↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

五話 〜月が三十回上がったら〜

アルデン辺境伯家


【ガーウィン・ヴィア・アルデン】神賢:炎熱

青髪赤眼の《炎熱》を持つ、逞しい肉体の男。

両親は他界しており、先妻も失ったと言っている。

人見知りだが、戦で対峙する相手の顔はしっかりと見るらしい。ガーウィンの身に纏うものは、耐火性の特注品。身長は201センチ。


【グレイス】

紺色の髪に、瞳の色は不明。糸目の女性で身長180センチ。開眼......とかするのかな?とエレインは毎日観察し、いつか瞳の色を暴く事を野望に抱く。シノと同じタイプで結構怖い。





私は、その日から三日間、食事が摂れなかった。

乳母を呼んで、レオンを預けた。

それから乳母を部屋から出して、扉を閉めた。


エレアが何度も様子を見に来たが、少し扉を開けて中を覗いた後すぐに閉めていた。


アレルが扉越しに何か言った。聞こえないふりをした。


二日目の夜、私は書物を一冊、暖炉に投げ込んだ。


王国の地誌だった。

三ヶ月かけて荷車で届いたもので、二周読んだものだ。


燃えるのを見ていた。

なぜそれを燃やしたのかは、説明できない。

たぶん、この世界の作りが書いてあるものを、燃やしたかったのだと思う。




プラスに考えよう。

私からは、《零》は産まれない。


いや、能力があれば魔獣と戦わされたり、戦争に行かされたりもするだろう。

上位のスキルなら尚更だ。

子供には、危ない橋を渡らせたくはない。


もう、すでにレオンが居る。

次の子は、《零》で良いのではないか。

ガーウィンは、どんな子だったとしても護ってくれると約束した。


___このスキルで格差が決まる世界で《零》?


優秀なスキルを持つものは、平民の生まれでも貴族になれる。

この世界で、ガーウィンに一生護られながら生きるのは不可能だ。

子供の年齢が、親を追い越すことなど無いのだから。




____________



三日目の朝、私は扉を開けた。


エレアが廊下に座っていた。

眠っていない顔をしていた。


「……エレア、ごめんね。」


「いいよ、こんな事で根を上げてちゃ、エレインの側になんて居られないわ。」


「ごめん、本当に。」


エレアは何も聞かなかった。


聞かないでいてくれたことに、私はたぶん、一生分の借りができた。


城内では、『産後鬱でしょう。』と言われていたらしい。


顔を洗って、髪を整えて、私は乳母を呼び戻した。


泣きながら、レオンを抱いた。

この子は、私が何を考えていたかを知らない。

知らないまま、私の顔を見て、私の頬を撫でようと短い手を伸ばした。




____________




辺境伯家の嫡男(ちゃくなん)に、母親が直接乳をやる例はないそうだ。

乳母という存在は知っていたが、現代日本では馴染みはなく、私はレオンに母乳を与えようとして止められた。


私はレオンが産まれてから今までの間、不安定な状態だったので、乳母という存在は非常にありがたかった。しかし、私も母乳をあげたい。だって、我が子だもの。


納得いかない私に、乳母は困った顔をした。

グレイスが呼ばれ、グレイスも困った顔をしている。


「奥様、前例がございません。」


「では、前例は私が作ります。」


「……旦那様にお伺いを立てませんと。」


「実の息子に、母乳をあげるのに許可が必要なのですか?」


「......かしこまりました。ですが、早急に確認いたしますのでお待ちいただけますか。」


ガーウィンからの返事が返ってくるのに5日かかった。というか、本人が帰ってきた。


「エレイン、すまない。遅くなった。」


「お手を煩わせてしまい申し訳ございません。それで......お返事は。」


「俺も、エレインが母乳を与えたので問題ないと思っている。一般的には、嫡男は乳母が育てるが、世間の常識に囚われないのも大切だとも思っている。俺が今、検証している《零》のようにな。」


