第三話 そこに山があるから不幸が生まれる
地獄の金曜日がやってきた。
男女平等にスタート地点もゴールも同じというコース。
今日だけは男子に生まれて良かったと思える日だ。
山を歩いて何が学べるのか甚だ疑問ではあるが、それを先生に聞いたところで、まともな答えは返ってこないはずだ。それどころか、うちの担任はペナルティと称してハードなことを追加してくれそうだ。
しかも、俺はクラスの保健委員であった。
「如月、男の田中が転んですりむいてるってよ」
「どっちで?」
「後ろ」
今はまだいい。まだ俺のヒザは頑張れる。
だが、この先、本当に俺のヒザは保ってくれるのか?
別にヒザに爆弾を抱えているわけでもないのに、怪我の再発を恐れるアスリートの気分だ。
「では、私たちは先に行かせてもらうわね」
千条が涼やかな表情で言う。
そこは嘘でも「一緒に行こうか?」と心配そう聞いて、俺が爽やかな笑顔で「いいよ、先に行ってくれ」という仲間意識の再確認の場だろうと思うのだが……千条にそんなことを期待するだけ無駄だ。
「恭一君、ボクも一緒に行こうか?」
ああ、本物の女子がここにいた。
本当に心配そうな顔をしている優希は、このままどこかにお持ち帰りしたくなる。
「いいよ、先に行ってくれ」
「ごめんね。ボクも、林間学校って結構キツいから」
分かってる。小柄で線の細い優希にとっては、リタイヤとの戦いになるだろう。おのれ学校め。心優しい優希にこんな過酷なミッションを用意しやがって。
「じゃ、行こっか、恭一」
一緒に行くのが前提の奈緒はなんだか楽しそうな笑顔だが、俺は言っておく。
「お前、行くのは良いが、自分の体力は計算してるのか?」
「計算? うんにゃ。でも、あたし、割と体は丈夫な方だよ。少なくとも恭一に負ける気はぜーんぜんしないかな。あははっ」
ま、いつも元気があふれてるし、奈緒は大丈夫だろう。
「じゃ、オレら、先に行くぜぇ。頑張れよ、如月ぃ」
最初から一緒に行くつもりゼロの軽部だが、ま、彼は普段、別の仲良しグループで、今回は即席のメンバーだからな。それは仕方ない。
……こう言うと、まるで俺にも普段所属してるグループがあるような響きがあるから心地良い。
「……」
五班のもう一人の女子、雨宮は無言のままで俺を見ていた。別に俺が嫌われてるわけじゃないはずだ。
だって、俺はコイツが教室で誰かと会話しているところなんて見たことが無い。
やや小柄で、耳が隠れたショートボブの髪型。色白で姿勢は悪いし、アウトドア派って感じじゃあないな。
ま、俺を攻撃してこない奴ならどうでもいいか。
「ああ、じゃ、行ってくる」
「また後でねー」
俺と奈緒で今来た道を逆戻りする。これ、体力よりも精神的にきっついな。
途中、すれ違う男子が全員「てめえ、余裕かましてて大丈夫なのかよ」みたいな目で睨んでくるが、俺は保健委員なんだ。理解してくれ。
「これ、デートみたいでなんか楽しいね」
「ハァ?」
奈緒がとんでもないことを言い出すので、俺はかなり力のこもったハァ?を返してしまった。
「むっ、いや、だって…なんでもないっ!」
他にも生徒が大勢いて、全員ジャージ姿。歩いている場所もおしゃれな街並みではなく、ただの殺風景な県道だ。
どうしてこれでデートみたいになるのか、俺にはよく分からない。
「ま、どうせなら、駅前の通りとか、三鷹公園の並木通りを歩きたいよな」
一応、それっぽい話を合わせてフォローしておく。それで正解の話題だったようで、奈緒はすぐ大きく頷いた。
「うんうん、あそこはいいよねぇ。あと、デパートの中とか、砂浜とかっ!」
まあ、一番良いのは家でゴロゴロしてる事だ。歩きたくは無い。
「悪いな、如月」
運良くすれ違わずに男子の田中と合流できた。奈緒が見つけてくれたので、コイツは意外に役に立つ猟犬だ。
「いいよ。保健委員だし」
どうせなら転ばないでいて欲しかったが、済んだことだ。
俺は保健の先生から出発前に手渡された消毒液のスプレーをリュックに戻し、絆創膏を貼ってやった。
「でも、どうせなら女子の保健委員が良かったなあ」
男田中が言う。
「まさかとは思うが、それ目的で転んだんじゃないだろうな?」
