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第七話 千条の個人レッスン

 二人きりしかいない夕暮れの部室。

 クラス一の美少女、千条綾。

 彼女のたっての願いで、俺はこれから彼女と体を触り合う。


 わぁ。本当は違うのだけれど、こう言うと凄くエロいな。


「如月君、顔がにやけているわよ。変な期待はしないで」


「お、おう、すまん」


「では、まずは握手から」


 千条が差し出してくる色白な手。俺はやや緊張しながらその手をそっと握り返した。

 だが、いきなり俺の手は乱暴に振り払われた。


「えっ、何かまずかった?」


 ゆっくりと握ったから、ちょっとエロかったかな?


「いえ、ごめんなさい、少し生理的嫌悪感に襲われただけよ」


「酷いな……手は綺麗に洗ってるぞ」


「ええ、本当にごめんなさい。次は大丈夫だから」


 今度は時間を掛けずに握ってみる。それにしても華奢な指だ。そして柔らかい。

 千条は振り払うことは無かったが、細い眉をひそめた。


「くっ、どうして……これだけでもプレッシャーになるなんて、何かおかしいわ。いつもなら平気なのに」


「そりゃ、二人きりで、相手が男だからだろ」


「そうかしら……? 少し、強く握ってみて」


「こうか?」


「ええ、もっと」


「このくらい?」


「それで少し引き寄せてみて」


 千条に言われたとおりにする。千条も自分でこちらに体を近づけ、だが、顔は嫌そうに背けた。


「なあ、俺の心がちょっと痛いんだが」


「ええ、それもそうね。ふう、もういいわ」


 手を放す。


「でも、もっとストレスのかかるやり方じゃないと、訓練にもならないわね。どうしたものかしら……」


「なら、良い考えが一つあるぞ。俺の指と指の間に絡ませるように握ってみてくれ」


 どうせ千条は恋人握りなんて知らないだろうしな。


「こう?」


「そうそう。どうだ?」


「ええ? 別に手を組んだだけじゃない。さっきと変わらないわ」


「ふむふむ。実はこれは恋人握りという握り方でな。仲が良いカップルしかやらないんだ」


 凄い勢いで手を振り払われた。


「あなたね……!」


 千条が自分の右手を左手で(かば)いながら、俺を睨み付けてくる。

 美人に睨まれると、妙に迫力を感じるな。


「いや、別にそこまで怒られるほど嫌らしいことはしてないぞ。タダの握手だ」


「そう。ええ、あなたとは交際していることだし、いいわ、もう一度やってみましょう」


 握る。だが、それほど俺はドキドキしない。きっとデートの最中じゃないからだろうな。

 これで二人で商店街を歩いてみよう、なんてバカな提案はしない。

 きっと断られるに決まってる。


 二人で握手を繰り返す。たったそれだけの少し退屈な時間が過ぎていく。

 チャイムが鳴った。


「ありがとう。もういいわ」


「そうか」


「これは、手伝ってくれたお礼よ」


 千条が俺の肩に手を置くと、次の瞬間、俺の頬にキスをした。


「うわっ?」


「もう、なんでそこで嫌がるの?」


「いや違う、驚いただけだって」


「そう、ならいいけど。ふふっ、でも、できたわ、私」


 千条が嬉しそうに笑った。いつもとは違う笑顔に俺は見とれてしまう。


「なに?」


 俺の視線に気づいた千条が、不審がった。


「いや、そうだな。なあ、もう一度、キスは別に良いから、さっきみたいに肩に手を置いてみてくれるか。足はその位置で」


「こう?」


「そうそう。ふーむ」


 何か良い。千条が少し俺に寄りかかる感じで俺の肩に両手を置くと、ちょっと恋人気分が味わえた気がする。


「も、もういいでしょ」


「ああ、悪かったな」


「いいえ。でも、あなたが恋人として望むなら、いつでもやってあげるわ」


「本当に?」


「ええ、それくらいなら、私にもできると分かったのだし。キスよりも楽よ」


「じゃあ、悪いが、さっそく」


「ええ? いいわよ」


 また千条が少し寄りかかる感じで俺の肩に手を置く。今度は先ほどより体を寄せてきた。

 なんだろう、これまでのハリネズミのようだった千条の雰囲気が、柔らかくなったように感じる。


 千条はそのまま動かない。俺が彼女の顔を見つめると、彼女はほんの少し照れくさそうに目をそらした。


「こっちを見てもらっても良いか?」


「ええ」


 千条がこちらに目を戻す。引き込まれそうな瞳と、整った唇を見ていると、自然に俺の体はそちらに傾いていき――


「待って、何をするつもりなの」


「あ、ああ、ごめん、ついな」


「頬なら、我慢してあげても良いのだけれど……」


「君が嫌なことはしないよ」


「いえ、待って、これも訓練だから。やってみて」


「お、おう」


「あなたがどうしても嫌なら、無理強いはしないわよ?」


「いや、できる、と思う」


 ゴクリと唾を飲み込む。


「緊張しているのね……」


 馬鹿にするわけでも無く、呆れたのでも無い様子で千条はただ、見たままを言ったようだ。


「そうだな。しない方がおかしい」


「ええ、その通りだわ」


 そして俺はそっと、じりじりと顔を千条に近づけていく。

 千条も緊張してきたようで肩を縮める。

 可愛いな。

 彼女のパーソナルスペースの領域に侵入し、ほんの一瞬だけ、唇が頬に触れた。


 ビクッと彼女が震えたが、平手打ちは飛んでこない。


「ふう、できた」


「ええ、そうね。じゃ、次は――」


 何をするのか。何をしてくれるのか。

 何か新しい世界へ通じる扉がそこにある気がして、俺は純粋な興味を覚えた。

  