ガーウィンが言っているのは、この世界が定義する『《零》の出生は、能力の強い者同士が結ばれる事で確率を減らせる』という常識を覆す、『強い能力同士はお互いを相殺し合う。片方が《零》なら、もう片方のスキルを相殺する事なく継承する』というガーウィンの理論のことだろう。


「好きにしてくれて構わない。しかし、一人で抱え込もうとするな。お前の周りには、助けてくれる人たちが揃っている。俺を含めて......と言いたいところだが、もう出立しないといけないんだ。お前とレオンの側に居てやれなくてすまないな。」


「いいえ、お仕事ですから。どうか、怪我も病気も負わないよう、お祈りいたしております。」


「ありがとう。行ってくる。」


この人は、こういうところが分からない。

今の様に優しいと思う時もあれば、冷たい、無関心と感じることもある。父親として接する時と、軍人として接する時の違いだろうか。


どれでも同じガーウィンだ。気にしないようにしよう。結果として、私はレオンに母乳をあげられるようになったのだから問題ない。


ガーウィンと会話中、後ろの使用人が

「《零》の母乳をあげたら、能力が発現しないという噂も...。」

「レオン様の能力が薄まるのでは...。」

と口を挟んで来たが、ガーウィンは

「レオンはすでに能力は発現している。」

「そのような根拠のない噂で、私の判断を愚弄する気か。」

と言い、フォロー?してくれた。




____________




その年の冬、私は十八歳になった。


レオンは半年になり、よく笑うようになった。

湯はもう熱くならない。

加減を覚えたのだと、乳母が教えてくれた。


乳母は、ミレアという笑顔の可愛い人だ。

薄い桃色の髪で、桜を思い出す懐かしい髪色だ。

童顔で、淡黄色の瞳をキラキラさせている。


死産してしまったミレアは、レオンのことを実の息子のように可愛がってくれてた。

私も母乳をあげたいと言い出した時は、すごく驚いた顔をしていたが、周りが否定する中、ミレアは否定しなかった。


レオンを出産して、荒れていた私を訝(いぶか)しげに思うことも無く、丸投げし迷惑をかけたにも関わらず温かく迎えてくれた。


「はい、こちらレオン様に差し上げますね。」


「ありがとうミレア。キレイな花ね。」


ミレアが持って来たのは、プリムラの花だった。


「花瓶に花を生ける前に、レオンに見せてあげようかな。」


そう言って、レオンに花を近づけた直後、


「___へぶちっ!」


くしゃみと同時に、口から炎が吐き出され、花が焦げてしまった。


「も〜!レオンったら〜!」


と、私とミレアは笑うと、レオンも一緒にキャッキャしていた。




____________




レオンは、一歳になった。

ミレアと、エレアが手伝ってくれたのもあって、初めての育児も苦に思うことなく順調にこなせた。


アレルは、子供をあやすことに長けているようだ。

アレルが接するとレオンはいつも笑っている。

エレアは、「きっと精神年齢が一緒だからね。」とアレルを茶化し、喧嘩していた。


前の世界で、私は何千人もの母親を見てきた。産後の定期健診の時、笑顔で報告してくれる者、受診のたびにやつれていく者、途中で来なくなった者。


支えてくれる周りの人達が、本当に大切なのだと実感した。私一人なら、後者のように私もなっていただろう。


ある夜中、レオンが泣き止まず、ミレアも不在の日に、私は抱いたまま真っ暗で誰も居ない廊下を歩いていた。

角を曲がったところで、アレルとぶつかりそうになった。


「え、アレル?……こんなところで何してるの?」


「え?あ、えーと。巡回。」


「巡回?」


「そう。夜に怪しい人物が居ないか見回ってたんだ。」


従僕に夜の巡回の仕事はないはずだけど......。

なんとなく察した私は、あえて何も言わないでおいた。

そして、アレルも何も言わなかった。

変顔をしてレオンをあやしていたから。


あんなに泣いて手がつけられなかったレオンがすぐに笑った。私もつられて笑ってしまう。


それ以降、なぜかレオンが泣くたびに、彼は毎回そこにいた。


レオンがぐっすり寝てくれた日もあったが、もしかして毎日待機していてくれたのだろうか。

