第十一話 不信
それから一時間ほど、俺は彼女と話していたはずだが、恐ろしいことに内容はまるで覚えていない。
俺がおかしな事を口走っていなければ良いのだが。
柏木杏奈……よし、大丈夫、名前はちゃんと覚えてる。
とにかく、橘先生と話をしないと。
告白して玉砕しろという話じゃなかったのか。
100%確実にフラれるというから、こっちは話に乗ったってのに。
「私だ。私の部屋で話そう」
場所を聞いて、建物の中に入り、橘先生のいる部屋に入った。
「テントよりこっちの方がいいですね」
ベッドまであるし。
「それは大人の特権だ。テントを組み立てるというのも良い経験だぞ」
「それより、どういうことなんですか」
「まあ、面白いことになったな。私もまさか、あの柏木があっさりオーケーするとは思わなかったんだ。これまで、男子を片っ端から振っていたそうだからな」
「承諾された場合もちゃんと考えておいて下さいよ。そう言う俺も全然、考えてなかったですけど」
「ああ。だが、フラれるよりはいいだろう?」
「そういう問題じゃ無くて」
「柏木を彼女として受け入れがたいということか?」
「いや、可愛いし、向こうがある程度合わせてくれるから、黛の次に付き合いやすそうですけど」
「なら、柏木にしておけ。黛は色々と問題がある」
「そうかもしれませんけど…」
「いいや、お前がまだ知らない方の問題だ」
「え?」
「まあ、気にするな。それより、これでお前の方は大幅にステップアップだが、アイツの方は発破を掛けるどころでは無くなってしまったな…どうしたものか…」
アゴに手を当てて橘が考え込む。
俺の先ほどの行動で発破を掛けられる人物。
一人、心当たりがあった。
「それ、俺を見ている女子のことですか。掲示板の」
「そうだ。お前に執心しているようだったから、少し刺激を与えてやろうと思ったんだが…」
「先生のやり方は乱暴すぎますよ。俺が刺されたりしたらどうするんですか」
「ふふ、それは無い。私は生徒はよく見ているし、そんな危険な生徒はうちにはいないからな」
「でも、柏木では完全に計算違いでしたよね?」
「まあな。だがアレは他クラスの生徒だ。文句なら偽情報を渡したEクラスの担任に言え」
やはり、他のクラスの担任教師もグルなのか。
この学校、ちょっとおかしいんじゃねえの?
ノックがあった。
「誰だ?」
「雨宮です。如月君がどこにいるか、教えて下さい」
本当に俺を見ていたんだな、雨宮。まあ、確かに今日、ずっとカメラで俺を撮影していたが。カレーを撮っているものだばかり思っていた。
「それならここだ。入れ」
「え?」
橘がドアを開けたが、俺を見て呆然とする雨宮。
小柄で、無口で、無表情で、なんとなくリスのような印象を受ける。
その彼女に、俺はなんと言って声を掛けたらいいのだろうか?
