第六話 スパイ
2017/9/29 少し修正。
「お、なんだ、翔、スパイしに来たのか?」
軽部がニヤニヤしながら天川に聞いた。
「まさか。飯ごうを仕掛けてちょっと手が空いたから、エールの交換に来ただけだよ」
天川は爽やかな笑顔を返す。
「エールの交換って、なに格好良いこと言っちゃってくれてんの、翔くぅーん。うちの班はオレ様が飯ごう係だから、超うめえ飯ができあがるぜ?」
「そいつは楽しみだ。如月君は後ろで監督ってところかい?」
「監督と言うよりはサブって感じかな」
「そう。千条さんは料理もできるんだね」
天川が千条の方を向いて話しかけた。何の躊躇も無しに自然体で女子に話しかけやがった。さすがヒーロー天川。
「ええ。普通、誰でもできると思うけど」
「グサッ、うわーん、あたしはできないよぉ~」
「泣かない泣かない。誰でもって訳じゃ無いから」
優希が奈緒を慰める。
「敵情視察も結構だけれど、天川君、あなたの班の料理は大丈夫なのかしら?」
「もちろん。うちは福沢さんが意外と言ったら失礼だけど、料理が得意だそうでね。手つきも堂に入ってたし、だから僕は下ごしらえだけ手伝って後は任せてきたんだ」
「福沢…」
俺も千条も誰なのかパッと思いつかない。
「ほら、背の高い子だよ。クールな感じの」
「ああ」
ケイだ。
相川がよく話しかけている長身のギャルがいた。
あの日焼けしたクールギャルが、料理が上手いのか。
失礼だが、ちょっと想像が付かないな。
家庭料理を作ってるところとか、無いわー。
相川なんてネイルをしてたりするしな。
あれでジャガイモの皮を剥くのは不衛生な感じがして無理。
クールギャルの方は、ネイルしてたかどうか良く覚えてないが。
「さて、僕は他の班も偵察してこようかな」
「やっぱスパイじゃん、天川君、それはねーべ」
「はは、冗談だよ。それじゃ」
ま、天川はそんな奴ではあるまい。偵察したからと言って、どうにかなる対決でも無いし。
「如月君、そろそろ鍋を準備しておいて」
「ああ、分かった」
こちらはありがたいことに、ガスコンロの使用を認められている。これも薪でやれと言われてたら千条と言えどもキツかっただろう。
俺がコンロに掛けた大鍋にバターを落とした彼女は、ニンジンから炒めていく。
「んー、良い匂い! お腹空いてきた!」
奈緒が言うが、同感だ。
今日は十キロも歩かされたもんなぁ。
「水を入れて頂戴」
「分かった」
リットル指定では無く、千条の目分量。
「そこまでで良いわ。あとはローリエを入れてと」
「きょ、恭一君、謎の葉っぱが投入されたよ!」
奈緒が目を丸くしながら俺の体を揺する。
「落ち着け。タダの香辛料だから」
俺も瓶に入ったパウダーは使ったことがあるのだが、葉っぱは初めて見た。
「おおー。あたし、カレーに葉っぱ入れる人、初めて見たー」
「オレもオレも」
「俺もだ」
「そ、そうなの?」
千条が自分のやり方に不安を抱いたか、聞き返す。
「ボクは見たことあるよ。お母さんが庭に植えてるから。お肉の臭みが取れるんだよね」
優希が言う。
「ええ。じゃ、如月君、あとは暇そうなあなたに任せるわ。アク取りをお願い」
「了解」
「鍋から目は離さないように」
「分かってる」
時々浮いてくる白いアクをお玉で掬うだけだが、この地味な作業は割と好きだ。
アク代官である。
「つ、辛くなったら言ってね! ちょっとだけなら交代するし」
「いや、別に良いぞ、奈緒」
「ええ? でも…」
奈緒にはとても辛い苦行に見えるらしい。
たぶん、千条もこの作業、苦手なんだろうな。
「気にするな。代わって欲しかったら、そのときに言うぞ」
「うん」
「じゃあ、お皿も準備したし、他にやることは今は無さそうだね。ボク、ちょっと他の班がどうなってるか、見てくるよ」
優希が偵察をしてくるらしい。
「あっ、じゃあ、私も」
「おお、お前ら、美味そうな班があったら教えてくれよな。後でオレが食べに行くぜぃ」
軽部が言うが、見ただけで分かるもんかな。まあ、失敗してる方は見てすぐ分かると思うが。
「私はテントの方で休んでいるから。何かあればメールを頂戴」
「分かった」
残ったのは俺と軽部と雨宮。
雨宮がカメラでアク取りを録画しているが、こんなの撮って誰が見るんだ?