確かめる術はない。

本人に聞くのも、なにか違う気がする。


だから、レオンに毎日お礼を言った。

レオンが泣かなかった日も。


本人は、なんのこと?と言っていたが。




____________




ガーウィンは、年に三度か四度、城に戻った。

戦況が悪化しているようで、いつも疲弊した顔をしている。


初めて彼がレオンを抱いたのは、子が四ヶ月の時だった。彼は赤子の抱き方を知らず、びっくりした。


軍人が剣を渡されるような持ち方をしたので、私が慌てて直した。「ガーウィン様、首を支えるんですよ。」と言うと、彼は「あ、首か。」と言って、真剣な顔で支え直した。


前の奥様との子どもは、抱かなかったのだろうか。

ガーウィンは、多忙な方なので、もしかしたらその時もほとんど城にいなかったのかもしれない。


ガーウィンの腕の中でレオンが泣いてしまう。

彼は口を開けたまま、微動だにしなくなった。


「あの……変わった方がいいでしょうか。」


「......いや、待ってくれ。」


彼は立ったまま、泣くレオンを抱いていた。

五分ほどしてレオンが、ヒクッヒクッと言いながら泣き止んだ。


彼はなぜか、ドヤ顔をしていた。




____________




二歳になると、レオンは走るようになった。


走って、転んで、泣いて、また走る。

城の中は石床なので、転ぶと痛いだろうに。


こんな時、私に《癒し手》か、《治癒》があったら良いのになぁと、思いながらあやしていたが、

いや、怪我をして痛い思いをした直後に治ってしまったら、危険予測能力が育たないのでは?と思いなおした。


柔らかい絨毯を敷いてもらおうかな。

その方が、寒さ対策にもなって一石二鳥なのではないだろうか。

この、足の床のカツカツ音が防犯になるのだろうか。




レオンは、よく笑う子だった。

誰に似たのだろう......。

私も笑う方ではないし、ガーウィンはあり得ない。


たぶん、誰にも似ていない。

強いていうなら、アレルに似ているかな。

子どもというのは、そういうものだ。

親の設計図から出てきたようでいて、その設計図で作られた身体を動かす人格は、環境によって設計される。



___設計図。


その言葉が頭に浮かんだとき、私は手を止めた。

産室で見たメッセージウィンドウのことを、私はほとんど思い出さなくなっていた。

いや、思い出さないようにしていた、という方が正しい。


私は、レオンの能力を設計したのだ。

能力の選択肢が、一つしか無い以上、設計ではなく、《炎熱》か、《零》の選択だが。


膝を拭き終えて、私はレオンを立たせた。

さっきまで、しくしく泣いていたレオンは、ケロッとして走って行き、また転んだ。




____________




ガーウィンが次に戻ったとき、ガーウィンが画家を呼んで私達の絵を描いてもらった。


私が椅子に座り、レオンが膝に座り抱っこされている様子だ。

描かれている間、レオンはちゃんと座って、時々モゾモゾしていたが、ほとんど動かないでお利口にしていた。


ガーウィンも一緒にと言ったが、「俺を描いて誰が得をする」と言って、頑なに断った。


階段の踊り場用に一枚。

そして、掌サイズの絵を二枚。私はそれを肌身離さず持っていた。





私は夕食の席で聞く。

レオンはすでに食べ終わって、アレルと遊んでいる。


「レオンの教育は、いつ頃から始まりますか?」


ダグラス家では、貴族の子育てについて学んで来なかった。前世の記憶や、姉達を見ていた記憶を呼び起こすと、幼い頃から家庭教師や、社交会でのダンスや立ち振る舞いを教える講師が教育を行っていた気がする。


彼は匙を止めた。


「なぜ聞く。」


「え?そりゃあ......母親ですので。」


「……三歳だ。」


「三歳。」


三歳かぁ、少し早いなぁと思った。

だが、アルデン家領地は過酷な土地だ。

生半可な教育では、跡を継ぐには遅すぎるのだろう。


「レオンは、三歳で東棟に移す。読み書き、礼法、剣、家の成り立ち。教師が二人つく事になっている。」


「は?」


え?待って?聞いてない。

東棟に移す?なんのために?