雨宮が俺を見ていたのは間違いないだろう。
今だって俺を見てる。
だが、それはどういう意味合いのモノなのか、慎重で無ければならない。
好きとか惚れたとか、それは俺の自惚れの可能性が極めて高いからな。
なら、憧れ? それは可能性がある。
俺がテストで学年一位を取ったことで、成績にコンプレックスがある者なら、そんな感情を持っても不思議では無いのだから。
「如月、そこはお前が何か言ってやれ」
「はあ、雨宮、お前も、特別課題を受けているのか」
「! 先生、喋ったの!?」
雨宮が一転して表情を変え、橘を睨みつける。
「いや、そうでは無いぞ。如月も特別課題を受けているのは知っているだろう。他にも何人かいるのは如月にもすでに話してあるからな。それだけだ。個別の内容については話していない」
「でも、あなたなら、もう気づいてるはず」
雨宮が疑りの目で俺を見てくる。
「俺を見ているのは今気づいたが、それはどういう理由なんだ」
「そんなの、言えるわけ無い。言いたくない」
「困ったな。じゃあ、質問を変えるぞ。掲示板で俺達を助けてくれたよな?」
「…うん」
コイツが警告者だったか。俺はてっきりバスケ部やE組の奴だと思っていたが…。
「どうやって森島の事を知ったんだ?」
「そ、それは…」
目をそらし、沈黙してしまった。やりづらいな。
「そんなことより、雨宮、如月が今の今まで何をしていたか、知りたいだろう?」
「はい。どこに行っていたの? あなたは他に行くテントなんて無いはずだけど」
俺のことをよく知ってるな。
だが……。
「コイツはさっき、柏木に告白したんだ」
「え?」
「雨宮なら知っているだろう。三鷹山の一本桜桜のジンクス。その木の下でな」
「嘘です」
「ふふ、本当の話だ。なあ、如月」
「ええ、でも、あれは――」
「な、なんで、そんなこと。柏木なんて、全然、優希ならともかく、なんでそんな子を選ぶの? 理解できない」
首を横に振りながら後じさる雨宮は、まあ、俺をよく知ってるならそうだよな。
だが、気づけ。それは橘先生の特別課題だろうが。
それを言おうとしたが、橘が目で言うなと制した。
「理解できない、か。私は言ったはずだぞ。見ているだけでは何も分からないし、何も変えられないと」
「そ、それとこれとは、話が違うから……」
「違わないな。お前が先に告白していれば、如月はお前を選んでいたかもしれないぞ」
「だっ、だから! 信じられない!」
顔を真っ赤にした雨宮は、怒りなのか羞恥心なのかはっきりしないが、激しく狼狽えた。
「先生、生徒をもてあそぶような真似、しないでもらえますか」
俺は少し強めに言う。
仮に、仮にだ、雨宮が俺に好意を持っていたとすると、さっきの先生の物言いはアウトだと思うから。
「別に、そういうつもりでは無いのだがな。じゃ、後はお前達だけで話し合え。上手くいくかどうかは分からんが、そろそろ必要なときだろう」
ここで俺に丸投げか。ハードすぎるぜ。だが、とにかく感情が高ぶっている雨宮は落ち着かせた方が良い。
それなりに冷静な奴だと思うが、それでも酷く危なっかしい感じがする。
「雨宮、ちょっと座らないか」
「嫌!」
そう言って彼女はきびすを返すと、ダッシュで行ってしまった。
あーあ。
「何をぼさっとしている。追いかけろ、如月」
「ええ?」
そこ俺の役割なの?
「少なくとも、アイツのテントには送り届けておけ。風邪を引かれても面倒だ」
懐中電灯を渡されてしまった。
「今回は先生のミスですよ」
「そうだな」
ひとまず、雨宮にテントに入っておくように言っておくか。
追いかける。
名前は呼ばないでおこう。雨宮も他の奴には知られたくないだろうし。
懐中電灯を付けていたのがまずかったか、雨宮は後ろを振り向いて俺が追いかけてきているのにすぐに気づき、さらにスピードを上げてしまった。
「くそっ。明日二人ともリタイヤでも知らねえぞ!」
雨宮も体力がある方では無い。時折、足を撫でていたし。
そうなると、延々とかけっこして遊ぶより、ここは短期決戦に持ち込むしか無かった。
全力ダッシュで追いつき、雨宮を捕まえる。
「は、放して!」
「絶対、放さん」
見ようによっては女子を襲ってる危険な構図だが、外は暗いし、林の中だから目撃の心配は無いだろう。
