまう。
「じゃ、まずはハグからだ。来い」
頷いて橘と抱きしめ合う。
「あれ……?」
「どうした」
「いや、ドキドキと言うより、妙に落ち着きます」
「失礼だな。私を母親代わりとでも認識したか? じゃあ、キスだ」
さすがにこちらは緊張してドキドキする。目を閉じて一回、目を開けて一回してみたが、先生の唇は普通に柔らかかった。
あと、バラのような香りがした。
「次はディープキスだな。手は私の背中だぞ」
「はい」
どんな凄いキスをされるのだろうと思っていたら、先生は舌を入れてこなかった。ちょっとがっかりしつつこちらから舌を入れて形を確かめる。
「んっ」
初めて先生が色っぽい声を漏らした。右手がうずうずしたが、そう、これはあくまで特訓。俺が暴走しないためのものだ。我慢する。
「できたじゃないか」
「そうですけど……」
「そうだな、報酬があった方が良いだろう。ご褒美だ。次は好きに触って良いぞ」
「おお。割と先生の事が好きになりました」
「私に本気にはなるなよ。それでは転職を考えなくてはいけなくなる」
「そうですね。まあ、今回だけ、ご褒美と言うことで」
「いいだろう」
キスをしながら、お尻に手を伸ばし、左手は胸に。
「お前は本当に遠慮という物を知らないな」
「ええ? まずかったですか?」
「いや。だが、女の言葉を素直に受け取らない方が良いときもあると言うことは覚えておけ。今は良いぞ」
「ああ」
遠慮無く触る。
「んんっ」
先生が身をよじったが、感じている?
さらに触ってやろうとお尻の下側に手を伸ばそうとしたとき、バンッ! と屋上のドアが開いた。
誰か来た!
俺は慌ててさっと先生から体を離したが。
「な、何してるんですか! 何してるんですか!」
「お前か、雨宮。確かに観察を許可したのは私だが、度が過ぎるとストーカーだぞ」
「それは自覚してますけど、そんなことより、先生はどういうつもりですか。まさか如月を?」
「違う。話は聞いていただろう。柏木に対する暴走を制御するための特訓だ。学校側には内緒だがな」
「ああ……」
それで納得したのか、雨宮が大人しくなる。
「そうだな、ついでだ。お前が如月の相手を務めてやれ」
「ええっ!? む、無理」
「何もディープキスをしろと言っているわけではないぞ。手を握って見つめ合って、そこは如月、雨宮をお前が訓練してやれ。いつまでも男を観察ではどうしようもないからな」
「はあ」
「わ、私は、別に今のままだって……」
「アップですべての角度から観察できる上に、触覚の情報量も増える。それがどういうことか、一度試しておけ」
先生が俺に目で指示するので、頷いて雨宮に近づき、彼女の手を取る。
雨宮は小さな体をビクッと震わせたが、小動物みたいだな。
優しくしてやらないと。
おっと、声も掛けるべきだ。
「大丈夫だ、雨宮。変なことはしないぞ」
「ううん……」
「ダメだ、雨宮、如月の顔を見ろ。お前が見たことも無いアップだぞ」
先生が言う。
「む……」
興味はあるのか俺の顔を見上げてくる雨宮。
ちょっと俺もニコッと笑ってやる。
「! キモイ」
「ええー?!」
ショックだ。
「減点だ、雨宮。心にも無いことを言うな。如月が傷ついたじゃないか」
「だって、本当にキモかったから…」
目をそらし小声になる雨宮だが、俺の手を振り払おうとはしていない。これって、照れているだけなのか?
「じゃ、雨宮、恋人握りをしてみないか」
コイツは部室で俺と千条がやっているところを見ているはずだ。
「は、はあ? 何で私と」
「やってみろ。如月の手を近くで見られるぞ」
「べ、別に私は手フェチじゃないし」
それほど嫌がっていない様子なので、彼女の手を取り、指を割り込ませる。雨宮は身を縮めたが、抵抗はしなかった。
「如月、何か言ってやれ」
「じゃあ、好きだ、雨宮」
「なっ!」
それだけで真っ赤になった雨宮はちょっと面白い。
「ふう、もう少し他の言葉は思いつかなかったのか、如月……」
「ええ?」
「ま、どのみち時間の問題だったか。如月、雨宮にも優しくしてやれ。しばらくはフッたりしてやるなよ。これはお前にしか取れない責任だ」
「んん? いや、雨宮、別に今ので俺に惚れたとか、恋に落ちたとか、無いよな?」
「そんなわけあるか、バカ。勘違いキモッ!」
と言う答えを期待したのだが、雨宮は俺から目をそらしたまま何も答えない。
「えぇ……?」
「せ、責任、取りなさいよ。今、フッたりしたら、私、絶対、立ち直れないし、引きこもりになってやるから」
「おいおい……」
「別にアンタの邪魔はしないし、他のみんなには黙ってるから。自分だけ良い思いして免疫を付けずに、私にも少しは免疫を付けさせてよ……」
「ふむ」
雨宮としては、多少の恋愛経験を積めば、それだけでいいらしい。自分でも今のは告白じゃなくて勘違いだというのは分かっているのだろう。
ただ、俺が好きなのか……。
少し怯えた表情でこちらを見やる雨宮。彼女の指は痛いくらいに俺の手を握りしめてきた。
「分かったよ」
反対の手でぽんと肩を叩いてやり、彼女の緊張を緩めてやる。
「あ……あ、ありがとう」
感謝されるのは悪い気はしない。この選択は、後々色々面倒になりそうな気もしたが、雨宮は俺と同類だ。
こちらの都合だけで冷たくするよりは、優しくしてやりたかった。