「私も、もちろん東棟に行くのですよね?」


彼は答えなかった。

しばらくして、彼はこう言った。


「月に一度だ。」


「はい?」


「それ以上は、家臣が許さん。」


月に一度?何が?


「国も、ヴァルヴィラ侯爵家も、口を出してきている。嫡男の教育に《零》を関わらせるなと。ヴァルヴィラ家は前の妻の実家だ。あの家は、俺の跡継ぎに口を出す権利があると思っている。」


彼は、初めて言い訳めいたことを言った。

俺の意思で決めたことじゃない。不可抗力だ。と言っているようだ。


「え?じゃあ、断れば良いじゃないですか。」


「お前に、《炎熱》の使い方を教えられるのか?本来、《零》の人間に面会の機会は無い。それを、俺が押し切った。月に一度は会わせる。それが限界だ。」


「確かに、私にはレオンに神賢の使い方を教えてはあげられません。しかし、この屋敷の人間は、私以外全員スキルを持っています。私が教えられなくても、ここに居ながら、他の人に教えてもらえれば良いのではないでしょうか。」


「無理だ。スキルの使い方を教えるには、同系統の人間にしか不可能だ。この屋敷には、炎を操れる人間はいない。」


「では、ガーウィン様が教えて差し上げればよろしいでしょう。」


「俺はここにほとんど居ない。それでは、教育は間に合わないんだ。」


私は、納得するしかなかった。

初めから、《零》には、人権も親権も無かったのだ。


「なぜ......子を産む前に教えていただけなかったのですか。」


「言ってなかったか?」


「聞いてません。一度も。知っていれば......。」


「......知っていれば、産まなかったのか?」


産まない。その選択肢は、無い。

私には、帰る場所も無い。

それに、着いてきてくれたアレルやエレアに申し訳が立たない。


「いえ......なんでもありません。三歳の誕生日からですか?」


「いや、三歳になった年の春からだ。」


「そうですか......。」


席を立った。


「食事はもう良いのか?」


ガーウィンを睨む。


「食べられるわけないでしょう。」


私は声を震わせながら答え、その場を後にした。




____________




ドタドタドタドタッ____


「がぁぁぁあうぃぃいいん!!!!」


食事を終え、出立の支度をしているガーウィンに、アレルが怒号を飛ばす。


扉を思い切り開けたアレルは、両手から高圧力の水流を飛ばした。

この時、私は初めて攻撃能力を見た。

アニメや、ゲームでイメージは出来ていたが、実際現実で見ると迫力が違う。大量の本物の水が人の手から勢いよく飛び出しているのだ。

それを見た私は、あっ、ハイ◯ロ◯ンプみたい。と思ったが、それどころじゃない。


「何やってるのアレル!!止まりなさい!!」


ガーウィンは片手を前に出した。


「ほぅ、悪くない。」


ガーウィンの手から炎の渦が飛び出す。

アレルの両手を使った二本分の水流を合わせても、片手の炎渦の方がその二倍も太い。


お互いの攻撃が衝突し、熱い水蒸気が充満する。


両腕で顔を守る。目も開けていられない。


「馬鹿アレルぅぅぅぅ!」


部屋の壁や床、部屋にあるもの全て濡れてしまった。


「ガーウィン!!!!」


アレルがすごい剣幕でガーウィンに近づき胸ぐらを掴む。


「貴様!!それでも父親かっ!!!」


「主人に対して横暴だな。」


「俺の主君はエレインだ。エレインが悲しむような事をすれば、たとえお前でも許さない。」


ガーウィンは、胸ぐらを掴んでいるアレルの腕を掴み、投げ飛ばし、叩きつけた。