だとしたらグーパンチだぞ。心の中で、だけど。
「いや、違うって。よそ見してたらうっかり転んだだけだよ」
「そうか。ま、気持ちは同じ男子として分からなくは無い。俺も空気を読んで、適当にサボるとしよう」
「はは、それがいいかもな」
「ちょっと、ダメだよぅ、しーちゃんが大変になるじゃん」
それもそうか。だが、俺が頑張ってしーちゃんの負担を軽くするところまではとても無理だ。
女子に睨まれないギリギリの範囲で行動しておこう。
「如月君、河合さんが足を痛めたって」
「おう」
忙しいな、保健委員。そこそこ楽なのを引き当てたと俺はほっとしてたが、どうやら忙しいのは身体測定の日と体育祭だけでも無かったようだ。
ちなみに俺が密かに期待していた身体測定と健康診断だったが、全員、上半身裸になる機会も無く、Tシャツ一枚で終わったので優希の性別確認はできずじまいだった。
大丈夫、焦らなくてもまだチャンスはいくらでもあるさ。
「河合さん、如月君が来てくれたよ」
「あ、ごめんなさい…」
「いいって。それで、どんな具合?」
河合は縁石に腰掛けているので、俺の手に負えない状況なら、今度は保健の先生を呼ばなくてはいけなくなる。
手持ちのスプレー式の湿布、鎮痛消炎剤で片が付けば良いが。
「それが、石ころを踏んづけた時にちょっとひねっちゃったみたいで。足首だよね」
河合の友達が説明するが、捻挫の可能性有りか。
靱帯断裂のレベルだと、スプレーではごまかせない。
「足、見せてくれるか」
「うん…」
俺は屈んで河合の足を観察するが、赤くなったり腫れている訳ではなさそうだ。
ただ、これから腫れるのかもしれない。
「立てないほど痛い?」
「ううん、そこまでじゃないけど、歩くとちょっと痛みがあって」
それならスプレーで大丈夫そうだ。
「じゃ、スプレーしておくから、靴と靴下、脱いで」
「あ、うん」
「わぁ、女子を脱がせてるぅ。恭一って足フェチだったんだぁ」
奈緒がおかしな冗談を言うから、河合の手が止まってしまった。
「奈緒、お前、うるさい。先帰ってろ。クラスメイトが怪我してんのに、そんな態度があるか」
俺は足フェチを全力で否定するため、あえて真剣に怒った振りをする。
「ごっ、ごめん、そんなつもりじゃ…」
「まあまあ、如月君、そんな酷い怪我でも無さそうだし、そんな怒らなくても。ほら、美奈、ささっと終わらせよ」
「うん」
スプレー缶をしっかりシャカシャカとシェイクしてからシューっと。
「じゃ、これで厳しいようだったら、無理せず先生を呼んでくれ」
親切心を装って、さりげなく俺はもう呼ぶなと指示しておく。
「うん、ありがとう」
「じゃ、おい、戻るぞ、奈緒」
「う、うん」
引き気味の奈緒をつれてさっさと先に行く。
「今の、如月君、ホントは足フェチだったからごまかそうとして怒ったのかも」
「えー?」
なんて声が後ろから聞こえてきた。くそう、怒りすぎたようだ。不自然に見えてしまったか。
「ちなみに、足フェチだったりは…」
奈緒がおそるおそる聞いてくるし。
「いや、俺にそんな属性は無い。さっきは怒鳴って悪かった」
「あ、ううん、そんな。友達が怪我してるのに、あれは私が悪かったよ」
根に持たずに謝る奈緒は良い奴だな。
千条達に追いつくと、軽部はいなかった。
「軽部は?」
「友達のところに行くと言って先に行ったわ」
「そう」
班行動が基本だが、道に迷ったりしなければ問題は起きないだろう。そこは千条もいちいちうるさく言わなかったようだ。
「ね、ね、千条さん千条さん」
「なにかしら、宇佐見さん」
「足フェチってどんな靴が好きなのかな?」
おい。
「藪から棒に、どうしてそんな質問を私にするのか、意図が全く分からないのだけれど…」
酷く困惑した表情を浮かべる千条に俺は言っておく。
「答える必要は無いぞ。さっき女子が足首を捻挫してて、その関係の話だ。それ以上は禁止な、奈緒」
「うん、あはは…」
「足フェチならハイヒールとかかな?」
だから、優希、その話題を拾うんじゃありません。
「あー、私、あれ、歩きにくいから嫌いなんだよねぇ。そっかそっか、ハイヒールか」
独り納得した奈緒は、それ以上は話題を引っ張らなかったので、俺もほっとする。