何度か振り払おうとして諦めた雨宮は、逆の手に持っていたカメラをこちらに向けてくる。
それで殴られたら、ちょっとしゃれにならないなと俺は身構えたが、彼女は撮るだけだった。
「何してるんだ?」
「撮ってる。ネットに流したら、まずいんじゃないの?」
「そうだな。だが、雨宮、お前も注目を浴びるぞ」
「そこは、音声を消して、上手くやる」
「こうやって、お前も写しておかないと、女子だと分からないかも知れないぞ」
「ちょっと、止めて」
カメラを触られるのは嫌なようで、俺の手をどけてカメラを抱え込む雨宮。
「一つ、理由を聞かせてくれ。何のために俺を撮ってるんだ?」
「……」
「俺のこと、好き、とか?」
「ちっ、違うから。勘違いしないで。これはタダの観察日記みたいなものだから。昆虫観察」
「えー」
俺は物珍しい虫だったのか。
「俺はそんな、面白い対象じゃないだろ。俺を撮るくらいなら、千条や優希や、相川とかなぁ」
「別に、私が誰を撮ろうと勝手だから」
「それはそうだが、いや、俺にだって肖像権はあるだろが。盗撮は止めてくれ」
「ううん……」
そこは良心が咎めるようで、困ったようにそっぽを向く雨宮。
「雨宮、ひょっとしてだが、あの部室にあるカメラ、お前が用意したんじゃないのか?」
「だったら、何?」
「やっぱりそうか」
橘は確かにそれを利用していたが、学校の方針としてやっているなら、校内に監視カメラが大々的に仕掛けられていたはずだ。だが、そうはなっていない。
「教室にもあるのか?」
「掃除道具のロッカーの上と、カーテンに仕込んである」
「全然気づかなかったな…」
「気づかれたら、意味ない」
「そうだろうけど、部室のはどういうわけだ? あそこに俺が呼ばれると知っていたのか?」
「違う。橘にバレて、取引しただけ。持ち物検査なんてしてくるから…」
おっかないな。やはり侮れない担任だ。
「もういいでしょ。いい加減、放して。逃げないし」
「本当だな? 逃げたら地の果てまで追いかけて、お前を必ず捕まえるぞ。あと、次はどさくさに紛れて胸とか触るかもな」
「そんなこと、あなたは……しそう……」
「ああ、するぞ。とにかく、追いかけっこはもうたくさんだ。俺は明日のオリエンテーリングと帰りの体力を温存しておきたい。雨宮もそうだろう」
「別に、リタイヤでもいいけど」
「それだと、俺の勇姿が録画できないんじゃないのか?」
「別にそんなの、一日くらいどうだっていい」
「林間学校の俺は貴重だと思うが」
「全然。去年のもあるし」
「撮ってたのか……気づかなかった」
「同じ班じゃ無かったし、望遠ズームを使ってたから」
「そうか。でも、なあ、雨宮、そんな手間を掛けなくたって、俺と直に話をする方が、詳しい観察日記が書けるんじゃないのか」
「それは……ダメ」
ちょっと惹かれているみたいだが、雨宮は拒否した。
「理由は?」
「私が落ち着かないから」
「慣れてくれば落ち着くぞ。俺も千条と二人きりにされたときは死ぬかと思ったが、今ならある程度平気になってきたからな」
「あなたは、別に女性恐怖症でもないもの」
「雨宮は男性恐怖症なのか?」
「そうでもないけど、人恐怖症、かも」
「んん? そうは見えなかったが」
「正確に言うと、人と関係を持つことが、怖い、から」
「そうか。まあ、それは俺もよく分かるんだが。なあ、雨宮」
「なに?」
「テント、戻ろうぜ。冷えてきたし。ここ、橘先生が言ってたが寒くなるんだってさ。去年も、毛布が無かったらキツかったもんな」
「分かった」
説得成功。なんだ、やればできるじゃないか、俺。
「じゃ、また明日な。ああ、あと、お前も文化部に入れ」
「な、なんで…」
「いいだろ。カメラで録画するより、いろんな角度の俺が見られるぞ」
「別に、容姿が見たいわけじゃ無いし」
「そう。だが、一緒に話すのも面白いかもな」
「……」
「俺は、お前と話してみたい」
ちょっと踏み込んでおく。
「! し、知らない」
雨宮はそれで逃げ出してしまった。なんだか狭い部屋に雨宮を入れて追いかけ回してみたくなるが、まあ、止めておこうか。
俺と話すのを選ぶのは、あくまでも雨宮だ。
俺は、橘と同じ方法は採らない。