「___ガハッ!」


「従僕の貴様に何がわかる。素人が口を出して良いことではない。」


「なんだと!!きさ___」


___ザバァァァ


いつの間にか現れたエレアが、二人の頭に両手から出した冷たい水を浴びせた。


「これで頭を冷やしなさい。」


二人は水を滴らせながら、

「すまない...。」

「ごめん...。」

と謝罪した。




____________




ついに三歳の春が来てしまった。

その日のことは、鮮明に覚えている。


まず、朝、レオンは普通に起きた。

お粥を食べさせると、半分以上溢してしまった。

レオンが悪いのではなく、私の手が震えていたから。


レオンは、自分である程度食べられるようになったが、私が食べさせたいとお願いした。

溢したお粥を拭いていると、涙が溢(あふ)れた。

エレアとミレアが、私とレオンを抱いて一緒に泣いてくれた。


朝食を終えたあと、庭に出るとアレルが走っていた。


「強くなる。」


と言って、特訓しているらしい。


レオンとアレルとエレアとミレア。

五人で庭を散歩をする。


「なんのために生まれて

 なにをして生きるのか

 こたえられないなんて___♪」


「その歌、いつもレオンの子守唄で歌ってるよね。」


エレアが、頬に人差し指を当てて聞いてくる。


「えぇ、そうね。この歌は、私の大好きな英雄譚の歌なの。」


「どんな英雄なの?」


「助けを求める人たちに、見返りなく誰でもすぐに駆けつけ助けてくれる。身を削り、悪を裁き、弱者を守る。そんな英雄の歌が、どんなにツラくて、打ちのめされていた私の心を、何度も何度も立ち上がらせてくれたの。」


「凄い英雄ね。」


「えぇ、本当に。だから、レオンにもこの歌を、ツラい時には口ずさんで、自身を鼓舞してほしい。そんな思いで聴かせているわ。」


北の春は遅くて、雪はまだ残っている。

レオンは雪を握って、溶けたと言ってニコニコ笑っている。私は、レオンを抱きしめた。




昼に、エレアがレオンの服を着替えさせた。

前日に届いた服で、私の髪と同じ色の服を選んだ。

我ながら、気持ち悪いと思う。

私は、レオンを抱きしめた。






_________




午後、家令がレオンを迎えに来た。

東棟の教師が二人、玄関に立っていた。


レオンは、私の脚にしがみついて不安そうな顔をしている。知らない大人が二人並んでいるのだから当然だろう。


私は屈んで、レオンの目を見た。


「レオン......。」


続きが出ない。

何を言えばいいのか分からない。


母親として、不安を取り除いてあげたい。

でも、すぐ帰れるよなんて嘘はつけない。

レオンが成人するまで、ここにいる私の元へは帰ってこないのだから。


元気でね。は、永遠の別れみたいで嫌だ。

またね。も、この理不尽な決まりに納得したみたいになって嫌だ。


私は、レオンを強く抱きしめた。

抱きしめるしか思いつかない。ダメな母親だ。

レオンは、私の顔を見た。


「かあさまはいっしょにいかないの?」


「……お母様は、月に一回。レオンに会いに行くわ。」


「つきに、いっかい?」


この子は、一ヶ月がいくつあるのか分かっていない。


「うん、お月様が三十回お空に上がったら、その度に会いに行くわ。」と私は言った。


レオンは頷いて、「わかった。」と言った。


それから、教師の一人が手を差し出した。


「レオン様。さぁ、帰りましょう。」


私は、イラッとした。

帰りましょうって。

帰る?帰る場所は、本当はここなのに?

どの面下げて言ってるの?