 部室のドアがやや乱暴に開かれるまでは。


「お前達、もう下校時間だぞ。帰れ」


 橘先生が普通の顧問らしい事をやってくる。

 そうだった、この部室にはカメラが有り、先生が監視していたっけな。

 となると、これ以上のことをするには、別の場所でやった方が良い。



 翌日の昼休憩、俺と千条は屋上にいた。


 橘先生の監視についてメールで千条と話し合い、不当な干渉を避けるためという理由で、ここにしたわけだ。

 部室だと、部活の時間を早く切り上げるため、どうしても他の部員に怪しまれてしまうだろうし。

 いや、まあ、千条にとっては俺と付き合っているという噂が流れた方が良いだろうから、主に俺の問題だな。

 優希に変な誤解をされたくない。

 これは彼に対する裏切りではないのか――そんな気もするのだが、あくまでも優希とのスムーズなデートのためには、特訓が必要だ。

 そういうことにしておこう。


「でも、パンを買ってこなくて良いって、どうしてなんだ? 俺は飯は食っておきたいんだが……」


 千条は自分の弁当は持って来た様子。不公平だろう。


「心配しなくて良いわ。お弁当、あなたの分も作ってきてあげたから」


「な、なにぃっ?!」


「……そこまで驚かれると、なんだか、あなたの私に対する認識ってどうなのか、そこが気になってくるわね」


「いや、すまん。君がそこまでサービス精神があるとは、認識を直ちに改めることにする」


「サービス精神というよりは、恋人ならこれくらいはと思ったまでよ。私はできる人間だもの」


 ああ、完璧に振る舞うのが好きなんだろうな。ついでに杏奈より一歩リードして、優越感に浸りたいのだ。

 それは好きにさせてやろう。


「そうだな」


「ええ。じゃ、そこのベンチで食べましょう」


「ああ」


 だが、風呂敷から、でん! と出された重箱に、俺は辟易する。


「どうかしたかしら?」


「君に説教するのはあまり気が進まないんだが、恋人のお弁当って、普通は自分で作るぞ?」


「私も美味しい物が食べたいし、下手に批評を加えられるとモチベーションが落ちるもの。あなたも美味しいと分かっている方が安心して食べられるのではなくて?」


「いや、まあ、理由は分かったが、君の手作りでも文句は言わないぞ。料理ができるのは知ってるからな」


「そう。じゃあ、次はそうするわね」


「ただ、それだと俺が何か、君にお返ししないと行けないが」


「そうね。それはあなたが自分で考えて。思いついたら、私も提案はするけれど、自主性を重視してみましょう」


「ハイレベルだなぁ」


「当然よ。私が最下位だなんて、すぐに撤回させてやるわ」


 やはり、橘に言われたことをまだ気にしてるのか。


「俺はもう君が最下位だなんて思ってないぞ。男子と付き合ってる奴なんて、うちのクラスでもそうはいないだろうし」


「あら、でも、相川さんだって付き合ってたじゃない」


「それは、いやいや、相川は高レベルの奴だから」


 千条はどうも相川をかなり下に見ているのだろうが、コミュニケーションに関しては向こうが上だと言わざるを得ない。


「どうかしら。それより、はい、お茶」


 千条が水筒からお茶を注いで渡してくれる。


「ありがとう」


 やっぱり紅茶かな? と少し残念に思いつつ飲んでみたが、緑茶だった。