「他のを写した方がいいんじゃないのか」
「別にこれでいい」
いいのか。ちょっと怖いぞ。
「じゃ、雨宮、ちょっと、見ててくれるか。俺はトイレに行ってくる」
「見てるだけなら良いけど。そんな完璧なアク取りはとても無理」
「いやいや、アクって完璧に取らなくても死にゃしないから」
「でも千条さんが…」
「それも心配要らない。アイツは目を離すなと言っただけで、アク取りを完璧にやれと言った訳じゃ無いんだ」
「…そう。分かった」
少々不安が残るが、俺の生理現象は止めようが無い。軽部も側にいるし、まあ、大丈夫だろう。
何を考えているのかよく分からない雨宮だが、自分の班のカレーがまずくなるようなことは望まないはずだ。
トイレに行くと、見知らぬ男子の二人組が熱い会話を交わしていた。
「オレ、今日こそ、アンリちゃんに告るわ」
「おお、お前、前から柏木が良いって言ってたもんな! 倍率は高そうだが、ま、応援するぜ」
「サンキュー」
告白か。その勇気は素直に尊敬するが、明日は十キロを歩いて帰るってのに、フラれたらキツいだろうなあ。
別の日にすれば良いのに。
「さてと」
綺麗に手も洗ったことだし、アク代官の仕事に戻るとしよう。
「如月、ちょっと来い」
戻ろうとしたら運悪く橘に捕まってしまった。
相手は担任教師、俺が行きたくないと思っても拒否はできない。
誰もいない倉庫の中に連れてこられた。
「いったい何ですか?」
「そう警戒するな。取引だ」
「取引? あと、ちょっと離れてもらえますか」
橘は白のジャージを着ているが、そのまま俺の肩に手を回して胸が当たってるし。
「その反応は少し傷つくな。好きな子でもできたか」
「いやいや、そういうことじゃ無くて、落ち着かないって話です。あと、誰かに見られたら…」
「安心しろ、ここには私とお前しかいないぞ」
「カメラも無いんですか?」
周囲を見回すが、球体のウェブカメラは見当たらない。
「当然だ。ここは学校と提携はしているが、基本的に学外だからな。おかしな真似はできないぞ」
「おかしな真似と分かっているなら、部室のカメラ、止めて欲しいんですが」
「それはできないな。アレは教育プログラムの一環だ」
「千条じゃ無いですが、その学校方針は理解に苦しみますね」
「ふふ、まだ試験的で、生徒全員に実施しているものでもないからな。お前が問題児でなくなれば、自然と解放されるだろう」
「だといいですが」
「あれから、新しい友達はできたか?」
「んー、うちの部員達とは友達と言えるかもしれませんが、他はいないですけど」
「そうか。林間学校は違う生徒とも親しくなるチャンスだと思ったが」
「軽部とは話をしました。まあ、思ったよりも真面目な奴でしたね」
「アレは格好を付けて少し自分を演じているだけだ。お前の名案に乗っかる軽さも持ち合わせてはいるがな」
そう言えば班決めの時に橘が変な罠を仕掛けてくれたことがあったな。
「ああ、止めて下さいよ、あんなの。一歩間違えば、俺はクラスでハブられてましたよ」
「そこまでは行かないはずだ。状況が悪くなれば、私も真実を話しただろう」
「悪くなってから対応されても困るんですが」
「では、悪くなる前にフォローしてやる」
「悪くなるのが前提の行動も止めて欲しいんですが」
「分かった、考慮はしておく」
妙に物わかりが良いな。こういうときは要注意だ。この先生が俺の希望を素直に聞いてくれるようなタマじゃないのは、もうハッキリしている。
「そんな顔をするな。喜べ、如月、お前をいつも見ている女子がいるぞ」
「は? 先生の事ですか」
「私は女であって女子という歳でも無いな。どうだ、少しはその女子が気になるだろう? 如月」
「そりゃ気にはなりますけど……取引って?」
「こちらの指示に従えば、その女子の名前を教えてやる。どうだ?」
「いえ、別にそこまでして知りたくは無いです」
「消極的すぎるぞ。お前の一生のパートナーになる相手かもしれないが」
「まさか」
「分からんぞ。お前みたいな影の薄い生徒をわざわざ見いだして観察してるんだからな。奇特な奴だ」
「普通、それなら、話をしてくると思いますが…」
「シャイなんだ」
「はあ」
「それに、そろそろ時間切れだ。彼女にも課題は出してあるんだが、どうにもやる気が薄くてな」
「先生の指導方法に問題があったんじゃないですか」
「うるさい。別に私だって完璧だとは思っていないが、問題ありまくりのお前にだけは言われたくない」
地雷を踏んだかな。ちょっと感情的な反論をされたぞ、今。
「俺も先生だけには言われたくないです」
「なんだ、言うようになってきたじゃないか」
「そりゃ、あんなことをされてたら、いい加減、キレてきますよ」
こっちは限界だぞ、ということにしておく。
「ふむ、なら、飴を与えていかないとな。こちらでもフォローはしてやる。だからE組の柏木杏奈に告白しろ」
「は?」
「聞こえただろう。告白をしろと言った」
「いや、あの……」
「安心しろ。100%確実に、柏木には断られる」
「それ、どう安心しろと。玉砕が飴玉なんですか?」
「まあ、そこは少し目をつむれ、それが飴玉では無いからな。ただの過程だ」
「先生が何を言ってるのか、何をしようとしているのか、俺にはさっぱりです…」
「だろうな。だが、思いつきでは無い。きちんと計算した上でのことだ。柏木は知っての通り見てくれはかなり良いからな、その性格もあって人気も高い。彼女はフるのは慣れているし、キツいことは言われないはずだから、安心して玉砕してこい。お前が目立つことも無い」
「断っても良いですか。だいたい、俺は柏木がどんな奴かも知らないし…」
「そんなことは無いだろう。森島が脅されていた一件で、ノートを持って来てお前達に報せて来ただろう」
「ああ、あの子」
派手なリボンに大きな瞳の活発そうな子。森島が脅されているのを知って自分から動いてくれた良い奴だ。
ひょっとして、俺を見ているというのは彼女のことか?
あの場では柏木はとぼけて否定していたが、掲示板に弱点のことを書き込んでいたとしても、不思議では無い。
彼女も森島と同じE組だ。
ブブブと橘の携帯が鳴り、少し待てと言って先生は電話を取った。
「私だ。なに、喧嘩? すぐ行く。お前も来い、如月。五班だそうだぞ」
「ええ?」
いったい、誰が。