アレルが、教師と私の間に割って入る。


「おい、てめぇ。何様だ?母親と子供の別れに対して急かすなんて真似を良く出来んな。貴様らは血も涙も枯れ果ててんのか?」


アレルが見たことないキレ方をしている。

極道みたいな台詞だけど、どこで覚えたのだろう。


「なんて品のない口の聞き方でしょう。貴方、本当にアルデン辺境伯家の人間ですか?品性のかけらも無さそうですが。」


「これはこれは、失礼いたしました。名を名乗らない名無し様に、品性を問われるとは思いませんでした。素性を明かさない者に、大事な大事な嫡男をお任せし、ましてや教育などさせるわけにはいきませんので。」


「私は、貴方と同じアルデン家の使用人です。ただ、働いている場所が違うのでお互い顔を見た事が無いだけですよ。」


言い争っている二人を尻目に、レオンは私を見た。

その後、教師を見て、私をもう一度見た。


「やめてください。レオンが見ています。これは教育者として相応しいやりとりですか?」


「私は淡々とご説明させていただいただけですが......

この者を相手にしたのは私の失態です。申し訳ございません。」


「てめ___」


私は、涙目でアレルの腕を掴む。


「もういい......もういいよアレル。ありがとう。でも、これ以上......私を惨めにさせないで......。」


「自分の立場をご理解いただけているようで安心しました。これは覆らない決定事項です。お気持ちはわかりますが、レオン様はお預かりいたします。」


私の気持ちがわかる?

私の子供が、私が《零》であるだけで剥奪される私の気持ちが?なんでわかるの?

三歳よ?これから、いろんな事が出来るようになって、たくさん教えてあげて、たくさん愛情を注いで、一緒に成長していくはずだった私たち二人の人生を目の前で奪われる私の気持ちを、なんでこの人はわかると言えるの?