「ふむ、君とは結婚できそうだな」


「はっ?」


「いや、ごめん、何でも無い。忘れてくれ。タダの失言だ」


「言っておくけれど、あなたとはとても無理よ。もっと自分を磨いてから言って欲しいわね」


「そうだな」


「はい」


 千条がだし巻き卵を箸でつまんで俺に差し出すが。


「んっ?」


「ほ、ほら、あーん」


「おお、そうだったな。あーん」


 ちょっと大きいので一口では苦しいかと思ったが、ふわふわでだし(・・)もしっかり染みていて問題が無かった。それと彼女の愛情も。


「ああ、ごめんなさい、一度にそれだけの量は、配慮が足りなかったわね」


「ああ、だが、大丈夫だったぞ」


 他の物もあーんしてくれたが、全部それでは昼休憩の時間が終わってしまうので、俺は残りは自分で食べることにした。 


「ふう、久しぶりに良い物を食べた気がする」


「そう。……プライベートに踏み込むようだけど、生活は大丈夫なの?」


「いや、そこまでじゃないから、食えてるから心配はしないでくれ」


「そう。安心したわ。じゃあ、時間もあまり無いわね。レッスンをやりましょうか」


「ああ」


 重箱を脇にやり、お互い、すぐ近くに座り直す。千条が手を差し出してきたので、恋人握りで応じる。

 二人で顔を近づけたり、千条が俺にしなだれかかったり。色々、試行錯誤で二人で考えながら試してみる。


「すまん、千条、言って良いか」


「ええ、何かしら。遠慮は要らないわ。お互い、分かっていないことが多いのだし、気づいたことは言い合わないと」


「うーん、そういうことじゃなくて、個人的な感想だ」


「ああ。でも、構わないわ。言って」


「割と楽しい。いや、なんかもっとやりたくなってきた」


「ふふっ、当然ね。だって、こんな美人が恋人役、いえ、恋人なのだもの」


「そうだな」


 途中で言い直した千条は本当の恋人ではない。彼女が杏奈に負けるのが嫌で、俺の告白に乗っただけだ。

 それは忘れないようにしないとな。


 ちょっと興ざめしてしまったが、千条に触れ合えるのは、それでも純粋に楽しい。


「あっ、そうだ、膝枕があるんだが…」


 俺は思いついて言う。


「ええ、そうね。では、やってみましょう。ただし、あなたは向こう側を向いて、頭は動かさないようにしてくれるかしら?」


「分かった」


 千条に背を向ける形で横になり、スカートの上に頭を置く。

 うえ、緊張感が半端ないな、これは。


「こ、これは……少し、厳しいわね……。分かってるでしょうけど、絶対に動かないでね、如月君。あなたを信用して、ここまでしているのだから」


 千条は俺より緊張したようだ。


「分かってる。でも、これを知ってしまうと、恋人も良いなと思えるな」


 ちょっと、本気で恋人探しを頑張ってみようかという気になってくる。

 優希のヒザはどんな感じなのか。


「そうね……言いたいことは私にもなんとなく分かるわ。こうしていると……ドキドキして、愛着も湧いてきそう」


 そう言って、優しく千条が俺の髪を撫でてくる。アレだな、恋人と言うより、ペットという感覚じゃないのかな。


 俺と千条は黙り込んだまま、昼休憩が終わるまでずっとそうしていた。

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