口を開こうとした私の腕を、今度はアレルが掴む。

私は震えていた。


「エレイン、この役は俺だけでいい。」


レオンが不安そうに私を見ている。


「......レオン。もう一度、抱きしめさせて。」


「あったかいよ、かあさま。」


「あなたもよレオン。お日様みたい。」


私が頷くと、教師の手を取った。


___この時のことを、これから先、私は何度も思い出す。




____________




玄関の扉が閉まってから、私は自分の部屋まで歩いた。


部屋に入って、アレルも続いて入ろうとするが、エレアが腕を引っ張り阻止した。


扉を閉めて、それから私は床に座った。

椅子まで届かなかった。


涙が溢れた。


泣いた。


泣いて泣いて泣いて。


泣いた。





どれくらいそうしていたか分からない。

レオンと私の肖像画を胸に抱いて蹲っている。

扉の外に、人がいる気配があった。

入ってはこなかった。


夜になって、私は立ち上がる。

立ち上がって、廊下に出た。

誰も居なかった。


書庫へ行った。

三周目の続きを読んだ。

字が頭に入らなかった。

それでも、頁(ページ)はめくった。




____________




月に一度の面会は、実際に行われた。

最初の一度目、レオンは私を見て走ってきた。


翌月の二度目も走ってくる。


三度目のとき、レオンは走らなかった。

お行儀良く歩いてきた。


教師が「走ってはなりません。」と教えたのだと、すぐに分かった。


四度目、レオンは私に礼をした。


三歳の子が、右足を引いて、腰を折る。

教わった通りの、正しい礼だ。


「母上。ご機嫌よろしゅう。」


私は、フフッと笑った。

笑って、「ご機嫌よう。」と返した。


その日の帰り、廊下で足が止まった。

私は壁に手をついて、少し休むことにする。


通りかかったネルが、「奥様、どうかなさいましたか。」と心配してくれる。


「なんでもないの。ちょっと、目眩がして。」


「お部屋までお送りします。」


「大丈夫よ。」


「いえ、お送りします。」


彼女は真面目な子だ。


部屋の前まで来て、彼女は一礼して去った。

扉を閉めてから、私は思った。


___あの子は、私が泣いていないか確かめに来たのだ。そう思って、少しだけ救われた。




____________




五度目、六度目、七度目。

レオンは、少しずつ上手になっていった。


礼が上手になり、言葉遣いが上手になり、母上と呼ぶのが上手になった。


私の顔を見る時間が、少しずつ短くなった。


八度目のとき、私は東棟の一室で、四歳になった息子と向かい合っていた。


教師が同席する。

二人きりにはさせない決まりなのだ。


私は「お勉強は楽しい?」と聞いた。


レオンは「はい。」と答えた。


......敬語かぁ。


「何が一番楽しいの?」


「剣です。」


「剣......か。」


「先生が、筋がいいと褒めてくれます。」


「そう。よかったわね。」


それから、沈黙があった。

四歳の子供との沈黙は、長い。

親と子供との沈黙が、気まずく感じること自体がおかしい。


レオンが、ふいに言った。


「母上。」


「なあに?」


「母上は、どうしてこちらに住まわれないのですか?」


教師が、咳払いをした。

レオンが、びくりとした。

その反応で、私は全部分かってしまった。


この子は、聞いてはいけないことを聞いたのだろう。

誰かに、何かを言われている。

四歳の子が、恐怖に怯えた。


私は、笑った。口元だけ。


「お母様は、お仕事があって中々ここには来れないのよ。」


「お仕事?」


「そう。とても大事なお仕事があるの。」


レオンは「そうですか。」と言って、二度と聞くことはなかった。




____________




その年の秋、ガーウィンが城に戻った。


彼は東棟に寄り、レオンに神賢の使い方と、剣術を教えたらしい。


夕食の席で、彼は珍しく上機嫌だった。


「レオンの筋がいいんだ。」


「本人も、先生に褒められて嬉しいって仰ってましたよ。」


「俺より覚えが早い。」


「それは、大変ですね。」


「何がだ。」


「そのうち、勝てなくなりますよ。」


彼は少し黙って、嬉しそうな顔をして「そうか。」と言った。


___負けてやる必要はないな、と彼は言った。


この人は、息子と本気で剣を合わせる日のことを、楽しみにしている。




____________




ガーウィンはこれから南の峠へ戦争に行く。

魔獣ではなく、人と戦いに。

出立の朝、私は玄関に立っていた。


見送るのは、これで何度目か数えていない。

数えるようなことではない。


彼は馬に乗る前に、一度だけ振り返った。


「エレイン。」


「はい。」


「レオンのことだが。」


「レオンがどうかしました?」


「戻ったら、面会を月二度にできるよう家臣と話す。」


私は、目を見開いた。


「……よろしいのですか!?」


「よくはない。だが、言うだけ言う。俺がお前にしてやれるのはそのくらいだ。」


彼は、それだけ言った。


それから、少し間を置いて、もう一言付け加えた。


「レオンは、お前に似ている」


「……似ていますか。」


「口の減らないところがな。」


「ガーウィン様が、口数が少なすぎるんですよ。」


ガーウィンは、フッと笑い馬に跨った。


私は、頭を下げた。


「お気をつけて。」


彼は振り返らずに、手だけ振って出立した。


雪が降りそうな空だった。




____________




その冬、私は二十歳になった。

書庫は寒く、火鉢を一つ入れてもらった。


ネルが茶を運んでくる。

エレアが毛布を持ってくる。

アレルが薪を足しに来る。


私は四周目に入っていた。

もう、流石に新しいのを催促しても良いかしら。


この城に来て、五年が経っていた。

むしろ、遠慮しすぎなのかもしれない。



そんなことを思いながら、息子を思い出す。

月に一度は息子に会える。

それが二度になるかもしれない。

ガーウィンが帰ってくるのが待ち遠しい。

いつ頃、帰ってくるか聞いておけばよかったな。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。